第九十三話 魔女の住む美しい森
アナスタシアによると。メモリーリバースという魔術は二つ存在している。
一つは劇場で使用したもの。例えば記憶の時間を逆行させたり今までの記憶とは反転したものを相手に見せることによって混乱させたりすることができ、使い方によっては相手を精神的に壊すことのできる記憶逆行。
そしてもう一つはたった今使用した、記憶だけを転生させ、冥界や地獄に行くことによって記憶を全て失わさせるという凶悪な魔術である。例え天使であろうが神様であろうがその魔術によって記憶が転生させられた者は例外なく冥界か地獄に行くしかないらしい。
天界に住んでいた人だけは前世の記憶とやらを保持したまま生まれ変わることが出来るので意図的に外しているのだろう。
しかし、相手は記憶らしい記憶を一切保持していなかった。というのも、人造天使としてつくられてナーデルの魔物の根源として過ごしていた時期がほとんどでありどちらかというとフレッドがバッサリと倒した方に記憶がすべて移行されていたようだった。
だから記憶をいくら浄化させようとしてもできない。何もないものから全てを奪おうとしたって何の意味も持たないのだ。
『メモリー:リバース』をとっておきの魔術としてとっておいたアナスタシアはもちろん、油断していたフレッドも不意を突かれてしまった。フレッドの方に関しては天使の恨みを買って後ろへ吹き飛ばされる。防御の体勢を取っていなければ死んでいるところだった。フレッドが吹っ飛ばされるところを見てアナスタシアは焦った。
「どうします!?」
「大丈夫です! まだ戦えますよ!」
防御結界を張っていたのでほとんど傷がない。唯一衝撃波で臓器に痛みを感じたくらいだろうか。塩がばら撒かれるが、傷口に入るという訳ではないので特段痛いということもない。
フレッドは劇場で使ったメモリーリバースを思い出す。
もう一つの方のメモリーリバースに頼ることも可能かと尋ねたが、首を横に振る。
彼女によるとメモリーリバースは一日に一回しか使うことが出来ない魔術だとか。記憶にまつわる魔術はことごとく禁忌とされているほどの大魔術なので当然と言えば当然だろう。だが、それはあくまで一人当たり一回しか使えないという話である。
アナスタシアの二種類のメモリーリバースの魔術式を完全に計算しきっていた。
詠唱の長さから振り上げる手の角度から何から何まで。全てを再現できるようになっていた。魔術詠唱は全てを完璧に再現することで効率よく、そして最大限の効力を発揮する。
一つ目のメモリーリバース。その効果は記憶の逆行と反転。記憶をただ消すだけとは違って反転と逆行によってバグを引き起こすことが出来るのだ。そうすることによって脳を破壊しつくすことが出来る。しかも何もない記憶をどうしようもないところまで変更しつくしたらパンクすること間違いない。
フレッドはふっと不敵の笑みを浮かべる。そして堂々と左手を上げて劇場のときと同じように詠唱をする。姿かたちは違うものの、動作のそれはアナスタシアを忠実に再現していた。
「メモリーリバース!!」
天才。アナスタシアはそんな言葉を口にする。高度な魔術の模倣なんて一体だれができようか。少なくとも普通に魔術を扱うよりも段違いで難しいので唖然としている。
人間界のことは塩から練成された天使も知っているようで、あっけにとられていた。座標を指定して天使の記憶をいじりまくった。『何もない』の反転は『すべてが存在している』だと定義して天使の頭に惑星何億年の記憶を全て叩き込んだ。
それは錬金術で『完全な人間』として昇華させるために必要な行為であると聞いた。天使といえども何もなしに全てを詰め込まれたら地獄になること間違いない。
実際、天使は酷く錯乱状態に陥っていた。精神が崩壊しかねないほどの攻撃。実態を持たない天使に攻撃を当てて殺すよりもずっと簡単である。だんだんと人をかたどっていた天使は崩壊していき、気体と物体の境目が分からなくなるほどにぼやける。
フレッドが天使の方を振り向いたときには既に、白い粉末しか残っていなかった。
* * *
「終わった……んですよね?」
「多分。二度と再生しないように燃やせば後は大丈夫だと思います」
あんなに強大そうに見えた天使も今となってはぼろぼろと崩れ去った塩でしかない。潰して潰して、もう跡形もなくなるまで燃やす。最後は粉塵と化して空に飛んでいった。容赦なかった気がするが、ナーデルの魔物を生み出さないと考えれば安心の方が大きかった。
最後まで燃え尽きたことを確認してから二人は平野にあった大きな木の下を離れた。
ナーデルの魔物達はこれまた根源である『NaClel』と同じように儚く消え去った。相当数の塩が山積みにされていたことから、ここらでは数ヶ月は塩不足にはならないのだろうなぁと遠い目で眺めた。
「ここら辺で南下していく予定なんですけど進行方向に行きたい場所があったらいつでも言ってくださいね」
「あっ、じゃあ、神聖バグラド帝国に行きたいです」
「そういえば船乗り場のすぐ近くにありますね。じゃあ行きましょうか」
フレッドは馬宿お得意の転移魔術で南に近い馬宿に移された馬を引きとる。一番初めに会った人とはまた別の宿主が二人に感謝を伝えた。どうやら馬宿の宿主同士で連絡を取りあっているらしい。宿主に丁寧にお辞儀をした後、フレッドは馬車を馬に取り付けて指示を出した。
目的地は神聖バグラド帝国。燃える魔女の住む森があるところである。肩を並べるところがないほどの魔術大国でもあるのだ。
「ちなみにどこに行きたいとかは?」
「決して魔女を信仰しているとかそういうわけではないんですけど……」
そう前置きをしてアナスタシアは魔女の住む森に行きたいと言った。
バグラド帝国で魔女が住んでいる森といえばエステルのところで確定である。フレッドは道のりを覚えていたので、馬をそのまま走らせる。距離は少しだけ遠いだけだったので、かなり早く到着することが出来た。
とりあえず二人は馬車で神聖バグラド帝国へ向かう。セレンの依頼でやって来た時とほぼ変わりのないその景色に懐かしさを感じる。とても愉快だった。
しばらく馬に走行をさせていると、門番のいるところにあっという間に到着した。門番は国の魔術師――いわゆる魔導団の一員が勤めることになったらしい。数年の間で変わったなぁとしみじみとする。以前依頼で出会ったことのある人もいたので、魔力検査も簡単に通してくれた。
といっても、フレッドとアナスタシアの魔力量であればどんな基準でも優に超えることが出来る気がするのだが。二人は楽々と入国審査をクリアして国の中に入った。
前と同様に魔術師と魔術師が所属しているパーティをよく見かけた。住民を除けば、三から五人で行動していない人はフレッドとアナスタシアしかいなかった。魔術をつかって飛んでいる人が大多数であり、二人もほとんどの人に倣って飛行をした。
フレッドは今でも強烈な体験であり、ずっと森の場所を覚えていたので彼女に案内をしようとする。
「大丈夫ですよ。私もここら辺は大体わかるので私が案内しましょうか?」
「本当ですか? リャーゼンの外から出たことがないと聞いたのですが……」
フレッドの指摘を受けたアナスタシアはやばっ、と言いたげな表情をしてフレッドから顔を逸らす。今の言葉に何か意味があったのだろうかと疑問に思いながらも、彼女は案内したげにしていたので彼女に任せた。ははは、と苦笑するアナスタシアに導かれながら明らかに緑の多い場所へ向かう。
「ここに来るのも久しぶりだなぁ……エステルさん生きてる……か、さすがに」
「魔女のことも知ってるんですね……」
「いや、なんでもない……忘れて下さい。さっさと行きましょ?」
本人にとってはかなりの失言だったらしく、発言を即時撤回する。フレッドの手を引いて魔女の住む森までそのまま飛行していった。
魔女の森は何も変わらずずっとそこにあり続けていた。五千年前からずっと変わらない森。それには二人も思わずすごいと言ってしまうほど壮大なものである。ところで、とフレッドはアナスタシアに話す。
「ここの森って迷いやすいで有名だった気がするんですが……」
「きっと大丈夫ですよ! とにかく進んでみましょう」
とても不安だった。彼自身、魔女が住んでいる家までの道のりを覚えているわけではないので完全に道に迷う恐れだってあるのだ。しかもアナスタシアはかなりの方向音痴らしい。それが森の中を歩き回ることになんら影響を与えないのは分かっているのだがちょっとばかり不安になる。完全にノリと勢いで進んでいるから本当に最奥に向かっているのかと疑問に思ったほどだ。
だが、フレッドの心配とは裏腹に辺り一帯が段々と寒くなっていく。
この感覚をフレッドは知っている。
しばらく歩き続けるとそこにはこれまた見覚えのある家がポツンと一つ建っていた。アナスタシアが家を見かけるとすぐに飛び出してそちらまでダッシュした。手を吐息で温めていたことからきっと寒かったのだろう。
フレッドも彼女に続くようにして陽光の当たる場所に入る。相も変わらず暖かい。フレッドが体を温めようと陽光の場所で棒立ちしていたとき、アナスタシアは家の扉をノックする。
「すみませーん、いますかー? いたら返事してくれると嬉しいですー」
そう言っても家の中から何かが返ってくる気配はない。外出中だったかなぁとアナスタシア。絶対に会いたいらしいのでエステルを待つことにした。
そうして待ち始めてから数時間が経とうとしていた時だった。かごの中にたくさんの植物を入れてウキウキのエステルが姿を現す。アナスタシアはエステルさんっ、ととても嬉しそうに彼女に向けて抱きつく。好機嫌にしていたことがバレて恥ずかしくなりながらも抱きついてきた相手がアナスタシアだと判明した瞬間にそっと彼女を包み込む。
「こんな辺境に来て……どうしたの?」
「今世界樹に行くまでぶらぶらとしてるんですよ!」
そんな会話をした後にアナスタシアはエステルに耳打つ。彼女の言葉を聞いたエステルはというと、とても嬉しいそうにアナスタシアの手を握る。一連の動作はまるで友人同士のように見えた。互いが対等のようだ。
嬉々とした表情を隠さないでいるエステルはそのままフレッドのところにも歩いてきた。 久しぶりだと言いたげである。というか実際に久しぶりといってきた。
「ここって変わり映えないですね」
「まあ私達は何かが変わることを求めてるわけじゃないからね」
「けど五千年も維持するってなったらなかなか大変じゃないですか?」
「そんなことないよ。結界を張っておけば結界の交換は千年に一回程度で十分だし魔術式をちょいとだけ変えればいいだけだから。あと森全域に結界を張る必要はないから……とどのつまり浅い部分で迷ってこれは魔女のせいだー、なんて言ってる人はただ単に方向音痴なだけなんだよね」
エステルも変装して街を歩いたりしたことがあるらしく、たまに魔女についての話が出てきたかと思いきや森の魔女が悪さをしているなんてことを広められてしまって嫌だとのことだ。幽霊屋敷の魔女などを除けば大多数の魔女は人間に興味が無いか、友好的になりたいと思っているようだ。
そんなことを話しながらエステルは森で採集してきた植物を使いながら料理をする。もともとは薬をつくったり魔法陣を描くための材料として使おうとしたらしいが、二人が来てくれたことを歓迎しての料理とのことだった。
フレッドとしては若干申し訳ない気持ちがあったが、薬の材料はいたるところにあるから大丈夫だという話だったので素直に貰うことにした。山菜炒めのようなものを出された。エステルは通称『燃える魔女』である。焼くにしても何にしても火の力が強すぎたのかほとんど丸焦げのような状態だ。
「ごめんねー。私食料を必要としてないからさ、作るの久しぶりなんだよ」
食べられる場所がもう残っていないかと思いきや、山菜の中に隠れこんでいた魚を見つけて二人は喜ぶ。そして苦っ、といいながらもほくほくで温かい山菜炒めを食べた。




