第四十五話 幽霊街~a.k.a, God of death
「ははっ、フレッドがあんな不満を抱えているようには見えなかったよ。まあ、笑えないんだけどさ……」
いっそのこと、とてつもないほどに清々しい、晴れやかな笑顔だ。フレッドは絶句している。今までこんな量の手紙は来たことなかったし、一回で来たとしても遠慮してのことか一通だけで済んでいたのに。
「まさかその二百倍が来るとは思わなんだ」
「本当ですよっ。というかざっと目を通した限りだとすべて違う内容ですよね」
亡き霊の塔の一室、フレッド達が泊まっている部屋に送られてきたのはそれはそれは膨大な量の手紙たちだ。
犯行時刻はフレッドが珍しく眠れた夜――つまりは十二時ごろからアルベルトが絶叫した四時までの間のどこかだ。
かさかさと何かが風で揺れる音が聞こえたから目が覚めてしまったようで、目を薄っすらと開けて扉の方へ振り返ると『フレッド=ヴェレスフォード様へ』と書かれた手紙が既にあったとか。
それもすべて同じ人による犯行であることは筆跡からなんとなくわかる。自主的に来るとは思えないこの国のしかも唯一の宿泊施設だというここを特定しているあたり、本物のストーカーである。
「熱狂的なファンなんだねぇ……」
「茶化さないでくださいー。あ、けど流石に逃避したいので全然いいですよ」
もはや混乱状態である。フレッドもこういう女性からのアプローチには慣れていると自負していたが、上には上がいた。しかも相当高い壁。とりあえず部屋のごみ箱に捨てきれる量を凌駕していたのでそのままごみ処理場まで向かうことにした。
その間は暇だった。そして何よりも緊張が幽霊街の恐怖を上回っていたから、紛らわすために元凶となった手紙を一枚一枚丁寧に読んでいった。
「『もしセリヴァンの方々からの逃亡が難しいと感じればいつでも呼んでください。どこにいたとしても駆けつけます』……まあ、こういうのってどこかで発散しないとだからしょうがない所はありますよね」
「そうやって割り切れるのはおかしいよ……」
フレッドの精神の異常についてなんとかかんとかと言っているがフレッドだって今ここに人がいなければそれらの手紙を殺意という殺意が全てこもった魔弾で木っ端みじんにしていたことだろう。
幽霊街の人々にどこか、大量の紙を燃やせる場所がないかと聞くと、葬儀屋と名乗る女が全てを燃やしてくれるという話を聞いた。どうやら、物体でなくとも心の未練まで燃やしてくれるらしい。
幽霊街の人はチラチラとフレッドとアルベルトの手にいっぱいある、手紙の数々を遠い目で見始めた。いつも他の人たちに話すように接してくれたが、ついに気になってカサカサと触り始める。
断るような理由もないので抵抗することなく手紙の一つをあげると、その狂気的内容にドン引きしていた。
「どれくらい想っていたらこんなやばい文章になるんですか……」
ブツブツと呟いているが、ルーダル特有の言語なのか、全く分からない。フレッドが周りをキョロキョロと見てあることに気がついた。
「ここって多民族国家なんですね」
「そういえば……確かに色んな国の人がいるよ。僕も結構長く住んでいるけど気づかなかったなぁ」
髪の色が奇抜だったりそもそも骨格から違っていたりで違和感を抱いていたがようやく納得できた。
二人と会話していた彼が言うには、この国の人々はいつの間にか新しく来ていつの間にかいなくなっているとのことである。
前者の方は良いかもしれないが、後者はまずいだろう。普通のこととして日常に失踪事件が侵蝕しているのが怖すぎる。幽霊街と言っているのに全く心霊現象が起きない。それどころか、人間が引き起こした事件の方が多いという事実をフレッドは恐ろしく感じてしまった。
これも神隠しの一言で済ませられるかもしれないが。
「これ、二人で持つのはキツいだろうから……僕も手伝おうか?」
「ありがとう! じゃあ君はこの七十枚を持ってくれ」
アルベルトがちゃっかり自分の持つ量を減らしているのは気にしないでおいて。とにかく彼に葬儀屋のいる場所まで案内してもらった。
フレッドは恭しく辞儀をすると彼はフレッドの態度に困惑しながらも笑顔でその場を立ち去った。
アルベルトは明らかに異様な光景を目にする。そこに並んでいるのは無数の墓石。
墓場、という表現が一番相応しい気がした。怨恨とか感情とか、心霊にありそうなものは視えないがそれにしても不気味だ。何かを弔う樹の後ろから女性が出てくる。
「あなたも何かを燃やしたいの……って人間!?」
「えっと、この手紙達を燃やしてもらいたいんですが……」
先ほどは堂々としていたはずなのに、今となっては樹の裏に隠れてボソボソと話している。
「大丈夫? というか人はここに来ないんだ」
「えっと、来るんだけど人間じゃないっていうかなんていうか……」
もう葬儀屋は諦めて二人のことを人外だと見做して話し始めた。もちろん、二人は心外という表情である。
「えっとここは全てを燃やす墓場。もしあなた方の願いが世界であれば世界を燃やし尽くすことも可能だよ」
彼女――葬儀屋の別名は死神。本当の名前は名乗ってはいけない掟があるとのことで名前は教えてくれなかった。
この国の人たちには死神、ではなく葬儀屋と名乗っている。どうしてフレッド達に伝えたのかを尋ねる。どうやら、信頼できるように見えたらしい。
胡散臭いなどと言われなくて一安心だ。
そしてこの国の人に一切を洩らさないことを約束させられる。もし破ったら二人の命はない、と脅し文句までつけられて。
「じゃあ、これをこの世から抹消していただいて……」
「言い方に悪意こもってるよねー。って、ん?」
葬儀屋が挙動不審になっている。手紙の中から魂のようなものが出てはいるが、なかなか取り出せていない。フレッドが焦ったようになって前に乗り出す。
「なにかおかしなことでも?」
「消えない……」
ものにも作った人の気持ちが乗りかかっている。それを死神は『未練』という。最初に未練を取り払ってからものを消さないと現世に影響を与えてしまうから適切に処理をしないといけない。
大体――というか今までの全ては死神の技量や殺意よりも未練は少なかった。だからきちんと処理できていた。
なのに。
「おかしい。人間でこんなに想う力が強いなんて……あってはならないわ」
つまり送ってきている相手は普通に考えれば人外、とても最悪な可能性だとマジもんのフレッド大好きメンヘラというわけだ。どちらにせよまずい状況には変わりない。葬儀屋は必死に頭を下げる。
「ごめんなさい!! あなたのストーカーが追ってきているのよね……私でもどうしようもないなら神架教の神を頼るしか……」
「いいですよ。慣れてますし。これはどこかに捨てればいいですし」
申し訳ないから、と葬儀屋が提案した。ルーダル幽世国に人がくることはないから自力で観光名所を見つけるのが難しい。だから彼女が案内してくれるようだった。観光名所……といっても大層なものではないし古びた戦場とかそういうのしかない。
「こんなつまらない国だけど、いいかな?」
「ぜひ紹介して欲しいです。僕、そういうところが大好きなので」
アルベルトはゾッとする。表情はコロコロ変えた方がいいと助言はしたが、何も急に変化させなくても良いのでは。
「この国はね、魂が彷徨える場所なの」
ポカンとしている二人に葬儀屋は説明する。魂は死んでもそこにあり続けるが、全てから忘れられた瞬間、そこにはいられなくなる。だから歴史書に書かれなかった建物、事象、その他諸々。ここにあり続ける。要は別の世界となりつつある存在をこの国が引き留めているのだ。
「地獄も冥府も人が多いからねぇ。魂が転生するまでここは待機所になっているんだよ」
「天国は?」
「天界は神が選んだ人しか入れないから。今は一人いるってねー」
どうやらかなり汚れている教会の中でも祈りを捧げ、唯一神と交友があったまさに聖人らしい。だが聖人は理不尽に死なないといけないというルールでもあるのだろうか。不遇すぎる話し合いによって死刑となった。
それもこれも、神のせい。
「唯一神に好かれたら短命らしいね。君たちも気をつけるといいよ」
そう言われたってどうしようもないのだが。フレッドは何も返せずにただ苦笑するばかりだった。
* * *
「世界に忘れ去られたものなら大体あるよ。まあ、性質上古いものばっかになるけど」
「アルベルトさんはどこに行きたいです?」
フレッドにそう尋ねられて彼は深く悩む。別にそんなに困る必要はないのだが、全く何も知らない、情報もない土地でどこに行きたい? と唐突に質問されているも同義である。そんなもの、迷わないはずがないだろう。
そりゃあそうか、と死神は笑った。墓場から三人が抜ける。何かを葬るために訪れた人を混乱させないように『本日中止也』という看板を立てかける。
人が来ない日はないようで実際、フレッド達がすれ違った人は絶句し膝から崩れ落ちている人もいた。
「まずはその手紙から捨てようか。楽しめないだろうし」
死神でも落とせない未練というものは初めてだが、彼女がダメだった場合の策は一応ある。
それが今、三人の目の前を流れるファンタズナ川だ。流していると地獄まで行ってくれるらしい。
もし、ここまでやってダメなら諦めて魂が消えるまで永久保管という道しかない。
「お願いします……!」
そう言いながらフレッドは川に二百通全ての手紙を流す。一種の賭けに近い状態だ。
薄っすらと目を開ける。白いものが見えない。目を半分だけ開かせる。そこには綺麗な川の水がさらさらと流れているだけだ。そして最後に紫の瞳を全て開けた。何もない。本当に何もない。
「ない! 良かった捨てられて……」
「冥府の方の神様には伝えておくわー。突然上から恋文が落ちてきても気にしないでね☆ って」
「いやあれは恋文というより怪文書では……?」
ファンタズナ川ははるかはるか昔の、そもそも地上に神が住んでいた、なんて馬鹿げた時代にあった神々のための娯楽に使われていた川だ。
当時は盛大に流れていて、いくつもある川の脈のどれか一つが地獄に、どれか一つが天国につながっていた。賽を投げて出た目だけ自由に川の脈を移動して最後に地獄につながっていた川を選んだ神が負け、天国を選んだ神が勝利である。
神は賽を振らない、とは言ったものだが、どうやらずっと前は違ったらしい。葬儀屋も、その遊びに参加していた一人で、最終的な勝負に負けたことで『なんか勝手に進化しちゃった』人間が消したりそもそも消えた人間を管理するための地獄や冥府を行っていた。
しかし、異常によって発生したこのルーダル幽世国の管理を直々に任された。断る理由も断る権利もないので何となく引き受けたが、人間の下らない悩みが知れて面白いとのことだ。
「神様だねぇ……」
「なんでしょう。考え方というか元々が違いますよね。尊大というか」
「長く生きていれば全部がしょうもなく見える時だってあるよ。というか、サイコロゲーム、やる?」
二人は恐ろしさからブンブンと首を振る。ヤーナ=レムであんなに大声で死にませんようにとか言ったのだからこれで死ぬのだとしたらあほらしいことこの上ない。
葬儀屋は落ち込んだような顔をしながらもファンタズナ川を横断する。彼女の行動に従ってフレッド達もふわふわと浮きながら川の向こう側へ向かった。
「今から行くのはちょっと昔にあった処刑場だよ。今となっては伝えるような人もいなくなったからここに置かれているんだねー」
「『ちょっと』というと?」
五千年前。葬儀屋が彼の質問にそう答えた。アルベルトがえぇっと大声を出す。普通の人間からしてみれば二百年の時点で気が遠くなるほどだろう。実にそのニ十五倍だ。それでも彼女からしたらちょっとという感覚だ。
「ついたよー。これが古い処刑場だねー。伝えてはいけない禁忌とされていたから記憶から消されるのは割と早かったみたいだよ」




