2.勇者一行の帰還
ワアアアアアァァァ
盛大な歓声が大気を揺らし、勇者一行を称える声が国中に満ちる。
色とりどりの花や紙吹雪が舞い踊る城下町の中央通りを、くたびれたぼろぼろの格好で、しかしその顔には誇らしげな笑みを浮かべた勇者一行が、民衆に手を振り返しながら旅立ちの時とは異なり徒歩で城へ向かって歩いていた。
「何故だ!?」
そんな勇者一行を、王太子は以前彼女達を見送った城のバルコニーから、驚愕の表情で見つめていた。
勇者一行はゆっくりと通りを歩いているため、ここからはその詳細な様子までは分からないが、そのメンバーは、勇者と共に旅立って行った女魔法使いと騎士、それに見知らぬ男一人と女が二人、さらに王太子が刺客として送り込んだ――神官。その神官も、大げさな動作で大通りを囲む民衆に手を振っている。
「役立たずが……」
ぎり……と王太子は奥歯を噛み締めた。
しかし、勇者一行の中に勇者の姿は見当たらない。せめて勇者を始末することはできたのかと王太子が安堵するとともに、今後の身の振り方について考えていた、その時。
廊下から微かな衣擦れの音と、急いだような足音が聞こえてくる。その軽やかな足音とこの執務室に近づける者ということから、相手は一月ほど前から城に滞在しているレイミー嬢であることが知れて、王太子は表情を緩めた。
いつになく焦ったようにノックされた扉に入室を許可すれば、案の定僅かに息を切らしたレイミー嬢が、そっと扉を押して室内に足を進めてきた。
陶器のように白い肌は赤く染まり、大きな目は潤み、震える彼女の手が興奮している様子を伝えてくる。
ただならぬ彼女の様子に、どうかしたのかと王太子が訪ねる前に、レイミー嬢が胸元でぎゅっと両手を握りしめ、喉に詰まったものを懸命に吐きだそうとするかのように、浅い呼吸を繰り返しながら口を開いた。
「聞いて下さいっ! リースト様! レウィンが……レウィンが帰って来てくれたんです! ああ……良かった……本当に……! レウィン……!!」
最後の方は噛み締めるような呟きに変わり、ぽろぽろと涙を零しながらレイミー嬢は胸元をぎゅっと握りしめた。
レウィンとは勇者と共に魔王討伐に向かった、もとはレイミー嬢付きの騎士の名だった。今大通りを歩いている勇者一行の中にその騎士の姿があったことを、彼女は遠目に確認したのか、それとも街の入り口の警備兵から連絡を受けたのかもしれない。
無事使命を果たした英雄達の帰還に、すでに城内は大騒ぎになっている。
しかし、あの騎士を思い、心から安堵したように涙を零すレイミー嬢に、王太子はぐっと手を握りしめた。そこまでレイミー嬢の心を占めるあの男に、渦巻くような嫉妬心がわき上がる。
こうなったら、城内でひっそりと殺してしまうか、もしくはどこか危険な辺境に飛ばしてしまおうと考えながら、表面上は穏やかな笑顔を繕って、彼女の肩に手を添え「良かったですね」と声をかけようと手を伸ばしたとき、レイミー嬢がパッと顔を上げ、涙に濡れた目で王太子を見上げた。
「リースト様、私、この度離れてしまってから、いかにレウィンが私にとって大切な存在であったか、身に染みて分かりました」
そっと目元を緩め言葉を紡ぐレイミー嬢に、王太子は言葉も無く目を見開いた。嫌な予感が胸中に広がるが、彼女の言葉を止めるすべは無かった。
「私、ずっとずっとレウィンを愛してしまっていたんです。けれど、傍にいるのが当たり前すぎて、気づけずにいたのですわ。彼が危険な地に向かうと聞いて、胸が張り裂けそうになりました。ただ安全なこの場所で彼の無事を祈ることしかできなかった。
でも、危険な任務の中でも、レウィンは手紙をくれたり旅の途中で見つけた花などを贈ってくれたりと、常に私を気にかけてくれて、それが嬉しくて仕方がありませんでしたの。来る日も来る日も彼のことばかり考えて……。そうして、ようやく気付いたのですわ。……家族や友人を想う気持ちとは違い、彼を、愛していると」
頬を薔薇色に染め、愛おしい人を思い浮かべて幸せそうに微笑みながら、レイミー嬢は想いを語った。
「たとえ、お父様に反対されたとしても、私はレウィンと一緒になります!」
いつものおっとりとした態ではなく、決意を込めた強い瞳で告げたレイミー嬢の言葉が、呆然としたままの王太子の耳をすり抜けていく。
「リースト様はいつも私に優しくして下さって、恐れ多くも兄のように思っておりましたの。ですから、リースト様に私の決意を聞いて頂きたかったのですわ」
照れくさそうにふふと笑って、レイミー嬢はにっこりと王太子に笑顔を向けた。
「それでは、私はレウィンの出迎えに行ってまいりますわ」
そうして、目を瞠ったまま身動きもしない王太子の様子に気付かず、退出の挨拶をして部屋を出て行った。
静寂の戻った室内に愕然と立ち尽くす王太子は、やがてはっと我に返ると、握り締めた手を近くの執務机に叩きつけた。奥歯が欠けそうなほど歯を食いしばり、その瞳に憎悪を込めて、ここにはいない騎士を思って床を睨みつけた。
「……殺してやる! ……どんな手を使っても……殺す……っ!」
呪詛のような低く掠れた声が、室内を漂う。
どのくらいそうしていたのか、やがて再び扉の向こうから「入るぞ」という声が聞こえ、その声の相手に慌てて体勢を整えると、王太子は入室を促した。
ゆっくりと扉が開き、姿を現したのは堂々とした高貴さを滲ませる五十代頃の男性、この国の王であり王太子の父であるその人物は、眉間に皺を寄せ難しそうな表情で王太子の前までやってくる。
そして、普段から厳格な態度の彼には珍しく、躊躇うように目線を彷徨わせた。
そんな王に、王太子は何か嫌な予感を抱きながらも、「いかがいたしましたか? 父上」と微笑んで問いかける。
目の前の王太子をじっと見たあと、王は一度ぐっと口を噛み締めてから、考えを決めたようにその口を開いた。
「実はな、三十年ほど前に死んだ我が正妃、クリスタリアのことはお前も知っておろう」
「……はい……、城に踏み入った賊に襲われてお亡くなりになったと伺いました」
思いを殺すように静かに問いかけられた王の言葉に、王太子も沈痛そうな表情でそう返した。
「そして、王妃が殺された時に、生まれて間もなかった第一王子も連れ去られたのだ。しばらくは懸命に捜索を続けたが結局見つけることは叶わず、……おそらくはもう生きてはいまいと、そういう結論に至らざるを得なかったのだが……」
そこまで言って、王は一度言葉を飲んだ。そして、落としていた目線を上げると。
「しかし、王子は生きておったのだ! 偶然にも、この度の旅の途中で勇者の仲間となり、共に魔王を討ち取ったのだそうだ!」
目じりを下げて興奮気味にそう話す王は、いつもの無表情に反し、とても嬉しそうだ。
「ま……待って下さい、父上! 本当にその方は亡くなられたはずの王子なのですか!?」
随分と浮かれた様子の王に、慌てて王太子はそう問いかける。
「うむ、そう疑うのも無理はなかろう。だが、お前もあ奴を見ればすぐに分かるぞ。なんせ儂の若い頃に瓜二つだからの」
はっはっはと、珍しく声を上げて笑う父王に、王太子は言葉を詰まらせた。嫌な予感が胸に渦巻く。もし、その男が本当に王子であったならば、自分の立場が危うくなってくる。
思わず眉間に皺を寄せたまま、王を見つめる王太子に、しばらくして王は表情を改め。
「……それで、私は王家の決まりに従い、長子であるあ奴に次の王位を継がせようと思っておる」
「なっ!」
恐れていた言葉に、王太子は声を上げる。
「事前の報告によると、その身をもって魔王を倒した英雄ということで、民の支持も高いようだ。政務の方は心配ではあるが……そこは共に旅をしたリコスターム家の令嬢が全力で補助してくれるそうだ。何より勇者殿がな、王子は心根が優しく実直で人心を惹きつける魅力を持つから、必ず名高い王になるだろうと、仰ってくれておる。城の者や貴族達も納得してくれておるしな」
満足そうに頷きながら、王は言葉を重ねた。そして、声を無くしたままの王太子をまっすぐに見つめ、その両肩に手を置くと。
「今まで重責を担わせてきたお前には申し訳ないと思う。だが、どうかこの先あ奴を助けてやってくれ」
王がそう言い終えたとき、扉の向こうから「そろそろ御着きになられます」という声が聞こえ、王は「うむ」と答えて部屋を出て行った。
呆然と立ち尽くす王太子の耳に、外からいっそうの歓声が届く。




