第七十五話 屋根裏の冒険
「本当におかしい。この屋敷どこを見てもフレッドさんがいないよ!!」
「心霊現象だと失踪事件というのもよくあると聞くのだが……」
「けど聖女の術式でもっても存在が感じ取れないなんてある!?」
「そもそも存在しなかった……?」
ハイデマリーが若干ボケつつあるが、スカーレットはフレッドのことを本気で心配していた。海賊のときも水中都市のときも絶対にいたのだから幽霊の館が魅せている幻覚では絶対にない。
土砂降りの雨の中、ここにたどり着いたのだからカーペットにシミがないかを確認したが、ずいぶんと経過しているからか、今日の夜に付いたと思われる汚れは見当たらなかった。
「しっかし……行きそうな場所は大体探したがいないな」
「今日はこれだけの収穫はあったし……一旦わたくしの部屋に置いてからもう一度探しに行きましょう」
これで幽霊なんかに襲われて証拠品の全てを奪われたら目も当てられない。とにかく、スカーレットは二階から一階に降りて荷物を置くことにした。
そして、スカーレットはなんとなく分かっていた。フレッドが三階にいるのではないかということを。
* * *
その階段はアメリアの推察通り、屋根裏部屋につながる階段だった。階段は梯子のような細いものではなく、しっかりと骨組みのある階段だった。
もし最初から見取り図になければもうちょっとオンボロなものだっただろうから家ができたときは設計図にも載っていたのだろう。
屋敷の見取り図の右端に『築百五十年』と書いていたものだからあまりの建物の古さに驚いた。少なくとも今の夫婦がここに住むまでは安泰だったのだと考える。
屋根裏部屋を使っていたと仮定すると、夫婦のどちらか、あるいは両方ここの存在を知っていたのだとしたら納得がいく。
屋敷の見取り図を簡単に書き換えられるのは主人とその妻くらいしかいないだろう。
『じゃあ屋根裏ってどんな風に使ってたんだろうね』
「さあ……人に知られたくない何かをしていたのは確定なんでしょうけど」
フレッドが階段を登っていると、ミシミシとという音があたりに響く。百年前に築百五十年ならいつ倒壊してもおかしくない。
さらに上へさらに上へと階段を登って百段くらいだろうか。屋敷の高さ的に百段なんてありえないということをフレッドは知っていた。よって屋根裏は屋敷の一部であると同時に異界であることに気づいた。
最後の一段。登り切るとそこにあったのは白骨死体だった。二人の骸骨が寝転んでいる。
「ひっ……」
『だいぶ腐ってる……けどそこまで古くはないようだね』
どうやら屋根裏部屋は屋敷の呪いの対象外らしい。現世の呪いならまだしも、異界で呪いを使える訳がないし異界にも対応できる呪いがあるとするならばその人はとっくに魔女になっているはずだ。
フレッドが確認したところ、男と思われる方は肋骨に損傷があり、女と思われる方には傷らしい傷が一切なかった。唯一あるとするならば、虫に喰われて右手の人差し指が欠けている。
三階の数えたくないほどたくさんの死体も含め、死体を喰らうような虫はいなかったから違和感を覚えた。
屋根裏部屋はどうやら誰かの部屋として使われていたらしく、机や筆記用具、もう干からびている紙など人間がここで生活している跡が見てとれた。
だが、寝具などはなくあくまで表向きではできない活動を行っているだけの部屋だと考察した。
「こんなところで研究していた人がいたんですか。とても窮屈そうですね」
『狭い方が集中できる――って人もいるみたいだからね。まあ、倫理的にまずい実験だったらこういったところで行うのは当然だけど』
アメリアはえげつない実験をして成功させてしまい、追われている人を見たことがあるらしい。天才という言葉では言い表せないほど頭がいいとのことだった。
そんなことは置いておいて、文字の癖がせいぜい百年前くらいのものだったので屋敷に住んでいる人の誰かだというのは明らかだ。先ほどの見取り図の件から考えると、横たわっている遺体は屋根裏部屋を知っていそうな主人と妻に限られる。
『これ、結婚指輪ってやつじゃない?』
「……そうですね。となるとやっぱりこの人達は館の主夫妻でしょうか」
そうは言ってもここにあるのはただ二つの白骨死体。誰も答えは言ってくれやしない。
しかし、この屋根裏に二つだけ死体が置かれているということは二人で対峙した可能性が高いのだ。だとすれば一人生き残っていてもいいはずなのだが、多分相討ちである。
『これをまとめて二人に話しちゃえばいいんじゃない?』
「いや……疑問点があるのでまだそこまではいかないですね」
フレッドが疑問に思っているのは、本当に相討ちだったのかという話だ。
もし同時に死んだのだとしたら男の方が一方的にやられている説明がつかない。どちらかというと女側の蹂躙に近い気がした。
夫婦の争いの幻覚を見たときも妻の方が狂っていたから、もしあれが本当に起こったことだとすると何かしらの理由で夫を殺害した可能性が高い。それだと妻は逃げてしまえばいいので、二人分の遺体が残っているのがさらにわからなくなってくるのだが。
『さすがだね! で、単純に考えるなら女の人が男の人の最期をずっと見ていたかったとか遺体を眺めていたかったとか……?』
「うーん。考えられなくもない」
アメリアは考察をしてみたものの、あまりに猟奇的だったので流石にありえないと考えたのだろうか。やっぱりさっきのはなしで、と発言を取り消していた。
だが、やばい人のような雰囲気が出ていたからそんなことをしてもおかしくないという考えもフレッドの中にあった。
主人の発言には彼女の行動によって多くの人が命を落としたと言っていた記憶があるので、間接的に彼女が殺しているという説もある。ただ、見た目年齢はとても若そうだったし、カリスマ性のあるような人には見えなかった。
逆に館の主人の方はカリスマ性があったように感じたが、どこか弱弱しい印象もあったような気がする。
何も見つからなさそうだったのでとりあえずオイルランプを机の上に置き、日記を読んでみることにした。屋根裏に続いているということはどちらかの日記である可能性が高いし、日常的に通っていた可能性もあるので日記の中に何か手掛かりになるものがあるのではないかと推測したのである。
日記を書き始めてから一日目。研究の成果や進歩などが淡々と書かれている。どうやら、館の主と結婚したのは研究の報告会で興味のある魔術を語り合っていたら好きになったかららしい。
その魔術はなんと砂漠大陸の魔術系統のようで、あまり研究されていない部類の魔術だったからとても嬉しかったということが日記には書かれていた。
日付的に、これを書き始めたのは凄惨な事件が起こる二年前だ。屋敷に来てからずいぶん経過した時に書いていたので日記――というよりは回想の方が適切だろう。そして、主と結婚したと書いていたことから、この日記の著者は妻だということが判明した。
この頃はまだまだ狂気に陥っていなかった。特に何事もなく証拠らしきものの在処も分からずに一年目の方を読み終えてしまった。
研究日記としてはとても感嘆すべき内容だったが、謎を解くことに関してはあまり向いていなかった。
フレッドはなんの変わり映えもしない日記に飽きてさっさと証拠を探そうと言うが、アメリアが咎めた。
『フレッド君、その考えは少々浅はかだよ。むやみやたらに探し回るより日記を見ていった方が早いと思うな』
「じゃあ……暇ですけど一応読みますか」
正直、フレッドはもちろんのことアメリアも思っていたのだ。彼女の書く文章は異常者のものではないと。脈絡もきちんとあって、文字も丁寧で読みやすい。
今フレッド達が見ていたページも、今日何を食べたか、飼育している虫の成長度合い、夫のいい所を書いたり平和そのものといっても過言ではなかった。フレッドが部屋で見た男と言い争っているような性格ではない気がしたのだ。
何なら、主人の方が彼女を殺害したのではと考えを改めようと思うくらいだ。
「これ、あと半年分ですよ? さすがに長くないですか?」
『飽き性だねー。次のページに行ったらいい情報があるかもしれないじゃん』
「貴女みたいに無限に時間があるわけではないんですけど……」
そう言いながらもフレッドのページをめくる手は止まらない。何かしらの異常がありそうなページだけ飛ばし飛ばしで見ていこうかな、なんて思っていたときだった。
二人の仲に突如現れるは沈黙。フレッドの手の動きが鈍くなった。
二人はめくった先にあった文字を刷り込むかの如くじっくりと眺めた。言葉も出せない。それほどの圧がある。
――呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ呪ウ――
見開き一ページに堂々とこんなことが書かれていたら誰でも驚くことだろう。つい昨日までは平和そのものといったことが記されていたのに。まるで人が変わったみたいだ。
次のページに何かあると期待していたアメリアは笑顔のまま硬直し、目だけをフレッドの方に遣る。
当のフレッドはなぜこうなったのかを考察しようとしていた。しかし、そんなことが出来るような状況ではなくなっていた。
『フレッド君、後ろ!!』
アメリアからそう言われ、咄嗟に背後を見た。そこには知っている顔――しかし知ってはいけない顔が一つ。フレッドのことを殺そうとしたあの悪霊が。
「なんでっ……まだ夜は明けていないはず」
フレッドは机の先にあった窓を覗く。太陽がいないどころか、月がまだ妖しく光り輝いているところである。
そもそもの話だ。幽霊全員が二階や一階に降り、朝になるまでは三階に戻ってこないと誰が言っただろうか。それは偶然中の偶然であって、もしかしたら誰かが帰ってくるかもしれないという最悪のケースまで考えておかないといけなかったのだ。
フレッドは後ずさりをしようとした。だが、後ろには机があって引き下がることは出来ない。
――逃げるしかない。
戦うという選択肢は元からなかった。心が凍らされそうになったとき、絶対に戦ってはいけないと本能的に感じた。
幽霊だって元々は人間だ。凶器を取り出して攻撃するそぶりを見せたら怯むと思ってフレッドは殺意マシマシで投擲用のナイフをぶん投げる。案の定、幽霊は数秒間硬直してからフレッドのことを追いかけ始めた。
フレッドが追い付かれるようなことはなかった。理由は単純で、この屋敷全体に転移禁止の魔術をかけておいたからである。なぜ幽霊が追い付けたのかというと、壁をすり抜けたり超常現象を魔力を使わずに引き起こしているからなのだ。
だから、魔術以外の不思議な現象を使ってはいけないというルールを課した。だから、幽霊も物理的にフレッドを殴っていかないといけない。
そうなればとても簡単な話で、手すりを滑って一階まで一気に駆け下りた。
あっという間に自らの部屋に辿り着き、扉を閉めて端的に詠唱した。一日目は扉を閉めていても侵入してきたのだから絶対に入り込まれないように、という意味での結界である。
フレッドが唱え終わったその瞬間に悪霊がドアノブをガチャガチャとしたが、一向に開く気配がない。
二人はやっと安心してベッドに腰掛ける。
『今日は寝た方がいいよ。絶対に疲れてるだろうしもしかしたら取り憑かれいるかもしれないから』
「さすがに今日は寝ますね……眠っ。あ、けどあの人が侵入してきたら――」
『大丈夫。そのときは私が戦ってあげるから』
アメリアがそう言ってくれたのでフレッドは寝ることにした。
夜はまだまだ続く。恐怖のあまりに眠れないかと思ったフレッドだが、思いの外寝ることができた。




