第六十六話 水栄街の灯り
「なるほど。交番とやらで情報提供をしに来た男が警官によって殺され、今二人は追われているのか……思っていたんだが御者は前世が逃亡犯だったのではと思うくらい追われてる」
「貴女がけしかけたときもあったんですがね」
そんなことを初心者セットに入っていた水中バイクと並走していたハイデマリーが苦笑しながら話していた。ちなみに彼女にも水中補助セットを勧めてみたのだが、魔力を払うのはもったいないと一部海水を凍らせながらフレッド達についてきている。
魔力を払うのであればどちらも変わらない気がしなくもないが言うだけ彼女の気に障るのでフレッドは言わないでおいた。
ところで、とスカーレットが話を強引に変える。確かに今は食事の場にいるのだから物騒なことを話してしまえば都市に住んでいる人に怪しまれる可能性が高くなるだろう。
「ハイデマリーはわたくしたちがてんやわんやしていたとき何をしていたの?」
「普通に楽しんでいたよ。例えば、美味しい紅茶を買ったり水中にあったアクアリウムを覘いてきたり」
「意外と普通なんですね」
「『意外』とは失礼な。あとは賊の拠点らしき場所を破壊してきた」
フレッドとスカーレットがはぁ? と素っ頓狂な声を上げる。紅茶、アクアリウムときて三番目に紹介されるのが賊なのだ。しかもあれだけスカーレットが物騒な話はやめようと気を払って話を変えたのにもかかわらずハイデマリーは戻しつつある。
「浮力と腕のこともあって力加減が大変だったよ。それでさっきの続きだな。市警だと買収されてる可能性が高い――」
「いやいやいや! なんでそんなに普通な反応なの? フレッドさんだってめちゃくちゃ驚いてますよ」
フレッドは目をぱちくりとさせてハイデマリーのことを凝視している。彼女にしてみれば賊の拠点を破壊するのは容易いことなのだろうが、多分それはまともな感性ではない。
少しの時間彼女のことを見つめていたが彼女もまたフレッドのことをじーっと見ていることに気づき目線を逸らす。
さすがにここからほんわかとした方向に軌道修正するのは無理があったため、他の人から冷たい視線を注がれようが今後についての作戦会議を進めることにした。
「そうだ。ハイデマリーさんが騎士団に入っていた時はマフィアに買収されていたとかあるんですか?」
「あぁ、確か団長と私以外は金を貰っていたね。私たちの所には何故か金が入ってこなかったが……多分トップ二人が反社会勢力から金を受け取ったと分かれば国のメンツがダダ潰れになるからだろう」
彼女の言う通り、一番上というのは常にどこかから監視されているものだ。だから金の流れが怪しかったら徹底的に追及してくるだろうしもしそれで受け取ったのが不正の金だとバレれば国が混乱に陥る可能性もある。
その点、下っ端の騎士達に賄賂を贈っておけば全員が黙ってくれるし上手くすればマフィアに協力させることも出来るから目立つ二人には金を渡していなかったのだと思われる。
「しかし、騎士団全体でそのような雰囲気でしたらマフィア側からも少しは信頼を得られるでしょうし。何か情報があるのでは?」
「そうだな。確かにあの愚鈍共は金を受け取ってはしゃいでいたが私と団長は暇があればマフィア瓦解に取り組んでいたよ」
「……騎士団の中で亀裂はなかったんですか」
彼女の話によるとそれはもう鮮やかなまでにマフィアをぶっ壊していったらしい。全盛期のハイデマリーであれば可能なのかもしれないがそれにしたって容赦ない。
「まあ私達は金を貰っていなかったから口を閉じる必要もなかったし。国民の血税の一部から給料を貰っている以上国民を守るというのは騎士の義務だろう?」
言っていることの体裁だけは良かったが、要するに自分達だけ金を貰えなかったからやや八つ当たり気味に元凶を攻撃しているだけである。
だけ――というのは違う気がするが、門番のときも高額な金を払っていたら入国審査もなしに通してくれたからマフィアから金を貰っていたら多分マフィア側についていたのだろう。
彼女のお金好きっぷりを知っているのか、スカーレットは気まずそうに苦笑いする。
「マフィアは縄張り意識が強いと聞きますし水中にマフィアがいたとなれば今僕達を追跡している人たちで間違いないですね」
「……とりあえず、場所移動しませんか? 色々な方から視線を向けられていますし」
スカーレットは最後の方だけトーンを落として言った。彼女は聖女で注目されるのは当然だ。そしてその聖女がマフィアだか何だかの話し合いに絡んでいるとなれば神架教に対する心象も悪くなるだろう。
フレッドには聖女の可愛さから見つめていたり、神架教に入信していない人に防水加工された『架書』を渡す人が見えたりと一応宗教を広めることには成功しているように見えるのだが。
食事処を出ると、そこには綺麗なネオンライト。フレッドが正面以外の全方角を向くと懐かしさと新技術が融合した風景。どう考えてもネオンライトだけが異常だった。
「ハイデマリー、なんて書いてあるか分かる?」
「……蓬莱鬼国の言葉だというのは分かるけど……それ以外はなにも」
「ここはすいえいがいというようですね」
フレッドがネオンの看板を読み上げる。
ライトにはでかでかとした文字で『水栄街』と書かれていた。
スカーレットが街に住んでいる人に聞いてみるに、砂漠大陸にある国で有名な繁華街をモチーフにしたところらしい。そこは食事できる場所が多いが、ここはどちらかというと冒険者組合だったり魔術関連だったり。冒険をする人に向けたものだった。
だが共通点はあるようで、店の外観がごちゃごちゃした感じで整えられており、見る場所が多すぎて困る状態になるようだ。そして、裏の方に進んでいけば娼婦街と見間違えてしまうくらい風俗関連の店がある。このカオス感が砂漠大陸でいう繁華街らしい。
ミルリー大陸では夜になれば娼婦が道に現れ人を誘うことに必死になる、なんてことは当たり前だったがこの水中都市でもそれは同じらしく、というか水中都市は光が届かない場所がほとんどなのでいつも娼婦街に娼婦がたむろしているようだ。
怖いし不快だったので二人は水中バイクの速度を上げ、ハイデマリーは氷を作る速度を上げて娼婦街を通り過ぎていった。
水栄街は思った以上に不思議でかつ幻想的であった。最初は煌びやかなだけの喧騒とした街なのかなぁなどと思っていたが想像以上に気さくな人が多い。
水栄街の外観も変に陸の組合的な外観が一切なく、他の建物も含めてあくまでごちゃごちゃとした、というモチーフの建築物がすべてだった。
陸地ではあんな荘厳な雰囲気を醸し出している組合の本拠地はあっという間に酒場に変貌を遂げている。
どうやらフレッドの所属している御者組合も参加しているようでフレッドに話しかけてくる人が多かった。
だが、三人はマフィアと警察に追われている身。こんな人の多い所で駄弁っていたら流れ弾が飛んでくる恐れがある。苦渋の決断だったがバッサリと断って先に進んだ。
水栄街にはネオン以外にも光であふれかえっている。そんな光の数々、どうやって持ち運びしているのだろうなどと思っていたが、深い海にいる光る生物を放し飼いしているようだ。
既にルインレットがあるから『水の都』と名付けることが出来ないが、もし二つ名を付けるとしたらきっと光の街になるんだろうなぁと思った。フレッドが街に真面目に見惚れている中、ハイデマリーは絶句していた。
初心者用とはいえ水中バイクは扱いが難しく、後方を確認するのがハイデマリーしかいなかった。一定のタイミングで後ろを振り返ったとき、マフィアと警察が一緒に追い掛け回してきたのだ。正規構成員であれば目立つような行動はしないだろうから非正式な構成員なのだろう。
「……って、おい御者。警察がマフィアに協力体制を敷いていることを隠さなくなったぞ」
「許せません! さっきから優しくしていれば他の人に危害を加える恐れがある行動をしたり金のために動いていたり!」
珍しくスカーレットが憤慨した。それとともに水中バイクの動きが止まる。ハイデマリーが彼女を引き連れようと襟を掴むが、怒りに満ち溢れてハイデマリーの話を聞くどころではない。
「神よ。悪しき心の持ち主に鉄槌を!!」
聖女としての効果は抜群すぎた。普通の人なら何百回、何千回と祈っても絶対に君臨させることのできないような神をたった一回で地上に卸しているのだ。やはり先天的な素質というものがあるのだろうか。水中は爆弾が投げ込まれたかのように衝撃に包まれる。
聖女が呼んだのは海の中だというのにわざわざ天界からお越しになった神様とやらが口を開いた。
『この人達が悪――確かにそうらしいね』
神様が人を薙ぎ倒すには詠唱も動作も考えることすら要らなかった。ただそこにいるだけで金のことばっかり考えていた人たちが消えていく。本当に恐ろしいと思った。
フレッドは怖い、と思ったのだが、神様に対する好奇心が勝ってしまった。おそるおそる近くでふわふわと浮いている神様の表情を覗く。
「……?」
フレッドに見覚えがあった。ユーリが神様を召喚してフレッドを依り代としたときに幻覚か何かでちらついていたやつである。今考えてみればどちらも同じ一神教を信仰しているのだからユーリが信仰する神とスカーレットの信仰する神は当然一緒になるのだった。
フレッドを見つけた神様は懐かしい顔をみたと言わんばかりにフレッドの方に寄っていった。あまりにも神々しすぎる。まさに神。
フレッドはなぜだか苛つきが抑えられなくなって魔術式を書いていない単純な魔力だけで生み出された魔弾をポンポンと撃つ。神様はとても愉快そうな顔をしていたが、フレッドの撃った一発が神様に当たった。
舌の世界に住んでいる人とは違って血など流れないはずなのに、光が血のようにさらさらと流れる。
「フレッドさん、何やってるんですか!!」
「……っ!? ごめんなさい。無性に苛ついてしまって」
「庇う気はないが、確かにあの飄々とした感じは一発殴りたくなるね」
「ハイデマリーまでっ!! ここにいるのは聖女だよ! ちょっとは過激な発言を慎んで下さい……」
神は愉快げに辺りを見渡している。フレッドも釣られてぐるっと一通り見た。
明らかに建物が足りない。水楼ほどではないものの、その二分の一程度の高さがあった九十階建ての超高層ビル。あんなに陽気な街が不穏な雰囲気でざわついている理由にようやっと気が付いた。だが、神様は何でもないような様子で言う。
『あそこ――本拠地だったから壊しておいたよ』
神がおっしゃるには、建物は全壊。もはや塵になるまで災厄の雨を降らせ続けたらしい。そこにいたボス以外の人は全員虫の息だそうだ。
申し訳程度にぷかぷかと浮いている追手には驚いてしまった。神様曰く死んでも治すだけだから手加減するのは難しかった、らしい。
「……御者、あの神様についてどう思う」
「……問答無用でやばい奴に決まってるじゃないですか。いくら聖女のためとはいえあんなことを平然と行えるなんて……」
殺生を禁じているはずの神様が一番人を殺しうるんだな、というもはや禁忌にも近いものに気が付いてしまった。だが、本人によると殺生は後世の人の後付けのようだ。
それにしたって信徒かもしれない人たちを殺すことに容赦がなさすぎる。聖女であり神様と現世を繋げるための役割も果たしているスカーレットは手を合わせ、彼を天界に帰した。
神様がいなくなったことを確認してハイデマリーは忠告する。
「いいかい、スカーレット。この世界には星の数ほど宗教がある。どこを信仰してもいいと思うが、神架教だけはやめといたほうがいい。神様の思想が過激すぎる――というかもはや脳が筋肉で埋め尽くされているのでは?」
スカーレットは言い返そうとしたが、発言している相手が友人のため、なかなか言い返せないでいた。
フレッドは笑顔を取り繕いながら周囲を見てみる。神架教の神様が来ていたことは水栄街のほとんどが知っていた。何なら少し遠くにある水楼からも見えていそうだ。
魔力過多か何かで水栄街周辺の灯りが消えた。深海ということもあり、あれだけ煌々としていたネオン街のようには思えなかった。ハイデマリーが灯りの消えた光の街の中心部でぽつりとつぶやく。
「泊まる場所、探すか」
その提案を断る人は誰一人としていなかった。




