第七十七話 蟲毒
「だっ、大丈夫ですか!? えっと……」
「食料ならここにあります」
フレッドは男の方へ駆け寄ったスカーレットにパンを差し出した。たったの一切れだが、その男はとても幸せそうに食べている。さすがにこんな状況でなぜ地下に閉じ込められているのかを聞けるはずもなく、とりあえずは彼が食事をし終えるまで待ち続けることにした。
「あの……とりあえず外に出ませんか?」
「嫌だ……外に出さないでくれぇ!! 死にたくない!!」
彼の拒み具合は異常だった。牢獄のような場所に閉じ込められているにもかかわらず、どうしてそんなに脱出したくないのだろうか。
「すみません。できればなぜあなたがここにいるのか、教えてくれませんか?」
「あの女が……あいつが俺たちをここに誘拐してきたんだ!!」
なんだか一気に事件性の増した話になってきた。というか、そもそも屋敷を脱出するために殺人事件の犯行方法や動機を考えるなんてことをしている時点で事件性も何もないのだが。
日の光を浴びたいはずなのに、促してみても男はずっと嫌だとしか言ってくれない。
男は百年前くらいからずっと生きているらしい。しかし、誇り高き魔女でもなく赫夜のような不老不死でもない。赫夜は薬を飲んだと言っていたが、それとはまた別の『禁忌』というべきだろうか。生命の崇高さを、尊厳を全て踏みにじるようなものだという。
彼はただ狂気のせいで生き永らえているだけだ。というのも、この牢獄には二十人くらいが閉じ込められていて、そのなかで殺し合いを行う。殺し合いの中で生き残った一人だけが人智を超えるほどの力を手に入れられる、と彼らを誘拐してきた女性は説明したらしい。
男は殺し合いで生き残り、最悪なことに変な力を手に入れてしまった。
狂気に晒されながらしかも呪いの影響がないので、時の流れと共に身体も成長してしまい、しかも変な力のせいで死ねに死ね無くなってしまった。ちなみに、年齢は百二十歳をゆうに越しているくらいだそうだ。殺し合いにおいては人を必ず一人は殺さないといけない、という制約があったため、少なくとも男も一人は人を殺しているということになる。
確かに、そんな人を牢屋の外に出してしまったら大量殺人犯となること間違いなしだろう。
そんなことを考えていると、『大量殺人』という単語が引っ掛かった。
「もしかして、ここに大量殺人犯が紛れ込んでいた――なんてことはないですか?」
「殺人犯……? ああ、ここはそんなことするやつばっかだから誰のことを言っているのか分からんね」
三人はただただ唖然としているだけだった。確か、百年前の死刑囚や無期懲役を服役している人が次々と失踪しているという話をフレッドはどこかで聞いたことがあるが、まさか本当にあった出来事だとは。
プリヴェクトにあるヴァスティス牢獄に収監されていた人がほとんどなのだから世界で一番厳重な警備を行っているあの牢獄に限ってそんなことがありえるはずない、と思ったのだが。
魔術では考えられないなにか不思議な力によって彼らは脱獄させられたのではないかと考えられていた……らしい。
「では警察から逃げていた殺人鬼もそれによって誘拐されていた可能性があるのでしょうか」
「あり得るかもしれんな。確か、あそこで見たこともないような人もいたから――」
であれば、殺人鬼は自らの意志で迷い込んだ――というわけではなく洗脳か何かの精神攻撃を施されてこの牢獄に入らされていた可能性が高い。
たくさん人を殺したとはいえ、こんなんで生涯を終わらせる人達も堪ったものではないだろう。
だが、男が言うにはほとんどの人がとても楽しそうに死んでいったらしいから、もしかしたら百年後の世界にいる三人の杞憂は必要ないかもしれない。
殺し合いで生き残った者だけが力を得られるという点でハイデマリーは共通点があるものを会挙げていた。
「まるで蟲毒みたいだな」
「蟲毒って――砂漠大陸に伝わる魔術のあれですか?」
「そうだ。あれは確か昆虫とかその類で行って、勝った奴だけが神霊と化し、その毒を採取して人を毒殺させるという呪いだったか」
フレッドはまさかそこと繋がるとは思っていなかった。ヘレナからは謎解きのヒントと言われて貰った『蠱術』の冒頭にあった方法がここにきて活かされるとは想像もつかなかった。一応ついてきてくれたアメリアもわお、と驚きの言葉をこぼしていた。
ハイデマリーのひとりごとで言った蟲毒という単語に男は反応した。
「そうじゃ、女はそんなことを言っておったかのう……遥か昔の記憶じゃ。あてにならんがな」
「いや、そういうのはとても助かる。女の特徴と他にも何か言っていたことがあれば教えてほしい」
男は女が陰気臭いというのと、いかにも魔術研究者っぽい、という感じの風貌だったらしい。百年も昔の話だから、多分――というか確実に死んでいるという前置きをして、女が死体の中にただ一人佇んでいた男を見て斬りかかり、即座に回復したのを見て「これで私も……」と意味深なことを呟いたとか。
女=狂った妻なのかは分からないが、フレッドでも彼女に第一印象で魔術を研究していそうだな、と思ったものだから地下牢に二十人くらいを閉じ込めたのは主人と喧嘩していた彼女だととらえてよさそうだ。
やはり百年という時を何もせず過ごすことは人間にとってとても辛いことらしい。この牢獄には殺し合うためのものしかなく、娯楽のものなどはすべて風化してしまった。
「その女性の方はなぜそんなことを行ったのでしょうか……なんてむごい」
スカーレットは神架教にずっと守られてきて、謀反しないように魔女狩りだったり異端宗教を信仰している人々を弾圧するなどえげつない行為は見せられていなかった。あくまで神架教の綺麗な部分しか見せられていないので、人が拷問される場面に遭遇することはなかったのだ。
「――おいそこの君、俺を殺してくれないか?」
「……え?」
フレッドは唐突に話を振られてえ、という一言しか発せられなかった。しかも殺してくれ、というお願いなものだから聞けるはずがなかった。彼の言っていることは即ち彼に人殺しとなれということである。
この世界に生きている限り、どんな人でも殺していけない。もし殺人が行われてしまったら逮捕される。
そんなことをフレッドが出来るはずがない。
「法で裁かれるかもしれないというのは分かっておる。だが、こうやって地下牢を訪れている人にこうやって依頼しているんじゃ……もしかしたら誰か殺してくれるかもしれないから」
長い時を生きていれば、大体の人が退屈になるらしい。魔女も赫夜も暇になって虚ろな目になっていた。それくらい、何か有効な時間をを過ごせなければ何の意味もないのだ。
武器を使ったとしてもそれで百年暇つぶしできるはずがない。
死なないことの辛さは旅をしていて退屈がないからあまり分からないのだが、それでも何かを待つことのむなしさは分かる。
それが何を待っているか分かっているならまだ耐えられるかもしれないが、地獄のような時間が待っているだけならきっと発狂してしまうことだろう。
「……ここでこの殺人を咎めるような人はいないだろう。辛いだろうから殺してあげたらいいよ」
「ハイデマリー! そんな……どんなことがあっても人を殺すのはだめだよ……」
「スカーレット、君たちの宗教は人の救済を目標としているんだろう? この人を救済するべきでは?」
「けど、それを救済と呼ぶの!?」
スカーレットはものすごく葛藤していた。確かに彼を殺すことによって彼に安寧がもたらされるかもしれない。しかし、神架教の教え的に魔物を除いた殺生を行うことはあってはならない。
神架教の象徴としての『聖女』をとるかそれとも人間として神様に選ばれた『聖女』をとるのか。
彼女にとっては一択しかなかった。
「……これで殺して差し上げたら地獄に行くことがないと言われています。人殺しの罪が許されるわけではありませんがせめて安らかに……」
スカーレットはそう言いながら聖女だけが持てると言われている短剣をフレッドに差し出した。
彼女は、男の救済を優先した。
もし死んだとしても二人は口外しないことを約束してくれた。
「死ななかったとしたらごめんなさいっ……」
フレッドは彼の首筋にナイフを当てて、さっと刃を引いた。その瞬間、首から血が噴き出した。それが回復することはない。それを十秒ほどで悟った男はとても幸せそうな顔をしていた。
ここに転がっている白骨死体も皆そう思いながら死んでいったのだろうか。死体を見たことがないスカーレットはぶっ倒れている死体に絶句し、ハイデマリーは戦いの中で死体の山を見たことだってあったのに、戦場で見たこともない幸せそうな死に顔で罪悪感が湧いていたようだ。
フレッドも死体を見て狂気に晒されない訳がないので、一度手を合わせてから地下牢を離れることにした。
* * *
夜になり、スカーレットは夕食を食べ終わってから部屋に入っていった。フレッドは一時間ほど仮眠をしてから待ち合わせ場所に向かった。
まだハイデマリーは来ていないようだったので、蠱術に関する魔術書を流れるように読んでいった。
『そろそろ謎は解けそうかい? なんとなく真実に近づいている感はあるんだけど』
「僕もそれは思いますよ。大体わかっているんです。ただ、なぜあの人が死んだのかっていう謎だけが分からなくて……」
『あぁーなるほど』
フレッドの考察としては、まず蟲毒が本当にあるのかということを殺人鬼死刑囚などなどを使って実験をし、あの男が本当に不死身の体になったことを確認したのちに貴族に向けて娯楽として殺し合いをしようと提案していたのだろう。自分が最強となるために屋根裏と地下を除いた屋敷一帯に結界を張って、それを蟲毒内の『壺』に見立てて。
そして決行当日、無事に成功してしまった。
妻以外の人が一斉に死んだとなっては館の主人が妻を疑わない訳がない。偶然屋根裏を見つけてそこで問いただそうとしたが、妻が主人を殺した。
ここまではなんとなく推理できたのだ。だが、それから後ろのなぜ女が死んだのかまでは分からない。孤独で生き残った者は力を手に入れられるという例が地下牢の男から出ているので死ぬという選択肢は絶対にないはずなのだが。
「すまない。結構待たせたかな?」
「いえ、大丈夫ですよ」
ハイデマリーが待ち合わせの場所に到着したので、二人は三階に向かった。
フレッドの時だけが例外という訳ではなく、夜になるとほとんどの霊が出払うらしい。残った霊も、三階を徘徊する訳でもなくフレッドたちと遭遇しても気だるげな視線を送ってくるだけで他の幽霊に報告をするということはしなかった。
「しっかし……本当にいないな」
ハイデマリーはフレッドとの待ち合わせ場所に行くまで相当な数の幽霊を見てきたから三階にはもっといるのではないかと緊張していたが、予想以上に閑散としていたのでびっくりしたらしい。
暇だったので世間話など色々なことを話していると、板が立てかけられているところにやってきた。
フレッドは慌てていたから板を立てかけ直すことは不可能だ。多分、幽霊が直したのだろうが、なんとも律儀な幽霊である。
ハイデマリーとフレッドで板を下ろし、上へとつながる階段を照らした。二人は目を合わせる。
「大丈夫ですか?」
「ああ、行こう」
そう言いながら二人は屋根裏にあるであろう真実を探しに出た。
きっと、謎を解明できるだろうという気を持ちながら階段を登っていく。
深夜の十二時の出来事であった。




