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七、二代目ヤタガラスとわかぎみのふくしん

 さて、イワレヒコがニギハヤヒの背負い投げと鋭い眼光を食らっている時、主君を守れず意気消沈していた一羽のカラスは何をしていたか。

 イワレヒコの感謝の言葉を糧に、自分にできることをしようと前向きに立ち直っていた。

 祖父は言っていた。ナガスネヒコという青年が敵であるなら、誰が若君を導いても同じような状態に陥っていたと。

 祖父が言うのであればそれは嘘ではないのだろう。だがそんなものは、自分を慰めるだけの言い訳に過ぎない。生真面目なヤタガラスは、それを心に奥深くしまう。

 

 ヤタは一通り大泣きした後、顔を洗って仕切り直した。今は篠の家の廊下を歩いている。

 廊下から外を見やる。

 雪が空から絶え間なく降っていた。いつになったら雪はやむのだろうか。雪はきらいではない。小さい頃は大好きだった。まだヤタガラスのお役目を請け負うまでは、今は亡き父母と共に雪うさぎを作って手を赤くしていた気がする。


 ふと立ち止まって空を見上げる。雪は何も知らずに落ちて来るだけだ。幽霊に悩まされている村人たちの気など知らず、仲間割れをしている漆黒の若君のことなど気にもせず。


 ある部屋にたどり着いた。そっと、遠慮がちに襖を開ける。

「久米、ちょっといいかな」

 その一室の隅っこで、イワレヒコの腹心――大久米が、武器の手入れをしていた。

 部屋と廊下の境界線で、ヤタは待つ。久米の許可が出るまで動かない。

 ヤタに背を向け弓を磨いていた久米が、おもむろにこちらを振り向く。

 切れ長の目は、掘られた刺青が手伝って鋭さを増している。だがその眼差しは柔和である。

「ヤタか。どうした? そんなところに突っ立っていては体を冷やすぞ」

「入っていいのか」

「構わんさ」

 それを聞いてヤタはそっと入る。襖を静かにしめて、久米の隣に座った。

「あのさ、久米」

「何だ」

 口を開いて少し息を止める。言おうか黙ろうか迷って、結局決意した。

 久米の顔を真っ直ぐ見て、聞くべきことを訪ねた。


「聞かせてくれないか、……ナガスネヒコのこと」


 久米が、手を止めた。



「なぜ俺に聞こうと思った?」

「ミチとじいちゃんが言ってたんだ。ナガスネヒコのことは久米に聞いた方がいいって」

「俺は若様の下で戦っていた。つまりナガスネヒコとは敵だった。そんな俺に聞くのが果たして正しいのか」

「それも含めて、久米に聞けって。久米なら、俺たちの中で一番客観的に話してくれるって、ミチが言ってた」

「ただの丸投げじゃないか……。いや、他の面子を考えるとあながち間違いでもないな」

 久米は頭を抱えた。厄介ごとを押し付けられた感は否めない。かといってほかに適任がいるとは思えなかった。


 例えばイワレヒコは、ありのままにできるかぎり私情をはさまずに説明できようものだが、彼は兄を殺されたことからナガスネヒコを心の奥底で深く憎んでいる。煮えたぎる憎悪は常に腹の底に隠しているが、ナガスネヒコの話となると口から溢れ出してしまうのだ。一番話してはいけない者だろう。

 久米に面倒を押し付けた道臣は、説明が下手だ。「どーん」やら「ばこーん」やら会話の中に必ず擬音が入る。身振り手振りが大げさで、そこにはどうしても道臣の主観が入ってしまうのだ。

 先代のヤタガラスは多くを語らない。だいたい、ナガスネヒコのことを久米に聞けと言った白磁の口から語られるとは思えなかった。

 ニギハヤヒは考えるまでもない。彼は仲間内では唯一ナガスネヒコに同情的である。表だって話すことは決してないが、零れる言葉の端々でそれが見受けられるのを久米は聞き逃さなかった。


「久米、だめか」

「駄目じゃない。ヤタも、ヤタガラスとして導く役目があるなら、ナガスネヒコのことくらい知っておいた方がいいだろうな」

「ありがとう、助かる」

「どうってことはない。ただ、あまりいい話じゃない」

「分かってるさ。それでも聞いておきたいんだ」

「うん。……愉快な話じゃないから、少し人払いをしておこうか」

 久米は立ち上がり、襖に指をなぞらす。

 なぞったあとが青白く光り、やがて消えた。一時的に、一室を現実から切り離した。誰も入っては来れないだろう。

 ヤタの隣に久米が座る。思い出すように、彼は語ってくれた。


「話すべきことは、決まっている」



 ――その戦いは、ひどいありさまだった。

 イツセ様……若の兄上様がなくなられたことで、若のナガスネヒコに対する憎悪はつのっていった。

 驚いたものだ。いつも穏やかに微笑まれている若が、イツセ様の亡き骸に縋り突いて泣かれているのを見て、そう思った。……すまん、話がそれた。『いいよ、続けて』


 あぁ……。つまりだ、ナガスネヒコとの戦いは困難がつきまとっていたのだ。ナガスネヒコの軍勢の抵抗は俺たちを圧倒した。すぐに制圧できると思っていたが、彼らは地の利を活かしていたし、兵士ひとりひとりが猛者だ。さすがの俺も諦めかけたよ。

 その後、神子なのに陽に向かって戦っていたのがまずかったとイツセ様が気づかれてな。その後、陽を背にして戦ったら持ち直した。


 だがイツセ様はその時、腕を矢で射ぬかれた。そのときの怪我が原因でなくなられたのだ。若様が泣くところを初めて見た。

 その時若様は誓われた。必ずナガスネヒコをしとめると。『若様は、イツセ様を本当に好いておられたんだな』そうだな。見ているこちらが嫉妬するほど……悲しいほどに仲がよかったよ。


 その後若様はナガスネヒコを討つべく行動を開始された。武器も装備も作戦も完璧に整えて臨んだ戦いだったが、それでもすぐには勝てなかった。俺もあの戦いで幾度も傷を負った。『久米が?』そうだよ。俺もミチも、これは死ぬと思ってた。

 だけれど若様が歌を詠まれてな。自然と活気がわいてきた。神子のお言葉にはそういう力があるらしい。


 ナガスネヒコが抵抗したのは、すでにナガスネヒコ側に天から下った神がいたからだ。『その神様って、ニギハヤヒ様?』そうだ、察しがいいな。説明が楽で助かる。

 

 ニギハヤヒ様もまた天つ神だ。ナガスネヒコはニギハヤヒ様を慕っていた。ニギハヤヒ様こそ本当の天つ神ってな。

 だからナガスネヒコは若を認めなかった。若を天つ神と認めたら、ニギハヤヒ様のお立場が揺らぐからだ。


 ナガスネヒコがそう思ったのも無理はないさ。彼は一国をまとめる長だった。国を守る為には若様という存在を許すことができない。ナガスネヒコも必死だった。……皮肉なことに、必死になればなるほど国は荒れた。若の力は強かったんだ。『それも、イツセ様を殺されたことが原動力になったから?』だろうよ。それしか考えられない、俺には。もっとも、金鵄(きんし)の導きがあったのもまた事実だけれど。


 そしてナガスネヒコまでたどり着いた。その傍らにはニギハヤヒ様がおられた。

 

 若様はナガスネヒコを許す気などなかったのかもしれない。イツセ様のことが頭にあって、冷静さをぎりぎりで保っていた節がある。

 

 ナガスネヒコは言っていた。「天つ神がふたりもいるのはおかしい」と。お前がにせものだと、若様をさしてそうきっぱり告げた。

 きっとニギハヤヒ様も同じように、若を否定してくれると思っていたのだろう。ニギハヤヒ様はまぎれもない天つ神なのだから。『でも、ニギハヤヒ様は……』お察しのとおり、こちらに大人しく従ってくれた。若は、何もなければ神子としてできすぎるほどに優れた御方だから、ニギハヤヒ様はそれに気づかれたのだろう……と思う。

 でもその時の若様は尋常じゃなかった。恨みと憎しみが溢れ出ていて、ここで抵抗したらもっと犠牲が増えると判断したからだと俺は考えてる。あくまで俺の考えだ。ニギハヤヒ様のお心を俺などが分かるはずもない。


 ナガスネヒコはそれに驚愕した。味方のはずのニギハヤヒ様があっさり下ったのだから。

 今でも覚えているよ。ナガスネヒコの声が。聞いているこっちは苦しかった。『苦しかったって、どうして?』誰よりも好きだった者が、何よりも嫌いな者側に寝返ったのだから。その事実を否定したくて叫んだ声が、俺には苦しかった。痛いほどにその気持ちが分かるから。


「何でだ! どうして!? ニギハヤヒ、どうして……!」「ナガスネ、この方は本物だ。ワカミケヌ様こそ本来の神子なんだ」そう言い合ってナガスネヒコはニギハヤヒ様を必死に止めた。

「行かないでニギハヤヒ! 君がいなくなったら、僕はどうすればいいの? 僕ひとりじゃ国を守れない、僕だけではこの国を支えられない。行かないで、行っちゃだめだ!!」「……。この方にすべてを任す」そう言ったニギハヤヒ様を、ナガスネヒコは信じられないって言いたそうな目で見上げてた。


「うそだろ? こんな奴に一国を預けろっていうのか! こいつが僕らの平穏をめちゃくちゃにしたのに! こんな奴に! こんな男に国もニギハヤヒも明け渡せっていうのか!!」


 まとまらない事態に、若様が動かれた。お得意の、三回までなら許すっていうアレ。『三回まではチャンスを与えるけど、その後は敵とみなして切り捨てる……ってヤツ?』そ。お前は聞いてはいるだろうが実際に見てはいないだろ? 見ない方がいいぞ。『な、なんでだ』いつもの若様の本来のお姿が見えてしまうからだ。その姿は、お前には酷だよ。



「ナガスネヒコ、今なら好機を与えよう。君が大人しく投降するならこれ以上戦闘はしない。すぐさま武器をしまい、君らの国を丁重に扱う。従うか?」そう若様は問われた。ナガスネヒコは当然拒否した。

「ナガスネヒコ、もう一度聞く。投降してくれないか。私もこれ以上手荒な真似はしたくない」……もちろんこれも拒んだ。

「……最期に、もう一度だけ聞いてあげよう。武器を捨てて投降しろ」「誰が!! おまえなんかにせものだ!! 本物はニギハヤヒだけだ!」「ふうん、そう。どうしても私にはたてつくんだね?」その時の若様の目は、これ以上ないってくらい冷え切ってた。


「退いてください、ニギハヤヒ。其れを斬れません」その時の若様は、もう慈悲もやさしさも放棄してた。若様は、ありったけの憎悪を込めてナガスネヒコを切り刻むのだと、本能で分かった。『責めるわけじゃないけど、止めなかったの?』止まらんよ。俺が立ちはだかっても、俺ごと斬るつもりだっただろう。若様はそういう方だ。


 

 だが結局、ナガスネヒコは若様の手にかからなかった。

 ニギハヤヒ様の手によって殺されたからだ。『……』

 

 その時、斬られたナガスネヒコは…………笑っていた。泣いているようにも見えた。悲しさとか滑稽さとか絶望とか、そういう感情が全部ぐちゃぐちゃに混ざって、歪み笑いのように見えた。


 そうしてナガスネヒコは斬られて、深い闇の底に落ちて行った。その後、若様はナガスネヒコの国を丁重に扱った。奴隷とか支配とかそんなものはしなかった。皮肉なことに、その国は繁栄した。


 険しい戦いはようやく一区切りついた。こちらとあちらと、どちらも多大な犠牲を支払った。

 こちらは兵士たちとイツセ様。あちらも同じく兵士と……ナガスネヒコを。



 そこで一旦言葉を切り、久米はぼそっと漏らした。

「ついでに言うとな、その後ナガスネヒコの死体は、いくら探しても見つからなかったんだよ」

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