第五十九話 今は亡き誰かの記憶〜逃亡
「流石に完全な人間となった私たちに追いつける人はいないよねー」
「ナースチャ、調子に乗らないの。ここにはすごい魔術師がいるって有名だから……」
今、フレデリックとアナスタシアがいるのはルーダル帝国の通称・幽霊街である。以前、スルトと戦った時に咲いた花が国で悪さを働いていたため、退治してきたところだった。
絶対に近寄ってくることのない、多分入って外に出たら厄災を振り撒くいわゆるパンドラの箱のようなものらしいが、神そのものと化している二人には効かない。
全世界の人が追ってきている中、情報の一切を遮断している幽霊街にしか逃げ道はない。ただ、じきに追ってくるだろうし情報を遮断しているとはいえ、入ってくるだろうからあくまで休憩所的な役割だ。
ルーダル帝国の入国審査は死ぬほど簡単である。自分が生きているかどうかを証明するだけだ。大抵、大魔術が使えればなんとかなる。亡霊は魔術が使えても生前に相当の魔力がないとまともに魔術を使えないのだ。
「生者証明をお願いします……」
「えっと生と神への喜びを!!」
フレデリックは最近作り上げた魔術を唱えた。一応魔術式を持ってはいるが、詠唱した方が分かりやすいという個人的な判断だ。アナスタシアは全く方向の違う大きすぎる魔術を放って無事審査にパスできていた。
実はフレデリックも撃てたものだったので楽ならばそちらの方がいいかと後悔していた。が、地面からはメキメキという音と共に骨だけになった、人だった何かが国境警備隊の隊員の目の前に現れた。
こんなトンデモ光景には流石のアナスタシアも驚いている。というか、ビビらない方が異常だ。
「それじゃあ、地獄のように美しく恐ろしい国をお楽しみくださいぃっ……!! もうこんな入国審査絶対にしない……」
国境警備隊の人が帽子を深々と被りながらそんなことを言っていたが気にしない。フレデリックは辺りをキョロキョロと見回しながらコソコソとルーダル帝国に入った。本当に幽霊がいたらどうしようという不安もあり大きな門を開けるのが少し怖かった。
幽霊耐性が異常なほどにあるアナスタシアはなんの躊躇いもなく堂々と黒い門を開けた。彼女によると幽霊よりも人間の方が怖いと考えたら何とかなるようだ。ギギギ……という音と共に見えたのは太陽は見えないものの、かなり賑わっていたのだ。
ただ、街にいるのは――というか、街に存在するものの全てが生気を失っていた。人はもちろんのこと建物の様式や使っている魔術、咲いている植物など何から何まで。フレデリック達が図鑑ですら見たことがないものだった。
幽霊は置いておいて、全てが理解できないので身振り手振りで皇帝のところまで連れていってもらうように住んでいる人へ依頼した。
動いている人は実体がなかったが魂はあったので、ある程度の魔力を持っている人がこの光景を見れば普通の人として認識してしまうほどだった。
二人はふらふらとしながらもきちんと案内してくれた亡霊に礼をして先に進んだ。
そこは一面が墓。つまりは死者を弔うための墓だった。こんな死者だらけの国でも死者というのはいるのだろうか。
「ここは忘れられた者しか入ってこないはずだけど。誰かしらの記憶に残ってるのが何しにきたの?」
やんわりとした言い方だったが、棘が感じられた。ここに入ってくるなと言わんばかりの圧までも滲ませている。
フレデリックは膝を地面につかせて項垂れた。アナスタシアも真似して半秒後にどちらもが同じ体勢になる。
「約束も無しに謁見に参ったこと、どうかお許しください」
そう言うと同時に、フレデリックが渋りながらも金貨一万枚を皇帝のもとに差し出した。アナスタシアも皇帝さえも驚いて彼の方をギョッと睨む。
殺意や困惑を感じ取ったフレデリックはおそるおそる目を上げる。
黒にも近い青の髪と濁りの一切ない美しい水色の瞳がこちらを覗いていた。当然だろう。世界共通の金貨一万枚というのは奴隷が百人も雇えてしまうのだから。
さすが、元侯爵家の嫡男をしていただけある。曰く、持ち金は全て持ってきたらしい。変なところだけ小癪だ。
「いいよそんなん。自分たちの好きなよーに使いな。君たちが神に認められた人ならここにきた理由が何と無く分かるからさ」
黒い日傘のようなものを閉じた。彼女は葬儀屋、そして死神を名乗った。ちなみに本物の神様だという。
彼女が普段執り行っているのはボウレイの葬儀だ。ボウレイ――とはいうが、この幽霊街を彷徨っているのは『亡霊』ではなく忘れ去られた霊つまりは『忘霊』である。
ここは幽霊だけではなく生きていても存在を草むらや空気などを含めた世界の全てから忘れられた人が入ってくる街だということも知った。
確かに、商品には埃を被っていないわりかし最近のもののように思える品々が陳列されていた。商品には生きるも死ぬもないからあり得る話なのだ。
「ただ、私はこの冥府もどきと本当の冥府を司っているから。ガチの冥府はたかが一介の人間に見つけれるとは思ってないしいいんだけど。こっちの冥府もどきが壊されそうになったら君たちを追い出すからね」
墓場からは彼女の声しか聞こえない。だから、彼女がどれほどこの街を、この国を守りたいのかが痛いほどに伝わってきた。フレデリックは深く頷き、墓場から離れた。
「ここに滞在する許可はもらったんだけどさ、フレデリックはどこに行きたいとかあるの」
「……あるわけないよ。情報が一切ないんだし」
ということで再び路頭に迷った二人は忘霊達が向かっている川についていった。
ファンタズム川ではこの世に数え切れないほど存在する未練を綺麗さっぱり流す役割を果たしている。自分が生者ではなく死者だと気付いた者、誰も自分のことを知らなくて絶望した者達が本物の亡霊に昇華して死者の世界に行くためにこの川があるとか。
元々は神が賽を振って楽しむ娯楽施設のような場所だったが随分と物騒になってしまった。
アナスタシアは清く濁りが一切ない川に手を入れる。フレデリックも彼女に釣られて手を浸す。
それは、二人を悲しみの涙のように切ない気持ちにさせた。
「ここって神様がいた川なんだから当然未練よりも神々の力の方が大きいわけじゃん?」
「そうだね」
「だったらさ。私たちが死んでここに来たとき、愛という未練だって断ち切られちゃうのかな……」
フレデリックは世にも恐ろしいことを言ってしまうアナスタシアの頭を優しく撫でた。そして、そっと彼女の方へと寄る。
「大丈夫。僕は忘れたりなんかしないから」
「ありがと。私も……たとえ千年時が経とうが忘れないよ!!」
フレデリックとアナスタシアがとても楽しそうに笑っていた。
あまりにもあっという間だったのだ。本来であれば禁忌と呼び名の高いルーダル帝国に突入するには一週間はかかるだろう。だが、彼らは一日も待たず、強引に突破してきた。あんなに二人に怯えていた国境警備隊が殺意剥き出しの瞳で彼らを見つめている。
彼は生きている人間で誰からも忘れられていないし、二人のように特別というわけではないから国の中に入れないのだろう。
だが見た目年齢以上にこの国の最前線を守り抜いてきたようだ。忘霊に危害が及ばないようになんの足しにもならない魔術で抵抗してきた。
とても苦しい光景だったが、ここで歩みを止めるわけにもいかない。生きて、幸せに死にたいのだ。
「ナースチャ、走れる?」
「……もちろん!」
顔が全く反対のことを言っていた。彼女は研究面での圧倒的才能を授けられた代わりに体力面はダメダメだ。病気があるからしょうがないが。逆にフレデリックは平均的に高いので彼女を背負いながら馬も何も使わずに橋を駆け抜けていった。
* * *
「やばっ……リャーゼンを通り過ぎちゃった」
「そんなこともあるよ。で、ここはどこが近いのかなーっと」
アナスタシアが背負われながら地図を確認する。彼の鞄から取り出して耳元で近くの地方を探しているのだから距離が圧倒的に近い。フレデリックはこんな状況でも彼女のことを好きになっていってしまう自分に苛立ちを覚える。
「あったね。永世中立国の寄せ集め達、バハル地方。ここだったら誰も攻撃してこないでしょ」
「無駄に戦闘力だけは高いもんねー」
中立国というよりは孤高国、というのは誰が言った言葉なのだろうか。とにかくどの国にも味方せず敵にもならず。自国に危害が及ぶと考えたときだけ異常に攻撃的な軍隊を展開するのである。
どこの国の影響も受けないあそこなら逆に都合がいい、とフレデリックは思う。とりあえずアナスタシアから水を受け取り、近くにいた馬に乗って全速力でバハル地方に向かった。
「なるほど。ここには劇場があるんだねー。フレデリックはよく見てたの?」
「まあまあかな? けど歴史モノは大好きだよ」
フレデリックが好きな演劇を四、五個挙げるとアナスタシアは微笑んでいた。ああいうのは絶対に諦めている証拠だ。
フレデリックの肩に手が乗る。なんだか不気味な感触に、普段はあまりビビらないフレデリックですらも肩を震わせた。
アナスタシアは彼の影に隠れる。
「えっと貴女は……有名な俳優さんですよね」
「え? そうなんだ……」
「よく知ってたねー。私はアメリア=マクレイ……って、ああそういうことかめちゃくちゃ似てる」
「……自分で言っちゃあなんですが、あまり見ない顔な気がしますよ。誰に似ているんでしょうか?」
たまにゼネイア族に似ているとかそんなことを言われるがあんな戦闘狂と同じにしてほしくはない。フレデリックが頬を膨らませると女は彼から離れた。
「あーごめんごめん今のはなしで。それでお願いがあるんだけどさ、劇が終わったら舞台裏に来てくれないかな」
「なんで私たちがっ……」
「お願いだ。劇団を含め全世界の人が君たちを探し回っている。ゼネイアは除くかもしれないけど……とにかく、君たちの逃走を手伝いたいんだ」
なんてとち狂ったことを言っているのだろう。そう思ったが、もし二人を生かしておけばバハル地方全域が火の海になりかねない。彼らは厄災を振り撒く極悪人だとリャーゼンやセリヴァンによって言いくるめられたらしい。フレデリックは舌打ちをして彼女を頼った。
彼女は覚悟の決まった表情だった。緊張感が二人にも伝わる。本当の舞台裏は魔力で探せば一瞬で見つかると言われたので出口に一番近い席をとって演劇を見た。
どうやら二人がいる劇場は今日をもって終焉を迎えるようだった。だから、脚本にとても有名な作家を採用して二百年にもわたる歴史を振り返ろうというものだ。
確かに、ほとんどの国が戦争のような雰囲気なのにここだけのうのうと活動させるわけにもいかないだろう。少なからずフレデリックが関わったので罪悪感が湧いた。
演劇は、バハル劇場で空前絶後の大ヒットを巻き起こした有名なものをオマージュしたものだ。それに劇団の歴史を当てはめている。主演はもちろんアメリアだ。彼女も本職は魔術師だと聞くが、どう考えても役者の方が似合っていた。
『劇を最後まで見てくださった方々。本当にありがとう!!』
周りからは哀愁混じった拍手が聞こえてきた。アメリアはそそくさと舞台上から姿を消した。フレデリックはさらに劇団の偉い人が二人を監視していることに気づき、アナスタシアにローブを着せて探りながら下へ降りていった。
「本当に逃走経路を教えてくださるのね。心から感謝を述べたいと思います」
「そういうのはいいから。君たちが生きていたら劇の感想と共に伝えてよ」
アメリアは地下に繋がる扉を開けた。ここを通れば海に直通で行けるらしい。もう一度二人はアメリアに感謝を伝えてから地下に繋がる階段を降りていった。
二人がいなくなってから数分経ったときのことだった。
「――そんなこと言っちゃう? まあ趣味に生きてるから全然いいんだけど」
人と話していると突然、接続がプツリと切れた。何事かと思って後ろを振り向く。アメリアは目を見開いた。そこにはこの隠し通路の存在を知らないはずの座長がいた。
――なんだ。覚悟なら決まっていたじゃないか。
「何か用かな?」
「言いたいことは分かっているだろう。逃走経路を吐け。さもなくば殺す」
座長は短刀を取り出した。劇の演出で殺陣は習っていたはずだ。
「その必要はないよ。私を殺しな」
「君が居場所を吐けばまた劇団が復活するかもしれないんだぞ。それでもいいのか!?」
アメリアは迷った。確かに魅力的な提案だった。だが断った。
「私は……もう演者のまま終わってもいいと思うんだ。だから一思いにズバッとやってくれ」
座長はまだ反論しようとした。だが、彼女の覚悟を無駄にするわけにもいかなかった。こんなことがなければ一緒に劇を作り上げていたはずの仲間なのだから。
「ごめんアメリア!!」
あまりにも唐突すぎることだった。
座長は、アメリアの未練を、そして生命線を断ち切った。
どうでしたでしょうか? 多分書くのに一番時間がかかった章です。
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