第七十話 霊のいる館
スファロヴ船長を撃破してからおよそ二十分後、ハイデマリーは足早に二人の所へ向かってきた。スファロヴ海賊団の実態は船長が指揮を執り、アンを含めた幹部がそれに従って戦いに向かう。そういう形式だった。
船長が弱い理由が分かって納得したもののあまり張り合えなかったことを残念に思っているとおーい、という声が遠くから聞えてきた。その声はだんだんと海賊船に近くなる。誰かと思ってフレッドが水面を除くと海の上にポツンと一隻だけ小さい舟があった。
それにのっているおじいさんが早くこっちにこい、といわんばかりに手招きをしている。フレッドには申し訳なさがあったが、生存優先なので海賊船から舟に飛び乗った。
ハイデマリーはスカーレットを抱っこして乗る。ハイデマリーの身体能力が高くないとなし得なかった業だろう。
スカーレットが舟に乗った時、老人は目を見開く。
「あぁ、君が新しい聖女かい。確かに本物って感じがするよ」
「今までは本物でない方がいたのでしょうか?」
「そうじゃ。十五年くらい前までは貴族の娘さんの中から一人優秀な子を見つけ出してその人を聖女にするという風習があってのう。じゃが丁度十五年前に入ってきた神官がそれはもう有能でな。彼が神官を務めていた五年前までは経済も安定していた」
「あの方でしたか。そういえば今は名前も聞かなくなっていますが――」
スカーレットと老人が淡々と話を続けていくなか、話を理解できない二人がいた。
「……ハイデマリーさん、二人が話している神官が誰か分かりますか?」
「私が神架教でないことくらいもう知ってるだろう。しかし、それほど優秀な神官がいるなら興味深いものだな」
ハイデマリーは話を聞くことを放棄して本を読み始めた。初対面の人に対してとんでもない失礼を働いているのではと思ったがお爺さんは快く許してくれた。だがフレッドはすでに関心を持っていたので聞いてみることにした。
曰く、その人はスカーレットを聖女候補に指名して突如消えたらしい。スカーレットが正式に聖女になったときだったら教会側も教えてくれるのではないかと思って何度も聞いてみたが『知らない』という四文字しか返ってこなかった。
「その方、わたくしと同じで平民だったんです。それで聖女候補として教育を受けていたときたまに屋敷に寄ってくれて……優しくて……」
フレッドは驚いた。スカーレットは上品で言葉遣いも綺麗なものしか使っていなかったからてっきり貴族だとばかり思っていた。そんなことは論点にすらなっていないが平民でここまで美しく振る舞えるのはもはや尊敬の域だ。
「わしも彼の話は噂程度でしかなくてね。どんな人だったか教えてくれるかい?」
「そうですね……第一印象は救われなさそうだなぁって感じでした。優しすぎて空回りしてしまうというか」
彼女の話で挙がったのはその神官は神とたくさん話すことが出来るということ、そして平民で差別されながらも実力だけで出世したということだけである。フレッドにとって神架教は遠すぎる存在だったので実感はわかなかったが、世界にはそんなひともいるんだなぁという一言に尽きた。
「もう六、七年くらい会っていませんが幸せになっているといいですね……ユーリさん」
彼女がそう言った瞬間だった。フレッドは眉を少しばかり動かし、ハイデマリーが本を閉じた。
ユーリなんてどこにでもいる名前なのに反応してしまったのが馬鹿馬鹿しい。フレッドとハイデマリーが顔を見合わせる。彼女もユーリが処刑されたことは知っている。
二人はどちらがファミリーネームを尋ねるかを視線だけで相談した。結果ハイデマリーの目力が強すぎてフレッドが聞いてみることになったが。
「もしかして、メンゲルベルクさんだったりしますか……?」
「よくわかりましたね! もしかして知り合いの方ですか? 今何をしているか可能な限りで教えてほしいのですが」
フレッドは言葉に詰まる。いざ言おうとしても彼女の純粋な瞳に負けて本当に言っていいのかと迷ってしまうのだ。しばらく悩んだ後、考えたことを口にした。
「ユーリ君はきっと幸せだと思いますよ。僕も五年前に見たっきりですが」
ハイデマリーがおい、という表情をしていた。確かに、真実をここで伝えなきゃこの後に誰かから語られるかもしれない真相に絶句してしまうかもしれない。それでもフレッドは言えなかった。
良かった、と満面の笑みを浮かべて言う彼女の安心しきった表情を見て罪悪感が湧いた。
「そろそろ陸地じゃ。聖女様、この老いぼれの話を聞いてくれてありがとうな」
「いえいえ、こちらこそ」
何事もなく三人は陸に辿り着くことが出来た。老人は高らかな声を出して離れていった。天候が悪いせいか、二十秒ほどで見えなくなる。
スカーレットが丁寧に手を振り始めたとき、ぽつぽつと雨が降り始める。そのくらいであればゴリ押しでなんとかなったのだが、雨が地面に打ち付けるようになってからさすがにまずいのではと思って近くにある建物で雨宿りをすることにした。
雨具は何も持っていなかったので早歩きをしながら丁度良さそうな建物を探していくが、海沿いということもあってかなかなか見つからない。たまに見つけても駄目だと言われてハイデマリーが発狂しそうになったが。
――屋敷を見つけた。とても大きな屋敷だ。海の近くにあるということは別荘だと推察できるが、夏のこの暑さで別荘に来ないのはおかしいと違和感を抱く。
「ごめーんくださーい」
スカーレットがゴンゴンと扉を叩く。続いてハイデマリーがブチ切れて氷の槍を屋敷の扉に何本も突き刺した。それにもかかわらず扉は壊れない。
そもそも雨風を凌ぐために泊めてもらおうと言っているのに扉をぶっ壊すのはこれ如何にと思うのだが。最後にフレッドが普通に開けた。そう、開いたのだ。しかも軽々と。
「暗いですね……どこかに照明がないでしょうか」
フレッドが扉から手を離した瞬間、ものすごい速さで扉が閉まった。異様と思ったスカーレットが扉を開けようとしても開かない。先ほど軽々と開けたフレッドが扉を引いても何の意味もなかった。ただ、ガチャガチャとしてうるさいだけである。
ハイデマリーが照明を付けてくれたおかげて不気味さは幾分か消えた。そしてハイデマリーは深刻そうに言う。
これ、とり憑かれるな……と。
* * *
彼女がそう言った瞬間に屋敷全体の温度が下がった。本来であれば湿度があってさらにミルリー大陸の北部は今夏なので暑いはずなのに体の芯から凍り付いたような寒さである。普通に考えると幽霊がいると考えた方がいいのだがハイデマリーが見るからに不機嫌だった。曰く、驚かす系のものも心霊系のものも大体でビビってしまうらしい。
逆に幽霊系が苦手そうなスカーレットは自信満々に立ち尽くしていた。神架教は信じる人を無条件で救うし聖女の聖なる魔術があるのでいくらでも相殺可能だと言っていた。
「どうする? とりあえず剣で切り刻んでいけばいい気がするが」
「ずいぶんと質量のある幽霊なんですね……というか経験上幽霊って怖くないものだと思うんですが」
少なくとも幽霊街で出会った人たちは皆優しかった、とだけ言った。ちなみに、幽霊街は『死んだ人もの』ではなくて『忘れられた人もの』が集まるので幽霊という条件に当てはまらない人もいたりするのだがフレッドはそれを知らない。
「けど屋敷に蔓延る幽霊って大体恨みを持っているらしいですよ」
彼女が言うには屋敷で起こった殺人事件の被害者になった誰かが怨霊となって館に出て呪いをかけ、それがさらに幽霊を増やすきっかけとなって結果的に屋敷の最初の幽霊に殺された死者が魂だけになって戻ってくるのが心霊屋敷らしい。つまり古いほどやばいのである。
フレッドは心霊で有名な場所という雑誌を鞄の中から引っ張り出してこの屋敷が入っているかを見た。
「どれどれ……アンダーソン家の悲劇ですか。うわっ、本当に出るんですって」
「へぇー。わたくし、昔から幽霊が実際に見えて触ろうとしても浄化されちゃうんですよ」
さらっと幽霊見える発言をしたスカーレットは置いておいて、問題はハイデマリーの方である。顔は青ざめ、正気を失っている。
彼女を治すためにはいち早く幽霊屋敷から出ることが最優先だが、雑誌を見る限りだと屋敷の秘密を自力で暴いていかないといけないようだった。
「とりあえず探索ですかね……? それじゃあスカーレットさんは右を探してください僕は左を探索しますハイデマリーさんはここで待っていて……」
「いや、多分一人になるのが怖いと思うのでフレッドさんが付いていてあげて下さい」
スカーレットはそれだけ言って右のフロアに消えていった。これだけ広くて謎を解くヒントが右にしかないというのは考えにくいのでハイデマリーと一緒に左のフロアを探索することにした。
「歩けますか?」
「……うん、ありがとう……」
「なぜ幽霊系が苦手になったかを聞いても良いですか?」
――あれは小さい頃の話だ、と彼女は話し始めた。
彼女は幼少の時でもすでに努力家だったようで、五歳の頃には訓練場に深夜二時まで籠って剣術の特訓を行っていたらしい。ある日の帰り道だった。
ハイデマリーはいつものように訓練を終えて家まで帰ろうとした。家と訓練場の間には森があり、そこを抜けないと変えることが出来ない。いつも怖がりながら帰っていたが、その日は森の雰囲気そのものが違ったらしい。
それでも強引に抜けようとしたとき、首筋にひんやりとした何かが触れた。何かと思って後ろを振り向くが誰もいない。気のせいかと思って前を見た瞬間。血まみれになった女性が首頂戴といって首を絞めてきたのだ。
ハイデマリーは抵抗した。絞められたのが森の出口付近だったから助かったらしい。
後日、新聞を見たらいつも通っている森で頭から血を流した首つり死体が見つかったようだ。遺体の顔を確認すると、ハイデマリーの首を絞めた女性にそっくりだったという。どうやら、首を掻き切られ自殺に見せかけられたらしく、森に入ってきた人を次々と呪っていく存在だったようだ。
「かなりえげつないですね……」
「それ以降心霊系がとことんだめになってね」
話を聞いていたがしょうがないことだった。逆にそんな恐怖体験を植え付けられてトラウマにならないような人はほとんどいないだろう。聞いたフレッドでさえも若干青ざめつつあるのに彼女はその経験を淡々と話している。
「あれはヤバかったよなぁ……命の危機を感じたからね」
「それはもう殺人未遂事件じゃないですか。親には言わなかったんですか?」
「自分の実力がなかっただけだ。だから多分今は大丈夫、な、はず……」
ハイデマリーはすぅぅと息を吸い込んで後ろを振り返る。何か気配を感じたらしいが、後ろには誰もいない。だが、彼女には見えていた。小さい少女の影が、ダンスホールで踊っている男女が。少なくとも恨んでるようには見えなかったのだが。
「いいですねーダンス。僕は平民だからこんな広い所で踊ったことはないですが……どうです? 一緒に踊りませんか?」
「嫌だね。こんな幽霊だらけの所で踊れるかっての」
フレッドは目を細めてダンスホールを見てみる。こんなんで幽霊が視えてしまったらとんでもないが、それでもうっすらと見えるような気がした。
「……? これはメモでしょうか」
「メモというより備忘録って感じだろう日記って書かれているな。八月三十日までの記録が書かれている――」
――夏の最後から二日にあの事件が起きた。誰もこんなことが起こるなんて思っていなかっただろう。なぜ『あの人』は狂ってしまったのだろうか。後世この事件を解明し呪いを解除する人のために出来るだけ書き残しておく。ただ、呪いに侵されていくだろうからたくさんを遺すことは出来ないだろう。
そんな前置きから始まった日記は数々の情報を遺してくれた。だが、肝心な犯人とその動機、犯行方法についてだけは何も書かれていなかった。
というか、メモの最後らへんが切り取られている。これはまた断片を探さないといけないということか。フレッドとハイデマリーは顔を見合わせてため息を吐く。まだまだ探さないといけないのかとだるい気持ちになった。




