二、春咲く花とこわいれい
「……幽霊?」
イワレヒコは少しの空白を持て余し、そう聞き返す。篠が小さくうなずく。
「その、冬が始まってから急に現れ出したんです」
「ふむ。詳しく聞かせてくれないかな」
篠はお茶を一口すすり、話し始めた。
――今年、冬が来た頃のことです。冬が来た、というのは、国つ神の天冬衣様が中つ国じゅうを渡り歩いていたことを目印にしています。あの方が目の前に現れたら、冬が来た証だと、子供のころから聞かされていたもので。……あっ、話がそれましたね、すみません。
それで、冬衣様が僕らの村に現れた次の日から、僕らの村で幽霊が出たっていう話を頻繁に聞くようになったんです。最初はほんとにちょっとだけだったんですが、日に日に村のみんなが幽霊を見た、幽霊が出たって。
最初は夜に家の中とか庭先とか、外に突っ立ってるだけで害はなかったんです。徐々に夜だけでなく昼にも現れ始めて……それもあちこちで。
出るだけで何もないならいいんですけど、そう穏便なものじゃなくなってるんです。
実は……村の子供たちが何人か村からいなくなってしまったんです。幽霊が出始めてから五人。しかも、幽霊が子供を連れてどこかへ行ってしまったって村の住人たちが見てるんです。間違いなく、子供たちが帰ってこないのは幽霊の仕業です。
子供たちを連れ戻そうと、村の若い者たちが幽霊を追ったことがありました。その時は僕も参加しました。
その日の夕方、また幽霊が出たんです。髪の長い女の人で、着物が赤くてやけに派手でした。その幽霊が子供を一人連れていたんです。その時の子供は大して抵抗もせず、大人しく手を繋いで一緒に歩いていました。
おかしいと思いながら、僕らは幽霊と子供を追いかけました。向こうはゆっくり歩いてるはずなのに、走ってる僕らはなぜか追いつくことができませんでした。どんなに全速力で走っても、どういうわけか距離が縮まらないんです。かといって遠のくこともなかったんですけど。
そして辿り着いたところは、村から少し離れた林の奥深くでした。その林の奥には、春に咲く花の樹があります。村の名物みたいなもので、春になると村のみんなでその樹の下で花見をするんです。
そこでも不思議なことがありました。その樹が、もう花を咲かせていたんです。まだ冬だっていうのに。花は満開で、雪は樹を避けるように降っていました。
その樹に吸い寄せられるように、子供たちは樹に向かって歩いて、それっきり見えなくなってしまいました。たぶん……樹に吸い込まれたんじゃないかって思うんです。
若い者の一人が、子供を取り戻そうと樹に近づいたんです。幽霊もそこにいました。そしたら、その若い者も樹に吸い込まれて、それっきり戻ってきませんでした。
僕らは一旦戻って村長たちにことを伝えました。春の樹がすでに花を咲かせていたことも、子供たちが幽霊に連れられて樹に呑まれたことも……。
このままでは村中の子供という子供を樹に吸われてしまうと、村の大人たちはみんな怖がっていました。子供の誘拐だけじゃなく、住人の何人かが幽霊に取り憑かれて気がふれてるものもいます。その者たちは、えっと……昔、罪人を閉じ込めておく牢屋に隔離してあります。取り憑かれた住人達は笑いながら包丁とか鍬とか鎌を振り回して暴れるから……。そのせいで怪我を負った住人もいます。
牢屋はしっかり鍵をかけて、出られないようにしてあります。でも、取り憑かれた皆は「出せ、出せ」って人間とは思えないような叫び声を出すんです。その大声が、遠くにも響いて、見張りや見回りに行く者たちだけじゃなく、普通に暮らしている住人もまいっています。
幽霊が出始めて村はもうめちゃくちゃです。先日、僕の姉も取り憑かれて、お袋様を締め殺そうとしてました。その時の姉の顔、笑ってました。不気味なくらい、笑って……いつもの明るい姉ちゃんなんて最初からいなかったみたいに、笑うんです。
村でどうにかしようとあれこれ手は打ちました。でも僕ら、所詮ただの村人なんです。戦うことなんてできやしないし、ましてやこんな幽霊とか、人間じゃない相手にかないっこありません。
そして、村長や大人たちと話し合って――――
「貴方に助けてもらおうということになったんです」
篠が、ふうっと息を吐いた。話し終える頃にはやや興奮気味で、呼吸するごとに肩が上下した。
篠が茶を飲んで、乾いた口を潤している数秒、イワレヒコは篠の話を頭の中で整理していた。
――幽霊、ね。憑依して生者を操ったり無力化させてどこかへ連れて行ったりするということは、おそらく相当の力を持っているとみて間違いないか。幽霊といっても、そのほとんどは害のないかわいいものだけど……話を聞く限りはそうじゃない。ということは道を外れた者か、使役されているかのどちらかだ。春に咲く花、これも妙にひっかかる……。
「……若。いかがです」
近くで控えていた久米が、そっと尋ねる。イワレヒコは頬杖をついた。
「怪奇だね。そして早急に手を打つべき案件だ。被害は深刻だし、村の皆々の気も休まらないだろう」
「はい……。幸い、っていえるのかどうかは分からないですが、まだ死人は出てないんです。それだけが救いです。でも、それもあとどれくらい持つか……」
篠が不安げに言う。
「君の話はよく分かった。その『依頼』、引き受けよう」
イワレヒコは、迷いなく言った。
篠の顔が一瞬だけ驚愕に染まる。そしてすぐに、安堵と感激が入り乱れた。
「ほ、本当ですか……!?」
「うむ。村の警備にはこちらの久米ともう一人をつけよう。林の奥にある樹については私が調査する。すべてを解決したら、篠を通して村に報告……ということでいかがかな」
「とんでもない! 願ってもないことです。畏れ多くも、初代様のお手を煩わせてしまうことになるなんて……」
「遠慮することはないよ。民は宝だ。それを慈しみ守るのが我々神子のつとめだよ。……さて、支度をするから、君はここで待っていてくれるかな」
「はい……。あの、ありがとうございます……!」
篠が深く礼を言う。イワレヒコは微笑んだ。
「礼は、すべてが解決してからでいいよ、篠」