時
穴の中には何もなかった。しかし、ここには世界のすべてがあった。
数日が経っていた。
「・・・」
私は穴の中にいた。
ここには時間がなかった。それが、感覚で分かった。過去も、未来もここにはなかった。今という感覚さえもがなかった。
太陽が昇り、時間が来れば沈んだ。夜には星が出て、月が昇る。しかし、それは時間の経過ではなかった。それはただの現象だった。いや、現象ですらなかった。ただの動き、変化、点滅、流れだった。
外に出たいという欲求ももちろんあった。元の生活に戻りたい。ネットも気になる。仕事もやりかけたものもたくさんあった。本も読みたいし、映画も漫画も見たい。行きたいところもいっぱいあった。
しかし、私は、この穴を出なかった――。
不思議と、穴の周囲を誰も通らなかった。確かに街はずれの人気のない場所ではあったが、散歩をしている時は割と人も見かけたし、まったく人気がない場所では全然ないはずだった。夜ですら、誰かしらがジョギングをしていた。そんな場所のはずだった。
ふと見ると、何かが、穴の底を覗いていた。私はぎょっとする。それは丸い形をしていた。私はそれを注視する。
猫だった。真っ白い猫が、その丸い頭だけを穴の上から覗かせて私を見つめていた。
「・・・」
猫はただ無表情に私を見つめていた。私もそんな猫を見つめ返す。
「・・・」
私たちは無言でお互い見つめ合った。猫は鋭く縦細くした目で私を捉え、見つめ続けていた。その猫の見つめる目の先にある私に、私は不安を感じた。
「私は・・」
私は、ふと私が分からなくなる。しかし、それは不安であるのと同時に解放でもあった。
「私のいない世界・・」
そんなものを今まで想像したことすらなかった。
「私は・・」
私は私が分からなくなった。
気づくと猫はいなくなっていた。
「・・・」
ふと、あれは幻であったのかと錯覚するほどに、不確かな感覚が私を襲う。
「あれは・・」
何かを暗示しているような気がした。何か・・。




