第六十三話 ごくごくありふれた海中都市
「いやぁぁぁぁっ!?」
スカーレットは内臓がえぐりだされた死体を見たのかと思うくらいおぞましい叫び声を出す。まあ、突然座っていた椅子が浮き上がって海に向かって彼女の体を投げ飛ばしたのだからそりゃあ驚くだろう。
それに対してハイデマリーとフレッドはもはや諦めたかのような表情だった。というか、ハイデマリーとフレッドはスカーレットと詰んでいる人生経験が全く違う。
スカーレットは生まれてから聖女候補だのなんだのと祭り上げられて結局箱入り娘のような状態になっている。
ハイデマリーは生まれたからごくごくありふれた平民で、貴族から蔑まされながらも圧倒的戦闘センスで騎士団の副団長までのし上がった。人の傷跡を見ても自分がどれだけ危機的状況にあっても客観視しているのはそのためである。
フレッドはゼネイア族だったから朝の目覚めのための決闘やスファロヴ海賊団のような襲撃が多かったから自然と戦闘術が身に付いてしまった。ついでに、十年ほど客と一緒に世界中を旅してきただけあって数々のトラブルにも巻き込まれなれているのだ。
そんな二人を異常に思い、スカーレットは再び叫ぶ。
「あなた達!! なんでそんなに怖くないのですか。異常ですよ!?」
「これくらいはまだまだ序の口ですよ」
「そうだよ、スカーレット。君が慣れていないだけで普通はこんなもんさ」
「絶対に違うから!! 学校で日常生活のこと聞いても変なところはなかったから!!」
スカーレットの言う通り、二人の方が異常なのだが。二人はそんなことを知る由もなく今後について作戦を立てていた。
「とりあえず浮遊魔術を使ってここを脱出……ってできない」
「お前のことだからきっと全力を出したのだろう。ならばしょうがない。このままここに落ちよう」
「嫌だよ怖いよ!! うぅ……こんなことになるなら聖女になんてならなきゃよかった……」
「大丈夫ですよ。聖女になった方が楽だって言うこともありますから」
フレッドはずっと寝ていなくて若干疲れてきているのか、意味不明なことを言い出した。多分、全力の浮遊魔術でも海に敵わなかったことが相当心に来たのだろう。ハイデマリーがせめてもの思いで落下の衝撃を軽減させるためにスカーレットを抱き寄せる。
三人はそのまま、深く深くの海へ入ってしまった。
フレッドが目を開けると、そこは煌びやかだった。唯一違和感があるとすれば、時計が昼を示しているのにもかかわらず空が真っ暗だということである。
フレッドは陸の上の如く歩こうとする。しかし、浮力というものが働いていて地面に向かおうとしても上手く足を地につけられなかった。そこでやっと気が付いた。今ここが海の中であると。そして疑問を一つ抱いた。
「なんで僕は喋れるんだ……?」
そもそもの話。フレッドが海に落ちてからかなりの時間が経過しているはずだ。だとすれば息が出来なくなって溺死、というのが典型的な死亡例だろう。なのに、フレッドは死んでいない――どころか普通に息が出来ている。かなり異様な光景だろう。
とにかく、フレッドの視線の先にはキラキラとした街のようなものがあったのでそこに行って話を聞いてみることにした。
「あの、ここはどこなんでしょうか?」
「……新しい人?」
主婦と思われる女性がフレッドを見て怪訝な表情に変わった。この海の都市の人達の名前と顔を全て知っているような口ぶりだった。突然やってきた不審者だと思っているのだろうか。
それにはフレッドも気づいており、何とかして誤解を解こうと海賊船の話をした。ウェーリン大陸までヒッチハイク形式で向かおうとしたらなんと最初に海賊船に乗ってしまったこと、聖女がいる船長の部屋に行ったらなぜか床が吹っ飛んでフレッド達を海にぶん投げたこと、そして気が付けばこの海の中を彷徨っていたということ。
だいぶ現実味を帯びていない話だが近海に海賊船がいるということを知っていたらしく、女性は心配そうな顔をしながらも信じてくれた。
どうやらここは人口が増加したために新しく作られた地域の一つらしい。
「そういえばそんなことをラジオでやっていましたね」
「はい。人口が増えすぎてしまってそれで魔術でなんとかしているらしいんですが……」
ラジオで言っていた話だと大きな海の一部分を結界で囲って凶暴な海の生物が来れなくなるようにし、人でも息が出来るようにプリヴェクト帝国で水を空気のようにしたり水圧を調整したり……とにかく、つい最近検証段階に入って海の人口が着々と増え、陸の人口が落ち着いていっているらしい。
このままだと四十年後には独立した国として機能させることも出来るだろうとまで言っていた。
フレッドは辺りにある居住地域を見渡す。料理などをする影響でさすがに家に海水が入ってはいけないということになっているのか、結界でさらに仕切って生活をしている。
家の形は全てが球状になっていて、ヴァスティス牢獄の中を彷彿とさせるような外観になっている。街がキラキラとしているのはやはり繁華街的な役割をしているところがあるからである。ただ、光がこんな遠くまで伝わっているのは店が相当数あるからということだろう。
「ところで、ここら辺で僕のように迷っている女性二人を見かけませんでしたか?」
「さあ……けど遠くからでも水栄街は見えるからこの街に留まっていたらいつかは見つかるんじゃないですか?」
フレッド達が浮遊魔術を使おうとして全くできなかったのと落ちるまでの時間はほとんど同じだ。だから横に移動する時間はない。
そして、水栄街はまだ試験段階のため、生命活動に必要ではない魔術の使用は結界によって禁じられている。魔術によるテロ行為を起こされたら水の中の人たちは混乱に陥ること間違い無いだろう。それは海の上でも同じだ。だからフレッドがあんなに魔術を使おうとしてもできなかったのか、とフレッドは納得する。
女性の言う通り、水栄街は広いから少し探索していただけでは見つからないだろう。
「ありがとうございます。探してみますね」
女性はにこりと微笑んでフレッドを見送ってくれた。石板に地図を書いてくれたからどこを探せば良いかはすぐにわかった。
「それにしても、石板に文字を書くっていうのは古代っぽいなぁ」
フレッドは独り言でそんなことを呟く。紙は水中に持ち込んだ瞬間にしわくちゃになってしまうから石板に連絡用の魔術式を組み込んでいるらしいが、近代的な建物の数々とは合っていなかった。
泳ぐことには慣れていなかったが、溺れる心配もなかったのでゆっくりと進むことができた。ちなみに泳ぐのが苦手な人用にプリヴェクト製の機械があるらしいが、フレッドはそれを使うほど音痴という訳でもないし、なんといっても高価だったのでやめておいた。
しばらく探索を続けていると、水面から二百メートルのところまで聳え立つ大きな建物が現われた。この海の深さが大体二千メートルほどでそこからずっと建っている訳だからものすごい高さを誇っている。
ふわふわと浮いているフレッドでさえも見上げないといけないほどだ。興味が湧いてきたのでとりあえずその高いビルから色々と見てみることにした。
蓬莱鬼国の人が建築に関わっているらしく、だいぶ雅な雰囲気だった。それで、つけられた名前が水楼。十メートルの階層ごとにそれぞれ結界で仕切られていて、結界の向こうを移動するためには水楼を使わないといけない。
どうやら、水の中でもぶっ壊れないほど強力なエレベーターを造り上げたらしい。ユーリと一緒に旅をしたときに見たことのあるような紋様があったからこれもまた旧プリヴェクト帝国で製造したのだろう。本当にプリヴェクト様様だ。
フレッドの目の前を魚が通り過ぎる。てっきり魚などの魚類はいないと思っていたのだが、凶暴でない魚は害にはならない為入ってもいいらしい。フレッドが三百六十度見渡してみると楼閣の外には魚が漂っていて、幻想的でそれでいて異国情緒の溢れる風景である。
内観は蓬莱鬼国とヤーナ=レムにある高門神社を混ぜ合わせたような雰囲気になっていて、古風だ。また、下の階層はミルリー大陸やニーア大陸的な雰囲気を醸し出している。
フレッドは何を始めにすればいいのか全く分からなかったので、近くにいたアンドロイドに尋ねてみた。まずは一番上に行ってみると街の全体構造が分かるのでお勧めのようだ。
フレッドは優しく頷き、またアンドロイドに尋ねる。
「すみません。最上階まで連れて行ってくれませんか?」
「はい。エレベーターはあちらにあるので案内いたします」
アンドロイドはフレッドの体を通り抜けた。どうやら実体は持っていないようで、フレッドは驚く。映像的な3Dというのは初めて見てしかもびっくりするほどリアルだった。
フレッドの声で何かしらの行動をとるのだから最新技術はここまで進んでいるのかと感嘆する。
「こちらのエレベーターの一番上にあるボタンを押せば快速で最上階まで向かえます」
「そうですか、ありがとう」
フレッドはひょいとエレベーターに乗った。自らの手で一番上にある百八十階と書かれたボタンを押す。その瞬間、フレッドの立っていた床がふわりと浮いた。
今まで浮遊魔術は何百と使ってきたが、地面があるのにもかかわらず浮くという感覚が不思議だった。百八十階もあるので不思議な感覚が段々と頭の痛くなるものに変わっていく。つまりはフレッドが酔っていたのだ。
「あぁ……ヤバい……」
フレッドはそろそろまずいのではないかと思ってエレベーターの中にしゃがみ込んだ。フレッドは馬車と船以外での移動をしたことがなかった。
世界には飛行機という乗り物がつい最近開発されたらしく、どうやらとてつもなく酔うらしいが、同じく酔いやすい乗り物代表である船には難なく乗れたしユーリと一緒の乗った時でも全く酔わなかったから乗り物酔い的なものにはずっとならないのかと思っていたが、まさかこんな最新機械で吐き気を催すとは思ってもいなかった。
『こちら、最上階。百八階、です』
「よかったぁ……!!」
本当に嘔吐する直前だった。フレッドが必死に抑えていたから何とか我慢できたものの気絶に関してはもはや記憶にないだけでしていたかもしれない。
フレッドがよれよれとしながらエレベーターから降りると、下へ降りるためにエレベーターを使おうとしていた人がフレッドの体勢と異常なほどに顔が青ざめているので観光客らしき人が何があったのかと尋ねてくれた。
「どうしたんですか!? 具合が悪いんですか! ……もしかして襲撃?」
「あの、いえ、ただ単にエレベーターで酔ったというだけなのですが……」
「本当ですか!? ……まあ、あの高度で初めてエレベーターに乗ったらそうなる気もしますが」
あの高いエレベーターに乗って酔って嘔吐する人はかなり多いようだった。水中を泳ぎまくってふわふわと浮く感覚になれている人であれば大体の人が酔わずに済むようだ。フレッドは別に水の中を旅しまくりたいというわけではないから別に慣れなくてもいい。
「とりあえず、落ち着くまであそこで休憩したらどうですか? 今なら無料で美味しい飲み物まで提供してくれるんですよ」
女の人が優しく教えてくれる。どうやら卒業旅行で二人で海中を探索しているらしい。これが終わった後は有名な冒険者組合に加入することが決まっているようだ。冒険者としては相当な実力で、だからこその謎の余裕がある。
「なんか強そうなのでご同行してもよろしいです?」
「あぁ別に構いませんが……ところで、女性の二人組を見かけませんでしたか?」
「どういった特徴が?」
「一人は聖女で一人はメイドのような服を着ているのですが……」
「あぁ! 聖女様の方なら見ましたよ! 確か二百メートル階層にいたはずです」
ハイデマリーのことも聞いてみたが、残念ながら彼女に関しては見たことがないようだった。だが、スカーレットと合流するだけでも探索は簡単になるだろう。
フレッドは二人組と別れたらスカーレットを迎えに行こうと思った。




