第四十三話 逃亡は続くよ、どこまでも
本当に元のような幸せが満ち溢れている光景に戻っているのか。二人は確認する。
それは次の山に向かうときに把握できた。色々な人が山に登り、美味しそうなものを食べたり山々の美しさに感動して写真を撮っていたり。
つい最近まで暗かった人たちだとは思えない。フレッド達が下山しようとしたとき、一組の家族に呼び止められた。先ほどの少女が見えるに、大人に男性と女性は彼女の親なのだろう。
「はい?」
「一緒にご飯でもいかがですか。せっかく私たちの幸せを戻してくれたんですし」
「いいですよ! 僕たちはそんなすごいことをしていないですし……」
「フレッド、ここで人の気持ちを無碍にするのはよくないよ。すみません、自分達も参加できますか?」
三人はフレッドとアルベルトの分の弁当まで作ってきてくれていた。どうして二人が元凶を潰したことを知っているのかと尋ねると、少女が教えてくれたという答えが返ってくる。
「私の娘はかなり頭が良いんですよ」
「君、よく頑張りましたね。先ほどは花畑について教えてくださりありがとうございました」
花畑と聞いて、夫婦はピクッと体を揺らす。アルベルトはそれを見逃さずにどうしたのかと聞いた。
確かにあれは五年ほど前に突如として出現し、そのまま枯れることもなく今に至っていたという。あそこら辺は元々は本当に何もない場所で誰も近寄ろうとすらしなかった。
だからなぜあんな場所に花を植え、人から幸せと魔力を奪ったのかという疑問だ。
それにフレッドが返答する。
「それは全く別の場所で燃やし尽くされた花です。花の魂が種の一つに乗り移って活動をしていたんだと思います」
彼の回答を聞いて夫婦はとても驚いていた。今まで花々の魂は輪廻転生をするのか、永遠にそこを彷徨っているだけだと教えられたからである。
確かに、本来の花には記憶が消えたまま輪廻転生や魂の浮遊が行われる。
しかし、今撃退したのは神の古代文字が刻まれた剣によって生み出された花である。そんなものにこの世界のルールが適応されるとは到底思えない。スルトに燃やされても消えたくないという気持ちが勝ったのだろう。
「はぁ……とても難しいことですね。まあ、こうして楽しく語り合えるからどうだって良いんですけど」
フレッドはご飯を口に運ぶ。『赤飯』と言うようで豆がとても甘くておいしかった。
夫の方が思い出したように手をポンと叩き、二人に話しかける。
「そうだ。この山にある高門神社に行ってみてはどうでしょうか」
「「神社?」」
曰く、神様を祀っているところだという。神架教の教会との違いは、建てられた神社ごとに祀る神様は違うらしい。この美しい山の連なりの中で確認できる神社の数はおよそ千。本家である蓬莱鬼国も含めれば一万は軽く超えるとのことだ。
神社は妖怪を崇めても良く、フレッド達が訪れた『高門神社』には当たり前のように妖狐が神社の境内に佇んでいた。流石に鬼を信仰しているような人はいないが陰陽術の時に鬼の占星術を利用している人もいるらしい。こんなに神様がいても神架教は根付いていないようで、ユーリの十字架が変な目で見られていた。
「妖狐って人に化けるんだよねー。まあ、ここの狐は優しいようだから良いんだけど」
アルベルトは妖狐をなでなでしていた。フレッドも触りたい気持ちでいっぱいだったが、触りたい気持ちを必死に抑える。
「あんたたちー。なにやってるの?」
箒で周辺を掃除していた赤と白の着物のような服を着た女性が呆れながらもそう言った。突然のことだったので驚いたアルベルトは後ろを振り向く。
さっきは狐が珍しくてずっとそちらの方ばかり見ていたが、彼女もまた見たことのないような容姿である。彼女はとても気だるそうにしている。緋と白の袴が風でひらひらと揺れていた。フレッドッは気が付かなかったが、それが巫女の陰陽術によるものだとアルベルトが察する。
ここで不審な動きを見せたら即殺されかねない。ポーカーフェイスで乗り切ろうと。
「観光客なんですけど……ここってどれくらい長いんですか?」
「そうだねー。神社が出来て山が出来てっていう流れなんだけどー。大体何万年前、とかじゃない?」
フレッドには分からなかった。何故山が出来て神社が建てられるという順番じゃないのかという疑問である。彼の悩んでいるような表情を見て高門神社の巫女はつらつらと彼の疑問に応じる。
「このヤーナ=レムの山々は神様たちがお造りになられたの。まあ、土地信仰も含めてね。けど神が地上に干渉するには神と人との連結点が必要だから先に神社を造らないといけなかったの」
鏡園御詠子と彼女は自己紹介をする。
一つ疑問があった。とてもしょうもない、聞く意味があるのかすら分からない謎。そう、魔力が戻ってきた今、山も彩を戻し、人々は皆楽しそうにしている。それなのに彼女だけは二人と話している間終始だるそうだった。
曰く、彼女は元々やる気がないらしい。というのも、数年前から参拝客が全く来なくなって閑古鳥が鳴いている状態だった。そうすると、すべきことが神社の掃除くらいしかなくなる。幸せがなくなった最初の方はそれこそ復興してやると意気込んでいたが、布教はあまり好ましくないので次第に面倒くさくなっていった。
「まあ、もし暇だったらまたここにおいでよ。あ、ちなみにその妖狐はすごく大きくなるからね」
鏡園が指をパチンと鳴らすと、だんだん大きくなっていき、鳥居と同じくらいになってしまった。ひぇぇ、と情けない声を出してアルベルトは逃げてしまった。呆れながらも彼を護衛するために追いかけようとする。
しかし鏡園がガシっとフレッドの手首を握る。これ以上見失うと探し出すのが本当に困難になってしまうので振り払った。
巫女の、白い袖が綺麗に揺れる。
フレッドは女性に失礼な態度をとってしまったことに気づいた。
「ごめんなさい」
「いいよ。というか謝られるようなこと、されてないし」
「そうですか……」
「ところで、今消えた彼はものすごい多くの人に追われてるんだねぇ」
どうして。フレッドが言いそうになったが詰まって言葉にできない。
彼の代わりに鏡園が説明してくれた。
「簡単だよ。妖狐は神通力はもちろんのこと、強い妖術だって持ってる。まあどっかの戦闘狂爺さん……じゃなくて鬼よりは弱いだろうけど」
彼女はあえて実名を出さなかったがフレッドには分かる。『さ』から始まって『う』で終わるあの鬼だ。フレッドが悟りの表情になりながら白髪のジジイがガッツポーズをしているところを連想すると、彼女も愚痴を話し始める。
「あの鬼、妖狐様に決闘仕掛けてあいつが勝ったと思えば神社をことごとく破壊して立ち去るんだ。本当に悪趣味だよね」
赫夜との約束には欠点があった。
確かに鬼が負ければ数百年は人の殺生は禁じられている。しかし、器物や妖怪の損壊については何一つ言及されていないのだ。つまり『人が死なない範疇』でなら彼は何をしてもいいのだ。
人がほとんど来なくて妖狐という強い相手がいる、という最高の条件。西行ならそれだけでも釣られてくるだろう。
「まあ、それは置いておいて。もし彼とかあなたが殺されそうになったら狐を思い出して祈りなさい。そうすれば妖狐様が敵を噛み殺してくれるだろうから」
妖狐がブツブツと何かを言っているが、おそらく人間には到底理解することができないような言語だろう。フレッドは割り切って、鳥居の前で手を合わせ、頭を下げた。
「アルベルトさん、こんなところにいたんですか」
「ちょっとあの狐が怖くてね。自分勝手にどこかへ行ってしまって申し訳ない……そうだ」
フレッドの前で堂々と頭を下げたアルベルトは、彼に一枚の写真を見せる。
これは? とフレッドが尋ねる。どうやらこの写真は山を一つ越えた先にある黄泉山というヤーナ=レムの中でも一際目立つ大きな山にある寺で撮られたものだ。
この国は基本的に神社を重視しているから寺の入る余地が一切なかったのである。だからバレないように森林の奥深くに建てたものが現代になって木々が伐採されたことによって発見されたらしい。それが美しい建築方法だったから全世界の各地から観光客が相次いでやまないようだ。
特に秋の季節。今は黄泉山だけでなく全てが紅葉で染まっているので息が止まってしまうほど美しい風景が完成されるのである。
そして、二人が話している間にも、どんどんと観光客がゆっくり登山をする二人を追い越してゆく。
「彼らを見るに、山は結構遠くにありそうですが、体力はありますか?」
「大丈夫だよ。さすがに登り切れる」
アルベルトは有言実行した。割と歩くスピードが速めなフレッドと等速で歩き続けたのだ。しかも疲れているような素振りも見せない。
逆に、フレッドが疲れてきたので『甘味処』と暖簾に書かれた店に入る。
「そういえば」
「……?」
「他の観光客の情報によると寺の高台から大声で叫ぶと願いが叶うんだって」
ありきたりだが、アルベルトに高台に登って願い事をするならと質問する。
「自分? そうだなぁ……まぁ逃亡中に死にませんようにーかな。フレッドは?」
突然だったから何も考えていなかった。
熟考する。願いは――ない。フレッド個人としてはただ旅を続けられればいいだけだし他は何があっても別に構わない。唯一嫌だと思うのは客が死ぬことだろうか。甘味を口に運びながらフレッドは彼に言った。
「じゃあ僕もアルベルトさんと同じことを願いますよ」
ぱぁっとアルベルトの周りの雰囲気が明るくなっていた。それは美味しい甘味を食べたから、というのもあるだろうがフレッドと話した時だけさらに輝いていたような気がする。気のせいかもしれないが、自分の発言で人を幸せにできるというのは悪い気がしない。
フレッドの自腹で会計を済ませ、店を出るとすぐに歩き始める。栄養補給を行った直後だったからか、歩くスピードはさらに上がり、あっという間に寺についてしまった。といっても、途中で色々な店があったから結構金と時間を使ってしまったが。
まあ、楽しかったからオーケーだろう。
「ここから叫べばいいんだよね?」
紅葉が一望できる高台をキョロキョロと見回す。この木の柵にもたれかかって愛の告白をしている人や思いのままに願いを話している人。本当に多種多様だ。浮いてしまうということは確実にないので、思い切って大声で叫ぶ。
「「この旅で、二人とも死にませんようにー!!」」
予想外なほどに響いたのでそれが周囲の山に木霊する。神か仏か、あるいは妖怪か。誰が二人の願いを叶えてくれるのかは分からない。一瞬だけ、あはっははー、という忌々しき声が聞こえたような聞えなかったような。
周りの様子を見ても誰も挙動がおかしくなっていなかったので本当に聞こえていたとしてもフレッドとアルベルトだけだ。
お守りが売っていたので二人で相談しながら結局アルベルトの分だけ買った。
「買わなくてよかったのか? 心の拠り所になると思うんだが」
「いいですよ。その分実力で補えばいいだけの簡単な話ですし」
「うわー。自信で満ち溢れてるー」
これくらい堂々と宣言しておかないと客を守ることは難しいだろう。そう考えてあえて買わなかったのだった。
アルベルトは若干心配していたが、案の定、誰からも注目されることなく無事に山を下りることが出来た。フレッドだけ、女性からチラチラとみられていたが特に気にかけることでもない。
夕暮れて、ホテルに戻り、晩食を食べるために外に出ようとすると、受付の女性が急いで二人のもとに駆け寄ってきた。尋常じゃないほどに汗を滴らせていたので気になって尋ねる。
「どうしたんですか?」
「セリヴァンの人々が侵攻してきました!! 先ほどはかく乱させましたがいつバレてもおかしくない状況です。今すぐ逃げた方がいいかと」
外に銃声が響く。そしてアルベルトを探す声。それはもちろん荒々しかった。
「……アルベルトさん、さっさと離れましょう。ここは危険です」
フレッドが急いで銀貨で宿泊費を払おうとしたがこの国に笑顔を戻してくれたから無料でいいとなった。逃亡の旅は、どこまでも続くらしい。




