第五十五話 海の見える国
「あなた達は貴族だと聞いたのだけれど。そっちの大陸ではこんな挨拶が主流なのかしら?」
戦闘民族からこんなことを言われて耐え凌げるほどの精神を三人は持ち合わせていなかった。クリムヒルトは島に対する愛も強かった。この地に不順に人を入れてはいけないとでも思ったのか、早速刃が三人を襲う。
「ちょっと待って。僕はそんなに弱くないから。これくらいだったら怒るような事でもないし」
「けどー!! お母さん、フレッドが傷つけられてとても心配なのよ? まずは戦力を削ぐために男の方から殺していきましょうか」
「だから待ってよ!」
フレッドがクリムヒルトの手からナイフを叩き落とす。彼女はポカンとしていた。今まで照れ隠しはあったものの本当に拒絶されるということがなかったのだ。どうしてそんなに怒っているのか、とフレッドに尋ねる。
「さっきから証拠もなしに人を殺そうとしすぎだからだよ。というかアルベルトさんに至っては被害者の方だし」
どうも、と言わんばかりにアルベルトが手を振った。もちろん、圧が強かったから小さく振っただけだが。確かに彼女は早計過ぎた。そう反省している。フレッドが三人の縄をほどくと、クリムヒルトが儚げな笑みを浮かべた。
「フレッドも……成長したわね。つい最近まで子供だったはずなのに」
「もう子供じゃないんだから。そうだ、今日でここを離れるから他の人達にもよろしくって言っておいてね」
感動の涙を流してクリムヒルトは扉を開けた。舟なら転移させて用意した、と彼女が鼻声交じりに言う。おじさん同様、あの状況だけで何があったのかを察せられるだけの洞察力があった。フレッドは家族にたいしてとは思えない丁寧な辞儀で家から離れた。
港に行ってみると、本当に二隻の船が置いてあった。二人乗りだから丁度いい。一人で逃げてしまった伯爵令嬢には悪いが、全くもって効果をなさなかった。
男爵令嬢は力があまりなかったのでフレッドと猟奇的な笑みを浮かべていた令嬢、アルベルトと彼女ではない方の令嬢にグループ分けした。
正直暗殺の件はとても心配だが、あんなに殺意を向けられた後にのこのことアルベルトを殺そうとする阿呆はいないだろう。
もし彼女がその馬鹿だったとしてもフレッドが魔術によって時を止めて対処すればなんとかなる。万が一のために、フレッドの舟とアルベルトの舟は並走した。
フレッドが島を離れるという情報をいつの間にか手に入れていたゼネイア族の人々が彼に向けて大きく手を振っていた。しばらくすると、そんな彼らの姿すらも波と共に見えなくなった。
* * *
「あのー……私たちはどこで降ろされるんでしょうか」
そういえば島から出ることで躍起になっていて肝心の目的地を決めていなかった。フレッドと一緒に乗っている令嬢は本当に自国に帰ることができるか不安になっているようだ。
確かに、この後に二人と一緒に国まで戻ればセリヴァン公国の輩に追い掛け回されること間違いなしだ。しかもフレッドとは違って一対多の戦闘経験が全くないらしく、フレッドも彼女たちのことを守り切れるか不安だった。
水の都であるルインレットとは違って会話をすることがなければ海の上は死ぬほど暇だ。
「御者として旅をしていると暇なときとかありますよね。そんなときでもこうやっているだけなんですか?」
「……旅は暇を楽しむものだと思っているので。よっぽど暇でない限り他のことはしませんよ」
フレッドだって出来る限りは風景を眺めて楽しみたいのだ。こんな、『誰かから追われてる。護衛をしてほしい』という依頼を引き受けない限りはゆったりとした快適な旅ができることだろう。
焦った後にその状態がほぐれると自然と何事にも興味が湧かなくなるからアルベルトの護衛をしている最中は読書をしている頻度が高い。知らず知らずのうちに緊張していたのか、と自分の心理状況について驚いていた。
普段だとほとんど緊張しないのに手が震えてしまうほど人の死について怖いという感情を抱いていたからだ。そうだ、こんなに軽々しく彼と話していたが、アルベルトは客でありいつ死ぬかも分からないのである。
「汗、大丈夫ですか? これ、良かったら使ってください。あと、ここには敵はいないから安心してくださいね」
「……ごめんなさい。顔が強張っていましたか」
緊張と焦りで表情が険しくなっていたようだ。フレッドは顔を二回たたいて目を覚ます。こんなに思いつめているのも、眠たいからかもしれない。彼の動作が面白かったのか、令嬢はくすくすと笑っていた。
「……でさー、これが本当にー……」
「本当ですか!? 全く……」
隣の舟を見てみると、アルベルトがものすごく楽しそうに話していた。彼は目の前にいる令嬢と出会ってから一週間も経過していないはずだ。とてもコミュニケーション能力があって羨ましいな、とさえも思ってしまった。
「陸地に到着しました。えっと……リャーゼンなので不法侵入ですね」
港の雰囲気を見た限りだとリャーゼン皇国のように見えた。というか、皇国の旗が見えているしなによりもこんな、ゼネイア独立島から一日も経たずに到着できるにリャーゼン皇国の植民地なんてないのだから本国で確定である。
国境の間にある門を潜り抜けて国に入らないと犯罪になってしまう。とりあえずフレッドは馬車を出した。最悪、バレなきゃ犯罪じゃないしハイデマリー以外だったら気づかないだろう。
案の定、今日の門番担当はハイデマリーではなかったようで逃亡することは容易だった。セリヴァン公国の刺客と思われる人々が早速フレッド達のことを追ってきた。
フレッドが結界を置いたりで処置を行っているが、さすがにルーダルの一件で反省したのか、むやみやたらに踏み抜こうとせず、近くにいる魔術師に頼っていた。だが、それをちまちまとしているだけでもフレッドはあっという間に距離を離した。
優秀な魔術師でも中々解読できないような魔術式をオーガストに教えてもらったのだ。
その成果は火を見るよりも明らかだった。
一瞬の間にもフレッドは男爵令嬢二人を元居た国で降ろし、旅は再び二人に戻る。アルベルトは、流石にまずいと思ったのか、馬車の窓を開けて風にも負けない大きな声でフレッドに問いかけた。
「どこに向かう予定なのさ!! このまま突っ込んだら僕の国に行くことになるけど」
「えっと、本当に端の端にあるバハル地方に行く予定ですが……良いですか!!」
フレッドも負けじと大声を発する。フレッドの声がよく通ったらしく、馬車の所まで聞こえていた。
バハル地方はその地方だけで経済などが完結している。流行などは海外から入ってくることも多々あるが、政治的なものなどはそのほかの地方の影響を全く受けない。だから戦争も起きなくてとてつもなく平和な国だというのは聞いたことがある。
何しろ、情報が一切漏れ出てこないからゼネイア独立島よりも未知数な地方なのである。
もしここの国に住むことが出来ればチェルノーバが交渉を終えた後でも侵攻してくることはないだろうから安心して悠々自適な生活を送れる。アルベルトが観光用の雑誌を開く。
大陸の三十分の一にも満たない大きさだが明らかな存在感が醸し出されている。バハル地方は海に囲まれていて、とても見晴らしがよかった。
ゼネイア独立島と負けず劣らずの絶景であり、『危険じゃない方の絶景』とまで呼ばれていた。美しい星々のあるミティア共和国や永遠に咲き続ける桜のある蓬莱鬼国にも負けないらしい。
フレッドは観光名所だというのに、意外と訪れたことがなかった。大陸的にはリャーゼン皇国と対極に位置しているからしょうがないが、それにしてもそんな美しい景色を見ることが出来るなんて。フレッドが心を躍らせている。
「ねぇねぇ!! バハル地方に行くのは君の趣味って訳じゃないんだよね? 考えがあって向かうのなら控えてほしい!!」
「もちろん作戦ではありますよ」
バハル地方はどんな民族でも受け入れている。それ故に、地方に属するほとんどの国が永世中立国である。だから、今荒れているセリヴァン公国の人から追われている、と言ったとしてもよっぽど迷惑でない限りは許してくれるはずなのだ。
さらに、ゼネイア族のことを恐れる人もほとんどおらず、よくゼネイアの人々におすすめの観光地として紹介されている。
数年に一人くらいはゼネイア族が訪れていて、その影響からか防衛軍が死ぬほど強い。なので、わざわざ面倒な国に赴いて襲撃するなんてことはないだろうと考えてのことである。
リャーゼン皇国内を通ってきたから多少のショートカットは出来たものの、それらを許すほど公国もぬるくはなかった。前の件からしっかりと学んできたのか、公国側の人が目の前に現れた。かなり手の込んだ魔術だったらしく、男が御者台に来るまで全く気が付いていなかった。
突然男が出現して怯んだフレッドはナイフを取り出そうとしたが、かなり焦っていたのか地面にそれを落としてしまう。
「……っ!?」
「馬車に乗せている男をこちらに引き渡せ。おとなしくしていればお前には危害を加えない」
「……その言い方だと彼には危害を加えるようですね」
「そりゃあそうだろう。あの男を国のリーダーに引っ張り出して処刑するところまでが俺の仕事だからな」
「だったら断りますよ」
フレッドの返答をある程度予想していたらしく、驚くような表情は全くといっていいほどしていなかった。男は顔を歪め、不快感をあらわにする。
男は素早くフレッドの首筋にナイフを突きつける。フレッドは怪力、という訳ではなかったし、逆に掴んでいる男の方が力が強かったので、男の手を外せないでいた。
「さーん」
頭の中で諦めという選択肢が浮かんだ。こんなときこそ粘るべき、というのは分かっているはずなのだが、フレッドの抵抗がだんだん弱まっていった。
「にー」
アルベルトが心配したのか窓を開けてこちらを覗く。危険だから窓は開けないでと言おうとしたがなにしろ首を絞められているのだ。声を発するどころか息すらも危うい。
「いーち」
意識が朦朧としている。考えられることはない。
「ゼーロ……って、うわあぁぁぁっぁぁ!?」
先ほどまで近くで聞こえてきた男の声が遠くなる。そろそろ死んでしまうのかと空を見上げれば、まだ正午ごろだというのに、空間がぽっかりと空いていた。セレンの使い魔であるグリフォンと戦ったときのようだったが、ここで幻獣が出てくる意味がわからない。
「はっはっはー。うむ、まだどちらも死んでいないようだな……一人廃人になりかけてる輩がおるようだが。おーい、起きろー」
「……ん? 鬼っ!?」
普段だと絶対にありえないひっくり返ったが出てしまった。フレッドは仰天する。そこには老人がいて彼が人助けなんかをするほど優しいとは考えられなかったからなおさらだ。
しかも、鬼の隣にはこれまた神々しい雰囲気は纏っているものの、種族が何なのかがいまいち想像つかなかった。
「あっ!! 天狐様、鬼がいますよ。ここは彼に任せて逃げた方がいいのでは?」
「鏡園の巫女、それは早計過ぎるよ。なんていったって二人は久しぶりに高門神社を訪れて賽銭までしてくれた恩人だ。恩を返すのは当然だし、何よりもこの人たちは旅人のようでしょ? 広めてもらってもっと信仰を増やしましょう?」
フレッドは高門神社という言葉と、鏡園と呼ばれた女性の容姿を見て思い出した。そうだ、ヤーナ=レムにあったやる気のなさそうな神社の巫女と恐ろしい狐だったか。大人数に囲まれていても余裕の表情を浮かべていた。
「とりあえず、そこの鬼さんと協力して信仰の拡大を邪魔してくる人たちは倒しましょ?」
「はいっ!!」
とても威勢がよかった。西行は、馬車の屋根の部分を掴む。何となく嫌な予感はしていたのだ。しかし、まさか馬を捨て置いて馬車ごとぶん投げられるとは思ってもいなかった。さすがに馬車の内部にぶつかりまくったらこまると考えたのか、アルベルトも窓をパリンと割って脱出していた。
「フレッド、どこまで空を飛べばいいんだ?」
「多分海の見える崖……あそこがバハル地方の入り口のようですね」
フレッドとアルベルトの真下に入り口である門が来た時、二人と馬車の本体がものすごい速さで落下していった。
フレッドが悲しそうな目で馬車本体を眺めていたのはもちろん言うまでもない。




