第九十七話 幾星霜の真実
フレッドは重い体を強引に動かしてずるずると鞄を引きずりながら洞窟の外を確認する。昨日は雨は止んでいたけれど何よりも暗闇が怖かったので一夜を洞窟の中で過ごしたのである。昨日の不審な熱のこともあってとりあえず昨日の内は安静にしておこうという話になったのだ。
「えっと、晴れているようですからそろそろ外に行きましょうか?」
「はい! 今日中には世界樹の下に到着したいですねー……まあ出来る可能性はほぼゼロなんですけど」
フレッドは思わず苦笑してしまった。昨日一日探しても手掛かりすら見つかることがなかったのに今日探したとして何か発見できるのかという考えである。アナスタシアも言った後に気がついていたが、彼女曰くどうにかなると思う……多分、とのことだった。ただ、フレッドも彼女が言えば本当に何とかなってしまうのではないかと少しだけ期待した。
フレッドが持ってきていた非常食を二人で分け合い、洞窟の外に出た。先ほどから天候は変わっておらず、相変わらずの晴れである。ほっとすると同時に昨日の雨がなんだったのだろうと不思議に感じつつもいち早く世界樹の下に辿り着くためにぬかるんでいる地面を踏みしめて前に進んだ。
フレッド達には今までにないほどの手応えがあった。というのも、周囲には聖霊がたくさん浮いていてそのどれもが世界樹の近くをうろちょろしている聖霊に近いものなのである。しかし、そんな発見をしてから数時間は森をひたすらに彷徨うしかなかった。
だが、二人は昨日のようにくたびれることはなかった。もしかしたら今日中に到着するかもしれない。そんな思いがあったからかまだ希望を持ちながら歩き続けることができたのだ。
神聖なる世界樹の森だから当然だが、邪悪とされている魔物が侵入することもないので安全に探索できたというのも、もしかしたらあるかもしれない。
「それにしてもこの森って広いんですね。外観よりもずっと大きいように勘違いしてしまいます」
「実はそれって正解なんですよ」
フレッドが錯覚か何かの現象だと思っていたことは本当に現実で起きていたことだったとは。彼女の衝撃の言葉にえっ、と困惑の声を上げた。フレッドでも知らないことがあったのかと嬉しくなったアナスタシアはそれはそれは嬉々とした表情で解説し始めた。
「この世界樹の森は今世界で一番信仰されていると言われている神架教の神様が管理しているんですけど力があまりにも膨大すぎて世界に干渉してしまうレベルだったららしく、管理地であるここで発散しているんですって」
「よく知ってますねそんなこと……」
彼女の話した内容はフレッドが知らなくても当然のようなものだった。というか、一部の宗教学者や神架教のことを本気で愛していないと出てこないような知識だろう。知らなかったことに一抹の不安があったが一瞬だけほっとした。
そのほかにも彼女はあまりにもマニアックすぎる話を出してきた。フレッドが知っているものもあったが、半数は聞いたこともないようなもので埋め尽くされていたのである。それはもう知らないフレッドがおかしいのではないかと疑ってしまうくらいにスラスラと出てきているのだから驚愕ものだ。
「なぜこんなに知識が……?」
「一時期魔術の研究で友人が調べていて。ぜひ一緒に学んでくれないかと言われましてちょっとだけ」
そこまで宗教学が必要な魔術とはなんなのだろうとは思ったが、聞いてしまったら流石にプライバシーも何もなくなってしまうので尋ねるのをやめようと思った――が彼女は自ら話してきたものはしょうがないだろう。フレッドは自分にそう言い訳しながら彼女の話を聞いた。
「私の友人は昔からすごい人で、この世界にあったあらゆる疑問は彼にかかれば一瞬で解決されるというくらい頭がいい人だったんです」
「専攻している魔術は何かあるんですか?」
「特にないらしいんですけど……生前に遺した研究結果があまりにも膨大すぎているかいないか曖昧な人となってしまったそうですよ」
フレッドは自分に苛ついた。アナスタシアがフレッドが疑問に思っていたことを全て話してくれているのにも関わらず彼女が知らない人のことで微笑んでいるのがとても嫌だったのだ。
自分に嫌気がさしながらもフレッドは彼女の話を邪念が混じらないように一生懸命聞いた。
曰く、一部地域に限らずとも本当に伝説化されているような天才らしい。フレッドが聞いたことある伝説の人物といえば五千年前のチェルノーバの嫡男くらいだが彼女がそんなに生きているはずがない。それにアナスタシアの年齢的に伝説になるなんてことはあり得ない。
そんなことを独り言でボソッと呟くとアナスタシアはハッとする。
「ごめんなさい。友人の話などではなくて先祖様の話で……誤解させてしまいましたね」
「いえ、全然大丈夫なんですが――」
フレッドは少しだけ疑問に思った。よく貴族などにあるご先祖様自慢などではなくずっと昔のことを懐かしんでいるような雰囲気が彼女からは醸し出されていたのである。それこそ彼女の言っていた通り、友人の功績を自慢するかのような表情だったのだ。
彼が不審に思っていることに気がついたのか、アナスタシアはすぐに訂正を始めた。
「ごめんなさい見栄なんか張ってしまって。先祖様を友人扱いするのは流石にダメでしたね」
だが、彼女の家は五千年前から続いていることで有名な家なので文献の一つや二つは絶対に残っているはずだ。それに、彼女レベルの実力者となると少ない聖霊から記憶を読むことだってできるだろう。懐かしむように語った理由にも納得が行った。
そして、彼女が言っていた天才とやらは五千年前に追放されたチェルノーバ家の人と見て間違いない。すごいな、なんて思いながらただただ歩き続けていると一つの事象に気がついた。先ほどよりも聖霊が多くはないか? というのも、洞窟を出たあたりは世界樹ではない別の木々にひっついているくらいだったのに、今では付着する木もないほどの多大な聖霊が辺りを浮遊していたのだ。
明らかに見たことがないほどの聖霊数。きっと学者が訪れたら興奮して発狂するのかもしれないが二人にとってはどうでもよく、興味もあまりなかった。しかし、あまりにも多すぎて視界が遮られるので懐中電灯で正面だけを照らした。聖霊がいようがいまいがゴールがそもそもどこか分からないので障害物にぶつからなければいいという考えである。
なにか近づいているのではないか――と期待したがやはり近くには何も見えない。ただ、世界樹は近づいているような気がした。
昨日の停滞具合からは考えることができないほどの進捗である。急に森に認められたような不思議な感覚があった。
懐中電灯の光がどれくらい遮られているかによって進む方向を決めようとフレッドは提案する。
「……なぜ?」
「聖霊は触れることができるので実体があるということになります。となると光がどれくらい遮られているかが分かるでしょう?」
「――あ、そうか。聖霊が多い場所の方が世界樹に近いんでしたね」
フレッドの考えがどれくらい通じるかは分からない。が、とにかくしてみることが大事なので四方の全てを照らした。
一ヶ所だけとんでもない量――今フレッド達が立っている場所の十倍はあるだろう――の聖霊がいるところがあった。絶対にそこだろうとフレッドは確信してアナスタシアの手を引きながらとにかく先へ先へと進んでいった。
なぜか走りたくなった。走らないといけない気持ちになった。だから疲れない程度に走ったのだが、それが一時間続いたものだから流石に息切れが発生して少しだけ地面に座る。
休憩している間も手がかりを探そうと思い、ライトで四方八方を照らす。だが、何も見当たらない。つい先程まで大量にいた聖霊も森というくらいには十分だった木々も半径五十メートルくらい先にしか生えていない。
もっと早くに気がつくべきだった。フレッド達はよりにもよって最悪なハズレを引いたかもしれない。
壁らしきものを頼りにしてフレッドは立つ。
「壁? ――あ」
彼は素っ頓狂な声を上げる。もしかしたら今までで一番間の抜けた声だったかもしれない。
樹は確かにそこにあったのだ。フレッドは恐る恐る上を覗く。
フレッドが森の外から視るよりもずっと確かでくっきりとした『別の世界』があった。様々な星が視える。それがどうしようもなく怖かった。
樹の枝を取り出して確認するが、まだ世界の概要が確認できたのでほっと一息をつきつつ、世界樹の上の方に登っていくことにした。
木登りの方式で行こうかなどと考えたが流石に罰当たりすぎる。もしそれでどこかが破損してしまったら全く笑えない。魔力に関する問題は世界樹の近くということもあって問題ないような気がしたので浮遊魔術を使ってとても高いところまで飛び、そこで停止することにした。
魔力の消費は激しいが、早く修理を終わらせるために急上昇させる。
今までに体験したことのないほどの高所でフレッドは少し怯んでしまった。が、下を見るとアナスタシアがへとへとで眠っていたので彼女の分まで頑張ろうという気持ちで取り掛かることが出来た。それくらいこの短期間で彼女が心の拠り所になっていたのだ。
「こっちの魔術式はここに接続して――っと。そもそも折れてる部分ってどこだろう?」
そんなことを考えながら一人で淡々と作業を進めているとどこからか怪しい声がフレッドのひとりごとに混ざってくるようになった。
『あーさすがだねー。これをあとは接着するだけなんだけど』
「そうですね……ですが世界を接続させてさらにこれを世界樹全体と同期させないといけないとなると――ってあなた誰ですか!?」
フレッドがそう言っても脳内に直接声を届けてくる輩は姿を現さない。普通に考えてこんな場所で魔術で語りかけてくるとなると相当――というかそれこそ神様レベルの魔術師でないとできないことだったので彼は語り掛けてくるのが神だと仮説を立てた。
そんなところでせいかーいだのなんだの言ってくるから考えていることもスパッと抜き取られていることだろう。本当に恐ろしい神様だ。
迷惑だった神様も協力してくれることにはしてくれたのでフレッドが想像していたよりもはるかに速い時間で樹の枝の修理が終了した。ずっと魔力を垂れ流していたので時間に比例しないほどの疲れがどっときた。墜落するよりも世界樹に座った方がましではと考えたので幹と幹の間に腰かける。
『綺麗だねえ……ところでさ、君は神架教に入るつもりはないのかい?』
「いったいどこの神様かと思えば唯一神様ですか。特に宗教に加入するつもりはありませんよ。大して興味もないし」
フレッドは今までの旅を思い返す。そういえば神架教の唯一神と話したことが多かったなあと。普通に考えれば神様と対話するなんてことはありえないはずだしあってはいけないのだが、妙に唯一神がフレッドのことを知っていた気がする。
自分のことを信仰してくれている信徒だったらまだしも、フレッドは宗教に加入することには全く関心がないのだ。そんなフレッドのことを名前と顔だけでも知っているのはおかしいし、なによりもずっと見てきた的な発言もしていたのだ。
「唯一神様はどうしてそんなに気にかけてくるんですか?」
『それは思い出してからの秘密だ』
フレッドは明らかに不機嫌な表情を露わにした。アナスタシアも神様も。なぜフレッドに思い出すことばかりを強要させてくるのか。
「僕は旅で起きた事象はほぼ覚えています。今更思い出すことなんてありませんよ」
『――そいつはどうだろうね』
神様がフレッドの視界に映った。この世のものとは思えないほどの美貌を兼ね備えている。
神様は不敵な笑みをふっと浮かべる。彼がなにか詠唱する必要も、魔術をつくりあげるための行動をする必要もなかった。
『そろそろ思い出せよ、フレデリック君』
それはフレッドととても似ている名前だった。




