第八十四話 神殿とヒトガタの国
「はぁ……で、どこに行きましょうか」
「えっと……当初の予定だとヴェスティア神殿に向かう予定だったのですけど」
あ、そっかとフレッド。あまりにも長すぎてそして何をするべきなのかも忘れてしまうくらいに空虚な時間を過ごしたので当然ちゃあ当然のことだろう。フレッドは忘れていたことを謝り、そのまま神殿に向かった。
最北端に近い闘技場だったので、神殿までは歩いて三十分もしないうちに到着した。肝心なヴェスティア神殿周辺は以前に訪れた時と変わった点は何もなく、唯一あるとすればそこそこ観光客がいるくらいだった。
多くの幻獣がエルメイア共和国を襲撃し、そして多くの魔物が人々の命を奪いにきたのだ。フレッド達が水際で襲撃を対処したから良かったものの、あと一歩対応が遅れていたらまずいことになっていた。
そんな恐ろしくも美しい幻獣のルーツを知りたくて最初に降臨したここに赴いている人が多いのかもしれない。ほとんど全員が魔物博物館のパンフレットを持っていたので魔物に何かゆかりがある人たちには違いない。
ヴェスティア神殿の構造が知りたくて結界でなんとか守られている神殿内に入っていく人も多数見えた。
フレッドもその流れに身を任せて神殿内部に進もうとしたが、アナスタシアは手を引いて神殿の外の――全く誰もいない土地にやってきた。そこには申し訳程度に『エルメイア最北端の地』と書かれたような木製の看板と神架教の支配を象徴するかのような十字架が地面に突き刺さっていた。
十字架の全長はフレッドよりも人の頭二つ分大きいくらいだろうか。少なくとも見上げないといけないくらいには高かった。
そして見てみたところ、エルメイア大結界は最北端に置いてあるこの十字架を基軸として展開していることがわかった。つまりは、一見デカいだけの十字架を引き抜いてしまったら最後、エルメイア共和国全体を守っている結界は効果をなくして魔物の侵入を許してしまうのだ。
以前の幻獣襲撃を除けば長いところ魔物の対処は行なっていないようだったのでなんらかの事故で十字架が引き抜かれないように一切手を触れないようにした。それでも気になってしまったので近くからじーっと眺める。
「こういうのっていつにできたんでしょうね。見た感じだともう朽ちていてもおかしくないような年代に作られていると思うのですが」
「……どうやらここに立っている十字架は五千年前につくられたみたいですね。その当時の十字架の材質とほとんど一致しています」
貴族だからか、それとも五千年は続いていることが確認されている『チェルノーバ家』の末裔だからだろうか。家にはずっと受け継がれている書庫やらなにやらがあるらしい。
というのも、五千年前の嫡男が悪い方面で有名になってしまい、彼を除名したものの後世に彼の研究内容は偉大なものだったと再認識されて彼がチェルノーバ家の屋敷や弟子に残していた資料を世界中から探して何千年も保管しているとか何とか。
フレッドの一家はそこまで歴史があるわけではないだろうし世界樹の森があれどもそれを身近に感じたことは一度もなかったので遠い世界のように感じた。
アナスタシアは小さい頃から歴史を身近に感じるような教育を受けているようなので、どこか悲しげな表情をしていた。まるでその当時を見てきたかのような儚く神妙な面持ちである。
映像なんていう技術は投じなかったはずだから文献でそこまで詳細に語ることが出来るその人は相当な文才を持っているはずだ。
「しかし、なぜ十字架なのでしょうか。もっと建物だったり壊れにくいものを結界の根にしてしまえばいいのに」
「……きっとこの十字架で弔わないといけなかったんだと思います。見て下さいこの十字架の根本」
アナスタシアにそう指をさされ、フレッドは倒さないように跪きながら地面近くの十字架の部分をじっくりと見つめた。
先ほどまでには気にもしていなかったようなシミが浮かび上がってきた。赤黒く、すでに錆びてしまっているようにも見えた。
「鉄……ですか? 十字架は銀で作っているはずでは」
「五千年前もそうだったのかは私にはわかりませんがおそらく、これは血ではないでしょうか」
フレッドが見逃していた範囲は予想以上に大きく、地面から五センチほど離れた場所まで錆があった。しかし、そのほかの場所は一貫して銀色に輝いている。鉄と銀を混ぜ合わせて作ったとは考えにくいのでおそらくは誰か氏らの血液であろうことも分かった。
「しかし、鉄と銀を分離して配合させたというのもあると思います」
「どうしてか教えていただいても良いですか?」
「その当時は今よりもずっと錬金術に関する研究が盛んだったと聞いています。その中で金を生み出すことに成功した人がいたというのも僅かな文献には残っています。そうなるとその人が鉄を使った十字架を作っていたのではないでしょうか」
「……知っているんですか」
彼女はとても驚いていた。世界的には錬金術は未だに誰も解明できていない謎の深い『神秘の魔術』として知られている。だからこそ今は錬金術を解明するのは不可能と断じる研究者が多くなり、その研究が衰退していっているのだ。
しかし同時に思った。鉄で作る意味はないのでは、と。
もし錬金術の研究が終わり、全てを解き明かした人がいるのだとしたら金や銀を練成して十字架を作ればよかったはずだし、そもそも神架教は『唯一神の領域』である錬金術を人間ごときが解き明かす――なんてことを許していたはずがないだろう。
ただ、五千年も昔の人の意図がありありと分かってしまうほど頭は良くないので黙って彼女の用件が終わるのを待った。
アナスタシアは十字架の前に手を合わせる。随分と長い弔いだった。
彼女の頬から水が滴る。泣いているのかと思ったが、手を空の方へ向けてみるとフレッドの手のひらにも水滴がぽたぽたと落ちてくる。天気予報にもなかった雨だ。
「アナスタシアさん――」
フレッドが雨が降っているからさっさと帰ろうと言おうとした時だった。彼女はずっと手を合わせ続けていた。チェルノーバ家は神架教を信仰していて、死者には天国へ行く喜びを伝えるはずなのだが、彼女のその後ろ姿からは到底喜んでいるようには見えなかった。きっと、彼女の中で最も大切な人がここで眠ってしまったのだろう。
彼女は直接フレッドに『ここで人が死んだ』とは言っていないが、血のことをよく知っていたことから彼女にとっては忘れることのできない死となっているはずだ。
泣きたいほど忘れたくても忘れられない人の死がどれくらい辛いものだろうか。
フレッドにはそんなに大切にしている人がいないので分からなかったがきっと想像を絶するほどのものなのだろう。励ますことなど到底できるはずもなく、彼はただ彼女の頭上に傘をさすことしかできなかった。もっと人の気持ちがわかっていれば、とフレッドは悔やむ。だが、そんなことを願ったってもう遅い。
雨がしんしんと降り、他の観光客は慌てるように建物の中に入っていった中、ただ二人だけが最北端の土地、結界の最前線に佇んで故人を偲んでいるだけだった。
* * *
「……ごめんなさい。つい感情的になってしまって。雨、冷たかったですよね」
アナスタシアは涙を拭いながらフレッドの方を振り返った。泣いていていかにも悲しそうな顔をしているのに、口だけは笑っていた。
それがなんともやるせ無い気持ちになったので懐からハンカチを取り出し、悲しい感情を誤魔化さないでくださいと一言添えて彼女にそれを渡した。彼女はフレッドが強めの口調で言ったからかとてもびっくりしている。
先ほどから彼女を心配しようとしているのに言葉だけが正反対になってしまう。そんな自分を嫌に感じた。いつもなら空回りしないはずなのに重大な時に限って大失敗してしまう自分が恥ずかしくなり、大きなため息をついた。
気がつけばすっかり空も青くなって夏だということを二人に実感させた。あの嵐のような時間が過ぎたのだ。まさに通り雨だったようで、雨は二時間もしないうちに別の場所へ移動していったらしい。アナスタシアはしゃがみの体勢から立ち上がり、フレッドの持っていた地図をのぞき込んだ。
「えっと……もうここでやるべきことはないので次の場所に移動しても良いですか?」
「もちろんですよ。次はどこに行きたいとかはありますか?」
「その――バハル地方に行ってもいいでしょうか」
観光地としては妥当だな、と思う。しかし、バハル地方というのでどうしてもアルベルトと遭遇しないかを考えてしまった。意外と仲良くしているところを見られると絶対に誤解される。そんな勘があったのだ。しかし、バハル地方ではあんまり観光が出来なかったという点やフューリエの組合がどうなったのか、何よりもそもそも依頼人に抵抗できるはずがないので従順に頷いた。
エルメイア共和国の最北端からバハル地方に行くのは簡単だが、馬を取ってくるのが何よりも大変だった。すでに馬が転移されているとはいえ、北から西を横断するのがとても困難だった。馬に乗ったのち、北に移動して、今日中にバハル地方に到着するように急いで馬を走らせた。
「霧がすごいですね……」
アナスタシアは窓を開けてそう言う。馬車の中に電話があるから本来は窓を開けて伝えることでもないのだが、何かしらの魔術によって更新が遮断されているため、大声で伝えるしかないのである。
海が近く水蒸気が発生しやすいとはいえ、バハル地方はもっと乾いていて霧が出るなんて言う情報は一切なかった。フレッドは間違った場所に来てしまったのではないかと危惧し地図を見る。近くには地図にも載っている巨大な塔があり、道のり自体はあっているはずなのだが、かなり異様な光景だった。
まるで幽霊屋敷のときの屋根裏部屋の異界のような雰囲気が醸し出されていた。バハル地方はずっと快晴だという情報があったのだがもしかしたらあれは嘘だったのだろうか。フレッドが心配になりながらも走っていると、霧の先になにか建物があることに気が付いた。お城のような――しかし現実では見ることのないような建築方式である。
「なんだか児童文学の世界に迷い込んだみたいですねー!!」
アナスタシアもその建物の異常さに気が付き、窓を開けてフレッドに伝えていた。
彼女の言うことは実に的確で、双眼鏡で建物にフォーカスを当ててじっくりと眺めてみると、ピンク色と紫色を基調とした城で、複雑な構造は一切存在せず、まるで子供が積み木でつくりあげたかの如く単純な設計だった。
とても不思議で本当だったら浮いているはずの建物なのに、まるでしっくりしているのだ。
とりあえずこの霧が晴れるまでその建物に滞在できるかを交渉した。
その交渉相手というのも、いかにも童話だったり子供向けのファンタジー作品に出てくるような太り気味の大臣で、そばには槍を持った兵士が百人ほどいた。
本の中でしか見たこともないような不思議な服装だ。まるで戦争に行く直前のような重々しい鎧を装着している。
アナスタシアは一気に視線を集められるのが怖いのでフレッドの後ろに隠れる。しかし、彼らはアナスタシアを異性として見ているのではなくあくまで観光客として認識しているようだった。そして各々がどこか愛着のある顔立ちで安心したのか、彼女はひょこっと背中から出てきて大臣に挨拶をした。
「どうも、チェルノーバ家長女アナスタシアと申します」
「そうかそうかよく来てくれた。さあさあ、お城の中を案内いたしますぞ」
フレッドもアナスタシアも頭に疑問を浮かべた。チェルノーバ家の当主が五賢人になったというのは有名な話であり、新聞などを通して全世界に広まっていたと思っていたのだが、彼らはまるで何も知らないような立ち振る舞いだった。
不思議に感じてはいたものの、貴族として扱われない方が楽だということだったのでそのまま過ごしてみることになった。
「えーっと、ここが部屋じゃな。歓迎の意を込めて晩餐会を開く予定だからぜひ来てくれると嬉しいぞい」
その後大臣は仕事があるから、と言って慌ててどこかに行ってしまった。曰く、ここには大臣以外にも『王様』がいて、その人が統治をしているようだ。フレッドはその王様がどのような人か気になりながらも晩餐会を待った。




