第八十三話 決闘というほど心地のいいものではない
「これ、被ってみてください」
そう言ってアナスタシアに見せられたのは彼女が先ほどまで作っていた花冠だった。彼女がつけたらきっと可憐で可愛いのだろうが、フレッドがつけたとしても大して意味はないのではないか。フレッドはそう考えたがせっかく厚意で作ってくれたのだから被ってみることにした。
アナスタシアはとても喜んでくれていたが、フレッドにしてみればどこが良かったのか全くわからない。彼女にどこがいいのかを聞いてみると曰く、格好いい人が可愛らしいものを身につけているとギャップが生まれてきて自然と嬉しくなるらしい。
それを聞いてもなお彼女が喜んでいる理由には理解できないでいた。喜んでいる彼女を見てフレッドは少しだけ照れる。
花冠はともかく、花畑自体はとても綺麗で儚く、今にも散ってしまいそうなほど美しかったので写真に収めたり、寝転がってみたりした。自然を感じるのはかなり久しぶりだった気がするから、とにかく癒された。
日が暮れるとその美しい景色も見えなくなる。二人は時間を忘れて花畑に滞在していたので慌ててホテルのありそうな場所まで戻っていく。流石に最南端とも呼ばれているヴェスティアの塔まで戻るような時間はない。
帰るだけで五時間もかかってしまうのだから近くの泊まれる場所を探す方が賢明だろう。
宿泊できる施設を探して早二時間。アナスタシアが良さそうなホテルを見つけたので、そこに泊まることにした。
* * *
彼女はとても健康的な生活を送っていた。朝の八時に起きて夜の十時に寝る。
早朝の四時くらいに起きて深夜の二時に寝るフレッドとは大違いだった。
彼女がいつ起きるのかそわそわとしながら周辺を数時間散歩していると日が昇り切った時に彼女がホテルのフロントの扉を開けてやってきた。
フレッドは街をぐるぐると回っていてそのときも近くにあった図書館で本を見ていたものだから当然彼女が出てきたということも知らなかった。というか、ずっと籠っていたから時がたっていることにも気づかず、本を戻しているときに八時の時報が鳴って急いで戻ってきたのだ。
十分くらいかけてホテルに行くと、アナスタシアが突っ立っていた。暑い夏の中十分も待たせたことを申し訳なく思い、謝罪した。
彼女は怒っているというよりもむしろ心配しているようで、フレッドに睡眠時間はどれくらいかと尋ねた。
フレッドは当然の如く彼女の睡眠時間の半分以下を答えるとものすごく心配された。
アナスタシアじゃなかったとしても平均よりずっと睡眠時間が少ないので他の人が心配するだろう。一等御者は依頼が多い分、報告書の作成にも膨大な時間がかかるので徹夜でもしないと普通に時間が足りないのだった。
アナスタシアはフレッドの顔をじっくりと見つめる。何をいきなりと思って彼女から目を逸らす。
「フレッドさん目の下にクマがあるじゃないですか! もっと寝てください。でないと死んでしまいますよ?」
「大丈夫ですよ。これだけやっててまだ死んでいないですし」
「これから死んじゃうかもしれないんですよ!」
彼女は今にも泣きそうだった。フレッドのことを心から心配しているような声色だった。
彼自身としても自分の不健康すぎる生活に思うところはあったため、彼女に絶対に健康に過ごすことを誓った。
彼女が泣き止んだところで今日はどこに行くのかを決めた。彼女は北側にあるヴェスティア神殿に行きたいと言った。フレッドも図書館で多神教信仰についての本を読んでいたのでちょうど気になっていたところだった。
神殿で聖霊の記憶で、実際に神架教の唯一神ととある多神教の主神様が対峙している様子を見て昔の進行の様子がどれくらいか興味があったのだ。フレッドはもっと昔の記憶を辿ろうとしていたため、彼女の提案に快く頷いた。
東から北に行くための手段は割と多く、その最たるものがバスだ。どうやら花畑から七キロほど歩いたところに闘技場というものがあって、それを観戦するために各地から集まっているということもあって当然バスなど様々なものが使われている。しかもバスは救急手当ての役割も持っているようで、決闘によって怪我をした人の応急処置がなされる。
回復ができる人がいればいいのだが、相当熟練の人でない限りむやみやたらに回復させていったらどちらかの体が拒絶反応を起こし重症になるということもあり得てしまうので回復担当が来るまでは応急処置を行わないといけないのだ。
乗ったバスもちょうど北側にある闘技場へ向かうバスだったのでアナスタシアに見ていくかを聞いた。
「フレッドさんはそういうのがいいんですか?」
「どうして」
「なんか目に輝きが宿っているっていうか行きたいって文字が顔に書かれているっていうか」
フレッドはハッとする。内心では時間があったら行きたいなー程度の感情だったが、表情ではもっと楽しみにしていそうな顔をしていたらしい。単純に戦闘が好きという少年の心が出てしまった。恥ずかしくなってバスの中で俯く。
そんなことをしていると、バスは三十分ほどで最北端に近い闘技場に到着した。
二人はバスから降りてどうするかを相談した。次の試合は五分後から始まる。そして、何よりも時間がまだあってアナスタシアも興味があるらしいので二人で一緒に行ってみることにした。
二人が決闘開始時間ぎりぎりになって入り口にやってくると、やはりというべきだろうか。入場場所はものすごい行列になっていて、決闘の開始予定時刻に間に合うのかとても疑わしかった。
二千人くらいいるだろうか。今日は特に人数が多かったようで、予定していた時間から入場を開始してしまったので受付係の人も結構焦っていた。人数を区切ってそれぞれどこに座るのかを決めていた。
ちょうど最後の一組としてフレッドとアナスタシアも遠くからだが観戦できることになった。
今回の決闘は雰囲気から怒っているのだろうと一瞬で推測できてしまうほどに怒り狂った男と、気だるげに立ち、そしてどこか目の前にいる怒った男を挑発するかのような表情をしていた。
決闘とはどこぞの戦闘狂でない限りなかなかすることはない。というのも、決闘はバトルというよりも勝者が敗者に何かをするという交渉だったり一種の裁判に近いのだ。それこそ本当の裁判では決着がつかないときや組合間でのいざこざが発生した場合にどちらが決闘に勝利したかによって判決が決まることも無きにしも非ずなのである。
そして、怒っている方と結婚していた女性がだるそうな表情の方と不倫をしたとか何とか。正直、なぜ決闘をしているのかを見るだけでちょっと楽しい。アナスタシアは本当に不思議そうに首を傾げる。
「なぜ不倫なんてしてしまうのでしょうか。本気で愛していれば他の人に惑わされることなんか絶対にないのに」
「僕にはわかりませんがきっと付き合っていて疲れることでもあるんでしょうか。ただ、そういう疲れも共有するのが恋人だと思っているのですけど」
フレッドもきっと人を愛するとなったら一人だけを見つめるだろうし、と考えていたがもしかして重すぎただろうか。アナスタシアに試しに伝えてみると、それくらいがちょうどいいですよと言われた。彼女と話していると、決闘が始まった。会場には特殊な結界のようなものが張られていて、会場内にいる人には近くで音が聞こえるようになっている。
「なんでだ!! 彼女が既婚者だということは分かっていたんだろう!?」
「はぁ? なんでこっちが相手の都合を気にしないといけねぇんだよ。あーだり。はやく終わらせてくんね?」
気だるげな男の態度は褒められるようなものではなかった。せめて謝罪くらいはしないのだろうか。あまりの厚かましさにフレッドもアナスタシアも観客のほとんどが呆れ、一部の観客が稀に見る『やべーやつ』という認識で彼らのことを見ていた。
多分、怒っている男の方が正しいというのはここにいる全員が思っていることだろう。最初に攻撃したのは原告側だ。そもそも被告側は戦う意思がなさそうだったから防御するだけになるだろう。
もしくは、先に体力を消費させて一気に畳みかけるかだろう。
怒っている男は姿勢を低くしながら足首辺りに簡素的な魔術式を書いた。それをすぐに発動させると同時に虚空に水で魔法陣を書いて火属性と水属性の魔術を同時に出した。
同時に対応できるものなんて存在しないので真正面から魔術攻撃を食らってしまった。しかも相反する効果を持つ魔術で攻撃しているのでかなりの肉体的ダメージを食らっている。さすがに苦しくなったのか、気だるげだった男の表情が苦しそうなものへと変化する。
どうやら怒っている男は手練れの魔術師のようで、最近発見されて対処不可能とされている魔術で相手を攻撃していった。
フレッドはちょくちょく決闘などを見に行ったりしているため、どういうパターンなのかが大体わかってきた。本人たちに『そうしよう』という意思はないのだろうが、それでも似通ってきてしまうのだ。
今回の決闘はかなり持久戦になりそうな雰囲気がプンプンと出ている。被告はまだ本気を出していないように見えるので相手がつかれたら畳みかけ、逆に自分がつかれたら防御に徹するという攻守交代を永遠に行う気しかしないので見ていてだいぶ暇なものになってくるだろう。
アナスタシアはどこが面白いのか全く分からないようで、困ったような視線を下にある決闘の場所に注いでいた。それに気づいたフレッドは丁寧に説明をする。
「今は防御結界を両者とも開いていて原告側が魔術弾を大量に放っているという状況で――」
「いや、そういうのは分かっているんですけど……なんだか戦い方が美しくないというか……」
彼女はどこか納得のできないような口調だった。というのも、彼女としては魔術も剣術も全ては美しく勝つが正義であり、今回のような醜いものは見ることのできるようなものではなかった。原告側の魔術も傍目から見れば美しいと形容できるものだったが、使い方はというと相当汚いものである。
「アナスタシアさんも魔術について学んでいたり?」
「結構昔は学んでいたので少し知識があるのですが……もっときれいで神秘的で……魔術とは芸術だと思っていたのですが」
彼女は思ったよりも魔術に造詣が深かった。魔術を神のものと認識しているのはかなり昔の人のようだったが、それでも魔術を深く愛し、それゆえに魔術を雑に扱っている人間を見ると許せなくなるといったところだろうか。彼女ほどではないものの、フレッドも彼女の考え方には共感できる気がした。
フレッドが綺麗な戦い方をしているのも、戦いを愛しているからなのだ。
「そろそろ負けろよ犯罪者……!!」
「うるせえよヘタレ」
怒ってはいたものの口調などは丁寧そのものだった原告も今となっては暴言を吐きまくり、被告側も暴言を吐いてはいるが、汗を垂れ流して疲弊しきっている。
今回のものは近代稀に見る、いわゆる『クソ試合』というものらしく、フレッドが周囲を見渡してもあくびをしたり他のもので暇をつぶしていたり、挙句の果てには帰る客だっていた。金はとっていないから時間が消えるだけ損と考える人が多くいたようで、気がつけば闘技場の五分の一くらいはいなくなっていた。
かくゆう決闘好きのフレッドも、アナスタシアに起こされながらなんとか起きているくらいだったのだから本当に長かったのだろう。アナスタシアはずっと疑問そうにそれを観戦している。
原告が最後の力を振り絞って剣を握る。被告は持久戦があまりにも長かったので疲れてぶっ倒れた。フレッドも睡眠不足と退屈によって意識が遠のいていく中、その判定だけは確認していた。
原告側の勝利ということを指す旗と倒れて戦闘不能となってぬるっと終了したのを確認してしまい、大きなため息が出てしまった。およそ五時間。こんなに長い戦いも早々見ることはないだろう。他の観客も終わった終わったと背筋を伸ばして帰ろうとしている。
アナスタシアも何を見ていたんだろうというような妙でどこか悟ったような顔をしながら闘技場を離れた。




