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第4話 パスタ道、ふたつの国境(フロンティア)

 朝霧を割いて、エストリナ村の港に遠征船が戻ってきた。漁師のエドは真新しい太刀魚を高く掲げ、子供たちがはしゃいで駆け寄る。


 「男のパスタ道」には今日も行列ができていた。だがいつもとは違う空気──。村全体が、遠いどこかから吹き込む新しい風にざわついている。


 店の中では、大輔が窓越しにその空気を感じていた。片手には、現代の地下厨房で仕込んできた新作のフィットチーネ用生地。もう片手には、村で手に入れたハーブ入りクリーム。温度と湿度。音と香り。現代と異世界、それぞれの素材と感覚が、ほんの少しずつ彼の中で重なり始めている。


 ふいにリーシャが駆け込んできた。慣れ親しんだエプロンの下、珍しく不安な顔つきだ。


 「ご主人様、大変です! 港に“領主様”が到着したそうです」


 大輔は眉をひそめた。「領主? 普段はこの村まで来ないって聞いてたが……」


 「どうやら、商隊を伴って“視察”に来たようです……」


 店の前にもすぐに、それとわかる一団が現れる。きらびやかな馬具の騎士、商隊の護衛、書記、そして中央には刺繍入りの外套を羽織る女性がいた。年の頃は二十代半ば、長い金髪、凛とした青い瞳。その眼差しは、村をひとときで支配する力を感じさせる。


 「これが領主様……?」


 緊迫した空気の中で、女は堂々と歩み寄ってきた。護衛たちは大輔たちの間に壁を作るが、彼女はその壁をやんわりと押しのける。「待ちなさい。……ここが噂の“パスタ屋”ね?」


 大輔は頭を下げ、できる限り柔らかく口を開いた。「いらっしゃいませ。“男のパスタ道”へようこそ」


 「領主代理、フェリア=エストリナと申します。この村の変化を聞きつけ、近隣諸国の商人たちと……貴殿の評判の料理を確かめに参りました」


 彼女の背後では、異国風の大商人たちがざわざわと見慣れぬ金貨や荷車をやりとりしている。今日の村は、まるで”世界の十字路”だ。


 フェリアは、まっすぐ大輔を見つめて言った。


 「料理を……、一度、私と商人たちに振る舞ってみなさい」


 場が静まる。大輔は小さく深呼吸した。異世界のパスタ道が、また新たな“国境”へ踏み込もうとしている。


 ──厨房。


 リーシャが小声で囁く。「どうします、ご主人様? 村人だけでなく、お城の人や、遠い国の商人……初めてです」


 「構わないよ。料理は誰にでも“入口”がある。道の作り方は同じ。今日のために温存していた一皿を出そう」


 現代厨房から持ち込んだフィットチーネの太く色白な生地を、今朝締めた山羊のバターと村のマッシュルーム、香り高い地場ハーブ、セルジオから分けてもらった南方産黒コショウ、そして漁師たちから届いた新鮮な太刀魚の切り身……。


 すべての素材が、大輔の頭の中で一本の糸のように繋がっていく。


 「よし、“太刀魚と森のキノコのクリームフィットチーネ”、てことでいこう」


 「できました、“太刀魚と森のキノコのクリームフィットチーネ”です」


 パスタを大皿にふわりと盛りつけ、熱々のまま領主と商人たちの前に差し出す。みずみずしいキノコ、クリームの香り、あつあつのフィットチーネに、太刀魚の脂とハーブのさわやかさ。


 一口、そして二口。沈黙。やがて──


 「……うまい」


 「信じられぬほどまろやかで、魚の臭みがまるでない。にもかかわらず、しっかりと海の香りが残る……」


 領主代理フェリアさえ、思わずまぶたを閉じてため息をついた。商隊の親玉らしき男が「金貨五枚積んでもう一皿」と豪語し始め、村人たちは憧れのまなざしで店の奥までも見つめていた。


 食後、フェリアは真剣な声で大輔に語りかける。


 「君の料理は、国境を越える力を持っている。……どうだ、今晩、城の厨房を借りて貴族や要人たちに腕を奮ってみないか? そして、この村や我が国のパスタ文化をともに築いていかないか?」


 その申し出に大輔は戸惑いつつも、否と答えなかった。自分の“パスタ道”が新たな可能性を開く時が来たのだ。


 リーシャやセルジオ、エドたち村の仲間たちも声をそろえて後押しした。「ご主人様ならきっとできる!」


 夕暮れ。港を見下ろす城、フェリアたちの一行とともに、大輔とリーシャは初めて王城の厨房へ足を踏み入れた。そこには、重厚な石窯と、数十人の使用人、そして緊張した面持ちの従来の料理長が待っていた。


 「この厨房を使うのは、我が国でも滅多に許されぬことだ。さあ、始めてくれ」


 厨房の空気は重く、従者たちが訝しげに出入りを見守っている。だが、大輔は臆さなかった。故郷で見習い修行に通った数々の店、イタリアの下町厨房での雑用、そして今は亡き父と二人で追及した“男のパスタ道”の思い出。どこでも“道”は自分の中で一本だという確信が、彼の背筋をまっすぐにした。


 「リーシャ、材料を。あの山羊乳のチーズと、漁師たちのあのエビ、それに村で穫れたトマトも使おう」


 従者たちがじっと見つめる中、大輔は新たな一皿に取り掛かった。


 厨房の奥で、村から荷車で運び込まれた食材が山のように積まれている。エストリナ王城で料理を任されること、それがどれほどの責任と好機か、大輔は肌で感じていた。

 だが、彼の目の前には卵、小麦粉、山羊乳、漁師エドから預かった朝獲れのエビ、大ぶりのトマト、南方の黒コショウ、そしてセルジオから受け取った異国香る香辛料まで――ふんだんに揃っている。これは「異世界パスタ職人」として、最大限に腕を振るえる状況だ。


 「ご主人様、大丈夫ですか?」とリーシャが小声で尋ねてくる。

 「大丈夫だ。こういう時、むしろ血が騒ぐんだよ」と大輔は軽く応じた。


 「さて――」


 王城の料理番たちが半信半疑で見守るなか、大輔はどこまでも“パスタ道”を貫いた。

まずは麺。パスタマシンもないが、イタリア修業時代に覚えた方法で、大きなまな板の上に小麦粉を山に積み、真ん中をくぼませて卵と山羊乳を落とす。手のひらのぬくもりを生地に伝え、しっとりした麺を練り上げていく。


 今夜作るのは“ファルファッレ”、蝶の形をしたパスタだ。

 「蝶のように自由に、国境を越えて人々の口に届く味を」

 そう心のなかでつぶやき、大輔はとんとんと生地を成形してゆく。


 「見事な手際だ……」

 先ほどまで冷たかった従者たちの表情が、徐々に尊敬の色を帯びていく。


 生麺を茹で、トマトソースの仕込みと同時に、エビとハーブで香りを出す。エビはそのまま炒めると深いだしが出る。そこへ、例の東方辣椒塩をパラリ、そして黒コショウを挽きいれる。仕上げに山羊乳とチーズ、そこにたっぷりのパセリ。


 ソースがとろりと絡んだファルファッレは、湯気の中で蝶のように舞う。


 「できました。『海老とトマトの香草ファルファッレ 東方辣椒塩風味』です」


 食器は王家の紋章が入った皿。城の大広間にはすでに貴族や商人、各地からの使節団が並んでいる。

従者たちが発つと、リーシャが大輔に耳打ちする。


 「ご主人様、見て……」


 星のよう光るランプの下、領主代理フェリア、異国の商人たち、初めての料理に目を丸くしている要人たち。その視線の先には大皿に盛られたパスタ。しかし、彼らは“パスタ”という名の、国も身分も越える新しいグルメの可能性に触れる瞬間を知らない。


 「いただきます――」


 フェリアが小さく呟いた。

 一同、静かに口をつける。


 ……まず薫るのは爽やかなパセリと南方のスパイスの刺激。

 エビのうまみとトマトの甘酸っぱさ。もちもちのファルファッレにクリームとチーズがふんわり絡まり、噛むほどに異国の味、懐かしい海の味、村の畑の味が重なり合う。


 「おいしい……。これは、これまで口にしたことのない味だわ」

 「まるで口のなかで異国と村が手を取り合っているようだ」


 フェリアをはじめ一同が歓声を上げると、これまで村の“冴えないパスタ屋”とみなしていた貴族たちの目すら、まったく違う色になる。


 祝宴が始まった。

 料理が進み、各国の使節や商人たちが大輔の元へ集まる。不思議な衣装の女性は北方の製塩業者で、島国の使者はカステラの作り方について根掘り葉掘り尋ねてくる。


 「異世界の料理交流が始まる……」

 大輔はその渦に巻き込まれていた。


 立ち居振る舞いや外交的な気配りはまだ拙いが、パスタの知識と実演に関しては一歩も引くつもりはない。


 「ペペロンチーノは塩次第」「スパゲッティだけがパスタじゃない」「現地の食材と現地の塩——それらを尊重してこそ、美味しい一皿が生まれる」


 王城の厨房で、村で、彼は“パスタ道”の精神そのままに語り始め――やがて彼の周りには料理人や従者たちの輪が生まれた。


 宴が終盤に差しかかり、ふと大輔は窓の外を眺める。

 月明かりの下、エストリナ村の港はまだにぎやかだ。

 気づけば隣にフェリアが静かに立っていた。


 「パスタは、国を動かす魔法かもしれないわね」


 「料理には、人の心を近づける力があると思ってます。少なくともうちの父のナポリタンには、それがあった」


 フェリアはしばらく黙り――やがて小さく微笑む。


 「あなたと村の協力で、我が国の台所、いや、“台所からの外交”に光が差しそうです。もし……よければ、本格的に王都で料理指南をしてみませんか?」


 その誘いに、大輔の心は大きく揺れていた。

 王都でパスタを広め“第二の道”を歩むのか、それとも今の店、村の場所を守るか。


 だがそこに、そっとリーシャが割って入る。


 「ご主人様はいつだって“男のパスタ道”です。どこでどんな道を作っても、ご主人様の味はみんなを幸せにしますから!」


 その言葉に、全員の笑顔が広がっていった。


 宴の後、厨房で片付けを手伝っていた時だ。

 セルジオがやってきて控えめにポケットから紙包みを出す。


 「これは旅の途中で見つけた“東の甘草リコリス”だ。調味料としては珍しいが、どんな料理にも“ほんの少し幸福になれる香り”を加えてくれる……大輔さん、異世界の旅を続けてほしい」


 「ありがとう、セルジオ。君の旅も“味の冒険”だな」


 「いや。それはあなたの方さ」


 静かな言葉――だが異世界の旅路は、こうして仲間ごとに確かにつながっていく。


 夜更け。

 王城のテラスで、大輔は再び星空を見上げる。

 この国の空には、現代の地球とは違う“広さ”がある。

 ふと、パスタ屋の小さな厨房の匂いが胸の奥に蘇る。


 父のナポリタン。

 イタリアの下町の風。

 村の土と風と塩、そして、この大国の人々の笑顔――。


 「……俺は、ここでもパスタ屋でいるよ」


 “男のパスタ道”は、また新たな道を歩み出していた。

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