6 初詣
帰省して5日目の今日、新年を迎えた。新しい1年が始まる日だというのに、俺は未だベッドから出られずにいた。
寒すぎて温かい布団から出たくないというのもあるが、昨夜、夜更かしをした影響もあるだろう。
おめでたい正月に関わらず図々しくも惰眠を貪っていた。とりあえずもう少し寝かせて欲しいと思った時である。
「お兄ちゃん、起きて!」
部屋のドアが突然開けられ、誰かが入ってきた。続いてカーテンも開け放されて、部屋に元旦の日差しが降り注いだ。
「お兄ちゃん、もう朝だよ。起きて」
俺は部屋に入ってきた誰かによって、心地よく揺さぶられた。その揺れと朝日で俺は恐る恐る目を開けた。
そこには天使と見間違うほどの美少女が日差しを受けて輝いていた。
「綾?」
「やっと起きたね、明けましておめでとう!」
年が明けて初めて見たのは女の子になった弟の満面の笑みだった。
***
お雑煮を食べて、身支度を済ませた俺は、リビングにいた。テレビには初詣に訪れる人々の様子が映し出されていた。
「遅いな」
「まあ、静かに待てばいい。こういうのは時間がかかるものだから」
俺のぼやきを拾った父さんがそう言った。
「楽しみで待ちきれないのは父さんだって同じだ」
「いや、別に楽しみじゃないけど」
俺の言葉に父さんは親指を上げた。なんだ、その『大丈夫。俺は分かっているから』と言いたげな顔は。
「できたわよ!」
妙にテンションの高い母さんの声ととともに、リビングに2人が入ってきた。
1人はもちろん母さんで、そして、もう1人は……。
「おおっ、よく似合っているよ」
「お母さん、昔を思い出して、張り切っちゃったわ」
両親が満足気にしているのに対して、俺は何も言葉が出せなかった。ただ目の前の光景に目を奪われていた。
「お兄ちゃん、どうかな?」
綾は俺に向かって照れくさそうに微笑んでいた。今日の綾はいつもと違っていた。女の子になっている以外にも変わったことがあった。
綾は明るい水色の素地に花柄をあしらった振袖を着ていた。髪も首の高さまで結い上げられていた。いつもの違い、大人っぽい雰囲気を纏っていた。
ちなみに、振袖は母さんの実家から送られてきたものだ。
「圭、聞いているの?」
「男らしくちゃんと答えなさい」
横から母さんと父さんが口を出す。一方、綾はじっと俺を見つめていた。何だ、このリビングの雰囲気は。
俺が何か言わないといけない雰囲気を察したけれど、何を言えばいいのか迷う。というか、気恥ずかしい。
「えっと、似合っているぞ。とても綺麗だ」
俺は頬を掻いて、綾から視線を外して、そう言った。やっとの思いで絞り出した言葉はありふれたものだった。
「ふふっ、ありがとう。お兄ちゃん」
そんなありきたりの言葉をもらった綾は、それはとても嬉しそうに笑った。今日の妹はとても可愛くて綺麗だ。いや、弟だった。
***
両親は家で留守番だ。「兄妹仲良くいってらっしゃい」と見送られた俺たちは、渋滞に巻き込まれつつも、なんとか神社に到着した。
深浦神社は俺が住んでいる街の中で1番大きな神社で、正月になると初詣客でとても賑わう。
「たくさん人がいるね」
「逸れないように気をつけろよ」
「それじゃあ、逸れないようにこうするね!」
軽快な声とともに綾は俺の腕に抱きついてきた。その瞬間、俺の心臓の鼓動は激しくなった。
「り、綾。ちょっとくっつき過ぎてじゃないか?」
「こうしないと逸れちゃいそうだもん。ダメ?」
綾はいつも通りの上目遣いで俺を見てきた。いつもより破壊力が凄まじい。
「ま、まあ、それなら仕方ないな」
今日の可愛くて美しい綾に見つめられてしまえば、俺にハイ以外の選択肢はない。
「やった! じゃあ、帰るまでずっとこうしておくね」
「えっ?」
「行くよ、お兄ちゃん」
俺が何か言う前に綾は歩き出した。それにつられて、というか、引っ張られる形で俺も歩みを進める。
心なしか周囲からの視線を感じる。気のせいだと思いたい。
俺と綾はお参りするための列に並んだ。元日らしく深浦神社はこれ以上にないほどの行列だ。
小一時間並んだところで、ようやく俺たちの番になった。俺と綾は、3日前と同じようにお参りをした。
(今年も平穏に過ごせますように)
そんなありきたりのことを神様に願った。お参りを済ませた後、本殿を離れた。
「お兄ちゃん、おみくじをやろうよ」
そう言った綾の指差した方向を見ると、おみくじを引くために並ぶ人たちがいた。
「せっかくだから、やってみるか。俺がお金を出すよ」
「やった! ありがとうね!」
綾は俺の腕にぐっと体を押し付けた。その瞬間、良い匂いと柔らかい感触が伝わる。俺は頭がくらくらした。いや、妹に対して何を考えているんだ。間違った、弟だった。
再び列に並び、少し待つと、俺たちが先頭になった。俺が料金を払い、六角柱の箱を綾に渡す。
「綾、俺の分も任せた」
「分かった。大吉を引いてあげるね!」
輝く笑顔で引き受けた綾は、箱を上下に振る。すると、箱の底に小さく空いた穴から棒が出てくる。
「えーと、1番です」
綾は棒に書かれた番号を読み上げた。それを聞いた巫女さんは、白い紙を持ってきて、綾に手渡した。紙は縦半分に折りたたまれている。
「次はお兄ちゃんのだね」
「ああ、頼む」
綾は再び箱を上下に振った。そして、出てきた棒の番号を確認する。
「10番をお願いします」
先程とは別の番号が読み上げられた。巫女さんは白い紙を俺に渡した。
おみくじを引いた俺と綾は、この場から離れた。境内の人があまりいないところへ向かった。
「じゃあ、開けるか」
「うん」
俺と綾はそれぞれ自分の手にある白い紙を開いた。紙は長方形で、上半分におみくじの結果が大きく書かれていた。
「おっ、大吉だ」
所詮おみくじの結果だけど、それでも少し良い気分になった。新年はまだ始まったばかりだが、良いことがありそうな予感がした。
「綾はどうだった?」
弟は俺から背中を向けて、おみくじを確認しているようだった。俺がその背中に問いかけると、綾はゆっくりと振り返った。
「僕も大吉だった! お兄ちゃんと一緒だね」
綾は満面の笑みで俺に向かって白い紙を見せた。そこには俺と同じく大吉の2文字が書かれていた。
「おおっ、良かったな」
綾とはおみくじの番号が違ったので、別々の結果になると思ったが、蓋を開けてみると2人とも大吉だった。幸先の良い新年だ。
「じゃあ、項目ごと何が書いてあるか見てみようぜ」
「そうだね」
俺は白い紙の下半分に視線を移す。そこには、健康や学問といった項目ごとにこれから起こるかもしれないことが書かれている。流石大吉だけあって、どの項目も良いことばかりだ。
「綾も良いこと書いてあったか?」
「うん、そうだね。とっても良かったよ」
綾はおみくじを大事そうにぎゅっと胸元に抱きしめた。弟の幸せそうな顔を見て、俺も心が温かくなった。
「良かったな。おみくじはどうする? 2人とも良い結果だし、持って帰るか?」
「もちろんだよ。記念に取っておきたいからね」
「まあ、大吉だもんな。俺もそうするか」
俺は財布にしまう前に改めて白い紙を確認する。おみくじを上から下に眺めていたところ、あるところに目が留まった。
『恋愛:誠意にこたえよ』
その言葉が妙に俺の心に残った。
***
お参りとおみくじを済ませたら、あとは帰るだけだ。俺と綾はこれからお参りする人たちとすれ違いながら、出口へと向かった。
「あっ! 僕、屋台が見たい」
不意に綾が弾んだ声を上げた。境内のあちらこちらに様々な屋台が立ち並んでいた。
「もう昼時だしな。何か買うか。綾は何がいい?」
「えーと、ちょっと待ってね」
綾は辺りを見回した。真剣に屋台を選ぶ弟の顔は美少女になっているものの、子供の時と同じだった。それを感じて、俺は微笑ましい気持ちになった。
「あれがいいな」
綾が選んだよはたこ焼きの屋台だ。屋台には頭にタオルを巻いたおじさんがいて、目の前にある大きなたこ焼き器を使って、熱心に焼いていた。
「分かった。俺が買ってくるよ」
「ううん、僕も一緒に行く」
その時、俺の腕を抱きしめている力が強くなった。そんなに、俺と一緒に行きたいのだろうか。
けれど、俺の心臓に悪いから、やめてほしい。兄ちゃんの心臓がまたうるさくなっちゃったから。
「じゃ、じゃあ一緒に行くか」
「うん」
綾の元気が良い返事を聞きながら、俺たちはたこ焼きの屋台に近づいた。
新たなお客さんの存在に気づいた屋台のおじさんが顔を上げた。
「おお、いらっしゃい。何にするんだ?」
「12個入りのやつを1パックください」
綾は迷いなく1番多くたこ焼きが入っているものを注文した。流石食べ盛りの中学生である。
「あいよ! それにしてもお嬢ちゃんは可愛い振袖を着ているね。隣にいるのは彼氏さんかい?」
「いえ、違いま」
「そうです! 今日は初詣デートなんです!」
何故か俺の言葉を遮って、綾が大きな声で言った。心なしか俺の腕を抱きしめる力がさらに強くなった気がする。
「それは良かったねえ。じゃあ、仲が良いお2人さんにおじさんからのサービスだ」
そう言って、屋台のおじさんはたこ焼きが入ったプラスチックのパックを俺に渡した。どう見ても12個入りではない。その証拠にたこ焼きがパックから溢れそうだ。
「あの、いくら払えばいいんですか?」
「これはサービスだから、料金は一緒で構わねえよ」
そんなおじさんの勢いに押され、俺は12個入りのお金を渡した。
「すみません、ありがとうございます」
「良いってことよ。2人仲良くな」
「えっと、俺たちは恋人じゃ」
「冷めないうちに早く食べよう。本当にありがとう、おじさん!
とても楽しげな綾に引っ張られ、俺は屋台から離れてしまった。その結果、屋台のおじさんの誤解を解く暇がなかった。
綾はよほどたこ焼きを早く食べたいのか俺をぐいぐいと引っ張る。俺はたこ焼きがパックから溢れないように必死だった。
「おい、綾。一旦止まろう。たこ焼きが溢れそうだ」
「あっ、ごめん。お兄ちゃん」
俺の声が聞こえたのか綾は立ち止まった。先程まで前を向いていた弟はゆっくりと俺の方を振り返った。
「ふう、ようやく落ち着いたか。じゃあ、どこかで座って食べるか」
「……怒らないの?」
「え?」
振り返った綾は俯いていていた。そして、俺の腕から手を離した。
「僕、屋台のおじさんに嘘を吐いちゃったから」
綾が言う嘘とは、俺たちが恋人だと屋台のおじさんに言ってしまったことだろう。そのことで綾は罪悪感を覚えているらしかった。
「戸惑ったのは確かだけど、怒っていないよ」
「え?」
綾は顔を上げた。その頬は寒さのためか少し赤く染まっていた。
「だって、たこ焼きが多めに欲しかったんだろ。俺たちの前に買ったカップルもあのおじさんからサービスされていたもんな」
食べ盛りの綾のことだから、その光景を見ていたのだろう。おじさんからのサービスを狙って、あんな嘘を言ったに違いない。
「まあ、嘘を吐いたのは確かだから、母さんたちには内緒な。兄ちゃんと2人でたこ焼きを食べちゃおう」
そう言って、俺は綾の顔を改めてみる。すると、女の子になった弟は頬を膨らませていた。何か言いたげな顔である。
「ど、どうした?」
「……うん、まあ、なんて言えばいいか自分でも分からないけど」
「おお?」
「たこ焼きは僕がほとんど食べるね!」
今日1番の笑顔で女の子になった綾はそんなことを宣言した。結局たこ焼きはほぼ綾が食べた。




