第六十話 地獄はやってくる
「馬ぁ……!! よかった、バハル地方に置き去りかと思ったよ」
フレッドは奇跡的な再会を果たした。鬼に置き去りにされてもう一生会えないと思っていた彼の馬が何故か戻ってきたのである。同僚によると朝、出勤してきたら突然床が発光して目を開けるとフレッドの馬がいたのだという。
独特な模様があったからそれが人違いで送られてきたというわけではない。あまり人が来ない場所のように見えたしよく見つけてくれたなぁとフレッドは思う。とにかく、馬が戻ってきてくれたならそれが一番だ。
フレッドがいなかった間、保護してくれたレオンハルトに感謝の言葉を述べた。
「そんなことよりさ、ストーカー被害がひっどいことになってるって聞いたんだけど」
どうやら、幽霊街にいた時にアルベルトが心配して組合へ手紙を送ってくれたらしい。確かにあれは怖いを通り越して絶句するしかなかったがそれ以降は一通もきていない。
「まあ、飽きたんじゃないの?」
「そうだと嬉しいんだけど……」
「そういえば」
レオンハルトはそう言ってポケットから何かを取り出した。三角錐状の形をした目立つ色の数々。クラッカーである。彼は紐を素早く引き抜いた。銃声にも近い音が職場に鳴り響く。
今はほとんどの人が休憩中だったからよかったが、集中している勤務時間だったら激怒する人も少なくなかっただろう。
開く部分を向けられたフレッドも防御本能で両手を顔の前にやり、瞬間的に目を閉じていた。
「どうしたの急に……」
「いやいや、セリヴァン公国の人たちにあんな追われてよく二人とも生きていたなぁって。というか、そろそろ本気で護衛の仕事に回ってもいいと思うんだけど」
「時間稼ぎを多くしたからね。あと色々な……人なのかな? 大勢の人にも協力してもらったし。あと、まだまだ未熟だから」
鬼だったり狐だったり死神だったり幽霊だったり。人間と言ってもいいのか疑問に思うような生命たちの力を借りていたので人と言おうとした時に突っかかってしまった。
しかし、レオンハルトはそんなことを気にしていなかった。フレッドの背中を痛いほどに叩き豪快な笑みを浮かべていた。飲みの予定を決めていると、フレッドの頭上から何やら一切れの紙が舞い降りてきた。
依頼用のものであり、断らないのであれば丸をつける。フレッドには断る理由が全くないので大きく丸をつけた。依頼内容は聖女とその護衛を神架教が浸透していない国に連れていくこと、だそうだ。
フレッドは神架教じゃないから教会に入ることはほとんどなく、故に聖女を直に見たことは一度もなかった。顔写真だけは知っているが、とても優しそうな顔つきである。
「ここで待ち合わせのはずですけど……」
「お前、よくも私に馬と諸々を押し付けたな」
フレッドは何も考えずに振り返ってしまった。ハイデマリーが真顔でフレッドにそう告げた。顔を真っ赤にして憤慨されるよりも怒るべきシーンで真顔だったり笑顔だったりの方が怖いのだ。フレッドの顔はすでに青ざめていた。隣に聖女が座っていたので礼をした。
「本日から二ヶ月聖女様の御者を務めさせていただきます、フレッド=ヴェレスフォードと申します。他に護衛が一人いると書かれていたのですが……」
「無視する気か? 私だよ……ったく、こいつだったら引き受けなかったのに」
「ハイデマリー、そんなことを言うのはやめましょう。わたくしが誘った時はノリノリで頷いてくれたじゃないですか」
ハイデマリーは聖女と仲が良いようだ。聖女は丁寧なお辞儀をしてスカーレットと名乗った。歳は二十歳よりも下だろうか。とりあえず若い。そして、名の通りに太陽にも劣らない綺麗な赤髪を兼ね備えていた。
「えっとですね。まずはどこに行きたいとかありますか?」
「ここのウェーリン大陸とかはどうだ? あまり浸透してないし」
蓬莱鬼国のある砂漠大陸、幽霊街があるニーア大陸、リャーゼン皇国があるミルリー大陸が世界三大陸と呼ばれているが、一応まだ二つほどある。中途半端な大きさだが陸の中でも地域が分かれているので面倒臭く感じて先人によって五大陸と定められたらしい。
ウェーリン大陸は残り二つのうちの一つで、行くまでがとても面倒である。戦争をしかけるとなると準備だけに五、六年は余裕でかかるので誰も戦争を始めようとはしないし神架教を広めようともしなかった。
「ウェーリン大陸で広め終わった後は近くにあるレーニア大陸で信仰を広めるとしよう。そこまで行けばヤーナ=レム辺りも可能だな」
「いいね、ハイデマリー」
「けどそうなると僕が必要になるのって最初だけでは……わざとですよね」
ついてくるな、というオーラと職務怠慢にしてやるという堅すぎる決意がハイデマリーから滲み出ていた。ミルリー大陸でも信仰が広まっていないところはあるのでほぼ確実にわざとである。
ただ、スカーレット曰くハイデマリーだけでは不安とのことだったので一応ついて行くことになった。こういう何でも屋になったのは今に始まったことではない。フレッドはハイデマリーに殺されないか心配になりながら馬車を走らせた。
「今日はここでいいんでしょうか?」
「はい。ありがとうございます」
小さな村にある少しボロい家だった。ここではスカーレットの顔すらも見たことがないほど神架教に馴染みがない土地だった。フレッドは神架教を熱心に広めようとする聖女の姿に心打たれた。
よく家にやってきて中々離れてくれない宗教勧誘ではない。彼女は一つ一つの善行が信者を増やす方法だと考えて他の人達に対して常に優しかった。もちろんどんな宗教にも入らないが、姿は尊敬し、真似したいと思えるものだ。
一日目からぐったりとして疲れているようだった。何も言わずにしかし他からは悪いことを言われ、微笑むだけというのはさぞかし疲れることだろう。
「スカーレット、晩食はどうする」
「えーっと……何でもいいんですけどどこも営業していないんですね」
運が悪いことに、今日は小さな村で伝えられる昔話で悪夢の日と呼ばれる厄日だった。朝は商いを行ってもいいがこの日の夜は何をしても不幸な方に向かってしまうから諦めて家に篭っていなさい、という言い伝えがある。皆それに従って閉じこもっているのだ。
だから無謀にも商いをしているような者は誰一人として存在しない。
「食材があれば一応料理はできますけど……」
「そうか。であれば御者が作れ。材料は持ってきていた」
何かあったとき用のために鞄の中に新鮮な食材を敷き詰めていた。彼女だけ鞄を三つも持ってきていたから不自然だったのだ。一つは生活必需品でもう一つは義手の調整機材だろうから納得したのだが。なるほどとフレッドは思った。そして食糧不足に陥らなかったことを感謝する。
スカーレットもハイデマリーも料理面はからっきしと言っていたからフレッドは頑張って作った。ゼネイア独立島の有名な料理で、とにかくスタミナがつけられる。
体力がついたら精神的にも何とかなることが多いのでこれを選んだ。手間のかかる工程が少なかったので僅か二十分ほどで三人分を作り終えられた。
フレッドが二人に提供すると、スカーレットは喜んでいた。心なしか、彼女の碧眼が輝いていた気がする。
ハイデマリーはというと、思いの外好評で酷評を喰らうかと思ったが美味しいと言ってくれた。
「そういえば、ハイデマリーはなんで義手なの?」
「そこにいる御者が五年前にバッサリと腕を斬りとったからだよ」
「あなただって心臓がある部分に氷の槍をグサっと突き刺していましたよね?」
「罪人だから仕方なかろう」
二人は死というものが身近にありすぎるのだが、スカーレットはそんなこともない平穏な生活を送ってきたので二人の会話に唖然としていた。
フレッドはそれに気がつき話を変えようとした。
が、ハイデマリーは何をそんなに驚いているのかと彼女に尋ねた。
「あの……前のことだからわたくしが介在する余地は全くないけどとりあえず罪人だからっていう理由で人を傷つけるのはやめてね?」
その後に現世で罪を犯した人は余程の善行を積まない限り冥府か地獄行きということをボソッと言っていた。ハイデマリーは神架教の信徒という訳ではないらしく、全く興味がなさそうだった。
フレッドは最初に食べ終わって自らの食器を洗った。その間にもハイデマリーが乱雑に食器を置き、スカーレットがちゃっかりとシンクに皿を置いていた。
洗い終わって寝室らしきところに行くと、二人が絡み合って寝ていた。少しだけ下着がはだけている。なんとなく、これ以上見てはいけない気がしたので目にも止まらぬ速さで扉を閉めた。フレッドは少し顔を赤らめながら硬めのソファーで一夜を明かした。
* * *
「もう起きていたのか」
「はい」
起きていた――というか、眠れなかったという方が正しい気がする。五分だけ仮眠らしきものは取れたがそれ以外はソファーが狭すぎて転落し、床には鼠が蔓延ってろくに眠れないような状況が延々と続いた。その環境はまさに地獄というものである。
ハイデマリーの方は聖女の力のお陰か、鼠どころか害虫の一匹すらも寄せ付けず、無事安眠できたらしい。羨ましいな、とは思った。だが、ハイデマリーが必要ないほどに煽ってくるからこういうことには慣れていると言い切った。
「御者は思いのほか楽、と以前聞いたことがあるが――何故お前は地獄のような旅をしているんだ?」
「あなたのような戦闘狂がいるからお客様の旅が危険そのものになるんですよ。あとなんで平穏な依頼が僕にはほとんどやってこないのか……」
不幸はやってくるものの、ほとんどすべてはフレッドが対処しているのでそういった事例が積もりに積もって今に回ってきたのだろう。だから護送だったり逃亡幇助だったりという奇怪的な依頼がやってくるのだ。
「不幸属性でもあるんじゃないか? 何なら私が今から不幸にしてやってもいいが。性根が腐った御者野郎」
ハイデマリーは未だに根に持っているようだった。聖女であるスカーレットがいたから暴言は吐いていなかったようだが、彼女の片腕の代償は重い。言い訳にしたくはないが、あの時の記憶は本当になかったのだ。気が付けばハイデマリーが呻き声をあげているというような変すぎる状況だった。
誰かが記憶を乗っ取ったとしか思えない。五年ぶりに弁明の余地が与えられたからそれとなく彼女に伝えてみたが相変わらず彼女は半眼だった。
何を言っているのか、というような表情である。いくら魔術がある世界とはいえ、そんなことをできるのは神様くらいしかいない。普通の人間であればある程度の魔術師だったら対応可能だが、フレッドのように頭おかしいほどに膨大な魔力を保持する人間を操るのは死ぬほど難しい。
「はぁ。確かに、普段の目つきとは違ったのを覚えているよ。一旦信じてみよう」
フレッドはほっと一息を吐く。とりあえず、何となく攻撃されて即死なんていう愚かな死に方はなくなった。それだけでも死への道はかなり遠ざかるのだ。
「スカーレットー。起きてー」
「…………はぁい。朝食はどこにあるの?」
「船の上で食べる予定だよ。ささ、早く着替えなさい」
ハイデマリーとスカーレットの年齢差は実に十歳以上離れている。だから見ようとしなくても母親と娘に見えてしまうのだ。フレッドは水だけ飲んで船の旅に向かうことにした。
道のりはかなり短かった。というか、小さな町が海に面していてそこには大勢の船がやってくるだろうからヒッチハイク形式で何とかウェーリン大陸へ行くしかない。
「すみませーん!!」
フレッドの良く通る声で大きな船を引き留めた。魔術で脳に直接語りかけたからすぐに小さな町の港に進んできた。スカーレットも大きく手を振って注目させる。
ハイデマリーは周囲の様子をじっくりと見ていた。辺りがざわついていることに気づき、耳を澄ました。なぜあんなにおぞましい船に乗ろうとするのか。皆口そろえてそんなことを言っている。二人は全く気が付いていないが、船からは殺気が感じ取れた。




