第九十二話 メモリーリバース
ナーデルの魔物というのは、この国では有名ないわゆる妖怪の一種らしく、遥か昔までは畑の食物を食い荒らしていたり家に突撃してそのまま破壊していくような困った事象も発生していたようだ。
『魔物』という言葉が付いたのは幻獣襲撃以降であり、妖怪よりもずっと害悪だったことからそう名付けられたとか。ナーデルというのはとある魔術師兼研究者がつくりあげていた論文の一部に出てくる謎の文字の羅列で、どこかの誰かさんが読み間違えて『ナーデル』と言ったことが起源らしい。
曰く、ナーデルの魔物をつくったのもその研究者とやらだという説が最近では浮上しているとか何とか。
アナスタシアは苦笑しながらその話を聞き、フレッドはというとかなり驚いていた。魔物も生命の内の一種であり、簡単につくることなどできない。話を聞いている限りだと根源以外に何体もつくっているようなので遥か昔というのはどれほど高等な技術を保持していたのだろうかとワクワクしていたのである。
伝承によると、根源というのはとても美しいらしく、有名な冒険者たちでさえもその生命の美しさを見て怖気づき、しまいには硬直して何もしないまま倒されてしまうということが多々あったらしい。
家に泊まらせてくれた老夫婦の話は人生そのものが詰まっているからか、とても面白いモノばかりであった。
「こんなに愉快で楽しい話を聞かせていただいてありがとうございます」
「いいんじゃ。その分ここら一帯にいる魔物を討伐してくれよぅ」
「もちろんです。その条件で泊まらせてくれたのですから」
二人はベッドを提供されたが、どうしても寝る気になれなかった。なので老夫婦から色々な民話の本を貸してもらってこの国について詳しく調べることにした。
ナーデルの魔物が登場するまでは畑作がとても有名な農業大国だったというのは聞いたことがあるが、予想以上に農業に関する民話が多い。また、ナーデルの魔物をたくさん倒して土着神から恩恵を頂いたという話もあってとても興味深い。
二人で本を読みまわしているとあっという間に日が昇っていた。
優しそうな風貌をしたおじいさんがフレッド達の部屋を訪れ、一緒に食事をしようと誘う。
バハル地方から食事なしでアナスタシアに至っては回復魔術で魔力をたくさん使ってしまっているのでとてもお腹が空いていたのである。
彼女が煌々とした瞳で食べたいです! というと、夫婦はとても楽しそうに笑った。ちょっと子供っぽさがありすぎたと自覚していたのか、アナスタシアは恥ずかしげに下を向く。
出てきたのは白濁としたスープの中に野菜や肉などのいろいろな具材が入っているものだった。こんな料理見たことがない。匂いからして牛乳を使っているような雰囲気はあるのだが。
フレッド達が訝しみながらも飲んでみようか迷っていると、おばあさんが丁寧に説明をしてくれた。
それは、ミルリー大陸の料理を参考にして作られた、砂漠大陸の特にヤーナ=レムで有名な料理『シチュー』だという。器を触ってみるととても暖かく、寒い朝にはとても欲しかったような料理だったのでパンにつけて食べる。
「――! 美味しい」
「本当ですか! 私も食べてみます」
「どんどん食べてちょうだいねぇ」
おばあさんは頬に手を添えて笑っている。おじいさん以外に対して料理を提供するのが久しぶりだったようで、表情に出ている以上に嬉しいらしい。
おじいさんはいつものように食べているが、先ほどよりも少しだけ口角が上がっている気がする。二人はとても満足げに食べて老夫婦に感謝を述べる。すると、おじいさんは暖かい表情を浮かべながら遠い目をしていた。若干、憂いを帯びている。
「あいつも、生きていたら今頃はこんなふうになっていたんだろうかなぁ」
「ちょっと爺さんや、客人の前で悲しい話をしないの」
『生きていたら』ということはほとんど確実で存命ではないということだろう。このまま黙って退治に向かわせるのは申し訳ないとおばあさんは言う。
ちょっと待っててね、と優しい声で言われ十数分後、彼女は地図のようなものを持ってきた。線がブレているが、地形などが詳細に描かれている。さらに、ところどころにバツ印が付いていた。
「……これは?」
「孫の書いた地図よ。このバツ印のところには根源がいないみたい」
「ありがとうございます」
孫については詳しくは聞かなかった。が、どうやらかなりの実力を持つ冒険者だったようだ。
おばあさんから地図を受け取った。おばあさんの手は少しだけ力強い。頼みますと震えた声で言っていたことに気がついてアナスタシアは頼まれました、と芯のある声で老夫婦に告げた。
* * *
二人は早速地図に書かれてある場所に行ってみることにした。
昨日のナーデルの魔物の出現率が高かったのは、平野、それから川の付近である。老夫婦二人に聞いてみても山や荒れた場所よりも生息数が圧倒的に多いという。
そのことから、のどかな大地のどこかに根源がいるのではと推測する。おばあさんの孫が書いた地図によると、どうやら探していない平野があと二つあるとのことだったので、先に近くにある南の方の平野へ歩いていった。
「この地図によるとここら辺が候補だって記されていたんですけど……何もいないですね」
「そういえばここにマル印がついてますね。ということはお孫さんもある程度予測をつけていたようですね」
地図の中にはナーデルの魔物だと思われるような絵が描かれていた。ちょっとだけ画伯味がある。
二人は魔物を呼び出す条件があるのではないかと考え、とりあえず魔物を召喚するような詠唱を矢継ぎ早に言っていった。
何も見当たらない事から、今回は的外れだったようで、至って平穏な場所だった。なぜこんなにも人が住んでいなかったのかと疑問に思ったものの、川が氾濫していることから何となく察した。
先ほどのおばあさんの家から近かった南の平野はここなのだが、北の平野となるとずっとずっと遠くなる。全力疾走すれば一日以内につけないこともないが。
「……遠そうだなぁ。絶対疲れる」
「でしたら運搬しましょうか?」
「……はい?」
アナスタシアはキョトンとする。フレッドは馬車を持ってもいないし、彼女を運ぶための何かを持っている訳でもない。浮遊魔術だったとしてもそう易々(やすやす)と飛ぶことは出来ないし、魔力のない場所での浮遊はほとんど不可能だし、なによりも長時間の飛行には全く向いていないのだが、彼にどうやって移動するのかと尋ねる。
「嫌でなければ姫抱き……とやらで運ぼうと思うのですが」
疲れてへとへとだったアナスタシアは間髪入れずに答えると、一旦浮遊魔術でふわっと浮かせてから彼女の体を二本の腕に乗せた。その瞬間、疾風の如く走り出す。
「はぁぁっ!?」
「ごめんあさい時間短縮のためにと思ったのですが……嫌でしたら言ってくださいね」
フレッドはそう言うが、アナスタシアは絶対に嫌、とは言わなかった。フレッドが見下ろすと彼女は安心しきった表情になっている。おばあさんの家を超えたあたりから徐々に魔物達が増えていった。無視することも出来たのだが、討伐しないと後々面倒くさいことになる気がしたので剣を引き抜いて剣身を伸縮させながら周囲一帯にいたナーデルの魔物を薙ぎ倒す。
「フレッドさんすごいですね……」
「いえいえそんな」
フレッドはそんなことを言われようが止まったりせず、あくまで走り続けている。アナスタシアは今にも死んでしまいそうなほど顔を真っ赤にした。
「ここが最後の候補地ですか」
「この平野じゃなかったら捜索が難しくなりますね……」
予測はあくまで予測だ。合っている保証なんてない。そこは戦士達の平野と呼ばれていたらしい。地図に書かれている『戦士』という言葉が気になってとにかくアナスタシアをおろして平野の中に入る。
平野には魔物がいた。それも、今まで通ってきた道にいた魔物の合計の二倍ほどは視界の中にあるだろう。あまりにも多すぎる。一体一体の質は低いがその欠点を圧倒的物量でカバーしているといったところだろうか。とにかく二人は平野内であったらどこからでも見えるであろう大きな木の前で待ち合わせをすると約束して前日と同じように魔物を着々と討伐していった。
「何か根源の手がかりはありますか?」
「一応見つけました……でも」
フレッドは大樹の方を見上げた。素材の中には『大樹の葉っぱ』なるものがあり、待ち合わせ場所である大きな木よりも大樹というのに相応しいものはないため、おそらくはここなのだが、関連性がいまいちわからない。
アナスタシアの方も『大樹の枝』という素材を拾っている。
「この樹が魔物を生み出しているとか?」
「まっさかー! ……こんなところに詠唱文字が書かれてる」
――神の尖兵よ、目を覚ませ。
たったの一文だった。アナスタシアが木の根元に書かれていたそれを読み上げると、大樹から邪悪なオーラが噴出する。暗澹たる黒の中に紫や赤などが入り混じっていた。
そんなオーラの中から出てきた魔物が一匹。他のナーデルの魔物と一緒で、四足歩行で黒い毛を被っていた。
しかし、普通の奴らとは何かが違う。
どこか人や他の魔物を近づけさせないような、荘厳なオーラが出ていたのだ。これにはアナスタシアも思考と歩行を停止する。美しいとしか思えなかった。魔物は邪悪なはずなのに生命が強く叫んでいるように見えて困惑していた。
確かにナーデルの魔物を観たら誰しもが魅入ってしまう理由が分かった。だが、フレッドはそんな異常なこともなく魔物に近づく。フレッドだけが動けるということこそが異常だともいえるが、精神的な拘束をされるわけでもなく邪悪な魔物の核というべきところを切り裂いた。
生命の叫びというものが聞こえた分、本来であれば分からないはずの核がありありと見えるようになるのだ。というのも、自分の全生命を賭けて精神攻撃を浴びせているので強力な魔術を対象にかけている代わりに自分も核を現さざるを得なくなったのだ。
その弱点を精神攻撃を全く受けなかったフレッドが突いた。今までもアナスタシアのように精神攻撃に対処できない人が多かったようだから攻撃が通じたものの、若干油断していたらしい。
フレッドが無表情で腕の部分を斬り、断頭すると透明な何かが出現する。最初、それが何だったのか理解できなかったが、透明な『何か』は徐々に人型を形どり、そして白く光り輝いた。
――まるで、神様だ。神々しい光と人を模した『何か』は腕を前に振るだけで平野を二つに切り裂く。
「まさか……天使!?」
「けどこれに該当する天使なんて聞いたことありませんよ」
フレッドは一つ一つの行動からその人を模した人外――もといナーデルの元凶について分析していったのだが、なにしろ行動パターンが多すぎて何が何だかよく分からないでいる。というか、そもそも人がつくったのであればフレッド達が知らないのも当然だろう。水属性のついた剣で天使に斬りこむ。
「……っ、錆びてる!?」
わりかし最近買ったもので、使用後はすぐに手入れをするほど大事にしていたものである。だが、天使に触れると途端に脆くなる。
きっとこの違和感が正体に繋がっているのだろう。フレッドはそう思ってどんどんと仕掛けに行った。その途中、アナスタシアはフレッドに向けて叫ぶ。
「その天使、きっと塩から創られた人造天使では!?」
彼女の発言が気になったので一旦彼女の所に駆け寄る。
曰く、刃は食塩水に触れると錆が発生するのを早くさせる。フレッドの剣が脆くなったのも、水属性を与えたもので攻撃したからではないかと予想される。そして『ナーデル』という名前。とある誰かさんが何かと読み間違えたことからついた名前らしい。アナスタシアは紙を取り出して流暢に文字を書く。
――NaClel――
それは塩を意味する化学式と天使にさせることができる『el』の複合魔術式だった。確かにClの部分でcが小文字になっていた場合はdに見えることもあるだろう。二人は納得した。
それが分かったアナスタシアは大声で言う。メモリー:リバース、と。




