第九十一話 ナーデルの魔物たち
拍手喝采にて終わったバハル地方の劇場の閉鎖を惜しむ者もいたという。しかし経営者側からすると、観客の悲しむ声よりも完全な人間二人の懸賞金の方がずっと大事だったらしい。
アメリアが舞台から消えた後、続くようにして演者も舞台を離れていき、そして劇場の支配人らしき人が帰った帰った、と言わんばかりの素振りを観客たちに見せる。それには完全な人間を追っている人々も怒りをあらわにする。
「芸術と政治を融合させるな!!」
「どうせ大きな国に丸め込まれたんだろう!? 永世中立地方としての役割はどうなってるんだ!!」
「もっと見たかった……」
そんな声が劇場からあふれ出すが、支配人からは反省するそぶりも説明をするような動作も見られない。やはり彼は演劇を愛していないのだな、とフレッドは思って失望した。その後、完全な人間がこの劇場内にいて、今裏口から逃げ出したとの報告が飛んできてほとんどの人が出払ってしまった。
先ほどまで栄えていた劇場は、閑散としている。皆、芸術に政治的利益を求めるようなことをやめろとは言っていたものの、やはり全員『完全な人間』とやらが憎いらしい。
彼らにはその動機が見えないのだが――多分、絶対に解明できないとされていたものを若い年で発見したというのに不満があったのだろう。または、錬金術を悪用したい国が彼らを追いかけているとか。あるいは完全な人間のどちらかに恨みがあるとか。
その中には、神架教の信徒だと思われる人の影もあった。彼らの中には怒りを露わにして必死に追いかけ回そうとしている者もいたが、大半の人は今回の劇について批評したり、話題だった完全な人間の悪口を言っていた。
彼らの中にはもともと一方と付き合いのある人もいたようだ。
彼らを見た瞬間に、アナスタシアの周りの空気が怪しくなり、表情を覗いてみると、とても怒っているように思えた。彼女は先ほど詠唱した時と同じように左手を高く突き上げる。
彼女が何をしでかすか分かったものではないのでとりあえず彼女の左腕を掴んだ。
「離してくださいよ!!」
「何をするつもりだったか教えていただけたら考えますけど」
「そりゃああいつらを殺しに行くに決まってるでしょ! 人の命を勝手に奪っておいて自分達は生きるなんて」
アナスタシアはどこか自分ごとのように捉えている。だからこんなに怒ることができたのだろう。過去の記憶とはいえども誰かを殺すのは良くない。フレッドはそう考えて彼女が落ち着くまで彼女の左手を離さなかった。
離してっ、と半狂乱でいう彼女の右手にはいつのまにか黄金があった。あまりにも煌々としていてフレッドは焦ったものの、それでも依然として態度を変えなかった。
音は――ない。ただ、その後に金属片を引き抜いたことによって発生した血が滴る音だけは虚しく響いている。
「えっ……」
アナスタシアは自らの右手を見る。金色に輝いていた金属にも血の赤しか存在せず、当然彼女の右手血濡れていた。血に混じる汗があった。アナスタシアがフレッドの顔を眺めていると、平常の表情のように見えたが、眉を少しだけ顰めている。腹のあたりをさすって痛みを抑えようとしている。
アナスタシアは呆然とした。なぜこんなにも彼は平然としていられるのだろうか。それが気になって仕方がなかった。
しかし、それよりもずっと彼をさしてしまったことに対する罪悪感が湧き、次第に彼女は金属片を落とした。フレッドはそれを見て微笑み、彼女握っていた金属片を拾い上げて消滅させた。アナスタシアと同じような魔術式を使って空気中に霧散させたのである。高度な魔術を使ったことによって彼女を驚かせる。
しかし、フレッドにはそれをできるような判断能力はほぼなかった。唯一それだけすることができた。ピンチの時ほど集中できるというのだろうか。それほどに冴えていたが、何かを考えることが出来るほどのエネルギーはない。拾い上げるとともにふらつき、床に倒れ込んだ。
アナスタシアは悲鳴のような声を響かせて彼の肩に触れる。息が荒く、肩を上げたり下げたりしている。
血がシャツに滲んでいる。アナスタシアはアレルギー反応が起きないように注意して辺りに魔法陣を描いた。目をぱっと開いて彼の血で魔法陣を淡々と書き始めた。
全回復するために彼の血を使っているが、予想以上に出血量が多かったので彼女が持っていたタオルで腹部をぐるぐると巻いた。彼の魔力を回復させるかつ肉体的にも傷が塞がらないといけないので、そうとうな魔術式とアナスタシアの魔力を要した。
彼女がフレッドの重傷をみて苦しそうにしている間、無意識にアナスタシアの手を握った。ナイフを握ったり魔術の杖を扱っていたりすると、手にまめができるので若干ゴツゴツとしていたが、それでもか弱い力で彼女の人差し指を握っている。小さな声でフレッドはつぶやく。
「――――ナースチャ」
「フレッド……ごめんなさい。でも、絶対に助けてみせます。あの日の惨状を引き起こさないために」
アナスタシアは汗をぬぐいながら一時間くらい魔法陣と周囲に魔術式を書いた。そして最後に書いたのは『生』という意味を表す魔術式。
アナスタシアがフレッドの額に触れて詠唱をすると、ものの数分で接合を始め、三十分もしないうちにフレッドはばっと起き上がる。そして両手を開閉したり、アナスタシアによって刺された腹部をさすったりした。だが、なんの違和感もないことに逆に違和感を抱いた。
刺されて、眠くなった辺りまでは覚えているのだがと思いながらもしゃがみ込んでいるアナスタシアのことを見上げた。彼女の表情は申し訳ないという気持ちでいっぱいのように見えた。
フレッドがアナスタシアと同じようにしゃがむと、彼女はフレッドから視線をそらすように俯く。
「……ごめんなさい。人を殺すことは当然悪いことなのに注意してくれたフレッドさんにまで危害を与えてしまうなんて」
「僕は大丈夫ですよ。それよりもその怒りを抑えて下さったことだけで良いですから」
「そんな……だって痛い思いをさせてしまったんですよ!? 本来であれば旅を止めるのが当然なのに」
「そこまできにしていませんよ。だって旅があったなら当然こんなこともありますし。混乱していたのであればしょうがないですよ……ただ、あまり怒りをあらわにするのはやめてみた方がいいと思います」
俯いているアナスタシアと視線を合わせるように首を斜めにした。どこか子供らしいフレッドの態度にくすっと笑ってしまった。とても楽しそうに笑うものだからフレッドも自然に幸せな気持ちになった。
「そんなに気にすることもないですよ。さあ、行きましょう?」
フレッドはさっと立ち上がってアナスタシアに手を伸ばした。
「……はい!!」
結局、彼女は他の人に危害を加えることがなかった。彼女は差し伸べられたフレッドの手を握って立ち上がり、劇場を出た。
アナスタシアに次はどこへ行きたいかと尋ねると、彼女からはゼネイア独立島と即答された。フレッド達は今、ミルリー大陸でも西の方にいるので、どうしようかと考えた結果、そのまま突っ切ることにした。
リャーゼンから通っていくのが海の魔物などもほとんど存在せず安全なのだが、二ヶ月という期間があるのでリャーゼンまで戻っているような時間はないだろう。そう考えてだんだんと南下していくことをアナスタシアに伝えた。
劇場から遠ざかろうとした時にあるものを見つける。それは最近――といってもここ数十年でつけられたものではなさそうだ――の看板だった。劇場の設計者が顔写真と共に記されてある。フレッドが馬車を取りに行くついでにそれを見ると、あっという声を出す。
顔写真はあの王様そのものだったのだ。
* * *
結局、アナスタシアには王様の件は伝えないことにした。もし気になっているのであれば質問の一つくらいはしてくるだろうからその時に教えよう。
馬車を何事もなく取りに行き、そのまま島々がたくさんある海までそれで向かう。フレッドが御者台に乗り、アナスタシアは屋根のついている後ろの席に座る。
馬に直進するようにと指示した後、フレッドはキョロキョロとあたりを眺めて誰もいないということを確認する。フレッドはほっと一息をついて正面を見ながらもどこかに向けてこう言った。
もういいですよ、と。
誰かに言ったはずだった。しかし、相手は姿を現すどころか言葉を返そうともしない。普段であればなんだい? とか言いながら堂々と登場してくれるはずなのに、彼女がいるという気配すら感じられない。
流石に違和感を抱いたフレッドは聖霊が周りに存在しているかを調べた。すると驚いたことに、全くと言っていいほど聖霊は周囲にいなかったのだ。
アメリアは幽霊というよりも聖霊の残留思念と言った方が近い。なので、聖霊がいないということはすなわちアメリアがいないのと同義だった。フレッドは悲しみながらも彼女が望んでいた死者の世界に行けたということを喜んだ。
さらに曲がりくねった道を進んでいくとそこには大きな門があった。どうやら、ここが国境で入国審査を行なっているらしい。この国を抜けられたらゼネイア独立島まではあと少しである。
入国審査を手早く終わらせて近くにあった馬宿に馬車も一緒に預ける。
「君たち、旅人かい?」
「はい、一応そうですけど……」
宿主に言葉を返すと、宿主はふっと笑った。
「で、ここに馬を預けに来たと?」
フレッドは訝しみながらもうなずく。
「そうかい。そいつは良い判断だ。馬を連れて行くにはあまりにも危険すぎる」
「というと?」
危険だという言葉にフレッドの隣にいたアナスタシアは即座に反応した。怖がっている――というよりもむしろどんな危険が迫っているのか好奇心が湧いているような表情を浮かべていた。
宿主いわく、ナーデルの魔物と呼ばれる凶悪な魔物が跋扈し始めているようだ。最近は魔物黎明期の魔物がなぜか出てきているらしく、各国の魔導団を派遣してもなお倒しきれないほどに生み出されている。
その諸悪の根源が倒されれば平穏が訪れるとのことだが、その根源にいるのが誰で、そしてどこにいるのかを知っている者はいない。証拠品を照合させることによって根源の道のりを知ることが出来るらしいが、必要な素材があまりにも多すぎるのだ。
「それじゃあ僕達も討伐を手伝いますよ」
「いいのかい? それじゃあ王城に行くといいよ。倒した分だけ褒賞がもらえるからね」
「欲しくなければいかなくても良いんですよね?」
アナスタシアは報酬とやらに興味がなさそうだった。それよりも『魔物討伐』という行動そのものが好きだそうだ。
「死なない程度に頑張ってくれよー」
「ありがとうございます!!」
二人は馬宿の出入り口の扉を開けて百メートルくらい歩いた。薄い線が描かれていてそれを越えるとあらゆる雰囲気と風景が変わった。まるで誰もいない、その異様な光景に二人は目を疑う。宿主の言っていた通り、ナーデルの魔物と呼ばれた魔物があちらこちらの土地を踏みしめている。
見てみたところ、住宅地らしき場所はあるため、人が住んでいることは予想できるが、なにしろ魔物だらけだから出ようとしても出られないといったところだろうか。二人は顔を見合わせて頷く。そして進行方向にいる魔物達をどんどんと討伐していった。
フレッドはナイフや魔術を使った戦闘で、アナスタシアは相手に近寄ることすらなく遠距離の大魔術で。二人の猛攻によって魔物は徐々に数を減らしていった。
だが、ナーデルの魔物達は一向に素材を落とそうとしない。というのも、百匹倒してようやく二個ほどの手がかりが入手できるくらい希少なものであり、たとえ手に入ったとしてもそのほとんどが役に立たないものなのだからフレッド達にも段々と疲労の色が現れ始めた。
二人は一旦集合して、明日にまた討伐を始めようということになった。




