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或る御者の旅  作者: 駱駝視砂漠
第四章
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第六十八話 十万人の大結界

「これで魔法陣は完成っと。これで自動迎撃できますね」

「あぁぁぁぁぁ……だるっ。ちょっと休憩――」

「だめです。ちゃんと働いてください」


 ハイデマリーは天才肌タイプなのか、自分のしたいこと以外は全く手についていなかった。というか門番は明らかに忍耐力が必要なはずなのだがそれを彼女に聞いてみると交代制だから休む時間は十分すぎるほどにあるらしい。ちょくちょくサボっているようでたまに問題視されていたようだ。


 フレッドの魔法陣が魔物討伐の役割を果たしてくれると力説すると黙って結界に向き合った。


「それくらいサボらないでやった方がいいですよ……」

「だって面倒くさいんだからしょうがないだろう」

「とりあえず、この五個だけ完成させたら休憩に入っていいですから」


 ハイデマリーが目をキラキラと輝かせた。控えめだが美しい碧眼の視線がフレッドに注がれている。彼女が自暴自棄になって結界を破壊しないようにフレッドなりに考えた結果、会話をしようという子供レベルの対処になってしまった。


「そういえば、あの魔剣はどうしたんだ? ほら、私の片腕を斬った時のやつだよ」


 ハイデマリーは魔術式を書き連ねていきながらも苦行にしないために気になっていたことをポンポンといい始めた。最初の質問がハイデマリーらしいなと感じながらも丁寧に答える。


「あれは特殊な時にしか持ち運びしません。ほら、今って焦る必要もないじゃないですか。あんなの持ってるだけで禍々しいですし重いですし」

「確かに……」


 フレッドとしては魔剣なんかを使うよりも魔術だったり小型ナイフを使った方が圧倒的に効率がいいと思っている。それにはハイデマリーも同意らしい。二人の意見はあんな重たそうなもの、よっぽど不利な状況で藁にも縋るしかないというとき以外は使わない方がいいという話になった。


 フレッドはなんでこんな話になっているんだと思いながらも魔術式の進行スピードに驚いた。脳死で会話をしていると手がすらすらと魔術式を書き上げてくれるらしい。


 その後しばらく質問だったり戦闘に関する話だったりを淡々としていき、二十分で残りの五個を終わらせた。普通であれば二時間程度、早くても一時間三十分くらいなのに。驚異的な速さである。


「終わらせたから。スカーレットのところに行ってくる」


 ハイデマリーのフレッドに対する嫌悪感はいつの間にかなくなっていた。それよりも、戦闘について一緒に語れる人だと認識されていた。少しルンルンとした足取りでスカーレットの方に向かう。そんな彼女を一瞬だけ見てそれから再び魔術式の作業に戻った。


 フレッドの集中力も切れ、彼も休憩に入った。ふと気になったので今、どれくらいの人が魔術式の立式に協力してくれているのだろうと魔術の接続人数を調べた。


「…………やば」


 あのフレッドが二文字しか発せないくらいの異常な人数であった。正確に言えば今、フレッドと一緒に作業をしているのは驚異の十万人。


 都市に住んでいるのが確か五十万人くらいだったから水中都市にいる五人に一人が魔術式の作業に取り掛かっているということである。簡単だが量のある魔術式だったり難しい魔術式を共同で解いているらしく十万の人と協力しているという気持ちが強くなっていった。


「やらなきゃなぁ」


 他の人達がとても頑張っているというのにフレッドは何もしない、というのはさすがに申し訳なさ過ぎた。他の人の負担を減らすためにもフレッドは単独で魔術式の立式に励む。


「おーい、スカーレットも連れてきたよ」

「とても疲れているようですね……ってこの式の羅列は頭が痛くなります……」


 スカーレットもフレッドの様子だったり結界に張り付いて作業を行ってきた人たちの様子を見て志気が下がっているのではないかと考えた。


 彼女は自らの頬をパチンと叩き、聖霊で魔法陣を描いた。魔法陣は実際に見えるものでないといけないが、見えてしまえばペンなどの書くものはもちろん、波だったり聖霊だったりでも代用できるのが便利なところだ。


「よしっ、魔力は満タン! 『回復(ヒール)』!!」


 ハイデマリーが綺麗、とこぼす。聖女の回復は世界最高峰の聖魔術だった。スカーレットは水廊を渡り歩いていき、フレッドよりも少し低い所に聖霊の魔法陣が配置する。そこから段々と回復の光がひらひらと落ちてきた。


 それに一回当たっただけでも体力だったり疲弊しきった精神を完璧に癒してくれる。こういった才能がスカーレットを聖女に刺せた所以なのだろう。彼女の耳には感謝の言葉が次々に聞えた。


「スカーレットさん、ありがとうございます。おかげで頑張れそうです」

「えっと、わたくしはそこまで魔術式に詳しいわけではないので実際に協力することは出来ませんが……頑張ってください!!」


 ハイデマリーもスカーレットを呼びに行く際に難しい魔術式を十個ほど手伝って脳の容量を超えたためギブアップらしい。それを聞いてフレッドは二人に耳打ちした。


「あの……もう少し人のいるところに行ってもいいでしょうか? さすがに一人でまとめきれる人数を越えているので」

「分かりました。ついてきてください!!」


 フレッドはスカーレットの案内通りに道を進んだ。水中を泳ぐと疲労につながるから移動は水廊を使っての徒歩である。もしかしたら、この結界事件においてもっとも役に立っているのは水廊かもしれない。


 水廊は水栄街を除く水中都市のほとんどの地域に張り巡らされている。そして、一番人が集まっているところに行くまでは三十分くらいかかった。


 フレッドは唖然とした。都市とそれ以外の面で五千人くらいは集まっているのだ。中には長年魔術を極めてきた人やとても有名な魔術師もいた。確かに、巨大都市の結界の設計に関われるとなれば嬉しいこと間違いなしだろう。


 スカーレットやハイデマリーの応援がありながら、先ほどと同じように作業を続けていた時だった。


「あの、この結界の『膜』をつくったのは貴方様でしょうか……?」

「はい。何かありますか?」

「えっと! ここの魔術式群なんですが、もう少し簡略化して九千万か八千万にすることが出来ると思うんですが」

「ちょっと待て。御者、今この人は魔術式が何個あるといった?」

「二百万といいましたね。それで、詳しく教えていただけると嬉しいです。もしよければ石板に書いて広めていただけると……」


 ハイデマリーが完全に放心状態になっていた。彼女が終わらせたのはせいぜい六十個くらいだ。まさか全体がハイデマリーの分の二万倍を超えているとは誰も思わないだろう。そして難解なものも多いため一人当たり八百個なんていうのも当てには出来ない。一つの魔術式に五人で十時間かけるなんてこともざらにあるのだ。


 だからフレッドのもとに来てくれた女性が提案してくれた魔術式の大幅削減に関しては興味がある。


「えっと、ここの魔術式は共通項があるのでこれをまとめて計算してしまえばいいと思います。あとは機械を使って同様に共通部分があるものを纏めると総合で八千万になると思います」


 フレッドが感心していると声が割り込んできた。


「待って! 多分六千万になるからこれも使ってみて下さい!」

「確か共通部分の計算に関する論文はすでに出ていましたよねっ?」

「データで観れる人はいない!? そうだ、うちから簡易的スパコン持ってきてるんだった!」

「自分今ケーブル持ってきてるからそれを結界に書き込んでいる人全員に見れるようにして!」


 フレッドは久しぶりに感動してしまった。ここにいる五千人が、ここからだと見えない九万五千人が。見えていなくて実際は分かち合えないはずなのに計十万人が一体となってつくりあげている気分になった。


 ある人は最新機器を、また人はほとんどすべての論文を、さらにある人は水上にいる魔術の専門家と通信を繋げるという人脈を。それぞれがそれぞれの得意な分野で成果を発揮している。血も滲むような努力をしてきた人たちが一斉に結界の作業に取り掛かっている。それだけで充分だった。


 フレッドは膜を張った本人として色々な人に呼び出されて協力したり難しい魔術式を共同で解いたりしていた。大きい音が水中に轟く。凶悪な魔物ほど魔術式の『匂い』だったり魔術式から発生する魔力を好む。結界には本来であればありえない、千万という単位が出てくるほどの魔術式が書かれているので魔物達も気になっておびき寄せられたらしい。


 フレッドが深海の最も浅い所に設置した魔法陣で出来る限り追尾しているが、フレッドの集中は結界の方にあるためなかなか対処できない。


「ああもう!! なんでこんなときに魔物なんて出てくるんだよ!!」

「フレッドさん、わたくしたちは魔物の討伐に行ってきます。ハイデマリー、行くよっ!!」


 頑張ってください、という励ましの言葉をかける暇もなく二人は飛び出していった。多分、ハイデマリーは作業を見ているだけでさぞかし疲れていたことだろう。ストレス発散で魔物討伐のパフォーマンスが上がること間違いなしだ。


 気が付けば遠くに位置する水栄街の人達からネオンライトで『頑張って』、という激励の言葉が送られてきた。上からはスカーレットの魔術である癒しの光、後ろを見れば励ましの言葉が書かれた灯り。そして前を向けば十万人の努力の跡。


 これを無駄にするわけにはいかない。そう思ってフレッドは一層のこと魔術式の計算作業にはいり切った。


 * * * 


「敵が侵入してくるのに秒で塵に変えられてるんだけど……なにあの二人」

「よく見たらさ、聖女様って人じゃない? もっと荘厳な人だと予想してたから見たときにまさかなぁって思ったんだけど」

「けど目つきが怖い人が聖女とかじゃなくてよかったよ。あの人だったらめちゃくちゃ愛着湧く」

 と、男性二人の宗教学者と女性の歴史学者が言っていた。


 三人組は神架教に入信していないらしい。曰く、歴史学者であればどの文化も平等に見るべき、とのことである。だから今はどこの宗教にも入っていないようだった。どの宗教、神話も愛すが故にどこにも入れないというのはなんとも可哀そうである。

 信仰していない理由が思っていたよりもずっと学問的な理由でフレッドは目を丸くした。


 研究職についている人はどんな魔術式が使われているのかを探ってはワクワクし、冒険者組合はブラックなところも多いので立式をするモチベーションはほとんど下がらなかった。


 フレッドも噂程度でしか聞いたことがないがどうやら危険で精神崩壊する可能性のあるダンジョンにニ十四時間ぶっ通しで籠るような組合のパーティもあるらしい。


 プリヴェクトの研究者たちが持ってきてくれた魔術式生成機械も併用しながら淡々と魔術に向き合う。そんなことが一日半続いていた時だった。


「すまない。六千万個の魔術式を解き終わったのだが、最後の一つは膜を張った本人でないといけないことが判明してのう……」


 眼鏡をかけた老人がわざわざ泳いでフレッドの所まで来てくれた。どうりで残り一つの進捗が遅いなと思ったわけだ。確かに最後の魔術式は最高難易度だったが一人ぐらい書き起こしていてもおかしくはないと不審に思っていたところだった。


「これじゃよ。これが儂らが即席で研究したこの式の法則性じゃ。これは魔術式の全体像の五分の一にも満たないだろうが……我々も最大限支援させてもらう」


 フレッドは十万人の手厚いサポートを受けながら着々と最後まで進めていった。最後の一つはたった一つにして結界を張るときにおいての重要度の九十パーセント以上を占めていた。つまり、フレッドだけで何千万とある魔術式を結界の膜に固定させないといけない。そのたった一つの魔術式がとてつもなくむずかしいのだ。


「そうだ。すみません、これって九千万から八千万に減らした時と同じ方式が使えませんか?」

「……なるほど、共通項でまとめるのか。だが持っていないときは――」

「あっ、教授!! 見えない数字で代用しちゃえばいいんだよ!!」


 フレッドが見たことある書物には存在しない座標を使って神様の世界を視たとかいうとんでもない人がいた。何が恐ろしいかってそれはノンフィクションだということだ。


「櫂を導き出させてる!! フレッド君、これを全ての式に代入してくれ!!」


 フレッドは石板に書かれた、たったひとつの文字を代入させる。すると、何千万の式が光りだした。


 フレッドの体から魔力が抜かれていくような感覚がした。結界は膜を張った者の魔力を使って成立する。よって、ニ十万平方キロメートル分の魔力勝負をしないといけない。


 神々しい光となりい、十万人分の気持ちを背負った結界はフレッドの魔力を奪おうと手招きし始めた。

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