黒に輝く星
六月も後半のある日、章人が夕食を食べ終え自室に戻ると、充電中だったスマートフォンにメッセージが届いていた。
(美咲?)
開けてみると、相談したいことがあるから明日の帰りに少し時間を取れないかと書かれてある。
今日の帰りも学校の最寄り駅のファストフード店で一時間ほど話したのだが、出た話題はいつも通り学校や家でのことや、もうすぐある定期テストの話で。特に悩んでいる様子などなかったのにと思う。
知り合ってからは一年と少し、付き合いだしてからはふた月ほど。
まだまだ「なんでもお見通し」とはいかないが、悩み事があるのなら少しくらい気付けそうなものなのだが。
よぎる一抹の不安。
あの時のように、自分は何かを見落としているのではないだろうか。
翌朝、何を言われるのだろうと不安を抱えながら、登校した章人。いつものように隣の教室前には美咲が佇んでいた。
手元のスマートフォンを見ながら、頬に落ちてくる肩までの髪を耳に掛ける。遠目で見たその何気ない仕草にも、かわいらしさを感じてドキドキする。
どちらかというと粗野な性格で、恋愛事など興味もなかった自分なのに、今は美咲の一挙一動に勝手に振り回されている。
嬉しくなったり不安になったり、言い切れぬ愛しさを感じたり。今まで自分にこんな一面があるだなんて思ってもいなかったと、その浮かれ具合に呆れることもしばしばだった。
(今日もかわいい)
自然と浮かんだ言葉に、章人の口元に笑みが浮かぶ。
荷物を持ったまま美咲に駆け寄ると、足音に気付いた美咲が顔を上げた。
ぱっと嬉しそうに綻ぶ顔に、抱いていた不安が消えていく。
「おはよう」
「おはよう、章人くん」
柔らかな声が安堵とともに沁み渡る。
何も心配するようなことはないのだと、心から思えた。
隣に並び、いつも通りの他愛ない会話をする。
二年になって違うクラスになってしまったため、朝のこの時間は美咲と話せる大切な時間。
少しでも長くと思って登校時間を早めると、翌日美咲はさらに早い時間に来ることに気付き、最近ようやく今の時間に落ち着いた。
もしかして美咲も自分と同じように、少しでも長く話したいと思ってくれているのだろうかと。そう考えて照れくさくも喜んだことは、とても本人には言えそうになかった。
きちんと約束をしているわけではないが、放課後はいつも早く済んだ方が相手の教室前で待っている。
今日は章人が廊下に出ると既に美咲が待っていた。
美咲の隣には背中半ばの髪をうしろでひとつに纏めた少し勝ち気そうな顔付きの女子と、柔和な顔でふたりの話を聞いている男子の姿がある。
「おまたせ」
声を掛けると三人が一斉に章人を見た。
章人と美咲、そして詩遥と昴。
一年のクラスメイトであった四人はその頃から仲がよく、今は三クラスに分かれてしまったが、それでもこうして集まり話すことが多い。
「じゃあ帰ろっか」
美咲の口から出た言葉は、確かに放課後に四人揃えば当たり前のものではあるが。
相談があるのではなかったのかと口を開きかけた章人は、見上げる美咲の眼差しに言葉を呑みこむ。
少し微笑むその表情は、ちゃんとわかってるからと訴えるものであった。
学校から駅までは五分ほど。
「もうすぐテストだよね」
楽しげに話す女子ふたりのうしろを歩きながら、昴が呟く。
「部活ないのは楽だけどさ」
「活動日週二なのに何言ってんの」
章人の言葉に笑う昴。
物腰が柔らかくおとなしい昴と、騒がしく大雑把な自分。正反対のようで、その実とても気が合った。
好きになる相手まで一緒にならなくてよかった、と。
時々目を細めて詩遥を見つめる昴の姿に何度思ったことか。
学校の最寄り駅までは四人で。方向の違う昴と別れ、電車乗った三人。中学の同級生である美咲と詩遥の降りる駅は同じ、先に章人が乗り換えのため下車することになる。
てっきり電車に乗る前にどこか店に寄るのだと思っていた章人。近付く下車駅に、結局このまま話は延期かと思っていたのだが。
ひとつ手前の駅を出たところで、美咲が詩遥にこう告げた。
「章人くんとちょっとテスト勉強して帰るから、私一緒に降りるね」
「そうなの? じゃあふたりともまた明日ね」
ふたりが付き合っていることを知る詩遥が、その行動を訝しむことはない。
ようやく美咲の考えを理解し、章人はほっと胸を撫でおろした。
「ごめんね。相談事が詩遥のことだったから、本人の前で言えなくて」
電車がホームから離れるなり、美咲が謝る。その様子に、本人にとっても予定外であったのだとわかった。
「それはいいけど、詩遥のことで相談って……」
「ケンカしたとか、そんなことじゃないからね」
章人の心配に先回りする美咲。
「昨日の夕方詩遥と、もうすぐお祭りだねって話になったの」
地元で毎年七夕時期に祭りがあるのだと、美咲が説明する。
「詩遥には四人で行こうって言われると思うんだけど、どうにかあのふたりで行かせてあげられないかなって思って」
「昴からは誘えないだろうしなぁ」
「詩遥からも無理だしね……」
サバサバとして男女問わず気さくな詩遥だが、美咲曰く中身は乙女で。自分から気軽に意中の相手を誘うことなどできないらしい。
昴は昴で自分の視線が誰を追っているのか気付かれていないと思っているのだろう。それとなく聞いても曖昧な答えではぐらかされる。
傍目には明らかに両想いの昴と詩遥。
だがお互いあと一歩を踏み込めないまま今に至る。
同じクラスという安堵もあるのかもしれないと、ふた月前の己を思い出し、章人は苦笑した。
高校に入ってすぐ、同じクラスの昴と仲良くなった。
その昴と詩遥が話すようになったことで、自然と美咲と接点ができた。
表向きは男勝りな性格に見える詩遥だが、年頃の女子らしい脆さも持ち合わせているらしい。
そんな詩遥が惑いを見せたとき、いつも美咲が傍で支えていることに気付いたのはいつ頃だったか。
詩遥の陰に隠れるおとなしく控え目な女子だとばかり思っていたのに、実際は小柄なその身体に揺らがぬ落ち着きとたくましさを兼ね備えていた。
それに気付いてからは、自然と目で追うようになった。
あるときは詩遥に行き過ぎた態度を取る男子をやんわりと制し、あるときは一部女子の中傷混じりの誤解をあっさり解き。
そのくせ自分は前には立たず、いつも一歩下がったところでにこやかに場を見ているのだ。
目で追ううちに増えていく気付きと好感。すぐに好きになってしまったのだと自覚した。
今まで色恋には縁のなかった自分。
どうすればいいのかわからなかった。
昴が詩遥を見つめる眼差しに、相手が美咲でなくてよかったと安堵を覚えては、そんな自分に落胆する。
美咲が昴を見る眼差しに特別なものは感じないが、それは自分に対しても同じで。ただ少し仲のいいクラスメイトでしかないのだろうと二の足を踏んでいた。
そうして迎えた進級で、三人とクラスが分かれてしまった。
昴と詩遥がいるクラスには入れても、美咲に会いに行く理由はなく。碌に話せない日々が積み重なっていく。
通りがかった教室の中にクラスの男子と話す美咲の姿を見て、言いようのない嫉妬を覚えた。
自分の内の黒い感情。
今まで抱いたことのないそれに戸惑い、情けなくなった。
詩遥の明るさに隠れるようでも、しっかりと自分自身を持っている美咲。
自分はそんな彼女の輝きに惹かれたのだ。
こんな呆れられるような自分ではなく。
想いは届かなくても、せめて友達として恥ずかしくないように。
そう決意して、告白した。
涙目で嬉しいと返してくれた美咲と。
美咲は章人ばっかり見てたもんねと笑う詩遥に。
自分は何も見えていなかったのだと痛感した。
きっと昴も詩遥も自分と同じで、お互いを見ているようで見えていない。
必要なのはほんの少し踏み込むこと。
近くなったその分だけ、きっとお互いのことが見えてくるのだろう。
「じゃあ詩遥が四人で行こうって言い出したときに、章人くんとふたりで行きたいからそっちもふたりで行けばって言ってみよっか」
「どっちも断りはしないだろうからな」
ふたりで色々案を出した結果、なんとか実現できそうな策を思いつくことができた。
ほっとしながら、章人はすっかり薄くなったジュースを飲む。
あとはふたりとも断れないよう上手く誘導できればいい。
「まぁ皆で行くのも楽しそうだったけど」
「……うん、でもね」
聞こえた声に顔を上げると、ふたり席の向かいでにこりと美咲が笑った。
「ふたりで行けるのも嬉しいかな」
眩しいその笑顔に、にわかに大きく跳ねる鼓動。
胸を占めるのは目の前の笑顔を愛しく思う気持ちと、そんな自分を不思議に思う気持ち。
「俺も」
そして何より、目の前に美咲がいる幸せ。
変わるもんだと内心笑い、章人は美咲を見つめた。