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或る御者の旅  作者: 駱駝視砂漠
第三章
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第五十二話 ゼネイアと世界樹の森

「そろそろ目的地ですか。アルベルトさんと合流しないといけないのに……見つかりそうにありませんね」

「えっと、ゼネイア族の方ですよね? 無料でいいですのでどうか命だけは!!」


 自分たちはどのように思われているのだろう、とフレッドは呆れる。こうやってゼネイア独立島に近づいていても殺しにかからないあたりはだいぶ温厚だと思うのだが。

『ゼネイア』という単語が出てきて今まで見ようともしていなかった人たちがフレッドのことをじっと睨みつけた。


 人に視線を注がれて不愉快に感じたフレッドは金貨を払ってすぐさま店の外に出た。ちょうど鞄に帽子があったのでそれを深くかぶる。これだったら奇抜な髪色も不幸な瞳もバレない事だろう。


「……レクトーヌ島に到着です。足場が不安定なので気を付けてください」


 低めの声が船内に響いた。うどん、という蓬莱鬼国周辺に伝わるコシのある麺類を食べながら不意に上を見た。少々味が薄いが、それでも心に染みる温かさというものがあってよかった。つまり、美味しかった。


 うどんの汁を飲み干して出口の方まで移動した。アルベルトに連絡用の魔術式で集合場所を伝えたから大丈夫だと信じたいが、もし彼が迷ってしまったら困るので船の出口付近で待ってみることにした。


 船が到着し、そこから出発するまでには三日もある。それはレクトーヌ島で観光する人もたくさんいるだろうという配慮だが、人を探しているフレッドにとっては好都合だった。


「アルベルトさんここにいたんですか。とりあえず島でボートを借りてゼネイア独立島まで向かいますよ」

「ああ、行こ

「えっとフレッドさん! わたくし、アルベルト様と一緒にゼネイアまで行きたいので……一人で乗ってくださいませんこと?」


 アルベルトは驚愕した。彼の表情的にのらりくらりと躱しきったつもりなのだろうが、そこまでうまくいったようなわけでもなく逆にとてつもない好意を抱かれていたらしい。


 フレッドはキョトンとした表情になったが、彼の口から断るの一言が出ていないところを見るに嫌、という訳ではない気がする。


「いいですよ。地図は書いておきましたからその通りに向かえば迷うことはないですよ」

「ありがとう……」


 アルベルトは紙切れ一枚を受け取る。ぐったりとしていた。数週間くらい前までは引きこもりのほとんど誰とも話さないような生活だったから喋るので精一杯になって今は頭を使えない、といったところだろう。


 フレッドは休暇を取るたびにちょくちょく独立島に遊びに行っているのでどこから行けば辿り着けるのかをすべて覚えている。


 アルベルトと貴族の女性三人はボートを借り忘れていた気がするが、別の店でも貸し出しをしているので大丈夫だ。多分。


「おう。何年ぶりだい? そんなに親に会わなくて辛くないのかい? というかもっと会おうとしてもいいのに。何か理由があるのか?」

「仕事が多くて。本当、この職に就いてから平均睡眠時間が二時間ですよ」


 ボートの貸し出しを行っていたおじちゃんがうわぁ、という憐憫も含んだ眼差しでフレッドのことを見つめてきた。リャーゼン皇国にある御者組合は技術が高いのに反して拘束時間が長すぎる。それはもうどうしようもないし、職場にいないときは基本的に旅が出来ているので満足しているのだが。


 銀貨を十枚払って丈夫そうなボートを一隻借りた。

 青い海を一つの箱が切り裂いていった。そういえば先ほどからアルベルトとその一行いっこうの姿が一向に見える気配がないが、本当に大丈夫なのだろうか?


 * * * 


「わぁー。ねぇねぇ皆ー、ヴェレスフォードさんのところの息子さんが帰ってきたよー」

「まじー? クリムヒルトさんに伝えてくるわー」


 女子二人組がものすごい速さで駆けていった。彼女達も当然ゼネイア族なので移動速度がこれ、というのはもはや当たり前の事象である。久しぶりの感覚だった。風が凪いで、自然がフレッドと共鳴している。とても懐かしい。


 フレッドがゼネイアに帰ってきたことはすぐにいろいろな場所に広まって人々が彼のもとに集まってきた。


 ゼネイア族は首を討ち取って広場に飾るような蛮族ではない。それどころか技術はプリヴェクト帝国と同等かそれ以上な可能性もある。


 子供がフレッドの足に抱きついてきて重心がぐらついた。草むらの中で尻もちをつく。


「あ、フレッド―お帰り! 会いたかったよ。何年ぶりかなぁ」

「母さん、そんなにむやみやたらと人に抱きつかないの……あとただいま」


 フレッドの母――クリムヒルトは無駄に容姿がいい。儚い印象もあるから男性にめちゃくちゃモテるのだが、強いこともあって弱い人はすぐに撃退されてしまうのでとてもふわふわとした『ザ・天然』と形容できるのだった。


「わぁ、会いたかったー。ねぇ顔見せてー?」

「はい。そういえば父さんはどこに行ったの? 母さんと一緒に行動してるものだと思ったけど」

「フレッド……なんでクリムと抱擁し合っているの?」

「あ、父さん」


 ジークフリートは半眼だった。彼はとてつもない愛妻家だ。以前、ゼネイア独立島に人が訪れてクリムヒルトに手を付けようとしたとき彼は激怒して男を滅多刺しにしたという。


 協力を要請されていたが島を渡ってその協力者さえも全滅させたほどである。一種の狂気だ。

 まあ、それさえなければ笑顔しか見せないから彼の地雷さえ踏み抜かなければ絶対に死なない。


「フレッドも成長したわよねー。ほら、私の背も越したでしょ?」

「母さんの伸長を越したのは十年くらい前だよ」


 とにかく荷物が重かったので、両親にも持ってもらって実家に帰ることにした。


 フレッドは、世界樹の森に誰も来ていないのかを尋ねる。森の番人という役割が十年に一度という頻度で島の中の誰かに渡ってくる。それに選ばれてしまった人は、世界樹の変化や森に誰も侵入していないか、神の啓示によって入ろうとしている人が適合している人かを確かめなければならない。


 数年前くらいにジークフリートがそれに選ばれたのだ。彼曰く、侵入しようとした人は数年前に一人いるだけで、ゼネイア族に恐れおののいているのか誰も近づいてすら来ないようだった。


 ゼネイア族は暇なときに物を作ったり食料を確保したりするから、大体の人が働いていない。久しぶりにこのほんわかとした雰囲気に圧倒される。本当に懐かしい。


「フレッドはお仕事大丈夫なの? ほら、危険に巻き込まれたり、色々な人に口説かれるとかない?」

「普通にありそうだけど。まあ、フレッドの性格的に全部断っているだろうよ」


 そういえば二人はもう五十代なんだな、と不思議な感覚になった。フレッドとたいして年齢が変わらないように見えるが実際は三十年以上生きている年月が違うのだからそんな現象に陥ってしまうのだろう。ジークフリートは不思議な顔もちになりながら、フレッドの後ろの方を指さす。


「あそこにいる人達はこの島で見たこともないけど。君が連れてきたのかな?」

「誰? ……ああ」


 キャッキャッと若々しい声が聞こえてきて、その中に覚えのある声も混じっている気がしてそれ故にスルーしていた。が、父親に突っ込まれてとてつもなく気になって思わず振り向いてしまった。案の定、アルベルトと令嬢三人がはしゃいでいた。


 何やってるんですか……と、フレッドは独り言を漏らす。

 未だに困惑しているものの、口角が上がり切っている。令嬢は普通に容姿が良かったし性格も悪そうではなかったから幸せではあったのだと思う。


 何よりも今までほとんどの人と話せていないせいか、免疫がなく、すぐに人を好きになってしまう恐れがあった。


「友人さんならたぶらかされるのを阻止した方がいいんじゃない?」

「まあ、この島に居座られるのも困るし行ってくるね」


 歩いて彼のもとに向かうと、アルベルトはめちゃくちゃ笑っていた。世間話ができる程度には仲良くなったらしい。声をかけようとしていたフレッドは沢山話しても心を開くことは絶対にないし、少なからず疑ってしまうので羨ましいな、という気持ちも込めて微笑ましい目で見つめる。


 だが、他の人はかなり迷惑そうにしていた。普段はうるさいこともないしほとんどの人が大人びていて落ち着いているので、軽蔑の眼差しといった方が適切だろうか。


「アルベルトさん、少しいいですか?」

「ん? あぁ、どうしたの」

「他の人に変な目で見られているのではしゃぐのを抑えた方がいいかと」

「あっ、ごめん!?」

「フレッドさんはここ出身なんですね! 泊まれる場所とかはあるんですか?」

「ないです。基本的に観光客が来ないので」


 女性たちはかなり困っていた。最悪、アルベルトは野宿してもいいが、貴族の箱入り娘となるといくらゼネイア族が島の外の人に興味がないとしても恐ろしいに違いない。あと、ゼネイアだって普通に魔物は出現するし。


 どうすればいいかを考えていると、令嬢の一人が赤面しながらフレッドに尋ねた。

「あの、フレッドさんの家に泊まらせてくれませんか?」

「うわぁ……」


 下心を隠す気も無くてドン引きしてしまった。まあ、ゼネイア族の中でかかわりがあるのはフレッドだけでしょうがないから頼むという面もあるのだろうが、それにしたって強引すぎる。

「僕は両親と住んでいるので許可を取ってきますよ……」


 クリムヒルトは置いておいて、ジークフリートは多分というか絶対に断るだろう。疑り深いしあの人は人が何を考えても何となく分かってしまうからフレッドが推理しなくてもすぐに判断できるのでジークフリートに任せておけばいいだろう。


 フレッドは家に帰って家族会議を開こうとして振り返ると、真後ろに呆れたような表情のジークフリートがいた。


「父さん、どう思う?」

「嫌だね。申し訳ないが他の所を頼ってくれ。人の紹介なら喜んで引き受けよう」

「ですが、誰も知らなくて困っていて……」

「なんだい? そこまで我々が迎え入れないといけない理由でもあるのかい?」


 雰囲気のそれが神に近しいものだった。ゼネイア族は世界樹の恩恵を受けているから、神の力を少しだけで受けている。それゆえか、頭もよく戦闘能力も高いのだ。だが、神の一部を受け継いでいるのもあって人をほとんど信頼しないからこうやって独立島をつくっている。


 いずれにせよ、ジークフリートは明らかに拒絶していた。神のような雰囲気に遠慮して、走り去っていった。フレッドも何事もなかったように家に帰ろうとする。


 アルベルトがジークフリートの袖を掴んだ。彼の瞳は興味を失ったジークフリートのことをきちんと捉えている。

「さっきのは失礼ですよ。謝罪した方がいいです」

「なぜ。引き受けるも断るも我々の自由だ」


 ジークフリートがばっとアルベルトの手を引き剥がし、広い荒野の中を戻っていく。だいぶ上から目線な話し方だったかつ、貴族で上の立場にいる人がほとんど存在しないからさぞかし苛ついたことだろう。舌打ちをして周囲を探索し始めた。


「アルベルトさん不愉快でしたらごめんなさい。父さんは島の中でも頭が良くて人をよく下に見がちなんです」

「本当にあれは人間? 正直言って異常なんだけど」


 解せぬ、といった顔でアルベルトは探索に向かった。フレッドもあとで注意しておかないとな、と思いながら走って家に向かった。


 * * * 


「あフレッド。さっき人に絡まれたらしいけど大丈夫?」

「もう少しきっぱりと断っても良いんじゃないか?」

「まあ、断っちゃったの。外の人は気になるから受けてもよかったのにー……というか話したかったなぁ。どうせジークが冷たく断っちゃったんでしょ? あーあ」

「ごめんごめん……まさか君がそんなに望んでいたとは」


 クリムヒルトがむすっとした顔で椅子に座った。料理は既に完成していて、ほくほくとしている。少年の頃に戻ったような懐かしい感覚になる。


 味覚も伴っていて、暖かい料理で涙腺が決壊しかける。

アルベルトが去るときにもらった、世界樹の森の前で待っているという手紙を少し見つめながら、クリムヒルトのつくった流行からちょっとずれている料理を味わった。

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