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四、黒衣の君とつめたいにげみち

 ナガスネヒコ。かつての、イワレヒコの天敵。

 兄を殺し、イワレヒコ自身をも窮地に立たせた、イワレヒコにとっては唯一の弱点。

 

 イワレヒコは、ナガスネヒコが苦手だった。まるで動きが読めない相手は、恐怖でしかない。


「わ、若様……?」

 肩に止まったヤタが、心配そうに問いかける。はっとして、イワレヒコは自我を持ち直す。

「ああ、ごめんヤタ……。君は、知らない相手だったね」

「面識はありませんが、なんとなく奇妙な感じがします。……あの人は、若様の何なのですか?」

「それはね……」


 イワレヒコが言葉を一旦切る。


 不敵に笑うナガスネヒコから目を離す。周囲をぐるりと見渡すと、いつの間にか亡霊に囲まれていた。


 ゆらゆらと揺れ歩く霊どもは、老若男女ばらばらだ。大の男だけではない。か弱い女も小さな子供も、皺だらけの老人も、皆イワレヒコに殺意を向けている。


 ――篠が言っていた、件の幽霊か。

 イワレヒコは極めて冷静に、周囲を分析する。

 

 降雪による視界の悪さは、それほどひどくはない。時々しろい粒が眼鏡に付着するだけだ。雪のせいで視界を遮られることはあっても、すぐに溶けるからだいぶましだ。

 例の数およそ二十。じっくりと、確実に、距離を縮めて来る。


 幽霊と戦ったことなどない。人ならざるものがほとんどだったが、そのすべてには必ず実体があった。

 フツミタマを以てしても、あの霊たちは斬ることができるのだろうか。不安が一瞬頭をよぎる。


「若様! 一旦安全な場所へ避難しましょう。幾ら若様でもこれは……!」

「いや、ここで退いたら幽霊たちが村へ降りて来る可能性がある。少しでも彼らを足止めしておかなければ篠達が危ない」

「でも! 今は若様が危ないんで……」



「分かっているッ!!」



 肩に乗っているヤタが、一瞬怯えたのがすぐにわかった。

 冷静さを失うなど自分らしくもない。どうしたというんだろう。相手が、ナガスネヒコだから恐れているのか? そんな馬鹿な。恐れるとして……何を?


 イワレヒコは唇をかみしめた。すぐにいつもの調子を取り戻そうと必死になる。

「ごめん、ヤタ」

「いえ、俺こそ……」

「うん。やっぱり、ここである程度敵を減らしておかなければならない」

「はい……。でもこんな大勢、俺と若様じゃ勝てないですよ」

「君の言う通りだ、ヤタ。だからここは一旦退く。退きつつ、敵を一体ずつ撃破していく。いいね?」

「か、かしこまりました! 先導はお任せ下さい!」

「頼りにしているよ、ヤタ」

 

 ヤタがイワレヒコの肩から飛び立った。

 イワレヒコは、再びナガスネヒコを睨む。

 

 最後に見た時と変わらない。

 髪も外套も瞳も顔立ちも、あの時からずいぶん時間が経っているのに、ナガスネヒコは年を重ねたようには見えなかった。

 

 あの時から時間が止められたかのように、ナガスネヒコの体の成長がうかがえなかった。

 

 ただ、下卑た笑みが歪むだけ。憎悪と享楽でうつろな目が輝く。


「きゃはは、みぃつけた」

「……っ」

「ねえ、遊ぼうよ、ワカミケヌ。せっかくここに来てくれてるんだからさあ!」

 くわっ、と目を見開いて、ナガスネヒコが楽しそうに叫ぶ。金切声にも近いそれが、イワレヒコの耳に響いた。


 若様、というヤタの声もまるで聞こえない。さっき、ヤタに先導を頼んで、自分は退避しつつ迎撃と判断したのに、まるで体が動かない。

 

 足がすくむのだ。手が震えてフツミタマを抜くことができないのだ。何も声が出ないのだ。ヤタの言葉にも反応できやしないのだ。


 目の前のナガスネヒコを見ただけで。イワレヒコは平常心を保てない。



「わっ!!」



 ヤタの驚いた声で、イワレヒコはやっとナガスネヒコから目を離すことができた。ヤタの声がした方をさっと向くと、カラスが幽霊に捕まっていた。


 イワレヒコは一瞬焦った。三本足のカラスが、ばたばたと黒翼を暴れさせて、逃れようともがいている。幽霊は、八咫烏に触れることができているのに、触れられているヤタの抵抗が、まるできいていない。



 ぼんっ! と八咫烏から煙が発せられる。イワレヒコの視界が一瞬遮られた。すぐに煙は消え、そこにはカラスの代わりに、黒い翼の生えた青年が転がっていた。数体の幽霊に羽根と腕を押さえつけられている。まだ幼げの残る顔が、必死の形相を浮かべる。


 イワレヒコが、やっと動いた。動くことができた。

 かちりと刀を抜き、幽霊を一気に全員斬り伏せた。組み敷かれていたため、黒翼の青年――ヤタはイワレヒコの斬撃を受けずに済んだ。


「大丈夫か、ヤタ」

「は、い……。申し訳、ございませ……っ!」

 ヤタは咳き込みながら起き上がる。ばさっ、と黒い翼をはためかせる。

「立てるかい」

「何とか……」

 イワレヒコはフツミタマを一旦しまい、ヤタの手をぐっと引っ張る。立ち上がったヤタは、少し怯えた目でナガスネヒコを見ていた。


「ヤタ、逃げ道を」

「え?」

「甘く見ていた。各個撃破で攻めても私たちの勝ち目は低い。作戦を変更する」

 イワレヒコはふわりと襲い掛かって来た子供の幽霊一体を斬り伏せる。フツミタマは、実体のない幽霊でさえ斬ることができた。

「敵を減らすのは後だ。林の入口に結界を置いて幽霊たちの侵攻が村に及ばぬようにする。もう少し、戦力を連れて来るべきだった。……最初から、そう考えればよかったのに」

「……分かりました。先導します」

 ヤタはまたカラスに化身する。艶やかな黒翼をはためかせ、雪の降る空を駆ける。

 イワレヒコはナガスネヒコを強く睨む。あちらは余裕で楽しげに笑んでいた。


 まるで何かいたずらが成功したかのように。笑いをこらえているようにも思える。

「若様」と、ヤタの声を聞きイワレヒコが我に返る。どうも、自分はナガスネヒコのせいで自身を見失うようだった。――兄を殺されたためだろうか。


「すまないね、今行く」

「はい!」

 フツミタマを強く握り締め、イワレヒコは踵をかえす。


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