第3話 異邦人とパスタ・フレスカ・海の恵みと東方の香り
朝霧がまだ村を包むころ、エストリナ村の広場は静けさに包まれていた。「男のパスタ道」の店先で大輔が掃き掃除をしていると、リーシャがそそくさと駆け寄ってきた。少し慌てた様子だった。
「ご主人様、大変です。珍しいお客様が村に迷い込んだみたいです!」
「珍しい? どういう意味だ?」
「人間……ではありますが、どうも村の出身じゃなくて……。見たこともない服と馬車で来て、旅の薬売りだそうです。きっと長旅でお腹をすかせているはずです」
その話に興味を惹かれ、大輔もリーシャと一緒に広場へ向かった。馬車の前には、精悍な顔立ちの青年が立っていた。暗緑色のコート、革の長靴、肩からは古い薬箱を提げている。髪は短く、灰色の瞳が印象的だった。
「おや、君たちがこの村の住人かい?」
「はい。ご主人様は村の新しい料理人です。お腹がすいていませんか?」とリーシャが声をかけると、青年はにこやかにうなずいた。
「ありがたい。名をセルジオという。東方の港からずっと西の町を旅する薬売りさ。実は薬草を探しにこの村まで来たのだが、その前に腹ごしらえをしたくてね」
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「ぜひ店で食べていってください。ただし、うちのパスタはスパゲッティだけじゃありませんよ」
大輔は自信たっぷりに言った。
セルジオは興味津々といった顔で「ほう」と答える。「パスタにも色々あるのですか? 港町では細長い麺しか見たことがなかった」
「ふふ、今日は異世界仕様の“パスタ・フレスカ”――つまり“生パスタ”を作りましょう。ちょっと贅沢な一皿ですよ」
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厨房で生地をこねはじめた大輔は、セルジオの目の前で小麦粉と卵、村の新鮮な山羊乳を使って、ゆっくりと艶のある生地を仕上げていく。そして今日は、幅広の平打ちパスタ「タリアテッレ」にすることに決めた。
「スパゲッティが棒状なのに対し、“タリアテッレ”は幅のある麺なんです。コシやもちもち感が強く、濃厚なソースとの相性が抜群です」
生地を寝かせ、手作業で薄く伸ばし、包丁で均一に切っていく。その工程を興味深そうに見つめるセルジオ。
「素晴らしい……これが君の国の技というものか。まるで薬師が丹念に漢方を調合する様子に似ているな」
「料理も薬も、最初は素材、最後は人の手さ。だから楽しいんですよ」
鍋でタリアテッレを茹でる。オリーブオイルとにんにく、畑で採れた新鮮なポルチーニ茸、地元チーズを使って、「きのことチーズのクリームソース タリアテッレ」を作る。村のハーブをたっぷり刻み、香りを引き出した。
【きのことチーズのクリームタリアテッレの簡単レシピ】
◆材料(1人分) ・タリアテッレ(生麺でOK) ・オリーブオイル ・にんにく1かけ ・ポルチーニ茸 ・牛乳、または生クリーム ・好きなチーズ(パルミジャーノや地元の山羊チーズ) ・塩・黒胡椒 ・刻みハーブ
◆作り方
パスタは塩を加えた熱湯で2〜3分茹でる(乾麺なら8分ほど)。
フライパンにオリーブオイル、にんにくを熱し香りが立ったら、きのこを加えて炒める。
きのこに火が通ったら牛乳または生クリームを加え、コトコト煮る。
茹で上げたパスタ、すりおろしチーズを投入。塩と胡椒で味を調える。
火を止め、刻みハーブと追いチーズで仕上げてどうぞ。
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白いクリーミーなソースに、きのこの旨みとチーズのコクが混じり合い、もちもちのタリアテッレが艶やかに絡む。一口ごとに、森の香りと濃厚なうま味が口いっぱいに広がる。
「これは……美味しい……!」
セルジオは驚嘆と感嘆の入り混じった声を上げた。「こうして幅広麺に濃厚なソースを絡めるのか。長旅で冷えた体に染みわたるよ」
「タリアテッレはスパゲッティよりもソースをよく吸うから、クリームやラグーのような濃い味がよく合うんです。パスタは形や太さで、全然味わいが変わりますよ」
セルジオは器を抱え、「薬師は苦い薬を調合するが、このクリームソースなら誰にでも“癒し”を与えられる。君は料理の名医だな」とユーモラスに言った。
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食後、セルジオは村人や子供たち――そしていつしか興味を持った薬草摘みのエルフたちにも囲まれて薬の知識を披露していた。大輔とリーシャは店の隅でその光景を眺めながら、会話を交わす。
「ご主人様、今日はスパゲッティじゃない料理を見せてくれてありがとうございました。村の人たちも、セルジオさんも、とても喜んでました」
「俺の“パスタ道”は、細い道だけじゃなく、広い道も険しい道もある。村のみんなにいろんな種類のパスタを知ってもらいたい。次は“ラザニア”もいいかもしれないな」
「はい、楽しみです!」
――異世界の「男のパスタ道」は、今日もまた新しい“道”を村に広げていく。
港から吹く潮風が、エストリナ村にさざ波のような懐かしさを運んでくる朝だった。「男のパスタ道」の大輔が店の前を掃いていると、漁師のエドが早足でやってきた。大きな籠に、朝一番の漁で獲れた貝や小魚、イカやエビがぎっしり詰まっている。
「大輔さん、今日は一番の上物が獲れたぞ! たっぷりの海の幸。しかも、珍しいもんも手に入れた。……あんた、昨日の旅の薬売りに会っただろ?」
「セルジオさん? ああ、店でパスタを出した薬屋さんだね」
エドはそのセルジオのことを語る。
「昨晩、あいつから“東方の調味料”ってのを譲ってもらったんだ。独特の香りと辛味があるらしい。漁師仲間みんなで集まる“漁の祝宴”で、一皿どうしてもそれを使ったパスタを作ってくれないか、って頼みたいんだ。みんな、ちょっと変わったもんを食べたくてな」
大輔の料理魂に火がついた。海の恵みと異国の香り――絶好のテーマだ。
「その調味料、見せてもらってもいいか?」
エドは小さな陶器の壺を見せた。封を切ると、強く鮮烈な香り。見ると、赤や山吹色の粒が混じった細かい粉末だ。セルジオが“東方の辣椒塩”と呼ぶ、唐辛子や香草、柑橘皮と塩を合わせたスパイスソルトだった。
「これはすごい……。日本で言えば、“柚子胡椒”や“エスニック・ソルト”みたいなものか……。魚介との相性も抜群だろう」
「よし、大漁祝いにぴったりの一品――シーフード・フリッジ(fusilli)の東方辛味仕立て、作ってみよう!」
【海の幸のフジッリ 東方辣椒塩風味 レシピ解説】
◆材料(4人分) ・フジッリ(らせん状または短めのパスタ) 320g ・アサリやムール貝、小魚、エビ、イカなど(合わせて400g〜500g) ・オリーブオイル 大さじ3 ・にんにく 2かけ(みじん切り) ・東方辣椒塩(柚子胡椒やチリソルトでも可) 小さじ2 ・白ワインまたは村の果実酒 100cc ・刻みパセリ、レモン ・塩・胡椒 少々
*魚介は下処理して軽く塩をふり、余分な水分を取る。 *東方辣椒塩がなければ、柚子胡椒:小さじ1、塩:小さじ1、赤唐辛子粉・レモンの皮:少々で代用可。
◆作り方
1.フジッリはたっぷりの塩湯でアルデンテにゆでる(約7分)。
2.大きめのフライパンにオリーブオイルとにんにくを加え、弱火で香りを出す。
3.魚介類をすべて入れ、中火でさっと炒めて白ワイン(または果実酒)を加え、蓋をして貝類を開かせる。
4.貝が開いたらフタを取り、ゆであげたフジッリと茹で汁(大さじ3ほど)を加えて全体になじませる。ここで東方辣椒塩を振る。
5.味見して塩胡椒で整える。仕上げに刻みパセリとレモンを絞って完成。
店の奥では、漁師たちが待ちきれない様子で集まり出した。朝の浜辺の仕事を終えた男たちの顔は潮焼けして、楽しそうに笑っている。
エドが声を張り上げる。「さあ、大輔の新作、“海の幸と東方スパイス”だ!」
鍋から立ち上る湯気。オリーブオイルのコクと魚介の香り、その奥で見知らぬエキゾチックな香辛料が鼻腔をくすぐる。
大皿にふんだんに盛りつけ、テーブルにどんと置く。「これが“東方辣椒塩”を利かせた、海の恵みフジッリです!」
漁師たちは勢いよくフォークを手に取り、豪快に麺を巻く。口に入れると魚介のだしとオイルのうま味、噛み締めるごとに唐辛子と柑橘の爽やかな辛味がじんわり広がる。噛んだ貝の肉からは、潮の香りがいっそう際立った。
「うお~! たまらん……ピリッとあとから辛くて、こんな魚介の旨みは初めてだ!」
「まるで遠い国を旅してるみたいだな。クセになるぜ!」
エドも目を細め、セルジオから譲り受けた調味料の壺を掲げる。「この“東方の塩”、また誰か来たら追加で買ってくれよな!」
大輔は笑う。
「パスタっていうのは、ソースや具材だけじゃなく、麺の選び方やこういうスパイスで全く新しい世界が開けるんです。特にフジッリのらせん状は、濃厚な魚介やスパイスがよく絡むんですよ」
祝宴は大盛り上がり――海の男たちは食べ終わると、次の祝漁の日も同じパスタを作ってほしい、と口々に頼んだ。
リーシャが、祝宴の片隅でぽつり呟く。「ご主人様……村の料理が、どんどん豊かになっていきますね」
「世界は広い。でも、うまい料理が人をつなげるのは、どこでも同じだよ」
男のパスタ道――きょうも、新しい“道”が世界に広がっていく。