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或る御者の旅  作者: 駱駝視砂漠
第五章
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第九十話 女優の追悼

「先に劇場跡に向かってもらっても良いですか? ちょっと用事があるので」


 アナスタシアにそう断られたことによって平坦な道を歩くのはフレッドとアメリアしかいなくなった。バハル地方を探検するための観光客がちょくちょくいるのだが、有名な絶景スポットだったり遺跡だったりはもっと南の方にあるので旅系雑誌で観ているよりもずっと人口密度が低い。ここだったらアメリアとも話せるだろう。


「五千年前の花なんですか?」

『ずっとこの世界を漂っていたけど――少なくとも四千年前くらいには絶滅していたものだろうね。好きだったなぁー儚さがあったから』


 アメリアの劇団員としての最終公演で他の団員全員から送られてきた花束がアナスタシアが持っていたものと一致していたのだ。


 仲間のことを忘れてしまうほど薄情な人間ではないので、最後の公演くらいはきちんと覚えていた。アメリアが生まれ育った国の、四季折々の美しい花々が咲き誇っている。まるで主演を演じ続けた彼女のように鮮やかである。


『あー懐かしい……』


 アメリアは今はなき古い花々を思い出して悲し気な表情を浮かべる。とても辛そうだった。何より、彼女だけが五千年後にもずっとこの世界を眺めているだけなのだからそりゃあ当然だろう。天界にも冥界にも、地獄ですら行くことが出来ないのだ。あの時の団員にも、魔術について語っていた人たちも。


 もうこの世界には誰一人としていない。隣を歩いていたフレッドが彼女のことを見ると、ぽろぽろと涙をこぼしていた。


『みんなぁ……会いたいよぉ』


 彼女の記憶の中ではすでに劇団員も全員死んでいた。幻獣襲撃の被害を最も受けた地域の血凸といっても過言ではないバハル地方で生き延びることが出来るはずがない。彼女も世界から追われていた人間の逃亡幇助をしていなかったとていつかは消えていただろう。ただ、それが彼女にとって悲しい結果になっていないというだけで。


『こんなことになるなら助けなければよかったなぁ』


 アメリアが早歩きで劇場に向かった。彼女は肉体を持っていないので魔術なんて使わなくても人外的な挙動をすることができる。フレッドも転移魔術を使うことが出来たが、あまりにも唐突なことだったのでそんなものを使うという判断が出来ずとりあえず走って追いつくことしか出来なかった。彼女としてもまさか肩を並べられるとは思ってもいなかったようで、目を真ん丸に開く。


 フレッドはさも当然かのように死人と並走している。疲れている様子はなくてそれが逆にアメリアを心配させてしまった。


『何やってるのさ!?』

「歩くのが早いなーと思ってましたが一緒に歩ける範囲だったので」

『馬鹿なの? というか頭おかしいでしょ……』


 フレッドはアメリアに今まで見たことがないほどに呆れられていた。フレッドとしてはこれくらい追いつけて当然というスタンスだったが、彼女からしてみれば異常だったらしい。フレッドがさも当たり前かのように振る舞っていたので彼女は勘違いしそうになっていた。


 とりあえず、二人の目の前には劇場があった。とっくのとうに閉鎖された劇場。だが、皆が楽しそうに演劇を観ている幻覚を見たような気がした。


 二人は瓦礫をどけながら中に入っていった。外観こそ破壊され尽くしているものの、中身は魔術か結界か何かで守られているようで五千年前の色を保ち続けていた。


 幽霊――というよりも聖霊が再現した記憶といった方が近い彼女はどうしてもこの劇場に入ることだけは出来なかった。フレッドと一緒に入ると、ふっと回顧するように劇場に向けて微笑みかける。彼女はまさにただいま、と言っているようだ。フレッドが隣を見ると、故郷に帰ってきたような表情をしている。



 しばらくアメリアに付き合っていると、アナスタシアが走って倒壊寸前の扉をバン、と開けた。ちょっと前に入ってきた二人とは違ってそうとう息切れをしている。というか、あの距離を走ってきたのであれば少しくらい息切れをしているのが当然なのだが。


 アナスタシアから見てみれば、フレッドが一人でぼそぼそと何かを呟いているというだけの異常な状態になっていたので、彼女は軽く心配そうな表情をしていた。


「あの……疲れているんですか? 水を持ってきてるので……良ければどうぞ!」

「えっと、ごめんなさい。別に疲れている訳ではないのであしからず」


『憑かれている』というのであればある意味合っているのだが、彼女はフレッドの背後にアメリアがいるなんて思ってすらいないだろう。彼が()()()()()()ことが分かって三歩遠ざかる。フレッドは違うんですと弁明するのだが変なものを見られるような視線を注がれてしまった。


 好意を抱いている人からの軽蔑に近いような視線は大変つらい。涙をこらえながら違うんですよ……としかいうことが出来なかった。


 フレッドがショックを受けているということがありありと分かってさすがに伝えないといけないと思ったのか、もちろん冗談ですよと言われた。てっきり本当にやばい奴だったと思われていたとフレッドは考えていたのだが、彼女のいたずらっ子のような笑みを見て本当に冗談だったんだと気づく。彼はいじってきたアナスタシアにちょっとだけ怒った。


「……マジで嫌われたかと思った」

「あははっ、私がフレッドにそんなことを言うと思う? 流石に冗談だってばー」

「そうだよね。よかったよかった……」


 アナスタシアはフレッドの本音を聞いて豪快に笑っていた。フレッドは頬を膨らませていじけている。こんなに動揺するのはかなり久しぶりだったので自分でも困惑していたのに彼女と話しているととても楽しかった。


 話が思っていたよりも弾み、彼女に勧められた席に座る。彼女に何をするのか、と尋ねてみたが、彼女はとても楽しそうな表情で秘密、としか言ってくれなかった。


「メモリーリバース!!」


 アナスタシアは劇場に響き渡るほど大きな声でそう言った。席を立って堂々と左腕を突き上げる。荘厳な表情で魔術式を詠唱した彼女の手からは灰色が展開され、それが劇場の全てを包み込み、灰色だけの世界になる。その中で青い光が劇場の奥の方――つまりは演者が演じるための舞台ステージだ。


 どうやら今は第三幕の公演が行われているようで周りにいる人たちは全員見入っている。


 というか、なぜこんなところに人がいるのだろうか? 先ほどまではフレッドとアナスタシアの二人しかいなかったというのに。服装が現代の流行と全く違うということから、少し過去か、未来の記憶を観ているのではと仮説を立てた。


 記憶の逆行(メモリーリバース)と言っていたことから、恐らくは過去なのだろうけどそれにしたって再生される記憶が鮮明すぎる。まるでその当時に生きていたかのようだ。とても面白そうで引き込まれる演技が繰り返される。フレッドは疑問に思いながらも吸い込まれるように眺めた。


 * * * 


『ところで――今は何時だい?』

『一日のどのあたりかなって聞くべきだね。森に時計はないからさ』


 会場からどっと笑いが巻き起こる。フレッドは途中から記憶に入り込んで観ているものだからストーリーが分からない。

 アナスタシアから森を舞台にした物語で、女性が大活躍するという喜劇であるということを聞いた。フレッドはそれを聞いてようやっと理解した。彼はこの物語を知っている。というのも、ゼネイア独立島にいた時代から物語を読んでいてその中で見たことがある気がするのだ。


 彼女に、公爵に追放された女性が男装をして森で過ごす話かと尋ねると、とても嬉しそうにそうです! と言ってくれた。曰く、ここの劇場の最終公演を観ているらしい。


「……あの女優さんの名前って何て言うんですか?」

「アメリア=マクレイっていう女性ですよ。綺麗ですよね、ほんと」

「アメリア……マクレイ……」


 フレッドは反芻はんすうする。どう考えてもフレッドの背後にいるアメリアのことだ。最終公演だということは、フレッドと邂逅したあの時の衣装なのだろう。だから彼女は男装していたのかと今更ながら納得する。


 圧倒的演技力だった。フレッドが見たこともないほどの素晴らしい演技でついつい感情移入をしてしまった。


 しばらく黙って演劇を見ていると、それは大団円で収束した。他の客は立って拍手をしている。フレッドたち二人も立ち上がって手を叩く。


 笑い泣きながら面白かったと感想を伝えている人もいた。きっとこれが最後の公演項目だからというのもあるのだろうが、舞台でお辞儀している人たちにかけられるありがとうという言葉がやまない。


 フレッドも彼ら――特にアメリアの演技に深く感銘を受けて何も考えることのできないまま拍手をしていると、横で突然手をぐるぐると回す影があった。フレッドは何事かと思って目を見張るが、アナスタシアも他の観客と同じ、幸せそうな表情をしている。


 そして助走をつけて投げた。


 彼女は二階部分の手すりにぶつかって脇腹をさする。その間にも、彼女が魔術で再構築させた花束は宙を舞う。


 花束がちょうどアメリアの真上に達した時、アナスタシアは痛がりながらもパチンと指を鳴らした。その瞬間、花の中で唯一、季節関係なくいつでも咲き続けている花が散り、彼女の下に雨のように降り注ぐ。


 花の雨の真下にいたアメリアは誰からだろうか、と辺りをキョロキョロと見回す。花束が見えていないため、こんなに大規模なことができるのは舞台をとてもよく知っている劇団員ではないかと考えたのだ。しかし、全員がうーんと言いたげに首を横に振る。


 それは演技などではなかった。アナスタシアは先ほどぶつかった手すりに全体重を乗せて転げ落ちない程度に大きく手を振った。


「ありがとう!! とっても面白かった!!」


 それは観客の拍手ほど大きなものではなかった。というか、隣にいたフレッドでないと聞こえないくらいの音量だっただろう。しかし、彼女(アメリア)は振り向いた。音が小さかろうが、拍手の中に人間の声が混じっていたのであればすぐにわかるのだ。

 アメリアはアナスタシアの方を向いた後、彼女だけに向けて言葉を伝える。


「この花束を送ってくれたのは君かい?」

「は、はいっ!!」

「『……ありがとう』」


 アナスタシアは四方八方を向いた。どこからか、声が聞こえたのである。アメリアのような声は彼女にも聞こえていたのだ。どうやら彼女にも一瞬だけ、アメリアの亡霊が視えたらしい。アナスタシアはとても心配そうにアメリアのことを見つめていたが、彼女がふっと微笑むと安心しきった顔になって再び舞台の方を眺め始めた。


 舞台に立っているアメリアが嬉しそうに、だけどどこか決心がついたような表情になって一番最初に退場した。


 フレッドは隣を見る。アナスタシアは涙を流している。アメリアはこの後誰か知らない二人を助けてこんなに感謝して愛している団長に殺害されて、魔術師という称号をなかったことにされている。彼女はもしかしたらその話のことを知っていたのかもしれない。


 いや、これだけ悲し気に涙を流してしかも彼女に感謝の花束を贈っていた。それに加えてチェルノーバ家にはずっと昔の書庫もあるようだから確実に知っているとみて間違いない。

 最後にアナスタシアはこう呟いた。


「こちらこそ、ありがとう。あと……ごめんなさい」


 ありがとうという言葉の意味は分かる。彼女は今の世代にも受け継がれているほどには有名でありアナスタシアもアメリアの演技を見て感銘を受けたことだろう。しかし、謝罪の意味が分からなかった。フレッドはつい気になってなぜ彼女に謝ったのかと問う。


 アナスタシアによると、以前、アメリアに大変ひどいことをしてしまい、そのせいでアメリアが死んだといっても過言ではないことをしでかしたので申し訳なく思い、こうして彼女の演舞を再び見ているのだという。どこか遠くを見るような目つきで、本当に懺悔していそうだったのでフレッドは触れないでおくことにした。


「本当に……ごめんなさい……」

『大丈夫。もう自分を責めなくていいよ』


 最後に一つだけ。アメリアからそんな言葉が聞こえてきた。



 不意にフレッドが振り返ると、そこにはアメリアなんか存在せず、ただ聖霊と花びらと、涙が残っていただけだった。

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