第八十話 新しい旅
フレッド達は館を出たのちに今が屋敷の中に入った日と何ら変わっていないことに気づき、再びいろいろな場所を回ってスカーレットの布教を手伝った。屋敷の中からは確かに日が昇ってそして沈んでいたのだが、結界の中の景色なんていくらでも操作できるからヘレナあたりがやったのだろう。
スカーレットに魔女はどうするのかと尋ねると、彼女は屋敷の跡地に教会の人間を呼んだから心配することはなにもないと言っていた。
魔女はなにをどうやっても殺すことができないが、それを使って無限拷問でも行うのだろうか。とにかく、悪いことをしている魔女だということがわかったのであまり罪悪感は湧かなかった。
残りの数週間も終わり、そのまま神架教の総本山に戻って行ったスカーレットを見送ってから二人もリャーゼン皇国に戻ってきた。
ハイデマリーが元の職場に戻っていったのを確認して、フレッドも勤め先である御者組合まで馬を走らせた。
* * *
フレッドが組合の入り口の扉を開けると、場が騒然とした。遅刻をしたわけではないだろうし、なんならいつも通りに帰ってきたはずなのだが、いつもより向けられる視線が多い。なぜそんな目で自分を見るのかと不思議で仕方なかった。
要人からの依頼だったので完遂させたことを組合のリーダーに報告に行くと、彼女にもなぜそんなに堂々としていられるのかと彼女に質問される。眼鏡の奥にある瞳は普段、冷徹な視線を注ぐことが多いが、この日に限ってはフレッドを心配しているようだ。
何も知らないフレッドは彼がいない間一体なにがあったのかを彼女に聞いた。
曰く、また同じ貴族の令嬢から依頼が届いているらしい。もちろん断ろうとしたのだが、今回はいつもと違って三カ月という短期間のようだ。疑問に思いながらも依頼状を読み上げようとすると、思わず声が出てしまった。
見たことのある文字。フレッドが幽霊街にいたときに何十枚と送られてきた手紙に書かれていた懐かしくもおぞましい文字である。
刷り込まれるかの如く見ていたものだからひぃっ、と声を上げた。しかし、彼女は最近五賢人になったチェルノーバ家の一人娘で、フレッドのような一介の平民が断れるわけがないのでなくなく引き受けることになった。
組合のリーダーが命の危機を感じたら逃げてきてもいいといってくれたので少しだけ楽になったような気がする。
旅の開始予定日は今から二週間後だと言われたのでさっさと準備して思う存分休憩しようと試みた。この期間は『準備期間』という名のただの連休なので休みが増えて嬉しい、とフレッドは感情を包み隠さないでいた。まあ、これから精神が削られていくかもしれないのでリーダーが配慮してくれたおかげもあるのだろうが。
どうやらアルベルトがこっそりとリャーゼン皇国に来るらしいのでフレッドも彼と一緒に観光しようと誘った。
楽しみにしていたのをしっかりと目撃されていたようで、レオンハルトに怪訝な目で睨まれてしまった。
「フレッド、そんなに嬉しそうな表情をするのは珍しいな。何かあったか?」
「あっ、うん。友人が皇国に来るらしいから一緒に回ろうって」
「いいなぁ。俺はこの国出身だから小さい頃から見続けているけどフレッドは外から来たし仕事も忙しいから国内を回る期間はないよな」
「そう考えてみればそうですね……地図で見る以外は皇国のことはあまり分からないから」
自分の身の回りにあるものは忙しいからかあまり目を向けることが出来なかった。それよりももっと外にあることにばかり目を向けていたので初心に戻って自らが住んでいる場所を観光してみるのもいいかもしれない。
レオンハルトに手伝ってもらいながら準備を進める。
「それより、どうするんだよ。あれはもはやストーカーの域だよな? 殺されたりしたらどうするんだい?」
「うーん。怖いですね……」
「あくまで他人事みたいだな」
フレッドは実害を手紙以外で感じたことがないからあまり危機感が湧かなかった。もし実際に見てみてヤバそうな人であればすぐに逃走するつもりだと伝えるとレオンハルトは苦笑していた。
もう少し危機感を持てよ、とフレッドに忠告する。
「けど精神的におかしそうな人だったら恐ろしいから事前調査くらいはしておいた方がいいぞ」
「分かった、ありがとう」
フレッドは三時間ほどで三か月分の準備を終わらせると、今度レオンハルトに奢ると言って外に出た。
「遅刻するなんて珍しいね」
「ごめん。友人との会話が少し弾んでしまって」
アルベルトはローブのフードを外してフレッドに手を振る。とても懐かしい。じつに一年ぶりくらいだろうか。
彼がセリヴァン公国から逃げ回っていた時に一応皇国にいたものの、たった数時間くらいしかいなくてしかもバレないように走っていたのでほとんど見ることが出来ていないのである。
彼はとてもキラキラとした目でリャーゼン皇国を眺めていた。プリヴェクトまではいかないとしてもそれなりに技術は発展しているかつそれでも歴史的街並みは千年くらい前から変わらずに存在しているため、観光地としても世界的に有名なのだ。
「自分、昔からリャーゼンに来てみたかったんだよね。写真を見て感動したからさ」
「確かに。こうやって立ってみると感慨深いものがありますね」
あらゆる建物が壮観で悲しいほどに無慈悲に感じてしまった。千年も前に建てられたものが遥か長い時を越えた今、さも当然かのようにそこに聳え立っている。
今、フレッドの近くにはずっとこの土地を見続けてきた建物があるのだ! これほど感動的なものもそう多くはないだろう。
アルベルトも首を回していろいろな場所を眺めては感嘆している。
ただ、それだけだとどうしても暇になってしまうので近況のついて話し合った。
「聞いたところによると、最近小説が売れているらしいね」
「らしいって……すごい他人事だよね。というか送ったはずなんだけど読まなかったのかい?」
フレッドは少し顔を紅潮させながらアルベルトの方をじっと見つめて言う。
「僕がモチーフになってるって聞きましたよ。そんなの恥ずかしくて読めるわけないじゃないですか」
アルベルトからは話に入れていいかと言われて脳死で許可を出したが、まさかあんなにがっつりと出されるとは思っていなかった。新作を出したら読むかもしれないが、フレッドがモチーフになっているものだったら絶対に読まない。そう心に誓ったのだ。
ごめんごめんと言いながら、アルベルトはフレッドの最近についても聞いてきた。
「僕は……ついこの間の依頼で幽霊屋敷に行ってきましたよ」
「……副業?」
アルベルトが驚くのも仕方がないことだ。御者をしていて幽霊屋敷というベストオブ心霊スポットに『依頼で』行くという人はどれくらいいるだろうか。実際彼はなにを言っているのか分からないと言いたげだった。
「雨宿りをしていたらその屋敷に幽霊がいたんですよ」
「こわっ。取り憑かれてない?」
幽霊のことを怖いとか何とか言っているが、アメリアと話しているあたりはアルベルトも幽霊が大丈夫な類なのだろう。
詳しいことを聞かせて、と詰め寄られたものだから一から十まで詳細に話していたところだった。
フレッドはアルベルトの荷物持ちになっていたため、それが歩行者の女性にぶつかった。フレッドもそれによって前に転んだ。彼はすぐに立ち上がって彼女に手を差し伸べる。
「大丈夫ですか――」
「フレッドさん……ですよね?」
「えぇっと……合っているんですけどどうしましたか?」
女性はずば抜けて美しかった。美しい金髪を靡かせて金眼をフレッドの方に注ぐ。しばらく見つめ合っている時間が続いた。
フレッドはその瞳に吸い込まれるかと思うくらい儚げで魅力的で全てが完璧な。綺麗な微笑みは拒まずフレッドの方をずっと捉えている。息が出来なくなるくらいに見つめていたところ、異常に感じたのかアルベルトがフレッドに話しかけた。
「大丈夫? ……ってアナスタシアさんじゃないか」
「あ、アルベルトさんこんにちは。フレッドさんと旅行でもしていたのですか?」
「そうだけど。それにしても五賢人がこんなところを一人で歩いていて良いんですね」
「うふふ。ボディーガードはついてくれているから大丈夫なのよ? それにしたってここにセリヴァン公国の人が追ってきているかもしれないというのにそちらこそ大丈夫でしょうか?」
至って普通(?)の会話だったが、二人からは若干棘が感じられた。アルベルトもアナスタシアもかなり時間が経って馴れ馴れしくなれないのだろう。
フレッドも他人事のように二人を見ていたが、よくよく考えれば『五賢人の娘』といっていたではないか。赫夜とダリアには絶対に子供なんていないだろうし昔からいた二人の家にはここまで麗しい人がいるというのは聞いたことがない。
となると消去法的にチェルノーバの家の娘ということになる。そうすると今回の依頼人であり、あの大量の手紙を送った人物だということだ。
その美しさからは想像もつかないようなえげつなさでフレッドの精神を追い詰めていたのだ。
何も悪いことをしていなそうな純粋な瞳でフレッドだけを見つめている。アルベルトなんて視界に映してすらいない。
当のアルベルトは異様な雰囲気を感じ取ってフレッドに話しかけた。
「本当にどうしたの? アナスタシアがそんなに怖い?」
「違うんです……幽霊街のときに出てきた手紙の送り主が……」
「手紙ってあの大量にあった――」
「フレッドさん分かっていたんですね。よかった。気づいてくれなかったらどうしようかと思いましたよ」
殺気や恨みつらみというのはないように感じた。というのも、負の感情というより行き過ぎた愛情などに近い気がする。
アルベルトが相当心配してくれていたので彼女がストーカーではないかということを話すととても驚いていた。フレッド以外には見向きもしなかったことから本当に異性に興味がないのだろう。流石に気まずかったのか、アルベルトはフレッドの手を引いてアナスタシアのところから離れてしまった。
彼女はとても悲しそうな表情をしていたがフレッドは青ざめていたのでそれを気にする余裕もなく逃げるように走った。
「気分は悪くなってない?」
「大丈夫だよ。ありがとうアル君」
アルベルトは怖い目つきをしてこちらをみていた。彼も幽霊街のときに送りつけられた大量の手紙を目撃しているのでその犯人が知り合いだったということにショックを受けているらしい。しかも雰囲気からしてやばいと感じ取れたので咄嗟に逃走という道をとったようだ。
「あれで三カ月も一緒に旅するとか……本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だと思いたいんですがねぇ」
彼女はストーカーであれど五賢人の家の生まれなのである程度ここからはしてはいけない的なボーダーがあると信じたい。まあ、そんなものがあれどもストーカーをしている時点でそのボーダーはあまり信じられないのだが。
フレッドはバッと後ろを振り返る。彼の後ろは住居が多いので観光客はほとんどいない。今の確認によってアナスタシアとやらがいないことは確認できたので忘れてさっさと観光しようという話になった。恐怖体験で早く忘れたかったのかアルベルトも素早く頷く。その後しばらく二人でリャーゼンのいろいろな場所を回った。
* * *
一週間があっという間に過ぎ、ついに依頼を引き受ける日がやってきてしまった。フレッドは覚悟を決めるために深呼吸する。
それが終わったあと、いつ身の危険に迫ることをされてもいいようにナイフを十数本持っていった。
目の前に立っているのは可憐な女性。ただ、彼女がどれくらい恐ろしいのかは計り知れない。
「目的地を教えていただけますか」
「それじゃあ――」
そう言って彼女はゼネイア独立島にある世界樹の森に連れていくようお願いした。ただし、それだと絶対に三カ月持たないのでミルリー大陸の指定した場所を回るという条件付きだった。
予想以上に普通だったので快く引き受けた。
馬が走り出し、風を切り裂いていった。




