四十一話 ヤーナ=レムは笑わない
「はっ!? ここどこだよ……」
「ヤーナ=レム山岳領ですよ。流石にあそこに留まっている間に殺し屋が来てしまったら駄目なので。あと、刺客が一人来ていたので撃退しておきましたよ」
フレッドが呆れたように結界が張られているところを指さす。アルベルトを殺そうとした男は泡を吹いて倒れていた。護身術と言って殺意高めな御者に貴族は青ざめている。
彼にゼネイア族の血が流れているのだということを改めて実感させる。戦闘狂でしかも強いとかゼネイア族の特徴すぎる。
アルベルトは考えていた。フレッドはいつ来たのかも分からない人を倒してくれた。即ち、アルベルトが寝ている間にもずっと監視してくれていたのだ。
「フレッド、君寝た方がいいんじゃないか!?」
「……? 別にいいのですが」
「よくないだろう!! だって、疲れ切っているじゃないか」
フレッドは手鏡を取り出す。確かに、目の下にはクマが出来て、少し貧血気味のようだった。報告書を徹夜で作ったツケが今更回ってきたようだが、このままでは旅をすることは出来ても何百人といった敵から客を守ることが出来ない。
そうと決まってからは行動が素早かった。紙につらつらと文字を書いていき、それを襲撃した男に張り付けて市警まで転移させた。『この人、犯罪者です』と単刀直入に書いたから逮捕されないということはありえないだろう。
「部屋は自分が見守っておくから」
「それでは駄目ですよ。貴方が殺されては元も子もないですから」
久しぶりに熟睡できる。そんな安堵が危機感を上回ったのか、あくびした後にすぐ寝てしまった。
* * *
「さて、そろそろ街でも見て行きますか?」
「どうせここに居住することはないだろうけど。ヤーナ=レム問題を解くためにも重要そうだしな」
アルベルトは数年前からの難題を解く気満々だった。堂々と『解く』とは言っていないが態度を見ていれば絶対に解明したいのだろうということが分かる。
フレッドにとっても断る理由はない。しかもここはセリヴァンの植民地ではないし、なんなら関係がほとんどないに等しいのですぐに追ってくるというのは考えにくい。
ホテルを予約したときにエドガーからもらった金貨を使って彼らを言いくるめたのでしばらくは安心しても良いだろう。
アルベルトの情報を隠すことに、セリヴァンの領地の人が来たらすぐにフレッドに伝えること。金貨百枚を使って頼んだ甲斐があった。今のところ、誰も訪れていないようだ。確かに、神に呪われた国を最後に回したい気持ちは分かる。そんな先入観を持って入ってしまえば気が狂ってしまうかもしれないからだ。
ホテルの人たちの雰囲気はどうだったかを尋ねられる。
「やはり暗かったですね。なんというか、全員葬儀の後みたいな」
「地獄だ……」
彼の言う通りだった。フレッドが金貨を出した時も喜ぶことはなく、どうせ見つかってしまうのにやら重い言葉を容赦無く放ってきたのでフレッドにとっては地獄と形容してもまだ足りないほどだった。
「何か考察は」
「いえ、外的な理由としか」
貴族様にこう言うのは俗すぎる気もするが、金をもらって無表情の人はいれど、絶望したり悲しんだりする人はいない。しかし、フレッドが金貨を出したところを見て泣き崩れる人もいたのだ。流石におかしいので民衆全員が自分の意思で悲しんでいるということはないのだろうなぁと思っただけだ。
で、自分の意思ではないのであれば外から何かしらの細工をされている可能性がある。
ホテルを出ると外の雰囲気はやっぱり暗くて誰しもが絶望していた。太陽は昇っているが、それを遥かに上回るほどの負のオーラが蔓延している。
一言でも話せば悲しい世界にとらわれて徐々に精神が壊されていく。そんな気がした。だが、この負のオーラについて考えるには住民の方々の協力は不可欠だ。幸いにして、暗くなってしまったのは数十年前なんていう長い時ではなく、片手で数えられるほどなので何か知っているような人はいるだろう。
すみません、とフレッドが声をかける。綺麗な服装をした女性である。
全員、綺麗な身なりだったりフレッドのように徹夜しているというような風貌ではないのがさらに謎を深めている。だが声にハリはなく、目を細めて二人を怪しむような目で彼の呼びかけに答えた。
「なんです? ものすごく迷惑なのだけでど」
「えぇっと、僕達はここを初めて訪れた者でして。どこかおすすめの場所はありませんか?」
「さあ。けど、最近だと『オニ』……っていう強い奴が来ているらしいわね。力試ししたかったら一度行ってみては?」
まあ死ぬ可能性があるけどね、と女性は不気味な笑いをしてフラフラと立ち去ってしまった。もっと話を聞きたかったが、とりあえずはいま彼女から聞いた情報を精査しよう。アルベルトが蓬莱鬼国の本を取り出す。
結局、フレッドもあの後猛勉強して読めるくらいにはなったから彼が持っている本というのが鬼にまつわる伝承を書き記したものだというのはすぐに分かった。どうやら、人を不幸にさせる鬼について調べているらしい。方向性は良いと思うのだが、とフレッドは彼に指摘をする。
「この国に蔓延っているのは人に対しての不幸だけではなくて天然物に対してもでしょう? 逆に建物とかには被害が行っていないということも加味して調べるといいですよ」
そんなことを言いながら歩く。一つ、希望があった。五年前の赫夜の話だと、灰楼の鬼・西行が作られたのが四、五千年前だったという話だったか。これは蓬莱鬼国の歴史的にかなり昔といっていいだろう。鬼も、まだまだいなかった頃だと推測できる。
西行は見た感じだととても強かった。フレッド一人だけで倒すのにはなかなかの苦労を強いられるだろう。一度戦闘を見ているとはいえ、対応できるかといえば全く別の話だ。
彼じゃないといいな、と思いつつ彼が住んでいるのは偽の灰楼山なので主犯が鬼だとしたら、それはないだろうな、と推論した。
というか、鬼も不老不死だからどちらかというと赫夜と同じく不変をばらまくような存在だから鬼ではないのだろう。アルベルトは真面目に考察しているようだからそっとしておこう。
老いた男の人が建物の横で寝ていた。金はありそうだが、なぜ空の下で寝ているのだろうか。彼は目を開けていた。気になったので老人の肩を叩いて質問した。もしかしたら、彼がこの国の異変について何か知っているかもしれない。
「すみません。なぜここで寝て……」
「どうせヤーナ=レム問題じゃろう。今ここを訪れるのは問題を解きたがる研究者と哲学者しかいないからのぉ」
昔の山々は美しかったねぇ、とアルベルトの瞳をぼーっと眺めながら、それでいて彼のことを見ていないようだった。紙に愛された山々というのは本当のようで。
この大陸では珍しい四季があり、春は山が淡い桃色で埋め尽くされ、夏は色々な場所に向日葵が咲く。秋は赤や黄色に山が染められ、冬は雪が降って白銀の世界となる。
神様がこの地を訪れているようだったと老人はいう。まさに山が神そのものになっているとまで。それに比べて今はただ暑いだけでずっと夏。しかし本来の夏のような儚さはなくなって無意味な時間が過ぎているだけのようだ。
「どうしてあなたには記憶があるんですか」
「?」
「僕はアルベルトさんがこの国の方々に話を聞いて回ったのですが誰も覚えているような素振りはありませんでした。ですが、あなたは鮮明に風景を覚えているようですね」
「あぁ、記憶を吸い取られた瞬間というのがあったらしくてな。儂はそのときにどこかに行っておったんじゃ」
彼の一言によって外的な要因で不幸になっているということが確定した。しかも、一瞬で記憶を消せるくらいのすごいもの。それが魔術師か人間よりも上位個体なのかは分からないが、それを潰せば四季や幸せを取り戻すことが出来るだろう。
管理するためにこの国にいない、という可能性はほとんどないのでヤーナ=レム内部にいる可能性が高い。
「ありがとうございました。アルベルトさん、予想地はありますか?」
「して、最初の質問じゃったな。教えてやろうか若造」
フレッドはポカンとする。先ほどののんびりとした老人とは雰囲気が明らかに違ったのだ。歯茎を見せている。その荘厳さはフレッドの両親が世界樹を守っているときのそれとよく似ていた。
「主のような見込みのある人間と戦うためであろう!! まさか、お前本人が現われるとはなぁ!?」
「だれだれだれ!? というか絶対人間じゃないでしょ角出ているしというかフレッド知り合い!?」
「はぁ……終わった……」
一番出てきてはまずい人、いや鬼が登場してしまった。言わずもがな、西行である。角がメキメキと生えてきて単発だった白髪もどんどん伸びて一分後には地面につくほどとなっている。
もちろん、フレッドは見ていなかった。当然である。彼が目を閉じた瞬間に逃走を始めたのだから。
あれは数千年物の本物だ。しかも同じ不老不死としか戦っていない為、手加減というのも知らない。
かなり興奮していたので逃げるしかないのだ。アルベルトは当然の如く困惑していたので彼の襟を掴んで暗い街を走り抜ける。明るい声を出しながら西行はフレッドに追いつく。
不変の存在つまりは何があっても決して変わらない存在なため、彼の性質は変化しないようだった。というか西行の言う通り『何か』が国中を不幸にした瞬間点があってあの時は偽の灰楼山にいたから変わらなかったと言うのももちろんあるだろうが。
「ここはあの高い高い灰楼山から覗いていて楽しいからのう。ちょうど本物の灰楼山がここに来ていたから寄ったのじゃ」
「そうですか。では帰っていただいて……」
「良いと言う訳なかろう!!」
妖術。鬼を含む妖怪だけが使える魔術のようなもの。普段なら信じられている内容が変わるごとに術も変わるのだが元人間で不老不死になったことによって鬼になっちゃった系の西行が使っているのはもちろん四、五千年の歴史がある古いものだ。
それ故か動きが洗練されすぎていて到底太刀打ちができない。
「妖術・海辺夏月」
西行は着物の袖を振るった。すると、袖からは大量の水が出現し、フレッドたちを襲う。蘆がすぐに成長して鋭い凶器となる。地面に向かおうとすれば針のむしろまっしぐらなので飛翔し即座にナイフを取り出す。
フレッドは笑っていた。否定はしたかったが、本能が楽しいと言っている。ナイフを操り、蘆を一掃する。
「妖術・旅の空にて」
フレッドの脳裏にゴーンという音が鳴り響く。殺意がこもっていた彼の攻撃も徐々に精度が落ちる。不安が心を覆い尽くして集中できない。
妖術の本懐は人を惑わせて妖怪の存在を知らしめるためのものだ。だからこの術だけは完成度が高い。
そんなこととは知らずに単純な速度が落ちて西行の攻撃を受けてしまった。
受け身の姿勢をとっていなかったら今頃は死んでいたことだろう。
「……っ、伝説の剣を!」
「させると思うかえ? 妖術・鬼の望月!!」
ふわっと。鬼は空中へ浮かび上がる。赤い瞳が妖しく光だす。
花がひらひらと舞い降りた。とても綺麗だ。まるで息を止めてしまうくらいに。どうやらこの花、体を透過して内部にある魔力を切り裂いていくものらしい。
復元をするために膨大なエネルギーを消費しさらに魔力が消費されていく。これはそういう仕組みのようだった。
『如月の望月』というのはずっと昔の蓬莱鬼国に住んでいた西行が創った和歌だ。フレッドは原文そのままを読めるように努力したためそう言われて何と無く対策できていた。
「要は当たらなければ良いんですよ」
「今はそうかもしれぬが。この量、捌き切れるかのう?」
密度が高くなる。しかし、攻撃パターンは一緒なため、これを避けられないようなフレッドではない。
「終わらせます!!」
フレッドが息を吸い込むと、彼の周りに何本かの枝が展開される。
それは世界樹の枝を限りなく本物に近くして再現したものだ。
曰く、トリネコの枝は多神教の主神が愛用した槍の主な材料として使われたとか。その槍は、古代文字を神が直々に刻み込むことによって特別な飛び道具になる。つまり、神のもとに帰って来るものだと。
彼が考えるだけで古代文字は枝に刻まれ何本もが西行を襲う。
もちろん彼は余裕のある表情でそれを避けた。ただ、西行の後ろにフレッドがいなければ完璧だったのだが。




