第六十四話 聖女の矜持
「あのー……もしかして水中探索は初めてなんですか?」
「はい。冒険者の方はこんなに過酷なこともできるんですね」
海中都市ができる前でも冒険者達は海の中にいる魔物を討伐するために潜水の能力を高めているらしい。フレッドは陸だけだから尊敬できた。
「海に潜るのは怖くてできませんよ……」
「確かに、最初は暗くて戦いにくいですけど。そのうち慣れてきますよ」
フレッドが二人にそんなことを言われながら一面がガラス張りの水楼から遥か下を覗く。すると、シスターの服を着ていて緋色の瞳を宿す女性が見えた。
何やら神々しい雰囲気があるから彼女がスカーレットだということは一発で分かった。双眼鏡を使って眺めてみたが、やはりハイデマリーはいない。
つまり彼女は護衛がいない状況である。
「あの方向には何があるんでしょうか」
「あっちには確かマフィアがいるって……あ、あそこに聖女様がいますよ! さっきの話でも聖女様が出てたから……もしかして好きなんですか?」
確かにスカーレットは優しそうでしかも容姿も抜群で有名人だ。そして他の誰にも媚びることがないのにもかかわらず誰に対しても笑顔を見せるから男女問わず彼女のことを恋愛的に好きな人は多いはずだ。
フレッドはやんわりと違うという旨のことを二人組に伝える。
二人は神架教の信徒らしく、尊敬の対象にしていた。何かを信仰できるってすごいなぁなんてのんきなことを考えていたが、先ほどの物騒な四文字を思い出して彼女たちに尋ねる。
「ちょっと待ってください。マフィア……って言ってましたよね?」
「はい。全ての冒険者組合のなかでも結構迷惑になっているらしくて……」
フレッドは組合のブラックリストを見た。有力な冒険者組合全体でも厄介に感じているのだからかなり有名だということが推測できる。結構有名ということは御者組合の方でもブラックリストに載っている可能性が高い。
ブラックリスト――といっても迷惑をかけすぎてもほとんどの人が載ることはないものだ。ではどんな人が対象になるのか、といったら旅先で殺人レベルの犯罪を行ったもの、組合の金を強奪したもの、そしてマフィアなどの反社会勢力に加担したり結びつきのあるような人たちである。
最初とその次は捕まるので当然だが、最後に関しては相当極悪な組織でないとブラックリストに載らない。
つまり、フレッドの持つ手帳に二人組の言うマフィアが載っていればスカーレットはとんでもなく危ない状況にある、ということだ。
スファロヴ海賊団は身代金のために彼女に傷一つつけなかったが、二人の話を聞いている限りだとかなり金は稼いでいるようだから彼らが聖女に傷をつけないという義理はなくなる。
フレッドはブラックリストと書かれた本当にページが黒く塗られている魔術紙をペラペラとめくっていく。ブラックリストや注意事項は更新が入るため、本部と連結する魔術紙になっている。フレッドは女子二人組と出禁にされているマフィアの数々を確認していった。
「あっ! これです、これ!! ミルリー大陸付近の島でマフィアが発生したと言われているからミルリアンマフィアなんて呼ばれているらしいですよ」
「このファミリーが元祖にして頂点だと言われているんです。魔力を使ったお酒が禁止された今では五大ファミリーが有名になって云々……って先生が言っていました」
フレッドでも流石に五大ファミリーくらいは知っている。一回だけ本拠地らしき場所を通ったが、絶対に近づいてはいけないという雰囲気があった。
女性の一人が指さしたのはゲルミーザイエ派閥と白い文字で書かれている場所だ。そしてファミリーのボスの顔だけが並べられている。なるほど、確かに彼らの顔は極悪そうだった。
顔だけで判断してしまうのはいけないというのもフレッドは分かっているのだが目を合わせたら拳銃で撃ち殺されそうなほどの風格を醸し出している。
「御者組合のやつかぁ……ってことは聖女様はお客様なんですか?」
「そうなりますね」
「なら早く行ってあげた方がいいですよ! 本当にまずいことになるかもしれないんで」
「えっと、ありがとうございます! 行ってきますね」
フレッドは女子二人組を尻目にもっと下の階層に向かってみることにした。
* * *
「うぅ……こんな物騒なところにも広めにいかないといけないのかぁ。どうしようかなあ、ハイデマリーもフレッドさんもいないし……」
「やあそこのお嬢ちゃん。何か困っているようだねぇ。良ければ相談に乗るかい?」
スカーレットの後ろに彼女よりも三十センチくらい高い、サングラスを着た赤髪でそれを編み込んでいる青年らしき人が立っていた。
あまりにも存在感が無かったもので、スカーレットはひぇあとビビり散らかした声を出す。そんな彼女にも青年は不快感を示すこともなくニコニコとしている。
フレッドはいつも微笑んでいたり柔らかい表情をしていたり――若干の胡散臭さはあるものの、それでも安心して一緒に旅ができるような人柄だった。ハイデマリーはちょっと冷たい雰囲気はあるが、スカーレットには普通に笑顔を見せてくれるし、フレッドとの言い争い(?)でも人間味があることに気が付いた。どちらも、一つ一つの行動に優しさがあったり妙な殺気が無かったりだった。
しかし、この男は違う。フレッド達よりも圧倒的に信頼できる表情なはずなのに感情が薄っぺらいというか顔が仮面になっているというか――。信用してはいけないと本能が告げているのだ。
スカーレットも似たような微笑みを浮かべ、のらりくらりと躱そうとする。
「あ、そうだ。この近くにさ、俺たちの家があるから一緒に行ってみない?」
「え、あの……」
「いいよね? ほらこっちこっち」
スカーレットは怪しいと思ってもそれを断ることは出来ない。何しろ、人の願いは必ずかなえてあげなさいという教育を今までさんざんされてきたのだから。だからいやです、という言葉よりも本当に断ってしまっていいのかという考えが脳裏をよぎる。
こんなに疑っていてもしこの人が普通のいい人だったらどうしよう。なんて考えてしまった。
神架教は慈愛の心を基本とする。悪人であれば疑ったことを神から許されるのだが、普通の人であったり善意で働きかけてくれた人を疑った場合は地獄に落ちるという言い伝えまであるのだ。
死後地獄に落ちるのは誰だって怖い。死後の地獄か現世の地獄か。スカーレットがビクビクしていると目の前の男の腕をガシッと捕まえる人がいた。
「スカーレットさん、この男について行こうとしてませんでしたか?」
「わぁっフレッドさん!! ……えっと、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。友人であるハイデマリーさんのためにもこれからは警戒しましょう……ハンカチ差し上げましょうか?」
「泣いてましたか……? ごめんなさい、もらいます」
スカーレットはフレッドから一枚のハンカチを貰った。目から零れでる涙を拭って再び男の正面に立った。
「わたくしスカーレットは貴方についていくことなどいたしません。どうぞお引き取り下さい」
スカーレットが男に向けて堂々と言った。フレッドは御者組合に書かれてあったブラックリストを見る。赤髪の男は一切載っていないからボスではないことは明らかだ。
だが、身元が割れているボスと同じタトゥーがある。そしてそれはフレッドが旅の途中で一回も見たことがないものだから彼はほぼ確定でマフィアだ。
フレッドはカメラを素早く取り出して男の顔写真を撮る。男は油断していたようでフラッシュに怯み、フレッドがブラックリストに現像するまで動くことはなかった。
フレッドは男の写真が載ったブラックリストを本人に見せる。
「これはまだ未公開段階です。もし貴方が戦いを放棄しなければこれを御者組合の全員が見れるようにします」
マフィアは秘密主義だ。活動内容、本拠地など全てが謎に包まれている。ボスの顔が割れているのが奇跡と言われるくらいだ。
であれば情報漏洩をした構成員はどうなるか?
そんなのは簡単な話だ。処刑される。顔が割れたらどうなるかの恐ろしさを知っているのか、男はしばらく悩んでいた。
「……決まったよ」
「そうですか。ならさっさとここを離れていただいて――」
「俺の情報を知ってるやつを逃す訳ねぇだろ!!」
男はブチギレてフレッドに掴まれてなかった方の拳を固く握って彼に反撃する。が、フレッドはなんとなくそのことを察していたので避けるのは簡単なことだった。
しかも、片手はフレッドが制圧していたのだからカウンターをするのはとても容易い。
フレッドは男の放った拳を難なく避け、男が重心を置いていた方の足を蹴って転ばせる。その瞬間に男にのしかかって腕を立てる。
「なるほど。そこまで公開してほしいんですね」
あそこまで忠告したのに、とフレッドはため息を吐きながら『公開』を示す魔術式を書き込んだ。たまに荒らし行為が見受けられるので組合の情報部が検閲しているらしいがフレッドは信頼度が高いし何よりもマフィアの情報なのですぐに広まることだろう。後は唱えるだけとなったとき、男は冷や汗を流して言った。
「ちょっと待ってくれ! ファミリーの話をしてあげるから!!」
「……? マフィアって情報漏洩に厳しいんじゃないんですか」
「俺は正規の構成員じゃないからさ、トンズラこいても何とかなる気がするんだよ」
「はあ……えっとじゃあ市警に話すのでお願いします」
男は完全にフレッドを頼り切っているようだったが、フレッドではマフィア壊滅とか男を庇うとかそんなことは出来ない。戦闘能力とある程度の頭脳くらいしかない一介の御者であるフレッドには警察に何かを言って組織の壊滅を願うことしか出来ない。
「俺は……捕まらないのか?」
「分かりませんが、情報提供者の名前は言わないでおきますよ。あと、個人的にマフィアからの報復を避けるのであれば捕まって保護してもらった方がいいかと」
確か証人保護のためのプログラムがあったか。それに認められれば名前や職業など顔や遺伝子を除いた一切を変えて余生を送ることが出来る。水中が本拠地であれば地上に出てくることはほとんどないだろうし安心安全である。
それを男に伝えると恐ろしいくらいにぶんぶんと頷く。投降してくださいとそれとなく彼に伝えると先ほどの攻撃をしてきた人間とは思えないほど単純についてきた。
スカーレットに、まずは警察に行ってもいいかと尋ねるとまたこちらもブンブンと首が痛くなるのではないかと思ってしまうほど超高速で頷く。
彼女としても自分を殺そうとした人を近くに置いておくのはさぞかし嫌なことだろう。まあ、誰でもマフィアを携えて観光するのは嫌に違いない。もちろんフレッドも面倒くさかったので最初に向かうことにしたのだが。
「この地図によると……ここを直進すれば辿り着くようですが」
「あぁ、早く行ってくれ。正規構成員にバレてしまえば命が危ない……」
「ちなみに、どんなことを話すんですか?」
「えっと――」
男が誰にも聞こえないよう、フレッドにこそこそと話す。内容的には正規構成員――正確に言うとメイドマンというらしいが――の名前と顔写真とそれから本拠地の地図を渡してくれた。
どうやら、幹部とやらに認められるまであと少しの所まで来てのスカーレットだったから聖女を連れ去れば正規構成員どころかかなりの役職になれたのではと思って浮かれて彼女を誘ったらしい。
「無計画にもほどがありますね。もう少し考えて誘拐するべきだったのでは?」
「フレッドさん、なんで真面目に考えているんですか……けど、確かに頭の悪いお誘いでしたね」
「えぇ……」
フレッドは置いておいて、スカーレットは紛れもない聖女だ。それは男だって知っていたしだからこそ話しかけたのだが、思ったよりズバズバと物事を言う子だった。
「市警に拒まれたらどうしよう……」
「大丈夫ですよ!! いざとなったらわたくしが何とかして差し上げます!」
聖女が満面の笑みを浮かべながら市警をコネで何とかする宣言をした。




