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一話  学校

# 第一話 ダンジョンは、学校には来ないはずだった


 ダンジョンがある世界で生きるということは、別に毎日命懸けというわけじゃない。


 少なくとも、俺の日常はそうだった。


「悠斗、消しゴム」


「はい」


「ありがとう」


 隣の席から、明日香が手を伸ばしてくる。


 俺は机の端に置いてあった消しゴムを渡した。


 水瀬明日香。


 俺の幼馴染。


 そしてたぶん、俺が一番長く一緒にいる女子だ。


「……なに?」


「いや」


「こっち見てる」


「別に」


「嘘」


 明日香が少し笑う。


 こういうところだけ、昔から鋭い。


 俺たちが通っている青凪高校は、東京の端にある、ごく普通の高校だ。


 偏差値も普通。


 校舎も普通。


 昼休みに購買のパンを争うところも普通。


 唯一、普通じゃないのは――。


「悠斗、午後の探索実習って今日だっけ?」


 前の席の男子が振り返った。


「そう。第三訓練ダンジョン」


 俺が答えると、


「マジで嫌なんだけど。先週スライム踏んだ」


「スライムくらいで騒ぐなよ」


「お前やってないから言えるんだろ」


 教室に笑いが起きる。


 そう。


 この世界には、ダンジョンがある。


 八年前。


 突然、世界中に現れた。


 地下だったり、


 山の中だったり、


 廃墟だったり。


 場所は様々。


 中には魔物がいて、倒すと魔石を落とす。


 最初は大混乱だったらしい。


 今では違う。


 ダンジョンは発電所になり、鉱山になり、観光地になり、そして――学校の授業にもなった。


「悠斗」


「ん?」


「今日、終わったら一緒に帰ろ」


 明日香が言う。


「いいけど」


「じゃあ決まり」


 俺は頷いた。


 いつものことだった。


 学校が終わったら一緒に帰る。


 帰り道でコンビニに寄って。


 くだらない話をする。


 たぶん今日も、それだけの日だった。


 ――そのはずだった。


    ◇


 午後一時二十七分。


 突然、校舎が揺れた。


「地震?」


「……長くない?」


 教室がざわつく。


 机の上のペンが転がる。


 窓がガタガタと鳴る。


 教師が黒板から離れた。


「全員、机の下へ!」


 教師の声。


 俺も机に手をついた。


 けれど。


 揺れ方がおかしい。


 地面ではなく、


 学校そのものが下から押し上げられているような――。


 ドンッ!


 次の瞬間。


 床が、割れた。


「――っ!」


 悲鳴。


 教室の中央。


 何もなかったはずの床から、黒い亀裂が走った。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 そして――。


 黒い何かが、亀裂の奥から湧き出してきた。


「なに……あれ」


 誰かが呟いた。


 俺には、それが何なのか分からなかった。


 ただ。


 本能だけが理解していた。


 これは、


 地震じゃない。


 災害でもない。


 もっと最悪な何かだ。


 教師が叫ぶ。


「全員、廊下に出ろ!」


 一斉に生徒が動く。


 椅子が倒れる。


 机がぶつかる。


 誰かが泣いている。


 俺も明日香の腕を掴んだ。


「明日香、行くぞ!」


「うん!」


 廊下に出た。


 だが。


「……え?」


 廊下の先が、なくなっていた。


 本来なら渡り廊下につながっているはずの場所。


 そこにあったのは――。


 巨大な石造りの壁だった。


 学校の建物の中に、


 そんなものが存在するはずがない。


「これ……」


 明日香が息を呑む。


 俺も言葉が出なかった。


 その壁には、


 一つだけ扉があった。


 鉄でもない。


 木でもない。


 黒い石で作られた巨大な扉。


 そして、その扉の上には文字が刻まれていた。


 ――【侵入者を確認】


「……なんだよ、これ」


 俺が呟いた瞬間。


 校内放送が鳴った。


『緊急事態です』


 女性の声。


 いつもの校内放送とは違う。


 明らかに震えている。


『校内にダンジョン反応を確認』


 その瞬間。


 廊下が静まり返った。


 誰も動かない。


『繰り返します』


『青凪高校校舎内に――』


『ダンジョンが発生しました』


 俺は明日香を見た。


 明日香も俺を見ていた。


「……学校に?」


「そんな話、聞いたことない」


「でも……」


 明日香が扉を指差す。


 その瞬間だった。


 扉が、


 ゆっくりと開いた。


 ギィィィィ……。


 その先は暗闇だった。


 教室もない。


 廊下もない。


 階段もない。


 ただ、地下へ続く長い石段だけがある。


「全員、離れて!」


 先生が叫ぶ。


 生徒たちが後ずさる。


 俺も明日香の手を引こうとした。


 その時だった。


 誰かが俺の背中にぶつかった。


「――っ!」


 バランスを崩した。


「悠斗!」


 明日香が手を伸ばした。


 けれど。


 届かない。


 身体が傾く。


 一段。


 二段。


 三段。


 石段を転がり落ちていく。


「悠斗!」


「明日香!」


 最後に見えたのは、


 必死に手を伸ばす明日香の姿だった。


    ◇


 どれくらい落ちたのか分からない。


 気がつくと、俺は床に倒れていた。


「……痛っ」


 身体を起こす。


 周囲は暗い。


 ただ、遠くに青白い光が見える。


 俺は立ち上がった。


「明日香?」


 返事はない。


「明日香!」


 大声を出した。


 返事は――。


「……悠斗?」


「明日香!」


 声のする方へ走った。


 少し先。


 石壁の向こうから、明日香が顔を出した。


「よかった……」


 明日香が走ってくる。


「怪我ない?」


「大丈夫。悠斗は?」


「俺も」


 明日香が小さく息を吐いた。


「……ここ、ダンジョンだよね」


「たぶん」


 その時。


 カチッ。


 何かが鳴った。


 俺は後ろを振り向いた。


 さっきまで何もなかった壁に、


 一行の文字が浮かんでいた。


 青白い光。


 まるで、コンピューターの画面みたいに。


 そこには、


 こう書かれていた。


 ――【第一階層】


 ――【攻略条件を表示します】


「……攻略条件?」


 俺が呟いた瞬間。


 文字が変わった。


 そして、


 俺にしか見えないはずの画面に、


 新しい文章が表示された。


 ――【条件:二人以上で到達すること】


 俺は固まった。


 隣にいる明日香を見る。


「どうしたの?」


「……いや」


 俺はもう一度、壁を見る。


 文字は確かにそこにある。


 そして、その下に。


 小さく、もう一行だけ書かれていた。


 ――【ただし、二人ではクリアできない】


「…………」


 意味が分からない。


 二人以上で到達しろ。


 でも二人ではクリアできない。


 なら――。


 ここには、


 「二人より多くの誰か」がいる。


 そう考えた瞬間。


 暗闇の奥から、


 何かを引きずる音がした。


 ズ……。


 ズズ……。


 明日香が剣を抜く。


「悠斗」


「ああ」


 暗闇の向こう。


 何かが、


 こちらへ近づいてくる。


 そして。


 赤い二つの目が、


 ゆっくりと浮かび上がった。


 俺たちはまだ知らなかった。


 今日ここから始まる出来事が、


 世界中のダンジョンを変えることになるなんて。


 そして俺自身が、


 この世界で最も深い場所まで進むことになるなんて。


 ――この時の俺は、まだ何も知らなかった。


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