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或る御者の旅  作者: 駱駝視砂漠
第五章
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第八十二話 記憶の花畑

 エルメイア共和国はミルリー大陸の中で五番目に面積が大きい。それ故に最南端から最東端に行くのには結構苦労するであろうことが予想できた。馬車を使って移動しようかとも思ったが、流石に馬も疲れているだろうから休ませてあげようと思った。


 アナスタシアに徒歩で行ってもいいかと尋ねると、


「いつ頃に到着する予定ですか?」

「いろいろな場所に寄り道して行くことを加味すれば夕方には到着すると思いますが……」


 二人はホテルの朝食を一緒に食べて話し合っていた。

 エルメイア大結界は国費削減のために観光地と居住地、それから首都近郊以外の場所には密度を薄くして張られているだけなのである。花畑は周りに住居もなく、なおかつ観光名所というわけではないのでほぼ張られていないに等しい。小型の魔物の攻撃を守れるくらいだろうか。


 少なくとも、竜などの攻撃能力の高い幻獣を相手にすればひとたまりもないだろう。アナスタシアはそれを聞いて、まだ残っているかと危惧していたが、そもそも五千年前も昔に咲いていた花が今でも枯れていないということは絶対にないと思うのだが。


 フレッドは彼女の目の前を歩いた。アナスタシアはるんるんとした表情で彼の後ろをスキップしながら歩いている。白いブラウスについているリボンと膝までつくような紺色のスカートがひらひらと揺れている。少し魅力的で蠱惑的だった。ドレスなんかよりもずっと素敵できれいだ。


 貴族の令嬢というよりもとても有名な研究者がお忍びで街を回っているような感じだった。なによりもエルメイア共和国を見るのが楽しそうだ。彼女はフレッドに花を見せた。紫色の、可憐な花である。


「これ、あげますよ。フレッドさんの瞳の色にそっくりだったのでとってきたんです」


 もっと豪華なものなら申し訳なくて絶対に断っていたのだが、花くらいなら、と思いフレッドは感謝の言葉を述べながら受け取った。


 小さな花がいくつかついて全体の大きな花を形どっている。フレッドはそれについての知識が全くなかったので彼女に教えてもらった。

 曰く、愛するという花言葉があるらしい。


 アナスタシアが顔を赤らめてそれを渡してくるものだから戸惑ってしまった。他の女性も割としたたかにアピールしてきて困ったことが多々あるが、彼女の行動に関してはそんなに嫌な思いはしなかった。まあ、当然追跡行為は嫌というよりも恐怖の方が強かったのだが。それでも、愛らしい彼女の行動に思わず微笑んでしまった。


 フレッドの笑顔を見て彼女も笑顔になり、彼から目線を逸らす。

 彼女が視線をやった先にあったのは美味しそうな菓子が沢山置いてある場所だった。


「見て下さい!! あのフレッドさん、入ってもいいですか?」

「もちろんです。ご自由にどうぞ」


 フレッドは表情や声には出さなかったものの、内心では菓子の店に行けることがとても嬉しくて楽しみだった。甘いもの主義なので自然と口角が上がる。


「フレッドさんも甘いものが好きなんですか?」

「ええ。脳が回復する感じがして集中できるんです……あとは美味しいですからね」


 はにかんだようにフレッドが言うと、アナスタシアも共感してくれた。知り合いに大の甘党がいるらしく、彼から勧められたスイーツを食べていたらいつの間にか彼女自身も甘党になっていたとか。紹介してもらったスイーツはもう今はないが、それでも味を鮮明に覚えているという。


 二人は一緒のものを注文する。氷菓とでもいえばいいだろうか。エルメイア共和国の夏は暑い。なので夏にぴったりの氷菓を頼んだのである。


 フレッドは甘いものを食べることはあれどキンキンに冷えている菓子を食べることはほとんどないので貴重な体験だった。最近では氷室なる氷の貯蔵室が魔物に襲われて破壊されたということが世界各地で起きているようなので、全世界で氷不足が発生しているのだ。


 冷気をつくるような魔術師はそこそこいても氷そのものを造ることのできる人はほぼいないので、氷不足に拍車をかけている。だから、チル=ゾゴール連邦王国にある分厚い氷城壁は天才のそれまた天才が作った世界七不思議のひとつだ。


 氷菓を食べたら必ず起きる現象。それは頭が痛くなるというものである。二人で頭が痛くなりながらも料金を支払って店を出る。二人は次の寄り道場所を探した。



「フレッドさん。花畑に到着するまであとどれくらいありますか?」

「そうですね……おそらく十五キロほどかと」


 アナスタシアは絶望したような顔だった。確かにあと三、四時間ぶっ続けで歩くとなるとそんな表情になるのも仕方ないことだった。


 外は暑いし観光名所も多いので人口密度も高い。挙句の果てに休憩できる場所はほとんど満員だったので休めそうなところはすでにないのだ。


 フレッドも少々疲れていたが、アナスタシアは外に出ても散歩で二キロ程度歩くことしかないらしく、フレッド以上に疲労の色が見えた。顔色が悪く、心配になったので休憩するかと尋ねたら彼女は張った声で大丈夫と答えた。フレッドは疲れ切った彼女の首筋に手をそっと近づけた。

 アナスタシアがちょっとだけ回復したように背筋を伸ばす。


「……今のは?」

「かなり疲れていそうだったので暑さを無くすために冷気を当ててみたんですけど……無駄でしたか?」


 彼女は首をブンブンと横に振る。夏の暑さだけでも消してくれるだけでありがたいのだ。


 リャーゼンはチル=ゾゴールのあるニーア大陸に近い場所に位置しているので、基本的に寒冷な気候をしている。国から出たことのない人は暑さに耐えきれないのだろう。彼女は癒されると小声で言いながらフレッドの手を彼女の首に当てた。そのとたんに顔を赤くして彼の手を放す。


「ごめんなさいっ。その、勝手に触れてしまって」


 そんなのんきな会話をしていると最東端エリアまでは残り十キロとなった。


 アナスタシアは最近に五賢人になった家の長女で美しいので周囲からたくさんの視線を注がれた。チェルノーバ家はもともと没落貴族とも言われていて社交界にも一切顔を出さなかったから、人に見られるということはあまり慣れていないのだろう。


 彼女はフレッドの後ろに隠れる。見ているのは男性が多く、アナスタシアに優しい視線を送ると同時にフレッドに敵意を抱いているであろうことがありありと分かった。


 フレッドは見られて恐怖心を抱くということはないが、視線から読み取ることのできる殺意があまりにも多すぎてどうしようか迷った。


 エルメイア共和国には男性の冒険者が多いという統計を聞いたことがある。魔物が多いので討伐目的だったり使い魔にする目的もあるのだろう。


 その魔物も物理でごり押さないといけないタイプが多いので力が弱い傾向にある女性は好んでこの地に来たりはしないのだ。


 魔術の有名な神聖バグラド帝国を筆頭にリャーゼンやテーリア共和国に訪れる人が多いらしい。


 とにかく、女性が主体となったパーティがほとんどいないため、美しいアナスタシアは当然注目の的となった。


「前はこんなんじゃなかったのにぃ……」


 アナスタシアがぼそりと呟く。彼女が注目の的にならない国とは一体どれほどの美形が集まっているのだろうかとフレッドは気になってしまった。


 彼女はフレッドの袖にしがみつき、決して離さないようにする。こんなに強引に異性に触れ合ってはいけないのだが、どうやら彼女は貴族というよりも平民に近い感覚のようだ。金銭感覚もまともだし少なくとも悪い貴族ではない。


「フレッドさんごめんなさい……こんな盾みたいにしてしまって」

「いいんですよ。こんなに視線を集められたら怖いでしょうし分散させましょう?」


 彼女はとても人見知りだった。他の人が話しかけても小さな声ですみませんとしか言わない。フレッドが気遣って一人一人に断っていくとまた小さな声でありがとうございます、という返事が来た。


 アナスタシアの、フレッドを覗くような目を見てしまったら顔が赤くなってしまうということがわかったので見ないように頑張りながら残り五キロの地点を超えた。


 流石に五キロもついてくるような人はいなかったのでアナスタシアは惜しい顔をしながらもフレッドから離れた。

 そばにいた時はずっと緊張した状態だったのでフレッドもほっと一息をついた。アナスタシアは頭を下げる。


「ほんっとうにごめんなさい!! 私のせいで迷惑をかけてしまって」


 いえいえいえ、とフレッドは横にブンブンと手を振る。全然気にしなくてもいいようなことだったから謝らないと思っていたが想像以上に礼儀正しいのかもしれない。ストーカーしていた人だとは思えなかった。



 残り五キロ地点は閑散としていて魔術書の店や魔術道具の店などがあったがそもそもアナスタシアとフレッド以外誰一人としていなかった。


 魔術師や回復(ヒール)役ならともかく、魔術なんて冒険者にはまず必要がない分野だ。なるほど、だからこんな地価の安そうな場所にしか店舗を置けなかったのだと納得する。フレッドはアナスタシアに魔術道具店に入るかを尋ねた。


「……私ですか? 私は大体知っていますし学ぶ必要がないので良いんですよ」

「そうですか」


 もっと謙遜したような言葉で断るかと思ったが、まさかすべてを知っている発言が出るとは思わなかった。だが、彼女の言葉には妙な説得力があった。


 全てを知ってなお何かを諦めているようなそんな悲しげで虚しい表情を浮かべている。なぜ彼女がそんなに悲しい顔をしているのか、フレッドは分からなかった。きっとフレッドよりもずっと高度な悩みを抱いているのだろう。そうするとフレッドには解決案を提示できるはずがないので黙って花畑の方まで歩いていった。


 その花畑はきちんと『花畑』として存在していた。というのも、数年前の幻獣襲撃はエルメイア共和国全域に被害を及ぼしたため、花畑もその例だと思っていたのだ。


 一キロにもなるような広さの花畑がたったの数年で復活するはずがない。つまり、ここはほとんど被害を受けていないということである。


 アナスタシアはパッと目を開き、花畑に駆け寄った。フレッドも彼女について行くと、久しぶりと独り言で呟いた。

 二人の物理的距離では絶対に聞えないであろう言葉。しかし、フレッドには鮮明にかつ感情的に彼女の言葉が聞こえたのだ。アナスタシアの感情が伝わって来てそれに違和感を抱くどころではなかった。


 彼女は座っていただけませんか? と彼女の目の前にある花がない場所をポンポンと叩いた。ちょうど二か所、アナスタシアが座っている場所とその前だけ花が咲いておらず、人間が丁度座れるくらいの面積に草が生えていた。フレッドは彼女の要望に沿ってそこに座る。


 小鳥がさえずり、近くにあった綺麗で透き通った川が流れていた。きっと、これより幸せな世界はないだろう。

 アナスタシアは目の前に座っていた。彼女は夕陽を斜めから受け、金色の髪が燐光の如く輝いている。


 彼女は黙々と、しかし嬉しそうに花冠を作っている。フレッドは彼女の頬に手を添えた。意識的ではなく、何も考えずにその行動をしたから、フレッドはとっさに手を離した。アナスタシアは上目遣いでフレッドの方を見つめる。


「どうしたんですか? 何か寂しかったりするんですか?」


 フレッドの体が硬直した。魔術的なものの介入によって硬直させられたのではない。

 圧倒されるような驚きだった。


 ()()()()()()()()()()()()


 どこでこんなものを見たのかは明確に覚えている。何よりも衝撃的な経験だったから忘れるはずがない。


 セレンの付き添いだった時にエルメイア共和国を訪れ、出会ったファウストの手に刻んである花の紋様を見て気絶してしまい、それからこんな夢を見たのだ。情景はほぼ変わらない。あまりにも似通った点が多すぎてフレッドでも流石におかしいとなった。


 この一致度であれが普通の夢とはいえないだろう。となると、予知していたことになるが、優秀な神官や研究者レベルで専門職でないと未来予知なんてできない。

 なぜこんなことが起きているのだろうと思いながら、彼女が花冠をつくっているところを眺めた。

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