第九十五話 ゼネイア観光
「これ、ちゃんと戻してほしいんだけど……」
「神聖なものだから人間ごときで回復できるはずないだろう」
「神聖なものだってわかってたなら最初っからやらないでよ」
フレッドは半ば呆れたような状態で父親を睨みつけた。阿呆なのかと心の中で悪態をつく。
彼がひどく怒っているのは珍しいことなので、アナスタシアもどうしたのかととても気になっていた。
「フレッドさん。どうしてそんなに怒っているんですか?」
「どうしても何も世界で最も重大な樹なんですよ!? 森ですら一部の人しか入れないようですし」
――世界樹の枝。それはいわゆる別の世界の一部であるととらえられている。人間には見えないようになっているが、幽霊神様魔物幻獣その他諸々。人間という科学の結晶体ではなくその体のほとんどが魔術で創られている生命しか別の世界を視ることが出来ない。
フレッドは船の中で読んだ対話形式の本のおかげでぼんやりとそれらしきものは見えているが、惑星なんていう枠組みではなく単純に全く別の宇宙がそれぞれの枝ごとに分岐している。世界樹の幹を切り取るということは即ち別の世界を切り取ること――つまり異なる世界の終焉を指している。
だからこそ森に近づくことが不可能となっているはずだし、神様も戦闘が得意な民族であるゼネイア族を配置したわけだが。
「どういう魔術か説明してくれる?」
「簡単だよ。剣を応用した魔術で別の世界ごと切ってくれる便利なものだ。以前も普通の剣の形式の魔術を使ってみたんだがいかんせん別の世界を断ち切れなくてね」
フレッドははぁぁぁというため息と、今度こそ馬鹿じゃねぇのとこぼした。彼の隣で水を飲んでいたアナスタシアはフレッドとしては考えられない言葉の悪さにびっくりしている。彼がとんでもない悪態をつくのも無理はない。なにしろジークフリートの目的が世界を一個終わらせることと堂々と断言してしまったからである。
世界を終わらせるのは当然だが犯罪行為だ。最悪死刑まであり得るかもしれない。ゼネイア族の大人のほとんどはジークフリートの実力が半端なものではないと知っているから口をつぐんでいるが、もし世界樹を観察している人が枝の数が少ないことに気が付いてしまったらもう死刑確定ルートだろう。
今後のことまで考えてもう一度舌打ちをする。とりあえず見た目は視覚を騙す系の魔術でなんとかしたが、これがいつまで続くのかもはっきりとしない。
「で、どうするの?」
「あー。あいにくだが島民は全員忙しいんだ。一週間後くらいに祭りがあるからな」
という訳で行ってきてくれないか、とジークフリート。フレッドがとてつもなく嫌な顔をした。が、隣に座っている彼女はとても楽しそうだ。
「いいですね! フレッドさん、私世界樹の森に行ってみたいです」
「えぇ……でもあそこって人が入れないことで有名なんですよ?」
嫌だなぁと明らかに不機嫌な表情を浮かべるが、彼女は止まってくれなさそうだ。彼女曰く人数でも条件が変わるかもしれないということだったので、渋った結果、フレッドも行くことにした。
世界樹の森にこもって枝を修繕するのは二日後から。それまで二人は観光地と呼ばれる場所を色々と回ろうとするとジークフリートが丁寧に地図を描いてくれた。
「はいこれ。というかすごく気になってたんだけど隣の子誰? 恋人?」
「違うわ!! お客さんです。勘違いされるような発言はしないでよ」
フレッドがジークフリートの表情を見ているとどこかニタニタしていた。まるで全てがわかったかのような目つきをしている。多分本当に彼女への好意に気がついたのだろう。
全く父親には勝てる気がしない。そう思いながらフレッドは薄っぺらい紙をひらひらとさせながらジークフリートを再び睨みつけて家の扉を開けた。
「仲がよろしくないんですか?」
「いや、至って普通なんですけど何せああいった非常識な行動をすることがよくあるのでその度に注意してるんです」
そういえば母親を見なかったなとフレッドはクリムヒルトを思い出す。しかし母親のことよりも世界樹の森に入るという方がよほど不思議だった。
アナスタシアは絶対に入れるという確信があるような表情をしていたしこのまま任せてしまってもいいのだろうか? 彼女はジークフリートの書いた地図に丸がついてある場所を見る。そしてご丁寧にもどうすれば効率よく回れるかが図説付きであった。ちゃっかりと世界樹のところを最後にしているあたりは彼らしい。
「この順番に回りますか?」
「ええ。せっかく書いていただきましたから。えーっと最初は――」
アナスタシアは自分で持っている地図に指をさす。最初に回るべき場所は遺跡だった。
ゼネイア独立島は五千年前の幻獣襲撃を被害なしで過ごした唯一の地域らしい。説としては世界樹があったからとかゼネイアの最先端の技術でもって幻獣を全て殺しきったからなどと色々なものが出回っているが、そのどれも正しいと言えるような証拠はなかった。
ゼネイア族の中にはたまに遺跡を家として使ったりずっと昔の魔術書を枕代わりにする人だっているのだから全員から禁忌とされているというのは相当珍しいのだ。こんなことをゼネイア族の異常性についてほとんど知らないアナスタシアは当然の如くドン引きのような反応になるわけで。
「へ、へえー。歴史のことをなんとも思っていない……いや、歴史と共存している素晴らしい島ですねー……」
「非常識人はいますがごくごく一部なので安心してください。ほらあそこの方々も駄弁ってるだけですし」
アナスタシアも苦笑しながら若干漏れ出ている本音を隠すようにしていい方向に捉えようといいところ(?)ばかりを言ってくれた。
フレッドは彼女から目を逸らすようにして建築物の近くにいた人たちの方に視線を向けさせる。
――芸術は爆発だ、なんて言ったのは一体誰だっただろうか。本当に芸術のように建物が一つ、二人の視線の先で爆破されていた。まさに芸術。そして爆破の主犯は狂科学者のように見えてしまった。
フレッドが自ら衝撃的瞬間を見せてしまったのだからさすがに言い訳をすることが出来ない。きっとゼネイア族の大半が心に凶器を宿しているのだろう。
「あぁ……だからか」
「だからってなんのことです?」
「いえ、何でもないですよ! ところでこの遺跡ってなんのものなんでしょうか」
開いた口が塞がらないようなもはや絶句といっても過言ではないほどの光景を見て集中できないままただ地図に従って歩いていたらあっという間に遺跡の前にいたのだ。集中せずにできることは同時並行でした方がいいというのはどうやら正しかったようだ。フレッドはジークフリートからもらった地図に書かれた情報を読み上げる。
「『これは神架教の最初の教会であり、結界を張っていなかったことから神様を降臨させたときに秒で崩壊してしまったことから歴史的文献には載っていないことが多い。つまりはめちゃくちゃボロい建物もどき』……この説明、絶対にお父さんふざけてますよね」
「へぇー。神架教ってここ発祥だったんだ。だから世界樹とかもここにあるんですねー」
フレッドは全く知らなかった。というのも、世界樹というのはもっと別の領域の誰も知らない神様が制御しているという考えがほとんどだった。なぜ世界樹がこの島にあるか――なんて考えたこともないのだ。五千年前にはすでに最大宗教として確立していたからその千年前には出来ていたものとして見た方がいいだろう。
五千年前は魔術の最高峰だということで有名だがその千年前というのは絶対に文明が未発達である。土かなにかで建築物を作っていただろうから簡単に吹っ飛ぶ脆い建築物とジークフリートに言われるのも仕方がないことだった。
「あ、けどここに『とある魔術師達が永久保存させた。多分とてもすごい人たちなんだろうなあ』って書いてますよ……こういう書かれ方をするとちょっと照れくさいですよね」
彼女はちょっとだけ照れていた。どうしてそんな表情になるのかは気になったが、とにかく遺跡の材質やどんなものが描かれているのかを見ながら確認していった。
「えっと次は――なんですかこれ」
アナスタシアは目を細くして地図兼解説の紙を睨んでいる。ゼネイア族から見てみれば当たり前の光景だったのだが、他のところから来た人たちにしてみればだいぶ変わっているようだ。
魔術道具店街にある魔術道具というのはとても数が多くしかも質も高いため、フレッドはよく重宝していた。だが彼女にしてみれば魔術に関する店がこんなにずらりと並んでいる必要はないとのことだった。
「それにしてもすごい量がありますね。全部の店で違うものが売られている……」
確かに同じものばっかりを売っている店だと近くにある意味はない。だがここにあるものはほとんど共通点がない。自分の得意なものばっかり売っているので全く被らないのだ。
一つは歴史に基づいた魔術、一つは水属性の魔術、一つは火属性の魔術など魔術を使う者にとってはとてもありがたい部類わけだった。アナスタシアは目を輝かせながら歴史系の魔術の店で何個か魔術道具を購入する。フレッドもまた、暇つぶしのために魔術書を数冊買った。るんるんとした彼女と共に次の場所に向かった。
* * *
その後も数ヶ所ほど回ってみて、フレッドが案外知らなかった場所もあったので目に焼き付けた。最後に行くのはフレッドも知っている――というか家を除いたら一番入り浸っていたのではないかという場所だった。世界樹の森の入り口ら辺にある、あの石碑である。
二人は軽快な足取りで迷うこともなく石碑の場所まで歩を進めた。
ゼネイア独立島はそこそこ広いが、それは世界樹の森が面積の大半を占めているからであり島民が生活できる場所といえば総面積の五分の一くらいしかないのだ。だけど島民は焼き払おうともしない。それくらい世界樹は大事なものなのだ。
そんな狭いのだから南から北に移動するのはとても容易いことだった。フレッドも地図を見ずによく通っていたあの場所へ着々と近づく。その石碑というのは歴史を刻んでいるとは到底思えないほどの小ささで、アナスタシアの膝よりも少し高いくらいの大きさである。
――人間が遺してしまった罪を刻んだ石というやつだ。人々の負の感情を記したものだから『負の財産』なんて言われている。神聖なる世界樹の森の入り口付近に置いているのも早く浄化させて割るためだね。人間であれば絶対に忘れてはいけない。だけど神架教は自分たちの失態を隠すためにこれらの存在を消し去った。中々に興味深い――
あと樹の枝は頼んだよというメッセージが地図の裏側に書かれていた。ジークフリートはまるで全てを知っているようだった。五千年前のことなんて調べようとしてもほとんど出てこない。あったとしても幻獣襲撃くらいで完全な人間に関することが出てくるのは相当レアなのだ。あんなにとち狂っていても頭はいいんだなと身に沁みて感じた。
「この人、何者なんですか? 少ない証拠の中から推理する能力と洞察力がすごいとしか言いようがないんですけど」
「さあ……教会の神官を務めているとしか」
フレッドは両親の職業を知らない。そもそもの話、ゼネイア族に職を持っている人がほとんどいないのだが二人はいつも忙しそうにしていたのだ。
「わっ」
突然樹の枝がフレッドの鞄の中を蠢き出した。がさごそと動いて大樹の方へ向かう。ひとりでに世界樹の方向へ進んでいくそれを不気味に感じた。その速度について行くように二人も走っていくと、そこには森の結界という障害が立ちはだかる。が、その枝は止まる気配もなくフレッドの鞄が今にも引き裂かれそうだった。
結界に触れても条件を満たしていなかったらなにもないらしい。つまりは森に入ることが出来るかを確かめるだけでもいいのだ。
フレッドとアナスタシアは互いに顔を見合わせる。
そして、二つ手のようなものが描かれているところに一人一つずつ合わせた。
聞えるのはミシミシという何かがきしんでいる音。それはまるで結界がこれ以上ないほどの重圧に対応しきれていないようだ。二人は魔力を込めることに専念していると、目には青い光が映った。
結界が破れたのだ。




