第六十二話 海賊船とゆかいな仲間たち
「私にそんな趣味はないからな。というか、賊と恋愛関係になるなんて反吐が出る」
航行中、彼女は彼女で正義感に駆り立てられいたようだ。フレッドとも普通に話せるので海賊とは普通に話せるのだろうがねっとりとした視線を向けられると悪寒がするとのこと。フレッドも人に囲まれすぎて酔ったことがあるからそれと同じことか。
見張りとしての役割は果たさないといけないようで、レオも顔を真っ青にしながらフレッド達についてきた。アンは雰囲気からして古参っぽかった。雰囲気で感じ取れなくても羽織らしきものがそれを物語っている。
フレッドはものすごい速さで手を引かれ、挙句の果てにはまだ制御の利かない銀の腕で握りつぶされそうになったものだから、手の力を緩められてまず最初に手首を摩っている。
レオ的には船長の命令を守らないといけないかつ、圧倒的に上司であるアンの要望にも応えないといけない。
だが、強引に連れていくとしても副騎士団長レベルの実力を持つ彼女を凌駕しないといけない。そして誘拐するとなればフレッドと必ず敵対しないといけないのだ。フレッドだって一応は紳士の端くれなので女性に身の危険があれば絶対に戦うだろう。こうなればレオに勝ち目はなくなる。
「そういえば、この船に入ってきた女性はすべからず彼女の洗礼を受けるんでしたよね?」
フレッドは顔を真っ赤にし、目を逸らしながらもそう言う。最近では刺激がなくなってきたからこの船に入ってきた者――たとえ奴隷だろうが誘拐してきた者だろうが入団者であろうが――容赦なく襲い掛かると聞いた。レオは頷く。
同じ時期に入ってきた女性の入団者によればトラウマになるレベルらしい。
ハイデマリーは嫌悪感を隠そうともせずにけっ、とだけ言った。
「それで、御者。お前は何が言いたいんだ」
「そのー……スカーレットさんは大丈夫なのかなって」
聖女はうまれてから死ぬまで、ずっと処女でないといけないという謎のしきたりがある。恐らく初代の聖女――大体の人は聖母と呼んでいる――が処女受胎したからだろう。
女性同士だと処女がなくなるということはほとんどないと信じているが、万に一つの可能性だってある。というか、教会側が処女云々の前に同性でのそういう行為を禁じているため、教会の威信的にもまずいのだ。
これらの全てを悟ったハイデマリーは一息ついてはるか遠くを見据える。
「……まずいな」
「下手したら三人纏めて処刑……」
あまりにも突拍子のなさすぎる展開に思わず苦笑してしまった。フレッドも全力で考えてはいるものの、その目はどこか虚ろだ。レオだけその恐ろしさについて全く分かっておらず、あたふたとしていた。見かねたフレッドがかみ砕いて説明する。
「まずですね。僕達は事実上誘拐されたって言うことになるじゃないですか」
「そうですね」
「するとですよ。この時点で海賊に聖女を誘拐されたという点で教会側の威信を落としています」
「はい」
「で、帰って来て聖女がふしだらなことをしていたと複数の証言が出るかもしれないじゃないですか」
「うん」
「すると、神聖であるべき処女が人間と交わったという点でさらに教会側にダメージを与えます」
「確かに」
「となると流石に神架教に害をなすものとして追放されるんですよ」
レオはフレッドが残業地獄のことを語ったときと相も変わらず適当な返事だった。フレッド達の置かれている状況を冷静に判断できる分にはよかったが。
フレッドも自分で話していてそろそろまずいのではないかと思い始めてきた。まあ、スカーレットがそんなことをされていなければ全て杞憂に終わるのだが。
ハイデマリーについて行こうとしたところ、彼女は急に方向転換をした。曰く、食堂に向かって直接話を聞くらしい。正直フレッドはあの食堂にはいきたくなかった。
質の悪い酒の匂い、貧民街を彷彿とさせる人数の量。故郷には存在しなかった悪しき概念がフレッドは大嫌いだ。磯の香りはとても心地いいが、それに集中することが出来ないくらいである。
だが船内の地図がないこの状況で何かしろ、と言われても何もできないことは目に見えているのでとりあえず彼女について行った。
「あらさっきの可愛い子。今夜の予定はあるのかな?」
「そんなことはどうでもいい」
突然食卓からは悲鳴とも取れるような音が出た。力加減などを全く気にせずに義手で叩いたものだから料理の乗っているテーブルからはミシミシ、といった音が発せられる。
殺気にも近いそれは、巨体の男たちですらも怖気づかせた。
「聖女はお前の所に来たか?」
「来てない……って何、この船の中にいるの!?」
アンは突然、歓喜の声を上げた。ハイデマリーのようなしたたかな女性も好みのようだが、まだ世間に染まり切っていないような箱入り娘系の女性も好みらしい。
「すみませんが、これ以上僕のお客様達と関わらないでいただきたいです」
「……あら私、ゼネイアの人は男女問わず嫌いって言ったはずだけど」
ハイデマリーの圧とアンの冷気であんなに盛っていた食堂の賑わいが一気に沈黙に追いやられる。
スファロヴ海賊団の最古参ということでゼネイア独立島を襲撃した際に彼女も当然のごとく同行していたらしい。
あれは急襲だった。世界樹のある島、というだけで誰一人として彼らの危険性について語る者はいなかった。当時は彼らの恐ろしさを海で知っているような人はほとんどいなかったのである。誰もが成功すると思っていた。あわよくば世界樹の力まで借りようとしていたとか。
しかし、現実はそう甘くなかった。急襲だと思っていたそれはゼネイア族の有名な予言者によって全て視られていたのだ。だから油断していたスファロヴ海賊団のほうがピンチに陥ってしまった。
圧倒的実力差に撤退を余儀なくされたが、今でも恨んでいる者は多いらしい。
「あぁその雰囲気、私、見たことあるよ」
アンはフレッドに詰め寄る。彼も身構えたが、彼女は突然中指を立ててきた。その表情はどこか、好戦的である。
フレッドの襟を掴んで食堂の、料理を作っている場所まで吹っ飛ばした。受け身の姿勢を瞬間的に取っていたから大きな痛みはなかったものの、他人の視線はとても冷たいものだった。そこにいた海賊団員はアンを見てからフレッドの方に寄ってきた。
「いいかい? そこの女性に関してはとりあえず置いておいてやる。だからさ、お前は私の目の前に一生現われるな。反吐が出る」
ゼネイア独立島はいわゆるスファロヴ海賊団の仇で、そこに住んでいる――というか彼らを襲撃したゼネイア族は彼らにとって恨みの対象とでもいえよう。彼女は確かに笑っていたが、上がり切って今後下がることはないだろう口角は、今からお前を殺すと言わんばかりだ。
フレッドのことをよく見たらゼネイア族であることが判明したからか、怒り狂って団員が刀の類を取り出してきた。
まだ全回復していないフレッドは冷や汗を流す。いくらフレッドといえど、このタイミングで襲われると絶対に立ち上がれることは出来ないだろう。
「いいよみんな。これで報復されたら本末が転倒するし」
「で、ですが……」
「私達が単身で戦って勝てるような相手じゃないから」
アンは団員である男の頭をビール瓶で叩く。
今まで怒っていたのが嘘のように優しい雰囲気に変わった。それはつまり、帰れと彼女は言っている。ハイデマリーですらも気圧された。殺意の代わりにさっさと失せろという圧が強くなる。さすがにレオが地獄のような雰囲気なったのを悟ったのか、二人を連れて食堂を離れた。
* * *
「いやあれはまじでまずいですよ……!! 殺気というか、絶対に殺すという固い意志が垣間見えましたよ」
「確かに触れてはいけない感じだったなぁ」
「そんなにえげつないことをしたんでしょうか……」
フレッドはしばらく考え込んだ。一体どれくらいの悪行をしたら海賊を怒らせることが出来るだろうか。海賊船には傷があった。
数々の歴史を繰り返していってとても強い海賊団にボロ勝ちできるのはそれこそゼネイア族くらいだろうからあの傷だってゼネイア族たちがつけたものに違いない。フレッドが罪悪感に覆われそうになった。
「なるほど、これが修羅場というやつか。それにしても……」
ハイデマリーはその場にしゃがみ込む。レオとフレッドは何かあったのかと彼女をのぞき込んだ。とても分かりにくいが、彼女なりにすごく考えているらしい。
「これからどうするかなんだよなぁ」
「……というと?」
「そろそろここを脱出しないといけないんじゃないかって話」
彼女曰く、そろそろ神架教の信仰を広めないとまずいらしい。魔術紙には催促の言葉がつらつらと並べられている。やはり利益のみを追求するのが教会か。
ハイデマリーがどんなに状況を説明しても全く許してくれそうになかった。信仰地域が増えたという報告が一個も上がっていないだの神様がお許しになるはずがないだのとてつもなくうるさい。
そもそも、神様に関しては人間ごときが代弁するべきではない。
ハイデマリーとの連絡を見て嫌気がさした。だが、彼女の言う通り早く海賊船から脱出しないといけない、というのも事実である。というか、本気で処刑される気がしてきた。
「今後はどうします?」
「まずはスカーレットを助けに行ってそれからゴリ押しで脱出が最適解では? 何とかなりそう」
フレッドもハイデマリーもおおよそ普通の人間とは思えない身体能力を所持しているのでスカーレットを抱えながらの脱出は簡単そうだ。
ものすごく気まずそうにレオが小さく手を挙げる。
「こんなこと……見張りの目の前で言っちゃっていいんですか?」
「もちろん。だって、あなたがそれを上司に暴露したとして出来ることは何もないでしょう?」
フレッドは何も考えないままスファロヴ海賊団の人達を煽った。実際、本当のことではあるのだが。フレッドに満面の笑みでそんなことを言われると苛立ちが強くなるのか、ハイデマリーがギリギリ聞こえるか聞こえないかくらいの音量で舌打ちをしていた。
もちろん、フレッドには聞こえているのだが。まあ、レオの一人くらいハイデマリーとフレッドが協力する必要もなくく一瞬で片付けられるような人間だろう。
レオは貫禄が足りていないのか、とショックに感じていた。そんな彼は置いておいて、二人は彼の懐にしまってあった船内地図を取り出す。
「なるほど……最上階に船長の部屋があるんですね。ここに行ってみるのが手っ取り早いんじゃないでしょうか」
「それはそうだな。じゃあ、久しぶりの戦闘になるから雑魚共を蹴散らしてくか」
フレッドは地図を見るのを止め、目を上にやる。
そこには歴戦の猛者たちが集っていた。アンを苛立たせた報復と、地図を奪うためにレオを気絶させたという二つことが彼らの逆鱗に触れたのだろう。
フレッドがとても呆れているが、ハイデマリーは義手になってから初めての戦いなので若干興奮している。何なら、もう彼らに戦いを仕掛けに行っている。船長のいる部屋は一番上らしいが、フレッド達がここで暴れまわったら騒音がするやらなんやらの違和感を持つだろう。
ということで、前衛はハイデマリーが。後衛はフレッドが務めることになった。
二人が先ほどまでいたのがどうやら二階だったようで、三階にある船長室に向かうのは容易いことだった。海賊団員はハイデマリーの腕慣らしにもならなかったらしく若干不機嫌気味ではあるが。
このままだと絶対フレッドに八つ当たりが行くだろうから船長がとても強い人であることを願う。
「失礼しまーす……」
「おう。もう着いたのか。戦闘が始まったのは確か五分前くらいだった気がするんだが」
フレッドは目つきを変えた。彼の言う通り戦いを開始してからこの船長室に来るまで、およそ五分くらいかかっている。ただ、ハイデマリーにはかなり早めの段階で音について指摘をしたからだいぶ静かな戦いをしていたはずなのだが。疑問に思っていると、スファロヴ船長がご丁寧にも答えてくれた。
「俺はなぁ……耳が良いんだよ。だから襲い掛かってくる敵にもいち早く気づける」
フレッドのことを憎きゼネイア族と言わないあたり、スファロヴ船長は目が悪いようだった。五感の一つを失うだけで他の感覚が研ぎ澄まされることはあるらしいから彼の言っていることは多分本当である。
スカーレットを探す。どこに行ったのかと思ったが、緊迫感のあるフレッド達とは違い、幽雅に紅茶を嗜んでいた。あまりの危機感のなさにフレッドどころか護衛のハイデマリーですらも呆れてしまう。
スカーレットの声を聴いてフレッド達と再会したのかと推理したスファロヴ船長はまだ話を続ける。
「そういえば、聖女はもう用済みだ」
「なぜ」
「教会が身代金を払った。これ以上の利益を追求すると神とやらの報復が怖いのでな」
プライドの高い彼らからしたらさぞかし屈辱的だったことだろう。フレッドはざまあみろなどと思っているとスファロヴが一つのボタンを押した。それは一面が真っ赤に染まっているもので、いかにも『絶対に押すな』という文言が付いていそうだった。
「座標十五、七十三。それから座標二、一」
嫌な予感がした。
「発射」
突然、フレッドとハイデマリーがいた床、それからスカーレットの椅子飛び上がった。




