第八十六話 人形化
「疲れた……」
アナスタシアはとても低い声でそう言ってベッドにドスンと沈み込んだ。宴は結局真っ昼間まで続き、明日の朝になってから探索をしようということになったのだ。さすがに疲れた体では何をしようとしてもできないだろうし、霧が晴れたとしてもどうすることもできないような気がしたので素直に休憩することになったのだ。
彼らも客人を招く体制になかったので一日くらい時間が欲しいと言っていた。城の外周に王国があり、窓から見てみたところだと十分すぎるくらいに楽しそうな国だった。
地面はどういう仕組みなのかとてもカラフルで心を躍らせる。ずっとこの景色を眺めていたかったが、アナスタシアが何をしているんですかと言わんばかりの眼でフレッドのことを見つめてきたのでなくなくやめることになった。
大臣からは次の朝まで外に出ないでと言われてしまったので、やることがなくなり、暇になった。本などもない、本当に寝泊りするためだけにつくられたような部屋。フレッドが持ってきた何冊かの本も既に十周くらい読んでいて内容もすらすらと言葉に出来るほど刷り込まれていたのだ。
何をしようかとベッドに寝転びながら考えていると、アナスタシアがシーツから顔だけをちょこんと出しているのを目撃してしまった。
彼女も暇だから話したいという気持ちがあったのは分かっている。それはちゃんと理解しているのだが、どうしてもその行動が可愛らしかった。
寝返りを打って仰向けになり、目を手で覆った。これ以上見てしまったら何をするか分からない。
アナスタシアが怪訝な目でフレッドのことを見つめているが、フレッドは目を覆っていたので当然それを知らない。
先にどうぞ、とフレッドが震えた声でアナスタシアに伝えると、彼女はとても弾んだような声で話し始めた。
「フレッドさんって完全無欠だと思っていたので自分を見失うというか――目的が分からないまま行動することってあったんですね……意外です」
「僕だって人間ですからそりゃあ欠点の一つや二つはありますよ。魔術だって回復系は全くできないですし」
「まだできてなかったんですか!?」
アナスタシアは驚愕の余りベッドから飛び起きた。どうやら魔術系統は完璧だと思っていたようで、全く使えないのが回復魔術だということに納得しながらもその表情を隠せずにいた。
フレッドが目を両手で隠していても伝わるくらい驚いていたのでそこまで完璧だと思われていたことに不満を抱く。あと、『まだできていなかったんですか』という反応に若干悪意センサーが反応した。
「もしかして煽ってます?」
「いえいえそんなことは!! ただ、こういうのって受け継がれていくんだなぁって」
回復魔術自体は扱いやすいもので、微量なものなら普通の人でも使える。しかしフレッドはそれがまるで使い物にならない――というか回復魔術に関するものの適性が全くない。もはや才能ではと思っていた。アナスタシアがなにやら不思議なことを口に出していたが邪推するだけ無駄だろうから考えるのはやめた。
「だけど人間っぽい所があってよかったです」
「ですがそれで言ったらアナスタシアさんも苦手そうなものは見当たらないですよ。なんというか何でもできそうな雰囲気が出てます」
実際魔術的なものも、剣術だったり格闘技だったりも人並み以上に出来ていた。特に、魔術に関してはなぜ研究者にならなかったのだろうと疑問に思うくらい高度な魔術式を取り扱っていた。
フレッドも知らないような歴史を使った魔術式を即興で組み立てあげていくのだ。
「どうして研究者にならなかったんですか?」
「魔術研究に関してはもう興味がなくなってしまいましたから。あ、でもフレッドさんが一緒ならウェルカムですよ」
そんな話をしていると、気がつけば七時の目覚まし時計がピッポーと部屋一帯に鳴り響いていた。フレッドはアナスタシアと話していた時にすやすやと寝落ちしてしまっていたらしい。そう証言したアナスタシアも彼の十分後くらいには寝ているのだが。
いつもよりもゆっくり朝食を食べ、大臣が紹介してくれた案内役が示した道なりに従って歩いていく。国はどうして見つけることが出来なかったのだろうと思うほどにぎやかでカラフルで、幻想的だった。かなり異国感溢れ出る砂漠大陸のような風景ではなく、そもそもこの世界に存在しているのか怪しいほどだ。
どこか奇怪的で不気味さがあったものの、国自体は全員が楽しそうにしていたので良かった。
華やかな衣装に身を包んだバレリーナや彼女のファンだと思われる人々がわいわいと話し合いをしている。案内役の人に従って国をぐるっと一周する。リャーゼン本国の面積の半分くらいだっただろうか。少なくとも半日くらいで回ることのできた大きさだった。
フレッド達が歩いていても外が晴れる気配は一向になく、霧がずっとかかり続けていた。案内役の人から自由に回ってくださいと言われ、二人で回ることにした。近くの本屋で買った地図を眺めながらどこへ行こうか相談する。
「そうだ。ここの人形工房ってところに行ってみません? 面白そうですし」
アナスタシアが指差したのは今フレッド達の目の前にある古めかしい工房だった。近いし歴史がありそうだから行ってみるかという話になったのである。彼女は扉の前に向かい、コンコンとノックする。
数秒経ってからいかにも職人というような風貌の男が現れた。アナスタシアは握手をすると同時に中にあった人形の数々に見惚れた。蓬莱鬼国の人形にチル=ゾゴールでつくられている人形など種類は様々だ。
彼女は職人にここにあるものは全て自分でつくったのかと尋ねる。
「資料はあるがここに現存しているものは全部俺が作ってるよ」
「すごいです! だってこんなにあってどれも精巧でオリジナル感があって……」
「確かに色々な地域の人形を使った複合的な人形は新しいかもな」
「そんなものもあるんですか!?」
アナスタシアはとても嬉々とした表情で職人のことを見ていた。しばらく待っていると、蓬莱鬼人形の服を着たミルリー大陸生まれの人形がのった板が運ばれてきた。文化の融合というのは大層珍しいものだったのでフレッドもひょいと身を乗り出してそれを観察した。
「傑作ですね……」
「そうだろう? だけど、俺はこれ以外にもっと素晴らしいものをつくっているからな。実物は見せられないけど……ところで君たちは外から来たのかい?」
「はい。リャーゼン皇国というところからやってまいりました」
「そうか。じゃあじきに分かるだろうさ。あ、そこの男性ももしよかったら国で宣伝しておいてくれ」
男は手を握ろうとしてきたが、フレッドが使っていた手袋を見るやいなや自らの手を下げて名刺を渡してきた。『世界の人形工房』と書かれている。フレッドとしても感銘を受けたしなによりも今まで見てきたものの中で一番精巧に、そして儚い印象でつくられていたので客に宣伝してみようかなと前向きに検討する。
しかし、名詞の中には国名の記載がなかった。書き忘れかと思って職人にこの国は何という名前なのかを聞いた。その質問を耳にした数秒後にとても難しい表情になっていた。
「えっと、どうかしましたか?」
「あぁその、俺は全世界を旅して偶然ここにいるってだけで……」
素直に国名を話してくれたらいいのに。フレッドはそう思う。というのも、建物も看板も古めかしいものになっていて、短期間でやってきたのであれば人口的にもっと栄えていたっておかしくはないだろうが、フレッドとアナスタシア以外は誰もこの店のことを見ようともしなかったのである。
しかも精巧な人形は馬車の揺れでも損壊してしまう恐れがあるので工房にあるようなものを一気に持ち運びできるとは考えにくい。となると、国名を知らない人かあるいは知っているのに話さないような人かの二択である。
「ノーコメントでいいか? ……紹介する人には絶対に言わないでほしいんだが、どうやらこの国には国家という概念がないみたいなんだよ」
――国家。それは国であれば絶対に存在しないといけない概念。職人いわく、国の名前は誰も知らないらしい。長らくこの国に仕えている人であっても大臣であっても王様であっても、だ。
そして職人も工房の場所をバハル地方で探していたら霧の中に迷い込んでしまったとか。バハル地方に存在しない霧と言い名もなき国と言い、どこか安心のできない要素ばかりだ。
アナスタシアが魔術式で操ることのできる人形をくるくる回したり人形に魔術式をつくらせたりしているなか、フレッドはずっとここのことばかり考えてしまっていた。
職人はアナスタシアの人形操作術を目撃して思わず感嘆する。
「嬢ちゃん、まさかこれ習得しちゃったの? 俺が見たことないくらい器用だねぇ」
「にーさんにーさん。これ二つくらい買ってもいいかしら? 魔術の幅が増えそうだわ……面白い」
アナスタシアはアナスタシアで下町にいる人のような呼称で職人のことを呼んでいた。貴族をやめるという発言ももしかしたら、彼女にとっては下町の方がずっとなじみ深くて貴族の世界だと息が苦しくなるからかもしれない。
彼女は金貨十枚で人形を二つ買った。関節部分が可動式になっていて、魔術関連で使えるようなものとなっているらしい。少々高価な気がしたが、それよりもずっとすごい機能がついていたのでその値段だというのも納得だろう。というか、金額が機能に見合わないくらい安いまである。
彼女が会計を済ませているとき、フレッドはそれとなく尋ねた。
「一番の傑作ってどこかで売る予定はあるんですか?」
「……ないよ。といっても高すぎて買ってくれる人がいないだろうから売ってないだけだけど」
普通に彼が作っている人形でも他の職人にとっての最高傑作といっても過言ではないだろうに、高すぎて買えないほどのものとはなんだろうか。フレッドはちょっとだけ気になった。
アナスタシアが人形を受け取ったのを確認して二人は店を出た。職人は笑顔で二人を見送った。
* * *
「んー。ちょっと肩が重い……」
「何か持ちましょうか?」
「いえ! 大丈夫ですよ!! 我慢できる感じですし」
「無茶が一番ダメって自分で言ってたじゃないですか。ほら運びますから」
アナスタシアは肩をぐるぐると回す。その度にポキポキという痛々しい音が聞こえてきた。彼女はとても楽しそうだからといってたくさんお土産を買ったのだからそりゃあ重くもなるだろう。
彼女はとても申し訳なさそうな表情をしながらフレッドに荷物を持たせた。といっても、フレッド自身は物を浮遊させて運べばいいだけだったので全く辛くなかったのだが。
アナスタシアがフレッドに荷物を渡すとき、強烈な違和感を抱いた。彼女の関節部分が奇妙なことになっているのだ。
本来なら皮で一繋ぎになっているはずなのに、球体のようなものができている。
そうそれはまるで人形のようだった。
衝撃のあまりにフレッドは彼女の心配をするよりも手袋を外して自分の手を見てしまった。幸いなことに、フレッドの手に球体はなかった。彼女の肩が重くなったのも人形化の影響によって腕が本当に重くなったからだろう。自分が人形になっているということに気がつき青ざめているアナスタシアを見てとりあえずなんらかの店に入ろうと誘った。
二人が様々な人とすれ違ったとき、一人一人彼女のようなものがないかを探していくと、全員にそれらしきものが見えたのだ。彼らは人形になっているということだろうか。それならば国にとって都合の悪いことを話さないのは納得である。人形に喋らせなければいいように魔術式を刻み込めばいいだけなのだからとても簡単な話だ。
この様子からして、この国で人形化していないのはフレッドだけだろう。思い返してみればあの職人も手を丸めるたびに音を鳴らしていた気がする。顔面蒼白なアナスタシアを宥めながら、どこか座れそうな場所を片っ端から探していった。
そして飲食ができそうな店にすぐ入り、甘い物を注文した。




