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或る御者の旅  作者: 駱駝視砂漠
第五章
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第九十四話 魔女の森と世界の樹

「そういえばなんだけどさ、百年前くらいに幽霊屋敷になったところって知ってる?」


 ずっと森か、出ていたとしてもバグラド帝国内でしか情報の仕入れが出来ないエステルからそんな言葉が出たものだからフレッドはつい驚いてしまった。なぜそんなことを尋ねるとかと聞くと、どうやら神架教が魔女を一人捕まえたようで、それがどうやら聖女が関わっているのではないかと魔女たちの中で話題になっていたというものだった。


 フレッドは言おうかな、なんて思っていたがエステルが神架教に対する恨みつらみを容赦なくつらつらと話していたのですぐに口を閉じた。普通に魔女の怒りを買うのは怖い。


「そこにはどんな魔女が住んでいたんですか?」

「簡単にいうと砂漠大陸系の魔術を使ったりする魔女だよ。砂漠大陸には魔術を使う人がほとんどいなくてしかも体系が独特そのものだからみんな扱いにくいんだろうねえ」


 確定だ。幽霊屋敷で砂漠大陸という条件に合致する人なんてこの世に二人もいないだろう。フレッドが燃えて塵の如くぽろぽろと落ちていく山菜たちを必死にすくい上げている間、アナスタシアはエステルにその魔女についての話を聞いていた。


「あれはねー、人格が異常だったと言っても過言ではないくらいにとち狂っていたんだよ」

「どんな感じにですか?」

「人を屋敷に閉じ込めて殺し合いをさせる程度っていったら分かるかな?」

「うわぁ……」


 ヘレナの悪評はどうやら魔女たちの間でも相当話題になっていたようで、エステルも、神架教に拘束されたという怒りよりも平和になってよかったという安堵の表情の方が大きかった気がする。


 人間の倫理的にそんなことをしてもいいのかと本気でドン引きしているアナスタシアにもう今はないらしいから、とそっとフォローする。完全に関係者だったフレッドは相変わらず無口だ。まあ、久しぶりに怖い気分になったあれを思い出して鳥肌がたつほどだからあまり話したくはなかったのだろうが。


「フレッド君は知らないかな? ほら、夏の豪雨が有名な避暑地の」

「ごめんなさい。あいにく僕にはわからないような内容でして。思い返してみればあそこらへんは通過しただけで宿泊したりは全くなかったですね」


 当然嘘だ。フレッドも自分が嘘をつくのが得意であることを自覚している。だからこそ胡散臭いと言われていることも。しかし、アナスタシアはフレッドの証言を聞いて首を傾げる。おかしいですねえ、と。


「なにか変なことがありましたか?」

「いや……ただ、フレッドさんて聖女・スカーレットの依頼を受けてあそこらへんの道は通っていたはずなんですけど……」

「フレッド君何で隠してたの!!」


 フレッドは相当焦った。護衛と御者に関しては完全に秘匿された情報だったはずなのに――ととても恐ろしくなったが、よく考えてみればアナスタシアはルーダル幽世国にいたフレッドに向けて手紙を数えきれないほど送ってくるくらいにはヤバいストーキング癖があったので彼女ならすべてを把握していそうだ。


 やはり怖いのは幽霊よりも人間だということか。若干青ざめつつあるフレッドのことを見てエステルはアナスタシアに対して生暖かい視線を注いだ。それにアナスタシアも気づき、むすっとする。それよりもフレッドが幽霊屋敷について知っているかもしれないという好奇心の眼をしていた。


「仮に僕がそれを知っていたとして……エステルさんになにか影響はあるんですか?」

「ないけどさ。あれって入った人が出られないで有名だったはずだからどうやって脱出したのか気になってたんだよねー。じゃあ教えて!!」


 ぐいぐいと詰め寄られてフレッドは困惑してしまった。話があまりにも複雑すぎて話だけでは語りきれないし何よりも面倒くさいのでのらりくらりと躱す。が、当然好奇心の化身である魔女の追及を逃れることは出来なかった。はぁぁと深いため息を吐く。


 持っていた手帳を開き図説も交えながら丁寧に話す。本来であれば三回くらい説明する予定だったが、魔女はやはり天才だ。一回聞いただけですんなりと理解してしまった。結局百年間も霊たちを閉じ込めていた挙句、自分だけちゃっかりと強い力を手に入れていたということに呆れている。


 アナスタシアもえげつない話に目を細めた。フレッドが経験したのは伝えた話の十倍くらい怖かったと話すとどちらかからひぇっという声さえも聞こえてきたほどだ。話が終わった後、エステルはにぃっと笑う。


 口ではああ言ったものの、五千年も生きていればそれ以上のことはあっただろうから怖くなかったはずだ。改めて魔女に畏怖の念を抱く。


「聞かせてくれてありがとさん」

「怖かったー……」


 フレッドとしてはアナスタシアの追跡能力の方が圧倒的に怖かったのだが。そんなことは口にせずただただお辞儀をするだけだ。


「じゃあ世界樹の方も行ってみなよ。条件は……五千年空いてるけど大丈夫か」


 ボソリと何か言ったようだが、フレッドにはそれがなんと言っているのかわからなかった。エステルは転送の魔術で二人を森の外まで飛ばす。目を開けると、普段通りに人々が歩いていて、そして普段通りの世界がそこにはあった。


 フレッドが馬宿に馬車を取りに行く。彼と別れたあと、懐かしいものを見るような目でアナスタシアは言った。


「ほんと、どこもかしこも変わったね」


 * * * 


 フレッドが馬車を半日ほど走らせるとすぐに船乗り場に到着してしまった。例え距離がなかったとしても一日はかかるはずだから馬に感謝の言葉を伝える。


 しかし、ゼネイア独立島に馬を運び込めるはずがないので港近くの馬宿で待機ということになった。ゼネイア独立島で生まれ育ったフレッドが言ってはいけないことのような気もするが、他の人たちが期待するようなものは一切置かれていない。だからアナスタシアもすぐに離れるだろうと思ったがやはり悲しかったので馬の頬をすりすりした。


 アナスタシアは微笑んでフレッドの隣にやってきて手を握る。急なことであり恥ずかしかったフレッドはバッと手を振り払ってしまった。途端に悲しげな表情になる。


「ごめんなさい……」

「あ、いや全然迷惑とかではなくて。急だったのでびっくりしたというか」


 フレッドからは冷や汗が垂れていた。もしこれで嫌われてしまったらどうしようという思い。それがフレッドの中にはあった。今までだったら他の人の評価などほとんど気にしていなかったからこそどうすればいいのかが分からない。


「とにかく、ごめんなさい」

「悪いのは私なので謝らなくてもいいんですよ。それよりもあとどれくらいで到着するんでしょうか?」


 アナスタシアはフレッドの持っていた地図を眺める。しかし、距離は人ひとり分くらい空いている。見えないかなと心配になって彼女に一歩詰め寄るが、彼女はさらに二歩、フレッドから遠ざかった。どうしようもないくらいの絶妙な間合いがフレッドにはとても辛かった。


 彼女はとても申し訳なさそうにしていた。ひどく気まずくなってフレッドは船にある図書館に行きます、と彼女に伝えてその場を離れた。


 待って、と聞こえた気がする。彼女の悲痛そうな声に心が痛む。だがこれ以上耐えきれる気がしなかったのでフレッドはごめんなさいといいながら足早に駆けていった。


 アメリアも旅の客もいない訳なので、当然周りに知人はいない。それが何とも悲しくなって彼女の元に戻ろうとしたが、さすがにダメだと思いとどまる。図書館は世界一周用になっていたらしく、かなり巨大だった。

 浮かぶ本棚や花に囲まれてお茶会をしながら様々な本を読むことが出来るらしい。ゼネイア独立島近くの島に到着するときまでずっと図書館に籠ることを誓った。


 表題は『魔術と錬金術の関連性、それにより見えてくる異界の共通点について』。作者不明の共同研究で、より高度な内容が記されている。論文――というよりも、対話式の小説のような形式で書かれている。


 小説というにはあまりにも説明がなさ過ぎて本当に頭のいい人しか理解できないような一般人から見れば意味不明な俗に言う『怪文書』というやつだ。とりあえず一ページ目を開いてそれからまとめるためのノートを開く。関係ないような会話もあったので、斜め読みをしながらノートに魔術式の計算をしていく。日常的な会話の中にも重大な式が隠れていたりとにかくどこを斜め読みすればいいのか分からなくなったので結局は全て読むことになった。


 つらつらと書いていくとなんとなくだけど全容が見えるようになったというときに船内の放送が聞こえてきた。あと三十分もしないうちに独立島付近に到着します、と。


 周囲ではフレッド以外誰も動かない。一人だけ流れに逆らって入り口へ向かった。アナスタシアも降りるためのチケットは持っているだろうからと思い何も考えずにひょいと船から降りる。船を降りることにとてつもない違和感を持たれていたが気にすることはないだろう。それよりも、どうすればアナスタシアの誤解が解けるかの方が気になった。本当に、フレッドは不快で手を払ったわけでは断じてないのだ。


「えっとフレッドさん、ここからどこに行けばいいんですかね」

「わっ!?」


 後ろから声が聞こえて驚いたフレッドは思わず振り返った。アナスタシアがキョトンとした表情でフレッドの顔を覗いている。


「確かですがここをこのまま一直線に進めばすぐに着くと思いますよ」

「じゃあもう行っちゃってもいいですかね」


 世界樹は既に見えていた。いや、惑星の真反対にいたり建物の中に引きこもらなければ大体の人は世界樹のことを見ることができる。二人も当然ぼんやりと眺めるくらいはあった。が、想像以上のスケールに驚いて開いた口が塞がらない。フレッドもおよそ一年前に見たばっかりだというのになんだかんだいって感嘆していた。


 もう少しだけ遠くの方では子供達がきゃっきゃと騒いでいる。


「どうしたの?」

「うわっ負けたー」

「ボクたちはねー、独立島(ここ)に客が来るか賭け事をしていたの」


 ゼネイア独立島に来ないというのはもはや全世界の共通認識であり住んでいる島民でさえも絶対に来ないだろうという確信があった。だからこそこんな観光客来るか来ないかみたいな賭け事が出来てしまう訳だ。


「けどフレッドさんは観光客じゃないからノーカン?」

「いや、そこに女性がいるからやっぱりボクの勝ちだよー」

「この島に人が来るっていうのは相当珍しいことなんですねー」

「はい。普通の人であれば来ようともしませんよ」


 よっしゃーといいながら喜んでいる子供たちの付近には保護者がいない。フレッドが彼らに親がどこにいるかと尋ねると、全員が教会の方を指さしていた。


 今日が世界樹に祈りを捧げる日だということを思い出して世界樹の隣にある教会に急ぐ。もしかしたら父親がなにかしでかしているかもしれない。カルトという訳ではないのだがそれでも父の奇行を他の島民には見せたくないのである。


 三分くらい走って教会に到着し、勢いよく扉を開ける。


「やあフレッド。そんなに焦ってどうしたんだい? ……もしかして祈りに参加したいとか?」

「それはないよ。そんなんじゃなくて父さん、変な行動してないよね?」

「自分で変だと思っていなくても他の人からは変な目で見られているかもしれない。って訳で」


 ジークフリートは自分が何か変なことをしていないかと祈祷きとうの最中に尋ねる。フレッドは愉快そうな表情をする父親を横目に周囲の反応を見た。大人の島民はすすすっとジークフリートから視線をそらしている。そのうちの一人に話を聞く。フレッドに気が付いた島民の一人はボソッと教えてくれた。


「祈祷している途中に世界樹の幹をへし折って解析するとか正気の沙汰とは思えないよ」

「そうだ。君、ジークフリートさんのところの息子さんだろう? できればああいう神様を怒らせそうなことはやめてくれって言ってくれないか?」


 ――なんとなく予想はしていたのだ。小さい頃からフレッドが父に会うたびに変なことをしているからいつかは世界樹にまつわる研究もしていそうだなぁとは考えていたのだ。


 まさか神聖な木の枝を切り取るとは。フレッドは父親の奇怪な行動に頭を悩ませた。

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