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三、黒衣の君とつよいぶか

 客間に篠を残し、イワレヒコと久米はすぐに準備に取り掛かった。

 久米は武装を、イワレヒコは部下を呼びに行く。

 久米は弓の名手であり、その腕は八百万の神々の中でも一二を争うほどのものだ。また狩猟も得意で、獣はもちろん、異形と言った人に害為す者を狩るのもやってのける。戦闘に特化したこの男は、恐怖と嘲笑を込めて、たびたびイワレヒコの『イヌ』とも呼ばれる。

 さて、そんな久米のほかにもう一人、戦いに向いている部下が、イワレヒコにはついている。イワレヒコはその者を呼びに行っていた。



道臣(みちのおみ)。ミチ、いるかい」

 一室の前でイワレヒコはそう呼ぶ。すっと襖を開けた緑色の青年こそ、イワレヒコが求めた者であった。久米に並ぶイワレヒコの腹心、道臣である。


「なんですか若様? このミチに何か御用ですか?」

「『依頼』だ。すぐに支度してくれ。必要なのは武器」

「お仕事っすね!?」

 依頼と武器という言葉に、道臣は反応した。目がきらきら輝き、何かを期待している。イワレヒコにせがむようにして、事情を聞こうとしている。


「落ち着きなさい。といっても相手は幽霊だから、斬れるかどうかは分からないよ」

「そんなん試して見なきゃわかんないですよー。俺、幽霊を斬ったことないんで楽しみですぜー、えへへ」

 濁った緑色のの髪はきちんと結われ、萌黄の着物の懐へ短刀を仕舞い込む。緑の瞳は楽しそうに煌めき、白い肌ゆえにか、左頬に刻まれた傷跡はやたらと目立つ。

「ねーねー若様、どんな仕事? 怪奇絡みですね? 悪霊ぶった切るの? ぶった切っていいんですよね? ね!?」

 道臣はいくつかの短刀を着物の中に隠し持つと、イワレヒコに詰め寄った。悪党を切り刻むことに快感を得る道臣にしてみれば、何かを斬れる『依頼』はまさにやりがいある仕事であった。


「説明するから少し離れなさい。……で、準備は終わったかな?」

「ばっちりです! どっからでもかかってこーい!」

「私に言ってどうするのさ。本当にどこからでもかかってきていい?」

「あ、いや……若様は相手にしたくないんで遠慮します……」

 イワレヒコが余裕の微笑で切り返すと、道臣はすぐさま真面目に戻った。冗談でもイワレヒコと戦いたくはない。道臣は本能でそれを知っている。


「……で、説明していいかな」

「どうぞどうぞ。幽霊が相手なんですよね」

「そう。ここから少し離れた村に、冬が来てからというもの突然現れたらしい」

「へえ、ということはつい最近なんですね」

 イワレヒコはうなずいた。そして続ける。

「それだけではないんだ。春に咲くはずの花が、すでに咲いているということでね」

「早咲きなんてよくあることじゃないですか?」

「早咲きですめばいいんだけどね。その花を咲かせた樹に、村の子供たちを奪われているとか。子供たちを助け出す為にも、花の怪奇も突き止めなければならない」

「ふーん。うーん……花や木を斬る気にはなれないなあ」

 道臣は困ったように首を傾げた。

「だから道臣には幽霊の方を頼むのさ。村人の警護という名目で幽霊の討伐は許可する。久米もつかせるから、今回の依頼が解決するまで久米の傍にいられるよ、合法的に」

「やったー! 若様大好き! この道臣、誠心誠意尽くします!」

「頼りにしているよ」


 そう言って、イワレヒコは道臣と一旦別れた。

 道臣は久米と玄関で待ち合わせた。そこにいる篠が村を案内してくれるということだった。村への道案内は、篠に任せればいいだろう。


 イワレヒコはその後、屋敷の奥へと進んでいく。目的の場所へ近づくにつれて、自分の肌にまとわりつく空気がだんだんと冷えて来る。

 厳かで恐ろしさすらある、張り詰めていて油断がならないような、間違っても粗相などできないような感覚だ。

 柔和な微笑を浮かべていたイワレヒコから、表情が消える。自然と、唇が引き結ばれた。


 暗く冷たいその一室に、イワレヒコの求めた『武器』がある。

 灯り一つない闇に満ちた一室。

 一振りの『武器』を厳かに祀ってある以外には、なにもない。

 

 

 イワレヒコは細心の注意を払って、そこに足を踏み入れる。

 


 跪いて頭を垂れる。

 自分の目の前に祀られたその剣は、かつて自分が困難に直面した際、高天原の神々より頂いた、畏れ多い剣だ。


 フツミタマの剣。

 あらゆる穢れや毒を祓う、浄化の剣。


 イワレヒコは、その剣を手に取った。


 普段の依頼であれば、武器庫から普通に武器を取っていくだけだった。

 だが、今回の依頼を聞いたイワレヒコは、嫌な予感をびしびしと肌に受けていた。

(せめて、ただの思い過ごしであればいいんだけどね)


 イワレヒコは剣を手に、厳かな一室を出る。

 


 久米と道臣は、すでに篠に連れられて村へ行ったという。自分もこれから、春の花を咲かせた樹を調査しに行く。


 門の柵に、カラスが一羽、止まっていた。三本足の神獣、八咫烏(やたがらす)である。

 イワレヒコはその八咫烏に微笑みかけた。

「今日もよろしく頼むね、ヤタ」

「お任せください、若様」

 ヤタと呼ばれたそのカラスは、成長しきっていない少年の声で、元気にそう答える。ばさばさと羽根を広げ、イワレヒコを導いていく。


 その八咫烏は、事前に篠の村や春の樹までの道のりを、地図で確認していた。導きの象徴でもある彼は、『依頼』においてはこうしてイワレヒコを安全に案内する役目を担う。

 現在の八咫烏は二代目で、初代はすでに引退し、のんびり隠居生活をしている。



 ヤタの先導に従い、イワレヒコは歩を進めて行く。


 冷たい風が頬を刺す。

 首元が寒くならないようにと巻いた襟巻の隙間をくぐって、風が入り込む。

 雪が優しげに降り、容赦なくイワレヒコの視界を遮る。眼鏡に雪が付着するたび、黒手袋で拭う羽目になった。


 猛吹雪よりはましだ、この雪はまだ可愛げがある、と必死に言い聞かせて耐えているイワレヒコをよそに、ヤタは凍えるような寒さの中、風を切って飛んでいてもまるで平然としていた。

 ――やっぱ羽毛とか毛皮って暖かいんだろうなあ。

 そんなことをイワレヒコは考える。


「若様、もう少しで春の花が咲く樹につきますよ」

「……ん、わかった」

 イワレヒコはぼんやりと、ヤタの言葉に答える。左手に握り締めたフツミタマが、少しだけ暖かい。


 いつの間にか、周囲には何もなくなっていた。整備の行き届いていない道がぽつんと一本、例の樹を守る林へと続いているだけだ。

 林に足を踏み入れる。一歩進んだだけで、イワレヒコは一瞬にして意識が覚醒した。


 空気が変わった。冷えた冬の気に、殺気がまぎれている。

 ぐっと、フツミタマを強く握り締める。何かあったら、頼れるのはこの剣だ。


 「大丈夫ですか」とヤタが心配そうにたずねる。ヤタはその辺の枝に止まって、羽根を休めている。「問題ないよ」とイワレヒコは答えて、ヤタに案内を続けてもらう。



 怪奇特有の違和感が足を通して伝わる。ここは日本ではないような、いっそ人間がいるべき場所ではないような、奇妙な空気がそこに浮かんでいる。

 明らかに向けられた敵意ともども振り払い、ようやく例の樹にたどり着いた。


 

 思わず、感嘆した。

 春に咲くはずの花が、雪に覆われながら見事に己を裂かせている。

 薄紅の花が雪と調和しており、雪あってこその美しさが開かれている。

 樹の周囲はぼんやりと明るく、樹自身が灯になっているとさえ感じる。


「……なんと」

「きれい……」


 ヤタはイワレヒコの肩に止まる。




 満開の花を咲かせた見事な樹に魅入っている余韻は、そこで断ち切られた。

 

 イワレヒコは、樹から誰かがにゅっと浮き出てくるのを目撃した。

 小柄な子供のようなその者を警戒し、フツミタマをいつでも抜けるように準備する。


 ――敵だ。


 イワレヒコはまっすぐに、そのおぼろげな人影を見守る。


 だんだんと輪郭をはっきりさせて来たその者は、背丈だけはイワレヒコより少し小さかった。


 だが、イワレヒコはその姿から顔を識別した瞬間、この上ない驚愕を味わった。


 大きく目を見開いて、思わず息を止める。足が固まって動けない。剣を鞘から抜くことさえ忘れた。「若様?」とヤタが不思議そうに聞く声が、右から左へ流れて行く。そうだ、ヤタは二代目だから、『彼』を知らないんだ。



 灰色のふわふわとした癖っ毛に闇夜を纏ったような外套。そこからのぞく華奢な手には白手袋がはめられている。

 ふらふらした足取りで、二歩だけイワレヒコの方へ近づいた。


 その頭はぐたりと傾いて、歪んだ笑みを一層際立たせる。


 生気の宿らぬその眼が、イワレヒコを見つめる。



「あは、久しぶりだねえ、ワカミケヌ」



 あどけない声で、彼はそう言う。



 敬愛していた兄の仇であり、イワレヒコ自身にとっても致命傷たりえるかつての仇敵。



 ――殺したはずのナガスネヒコが、恐ろしげな笑みを浮かべて突っ立っていた。


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