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八、黒衣の君とひとりきり

 イワレヒコは、後悔していた。戦力になるニギハヤヒを怒らせてしまったことに。

 ナガスネヒコのことは、本来触れてはならない禁忌だ。それにあえて触れたのは、ニギハヤヒの協力を必要としたからだった。


 しかしそれは逆効果だった。踏み込み過ぎて、ニギハヤヒの逆鱗に触れた。

 

 眼鏡をかけたまま、大の字に横になっている。ニギハヤヒに吹っ飛ばされた時の衝撃で、背中がじんじん痛んだ。喉からせり上がって来る吐き気は飲み込んだ。

 

 気だるげに身を起こすと、前方にはぐしゃぐしゃになった床が散らばっている。部屋には誰もいない。


 あのあと、イワレヒコを仇敵の如く睨み射抜いたニギハヤヒは、掴んでいたイワレヒコの胸倉を乱暴に離して去って行った。

 どすどすと大きな足音を隠しもせず、依頼人である篠の屋敷から消えた。おそらく今回の幽霊騒動の解決に協力する気などないのだろう。そうさせてしまったのはほかならぬ自分だ。とイワレヒコは痛く自覚していた。


 ふうっ、と息を吐く。自分はどうも、人の心を推し量るのが苦手のようだった。

 いつの間にか、誰かの触れてはいけない場所に、指先が届いてしまう。脆くてあっけないその場所をつついて壊してしまう。

 そして、壊された相手はイワレヒコに牙を剥く。……自業自得か、と自嘲した。


「頭、冷えたかな」

 ニギハヤヒの助力は見込めない。白磁の力も無理そうだ。だって、さっき白磁はニギハヤヒを追いかけてしまったのだから。


 誰よりも信頼している部下の久米と道臣は連れて行くことができない。篠たちの村を守ってもらう必要がある。

 導きを頼んだヤタも、イワレヒコの失態により怪我を負った。まだ治りきっていない彼を引っ張り出すのは気が引ける。


 一室の隅っこに、祀られるようにしておかれたフツミタマを見つけた。自分の戦力は、そのたったひとつの霊剣だけだった。


 イワレヒコはゆっくりと立ち上がり、放り投げられた黒衣を羽織る。黒手袋をはめ、眼鏡をぐっと釣り上げる。

 フツミタマの御前に跪き、恐る恐るその剣を握る。



「ひとりになってしまったね」



「いや、今はひとりじゃないさ」


 イワレヒコは、背後からしたその声にはっとした。

 聞き覚えがある。忘れるはずがないその声。長く耳から遠のいていた懐かしい声。

 

 はやる気持ちをおさえ、イワレヒコは声のした後ろを振り向く。ゆっくりと、それが夢でなければいいと願いながら。

 フツミタマを抱き締めることで、壊れてしまいそうな心を励ます。自分ひとりではないと、言い聞かせて、そちらへ目を向ける。



「おおきくなったな、ワカミケヌ」



 イワレヒコが最も敬愛していた兄――イツセがそこに立っていた。



「に、いさん……!?」

「何だ、まだつけているのか。そろそろ眼鏡くらい新調したらどうだ」

 声がうまく出せない。話したいことは沢山あるのに、ひとつとして言葉として紡げない。

 ただ兄さん、と。それしか心を吐きだせない。


 これは夢なのか。夢であるなら覚めないでほしい。

 それとも現実か。現実なら失いたくない。


「ワカミケヌ、会えて嬉しいよ。……でも、ここでお互いに会えたということは、そちらの状態がよろしくないということなのだろうな」

 イツセは悲しげに言った。

 その言葉でようやく、イワレヒコは自分がすでに篠の屋敷ではない別の場所にいることに気づいた。


 足は畳を踏んでいない。下は、透明な床が敷かれている。

 辺りを見回すと、大きな白い円柱が規則正しく建てられている。見上げてみると、円柱はずっと高く、てっぺんが見えない。イワレヒコの両腕でも抱えきれないくらいの太さであった。


 空はからっと晴れている。ときどき白い雲が流れるが、それは幻影だった。

 太陽がない。かといって月が出ているわけでもない。空は明るく、灯りを必要としないほどだった。


 一通り辺りを見回して、イワレヒコはイツセに向き直る。

「ここは……」

「ここは、世界と世界の境界だ。ワカミケヌがいた世界と私を繋いでくれる場所。どこにでもあってどこにもないような、奇妙な場所さ」

「高天原や、黄泉とはまた別の?」

「そう。それどころか日本ですらない。いや、現実の世界ともまた違う。……うーん、説明が難しいな」

 イツセは顎を指でさすりながら考える。一通り考えた後、「とりあえず、現実じゃない空間みたいなところだな」と笑って答えた。イワレヒコは、そう言われても結局理解できなかった。


「兄さん、貴方は……」

 死んだはずじゃ、と言えなかった。その言葉を零したら、うっかり涙まで溢れて来そうだった。

 それを察したイツセは、自らそれに触れる。

「淡い期待を抱くなよ、ワカミケヌ。残念ながら俺はもう死んでる」

「……分かっております。貴方とこうして会えたこと自体、本当は喜ばしいことではないのでしょう」

「物わかりが良いな。だが良すぎて少し心配だな。……言うただろう、ここは現実じゃないと。現実でないならば、すでに死んだ俺と再会できてもおかしくはあるまい」

「それはそうですが」

「たとえ今の時間がまやかしや夢のたぐいであったとしても、お前とこうして話すことができてうれしいぞ。少なくとも俺はな」

「私だって! 私だって兄さんに会えて、どれほど嬉しいか……」

「ならば悲しいことは、今はしまっておけ。水を差すのは野暮だ」

 な? とイツセが促す。その明るい笑顔につられて、イワレヒコは頷く。

 イワレヒコが同意したことを確認したイツセは、さて、と本題に入る。

 その表情は引き締まり、さっきまでの穏やかさがなくなっていた。凛としたこの表情が、イワレヒコは好きだった。


「ワカミケヌ、これから俺の言うことを心して聞いてくれよ?」

 いつもの冗談を言うような笑顔はない。言葉遊びで弟をからかう兄の姿ではなかった。

 イツセは真剣に、真面目に、イワレヒコにさとすようにして告げる。いいか? と再び確認する。イツセが何を話そうとするのかイワレヒコには分からない。だが、きちんと心しておかねば絶対に後悔すると、心の底が告げていた。


「お前、いまナガスネヒコ絡みの事件に関わってるな?」

 イツセは確信しているような口ぶりで聞いた。イワレヒコは少し目を見開く。

 口を開けて「どうしてそれを」と言いかけ止めた。ここが現実とは違う世界で、隠れたはずのイツセがいる現状では、何が起きても不思議ではない。イツセがイワレヒコの現実を見抜くのだって、もしかしたらこちら側では当たり前にできることなのかもしれない。


「で、ワカミケヌ、そうなのだな?」

「……はい。まだ雪も降っていると言うのに、春に開花するはずの樹がすでに花咲かせているんです。怪奇の依頼を持ち込んだ者の村には幽霊が現れて、子供たちを連れ去っていくと」

「そして、その樹の近くにナガスネヒコがいたと。そういうことだな?」

「はい」

 やはりか、とイツセはひとり納得した。どうやらイツセは、イワレヒコの現状を把握しているようだった。

「そうか、この地点か……」

「……兄さん?」

「やはりな……。とすると俺がここへ来たのも……」

「兄さん、ひとりで納得していないで説明してくれませんか?」

 イワレヒコが半眼でイツセを睨む。

「ああ、すまんな」

「まったく。それで、どういうことなのですか」

「うむ……。ときにワカミケヌ、お前は日本の安寧を望むか?」

「……は。何を今さら」

「答えてくれ。これは真剣だ」

「改めて問うまでもないでしょう。私の望みはただのひとつ。日本が千代に八千代に穏やかに続くこと」


 イワレヒコはよどみなくまよいなく答えた。

 その答えをはじめから待っていたかのように、イツセは表情を和らげた。


「……ふ、それでこそワカミケヌだよな」

「からかっておいでですか」

「真面目だよ」

「とてもそう伺えませんが……話が脱線して収集つかなくなる前に、本題にお入りください」

「すまん。俺が悪かった」

 イツセは咳払いして、ひとつ、イワレヒコに告げた。


「ワカミケヌ、ナガスネヒコの心を視るのだ」


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