第2話 ごま油香るペペロンチーノ・塩の道、パスタの道
翌朝、エストリナ村の空は抜けるような青さだった。「男のパスタ道」には早くも村人たちのうわさが広まり、開店前から店の前でリーシャと子供たちがそわそわしていた。
大輔は厨房で簡単な下ごしらえを済ませ、薪の火を起こした。「今日もパスタか?」と期待の声が聞こえる。そんななか、リーシャが珍しそうに一瓶の油を持ってきた。
「ご主人様、これ……村のごまを搾って作った油です。厨房の棚から出てきました」
大輔はその香りを嗅ぎ、思わず目をまるくした。ふわっと立ち上がるごまの芳醇な香り。日本でも馴染み深いごま油だ。彼の創作意欲がぐっと刺激された。
「リーシャ、ありがとう。今日はこれを使った新作ペペロンチーノをやってみよう」
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店の看板に小さく「本日おすすめ ごま油のペペロンチーノ」と書き加えると、村の人々が興味津々でやってきた。なかでも若い農夫のティロが先頭を切って入ってくる。
「昨日の赤いパスタもうまかったが、今日はどんなのが出てくる?」
「お楽しみに。……ちょっとだけ詳しく説明すると、“ペペロンチーノ”はシンプルなパスタで、うちの看板メニューだ。普通はオリーブオイルとにんにく、唐辛子で作る。でも今日は、ごま油を使ったアレンジだ」
そう言って大輔は調理に取りかかる。
【ごま油ペペロンチーノの作り方】
1.材料(1人分)
パスタ(スパゲティなど) 約100g
ごま油 大さじ1
にんにく 1かけ(薄切り)
赤唐辛子 1本(輪切りや粗みじん)
塩 少々
醤油 小さじ1(隠し味、好みで)
小ねぎや白ごま(仕上げ用、好みで)
2.下ごしらえ パスタをたっぷりの沸騰したお湯で、商品表示より1分短めに茹でる。ゆで汁は大さじ2ほど取っておく。
3.ソース作り フライパンにごま油を入れて弱火で温め、にんにくをじっくり香りが立つまで炒める。焦がさないように注意する。にんにくがきつね色になったら唐辛子を加える。
4.和え 茹で上がったパスタと取っておいたゆで汁をフライパンに加え、全体をよく絡めて仕上げにごく少量の醤油をまわしかける。しっかり乳化してつやが出たら火を止める。
5.仕上げ お皿に盛り、小ねぎや白ごまを振る。お好みで刻み海苔や青じそも合わせやすい。
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厨房から、ごま油の香ばしい匂いが一気に広がった。リーシャやティロたちが「なんとも言えない良い香り……!」と、鼻をくんくんさせている。
大輔は仕上げに刻みねぎと少しの白ごまを振り、できあがったペペロンチーノを目の前に運ぶ。
「これが、ごま油のペペロンチーノ――日本でも人気のアレンジだよ」
ティロが恐る恐るフォークで一口。目を見開いて「この香り……新しい!」と叫ぶ。ごま油のコク深い風味に、にんにくと唐辛子の刺激、醤油のほのかな香ばしさが合わさり、シンプルながら飽きの来ない味わいに仕上がっていた。
「村の麦で打った麺と、ごまの油がこうもうまく合うとはな……!」
「パスタって、無限に道があるんだな」
リーシャも続いて口にする。「これなら村のお年寄りや、小さな子にも食べやすそうです!」と嬉しそうだ。
「どこの世界でも、“道”は一つじゃない。いろんな食材との出会いが、新しいパスタを生み出すんだ」
大輔は確信を新たにする。究極のペペロンチーノへの旅路は、この異世界でも続いていくのだと――
朝焼けがゆっくりと村を染める。大輔にとって、異世界で三度目の朝となった。「男のパスタ道」の寝台に体を起こすと、胸にわずかな期待と緊張が渦巻く。昨夜作ったごま油のペペロンチーノは、予想以上に好評だった。村人たちの笑顔が思い出され、心があたたかくなる。
彼の店「男のパスタ道」には、現代の東京とこの異世界が繋がる隠し扉がある。早朝の静かな時間、ふと現代側の厨房を覗くと、懐かしい日本の食材や調味料がずらりと並ぶ。不思議なことに、何度行き来しても時差を感じることはない。そのため、地球と異世界の両方で同時に営業できるのだ。
だが、今日は扉の先にも足を踏み入れなかった。彼が関心を寄せていたのは――異世界の塩だった。
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開店準備の手を止め、大輔は厨房の隅に置かれた小さな袋を手に取る。それは、昨日村の漁師から譲り受けたばかり、エストリナ村近郊の海辺で作られるという天然塩だ。
封を切ると、ふんわりと海の香りが漂う。粒は大粒で輝き、小指ですくい口元に運ぶと、うまみとわずかな苦み、丸みのあるしょっぱさ。後味にほんのり甘味も感じる。
「いい塩だ……」大輔は思わずつぶやいた。
カウンターの奥では、リーシャと少年ティロが興味津々の目で見つめている。
「ご主人様、それは何の粉ですか?」
「これは“塩”だよ。料理の味は、良い塩と出会うことで劇的に変わるんだ。実は、昨日のペペロンチーノも、この塩を試しに使ってみた。今日は、この塩を主役にしたレシピを披露するよ」
店の常連になりつつあるティロも身を乗り出す。
「ペペロンチーノは、塩で味が決まるんですか?」
「そうだ。究極のペペロンチーノは、究極の塩と出会ったときに生まれるんだ。“男のパスタ道”でも、幾多の塩を追い求めてきたからな」
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【ペペロンチーノ ―塩の極み― レシピ解説】
◆材料(一人分) ・スパゲティ(乾麺または異世界産手打ち麺)100g ・オリーブオイルまたは良質な菜種油 大さじ1.5 ・にんにく 1かけ(薄切り) ・赤唐辛子(輪切りやみじん切り)1本 ・天然塩 適量(できれば複数種を調合) ・パスタ用湯(麺をゆでる際、必ず塩分1%以上推奨:1リットルの水に10g~12gの塩) ・ゆで汁 大さじ2ほど ・好みでパセリ、黒胡椒、レモンなどを仕上げに
◆下ごしらえ
大きめの鍋にたっぷり湯を沸かし、“万能塩”とも呼べる良い塩を溶かす。この“ゆで塩”こそ、全体の決め手。
にんにくと唐辛子を切り分けておく。
◆作り方
1.フライパンに油を入れ、弱火でにんにくをじっくり香りが立つまで炒める。唐辛子を加え、香りをさらに引き出す。
2.パスタが茹で上がる一分前にフライパンに“ゆで汁”大さじ2を加え、火を強めてざっと乳化させる。
3.パスタが“芯”をわずかに残した状態でフライパンに投入。強火で手早く絡める。
4.ここで“味の塩”をひとつまみずつ加え、混ぜる。味見を繰り返し、塩の個性が引き立ったら仕上げ。
◆ポイント解説 *一口に“塩”と言っても、その種類はさまざま。海塩、岩塩、草木焼き塩、あるいは現地で作られた花塩など。それぞれ、ミネラル分や塩味、旨み・甘み・苦みのバランスが異なる。
*良質な塩は“にがり”分が多く味が角張らない。パスタの茹で汁でパスタそのものの下味をしっかり付け、仕上げの塩は“隠し味”のように最後にまぶす。この「二段階の塩使い」が、ペペロンチーノの深みを決める。
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厨房の光が、カウンター席のティロとリーシャの瞳を照らす。小さな鍋で湯が沸騰し、大輔は天然塩をひと掴み、大きく撒いた。
「塩の産地について、ちょっと語ってもいいか?」
「もちろんです!」
「うちの本店――つまり、俺の故郷……現代日本には、いろいろな塩があるんだ。瀬戸内海の海水で作った“藻塩”、雪のように細かくまろやかな“伯方の塩”、沖縄の海洋深層水から作られる“ぬちまーす”や、鉄分が豊富な“赤穂の焼き塩”……。それぞれ味わいや特長が違う。海の温度、潮の流れ、製法ひとつで塩の味は変わるんだ」
リーシャが目を輝かせる。
「塩にもたくさんの“個性”があるのですね」
「ある。口に含めば、甘みを感じる塩、しょっぱいだけじゃないコクのある塩、苦みや雑味も、“良い個性”になることだってある。この村の塩も、なかなかどうして……いい個性だな」
ここで大輔は、味見用の小皿に数種の塩を盛り、リーシャとティロに渡す。
「一つは現代日本で使っていた塩。もう一つがこの村産の塩――どうだ?」
ふたりは慎重に口に運び、違いに驚嘆する。
「村の塩は、海藻のような香りがします。後味がやさしい……」
「本当だ、じんわり舌に残るな。もう一つの塩は、ピリッと鋭い感じがある!」
大輔は満足そうにうなずいた。
「だからさ、塩をきちんと選び、パスタに合わせることで、シンプルなペペロンチーノは何通りもの表情を見せてくれるんだ。“究極の味”は、近道じゃなくて、無数の道の先にあるんだよ」
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【本日のオリジナル・ペペロンチーノ】 ~エストリナ村の海塩とハーブ香る極み~
大輔が選んだのは、村産の粗塩と、現代から少し持ち込んだフランス産の“フルール・ド・セル”。それを1:1でブレンドする。これに、庭先で摘んだばかりのタイム、ローズマリーの葉を微量加えるアレンジだ。
パスタを“村の海塩”でしっかり茹であげる。ここで塩味をパスタ全体にしみ込ませることが肝。
オリーブオイルでにんにくと唐辛子を弱火でじっくり炒める。ハーブも途中で加え、香りを移す。
ゆであがったパスタをソースに絡め、茹で汁で一気に乳化。最後にフルール・ド・セルをぱらっとまぶし、仕上げに新鮮なレモンを搾る。
厨房から溢れ出す香りは、村人たちの鼻孔を刺激し、どこか凛とした清涼感とコクが満ちていく。カウンタ―に並んだプレートには、みずみずしいパセリが色を添える。
「これ、特別な塩とハーブで作った贅沢なペペロンチーノだ。ひとくち食べてみて――」
リーシャは一口、麺を巻いて口に運ぶ。最初に感じるのは、まろやかなしょっぱさと小麦の風味、続いてにんにくの香味とハーブの軽やかさが追いかけてくる。塩の粒が、噛むたびに旨みの波を織りなす。
「……まるで海と森の風が、一緒に口の中を通り抜けていくみたいです……!」
ティロも大きく頷く。
「塩が違うだけで、昨日とは全然違う! オリーブオイルがこれほど活きるなんてな」
大輔が笑う。
「シンプルな料理ほど、素材で“個性”を出せる。それを、俺は“塩の道”と呼んでる。料理人として、こういう基本にこだわるのが楽しいんだよな」
テーブルの向こうで、村の年配客も興味深そうに話しかけてきた。
「なるほど……料理は“塩梅”が命って昔から言うが、この世界の塩でも究極の料理が作れるんですな」
「ええ。この世界のものと、俺の世界のもの。それぞれ長所がある。今度、村の子どもたちに“塩作り”も手伝ってもらおうかな」
リーシャが嬉しそうにはにかむ。「この村の新しい名物になったりして!」
日が高くなり、店の外には次第に行列ができ始めた。異世界の住人たちが、きらきらした目でパスタを待っている。
大輔は思う――
(この村、この店、この塩。すべてが俺の“男のパスタ道”。究極の味を探す旅は、今度こそ本当に始まったんだ)
そして、ペペロンチーノの“塩”の物語は、次なる一皿へと続いていく。