第五十四話 ゼネイア族
「あーっ、アルベルト様。ここにいらしたのね。てっきり島から離れてしまわれたのかと思いましたわ」
「私たち、とても心配しておりましたの。さあさあ、あっちに面白いものがありますわよ」
今考えてみれば、フレッドを避けていたのも彼がゼネイア族だからという理由があるからかもしれない。
基本的に遠距離戦、近接戦などあらゆるものが得意なゼネイア族の前で戦いを仕掛けるというのは浅はかでしかないの。だからアルベルトと隔離してから監視、もしくは殺人を試みていたのだろう。だが、それが分かってからは行動がしやすい。
「僕がついて行ってもよろしいでしょうか? 一応僕の依頼人ですし任務はまだ終わっていませんので」
「えぇっと、それはお引き取り願いたいというか……」
「なぜ? 正当な理由を求めますよ」
フレッドの質問に答えることが出来なかった令嬢は渋々と首を縦に振った。昨日はアルベルトが全く寝ていなくて殺せなかった。
しかし、今はだいぶ眠たそうにしていて油断していると思ったのだろうか、令嬢のうちの一人がかなり粘ろうとしていた。しかしフレッドは余裕の表情でバッサリと提案を切った。
紳士であれば淑女に恥をかかせないことは基本のキの字だが、彼女達は淑女ではなくあくまで暗殺者だと見なして会話した。
「あ、あっちに楽しそうな見世物があるのを思い出しましたわ。一緒に行きませんこと?」
「ちょっと待ってください」
フレッドは殺意をにじませてそう言う。そろそろ限界だった。
「あのですね。暗殺とかそういう類のものを行うときはもう少しバレないようにしてください。苛つきます」
「「「「え?」」」」
令嬢だけでなくアルベルトさえもあっけにとられた。ようやっと告げることが出来た、とその中でフレッドだけが安堵している。ゼネイア族としての、戦闘民族の本能が出てきてしまった。
五人でゼネイア独立島を一、二時間くらい回ってフレッドは後ろを監視していたが彼女達が人を刺し殺すには効率が悪すぎた。ナイフなんて両手で持つより片手で振るった方がいいというのに。
生物学上女性だから力が弱いというのは分かる。が、もう少し覚悟を持って一振り、くらいすればいいのではないか。
ここまでバレバレな暗殺はもはや茶番といえよう。
「なんでバレてっ……!?」
「僕達のことを何だと思っています? それくらいだったら五秒で気づきますよ」
まあ、フレッドは令嬢たちにそう言っているが、船の中では全く気が付いていない。あのときは普通に見落としていたのだが自分の非を認めようとはしなかった。
令嬢たちは歯噛みする。フレッドが呆れながら捕縛しようと試みた。だが、ある程度の暗殺術を身に付けている人たちだったのか、ナイフで紐を切られた。それでもフレッドが焦る素振りは見せない。
ゼネイア族に対して一本取ったことに興奮しているのか、令嬢の一人――先ほど粘っていたあの令嬢だ――が調子に乗ってフレッドの首筋を狙う。猟奇的な笑みを浮かべ首を掻き切ろうとしていた。
だが、遅すぎた。フレッドは間一髪で刃を止めた。頬からは少し血が流れているが、全く痛くない。そして刃の部分を強く握って彼女からナイフを奪い取った。
至って冷静なフレッドと違って先ほどまで余裕かまけていた令嬢の血の気が引いていた。殺される、と本能的に察知したのか令嬢は這いつくばって建物の所まで逃げようとした。
だが、フレッドの美しくも残酷な攻撃によって気絶してしまった。
ゼネイア族とはいえ流石に人を殺すほど倫理観が失われている訳ではないので致命傷は避けておいた。
フレッドの冷酷で鋭い眼差しが他令嬢の二名に向けられる。一人も殺していないのに纏っていた雰囲気は大量殺人鬼にも近しいものがあった。令嬢がひぃっ、と後ずさる。
「あなた方もこうなりたくなければ早急に逃走することをお勧めいたしますよ。命か名誉か……どちらが大切かを考えて下さいね」
女性たちはぐぬぬ……と言わんばかりに悔しいという感情を露わにしていた。
「この野郎ぉぉぉぉぉ!!」
「それも読めてます。さあ、どうしますか? ここで僕か彼を攻撃するような行動をとればゼネイアで拷問世界が待っていますよ」
ゼネイア独立島の拷問は死に直結している。しかもつい最近は独立島で犯罪が起きることも誰かが侵入してくることもなく良くも悪くも平穏に過ごしていたので拷問役の人達はうずうずしていることだろう。それを伝えると、逃げるようにして駆けだしていった。
舟はまだ残っているはずだ。逃げ切れたらいいな、と思いながら痙攣して倒れている二人の処遇について考える。
近くにいた不審者おじさんに尋ねる。
「拷問担当は誰でしたっけ」
「クリムヒルトさんとジークフリートだよ。夫婦そろって森の番人と掛け持ちはきつそうだよねー」
「終わりましたね」
「なんでー」
フレッドが頬にある傷をひょい、と見せる。ほんのわずかなもので、ゼネイア族にとっては何てことない傷だが、不審者おじさんが未熟な暗殺者たちを哀れなものを見る目で眺めた。
最初にやられた令嬢が気絶状態ではなくなり、ぱっちりと目を覚ました。
「私達をどうするんですの」
「本来であれば拷問担当の人に回さないといけないんですが……」
「いや、さすがに可哀そうだよねぇ」
「そんなに恐ろしい方なのですか?」
クリムヒルトは死ぬほど親バカだ。フレッドの頬にある傷に気づけば最後、拷問官として地獄を見せてくることだろう。ジークフリートもジークフリートで子供のことは好きだし何よりも死ぬほど愛妻家だから生きて陽の光を見ることはないだろう。
おまけに二人はとてつもない戦闘能力を持っているから脱獄は不可能である。そもそも、ゼネイア族に対して脱獄などと愚かさを露呈しているようなものだが。
「僕の裁量で決めちゃっても良いんでしょうか……」
「うん。俺が許すよ。あの二人に拷問されるのはさすがに地獄が過ぎる」
こう言っては何だが、たかが殺人未遂だ。実際に人を殺したわけではないし単なる殺意を抱いただけである。
「ここを離れて下さい。あなた方が生き延びる術はそれしかありません」
「なんで?」
不審者おじさんがとても不思議そうにしていた。もちろん、フレッドのことを殺そうとしていた令嬢二人もである。
「処刑や拷問に関してはそう簡単に行っていいものではないですから」
「フレッド君、ずいぶん丸くなったねぇ」
おじさんは子供の頃のフレッドをよく知っている。ほとんどが戦闘と技術発展に興味を持つゼネイア族らしくなく、人にほとんど興味を持たずにずっと魔術と旅に憧れていたような変人だったということを。だから人が処刑されたところで大した同情もなかったし何なら死体解剖をするために処刑まで自ら行っていたような奇人だったことだって。
「仕事で何かあったのかい?」
「……理不尽に人の命を奪うのは良くないことだと思い知らされまして」
ユーリが処刑されたことから得られたのは結局、これだけだった。だが、その教訓はフレッドを別人のようにしてしまった。元々誰も信じないような性格のフレッドがさらに警戒心を高めてしまった。それと同時に魔物を除く、無駄な殺生を行わなくなった。
「そうかい。じゃあ、ジークフリートには俺が説明しておくから。あそこまで運んでやりなさい」
見た目こそ若者だったのだが、所作やオーラが老人だった。ジークフリートよりも十歳ほど上と聞いたから年齢的には六十代から七十代といったところだろう。割と納得である。
さすがに女性を持ち上げるわけにはいかないので、とりあえず浮遊魔術でふわふわと浮かせた。令嬢たちは魔術はさほど得意ではないらしく、簡単な浮遊魔術に対しても不思議な表情になっていた。
「は、離せー」
「ここで僕が魔術を解除すれば骨折するかつ拷問に誘われることになるでしょうけどそれでも?」
「「……」」
フレッドはさも当たり前かのように拷問について話し始める。具体例を五個くらい話し終わった後に青ざめた顔をしながら大丈夫です、と引き気味に言った。アルベルトが呆れ半分令嬢達への心配半分、といった様子でただただ歩いていた。
先に逃げたあの令嬢だって無慈悲な怪物ではない。きっと、舟の上から身を乗り出す勢いで待ってくれているだろうと信じて足早に港の方へと急ぐ。途中で指名手配されている人を案内するフレッドとアルベルトのことをいぶかしんだ様子で追いかけようとしている人もいたが、なんとか追跡を止めさせたりして無事、港に到着した。
したのだが。
「ないですね。何一つとして舟がありません」
「え、じゃああの女性が一人で乗って帰っていったということ?」
フレッドがゼネイア独立島に上陸したときは確か、小舟が五隻ほどあったはずだ。ゼネイアの人々が自分に意志から外の大陸に向かうなんてことは考えられないし、外の大陸の人達がここを訪れてゼネイアに置いてあった舟ごと持って帰る、なんてことも考えにくい。
「見捨てられましたね」
「えげつないなぁ」
確かに逃げろ、と忠告したのはフレッドだ。本物の殺意を目にしたら怖気づくだろうしすぐに逃げたくなる気持ちも分かる。実際、フレッドだってこの島から脱出しなさい、という勢いであれを言ったのだ。まさか、他の二人への嫌がらせのために舟を全て持ち逃げしてしまうとは。
あまりにも残酷すぎる光景を目にしてしまった令嬢二人の目には涙がたまっている。しょうがないだろう。見ていたところだと相当仲が良さそうで暗殺のためだけに結成されたグループのようには到底思えなかった。フレッドはどう声をかければいいのかと結構悩んだ。
「あのさ、もう一人から恨まれるようなことは今までにあった?」
「いいえ……全く覚えがありませんの」
だろうな、とは思った。逃げた令嬢の一人だけ顔に陰りが浮かんでいた。最初は大貴族を目の前にして緊張しているのかなと考えたのだが大して仲良くなりたくもない人と仲が良いふりをしないといけなかったのだからさぞかし辛かっただろう。
令嬢が裏切った理由の候補は一応三つある。
「あなた方、貴族ですよね?」
「はい……」
「それぞれの親の爵位は?」
「男爵です」
「私もですわ。あっ、ステラさんは伯爵家ですわ」
なんとなくわかった気がする。男爵と伯爵では貴族としての地位は絶対的に違う。令嬢二人がある程度の暗殺術を身に着けていた理由も元は護身術のためであったのだと考えられる。
対して、伯爵の令嬢であれば社交界に進出して有名になっている可能性が極めて高い。フレッドは貴族の事情なんぞ知らないが、多分彼女は男性にも人気があるのだろう。
「おおよそ、何で男爵令嬢の間に挟まらないといけないんだ、って辺りでしょうか」
ほとんどの純貴族はプライドが高すぎる。思わず絶句してしまうほどだ。大体、今まで客として乗せてきた貴族の中でもダリヤとかアルベルトは全く驕り高ぶっていないが、たまに家族旅行などでフレッドに依頼してくる人は信じたくないほどにプライドと金だけはあった。
逃がしてやったか? と不審者おじさんが空気を読まない声で話しかけてきた。
ただ大きな海と一隻も残っていない舟と泣きそうになっている女性というところから何となく察してしまっていたようだ。
この島では自然物の伐採が禁止されている。島にある天然のものの全てが神の世界と繋がっている、と言われているくらいだ。だから、警戒犯のためだけに木を切り取って一から舟を造り上げるということは出来ない。
どうすればいいか本気で悩んでいた時、背後から間の抜けた声が聞こえてきた。
「フレッドー。なんでそんなに思い詰めているのかしら?」
「わっ、母さん。驚かさないでよ」
「ふふっ、ごめんなさいね……ところで、フレッドの頬にある傷。これはあなた達がつけたもの?」
クリムヒルトの表情は柔らかかった。だが、声色は女性が発せるとは思えないくらい低かった。
彼女は親バカだ。自身の子供が傷つけられていたら絶対に許すことはない。ちょっとうちへ来なさい、と命令口調で言われたアルベルト含む三人は顔を真っ青にしていた。
彼女の命令に従って、おじさんも一緒にヴェレスフォードの家に向かうことになった。




