第三十八話 追葬2
「あー……全く勝てない……」
「まあ、次やったら勝てるかもしれないよ?」
「何回やってると思ってるの?」
フレッドはセンスの塊であった。ユーリが何かの魔術を展開させるたびに一秒にも満たない速さで反撃しようとしている。たまにブラフも混ざっていて、気を緩めることは一切許されない。
まさに天才的だ。
「それにしても、全然迎えが来ないよね」
「えっ……あぁ確かに。というかこれってルツィヒ大砂漠のどこかにランダムで転移されたんじゃないの? だから僕たちが戻ろうとしない限り永遠にここだと思うんだけど」
ユーリに指摘されてついポカンとしてしまった。確かに五賢人には魔術師の一家があったではないか。ヴァスティス牢獄や他の国も並行で取り仕切っていると考えると砂漠一帯に『ユーリとフレッド以外の出入り許可』を組み込んだ結界を張れば簡易的な牢獄が完成する。
そうなるとルツィヒ大砂漠のどこにでも転移させることができるからいちいち座標を指定するなんてことをしなくても良くなる。
つまりは、だ。
「ユーリ君の考え通りだと五賢人が結界を解除しないとここを出られないってわけだよね」
もうどうしようもない。グランジェ家の結界は長い時をかけてつくられたものでしかも体系が全く違うものなのですぐに解析することは難しい。しかも一回でも結界に手を触れればグランジェの方に知らせがいくかもしれないから解析するとしても目測で行わないといけないのだ。
「……無理だね」
「さすがのフレッドでも出来ないかぁー」
寒っ、とユーリが腕をさすりながら言う。
砂漠の夜は寒い。日中との気温差が激しすぎて風邪をひいてしまう恐れもある。しかもフレッドの氷でさらに熱が吸収されるので凍死する可能性がなくもない。
だから魔物が住み着いているかもしれない洞窟に隠れて寒さを凌いだりするのだが、どこを探しても、何なら双眼鏡を使っても岩らしきものの一つすらも見つからないのだ。
あまりの絶望に思わず乾いた笑いを出してしまった。これがグランジェに仕組まれたものだとしたらとんでもないものである。いつもは穏やかなフレッドだが流石にまずいと思ったのか、炎を生み出して暖を取り始めた。僕も入る、とユーリは氷の上で輝いている炎の近くによって手を寄せた。
「あぁ寒い。明日になったら一応出れるかどうか試してみるか」
フレッドはとりあえず諦めて氷の上に寝転がる。蓬莱鬼国で嫌、というほどにみた月だ。しかし、永遠に満ちていたそれとは違って三分の一ほど欠けている。
結構金目のものが入ってそうだけど大丈夫なの? ユーリがフレッドのカバンを荒らしながら呟く。彼がかばんの奥底を覗くと、まだ十字架のペンダントが埋まってあった。まだ見つけていないんだ、と思いながら何も盗らずに鞄を閉じる。
この旅が楽しすぎたのか、疲れたのかあるいはその両方か。彼は炎の近くですやすやと寝ていた。この半年で彼が目を長時間瞑っているところを見たことがなかった。
「寝るかー。明日は早く起きないと死んじゃうだろうし」
* * *
「これ、どういうことですの? ルキーナ伯爵代理」
「どういうこと……とは何だろうかね。灰楼氏」
「なぜ伯爵の意思を汲み取って投票を行わなかったのか、ということですわ」
灰楼赫夜とエドガー=アリエット公爵はダリアの父親で現在伯爵代理として彼女の代わりに五賢人会議に参加しているアダムのことを睨みつけた。六千年ずっと何かを見続けてきた赤い瞳と世界最大の権力者であるアリエットの眼差しに少々委縮しつつも、会議室の大きな机をたたいて語りかける。
赫夜にダリアの幸せが一番ではないのか、と反論されてしまった。確かに、アダムは親バカと言われてしまうくらいダリアだけに優しくて他の兄弟には厳しかった。
ダリアが五賢人会議に参加するまでは結構話題にされていたがそれでも可愛いものだとして微笑んでいたことだったのだが。
「確かに私は娘のことが大好きだ。目に入れても痛くない……だが」
赫夜は目を見開いた。彼のことを擁護していた他の五賢人でさえも。今までに見たことがない極悪な顔だった。眉間にしわを寄せ、白い歯を輝かせながら冷たいくも燃えるような言葉を発する。
「相手は罪人だぞ? 貴族でも平民でも何なら結婚しなくたって全然問題はないが、ダリアがその罪人とやらにたぶらかされて我が家が没落したらどうする? 今は『伯爵』の代理だ。別にダリアの代理ってわけじゃあないよ」
「だけれどっ……!! 彼は有能だと思います。後に出来るかもしれないことを減らしているようには思えません?」
「彼女の言う通りだ。話を聞いている限りだと天啓を聞ける珍しい人材のようではないか」
そんなことは関係ない。そうやってアダムはアリエットの発言をいとも簡単に切り捨てた。ようは優秀かどうかは全く関係のない事象であり体裁が悪くなることで領地から人が離れていったら目も当てられないとか何とか。
家の没落の事ばっかり頭に浮かんでいるのが考えなくても分かってしまう。赫夜はそんなに無慈悲な人たちの集まりではないことを知っているので更に反論しようとしたが。カトーネ公爵が嬉々とした表情で手を叩く。話はこれで終わりだと告げているようだった。
この場合、赫夜は敗者ということになる。歯噛みしながら俯く。死刑反対派のアリエットは彼女のことを心配した。もちろん、二人の視線の先には投票した三人なんていなかった。
『それでは本人に伝えてきますよ。丁度御者とは別の所にいるようですし……あの御者は結構厄介だと見受けましたからねぇ』
感謝するよ、なんて言葉が瞳から聞こえてきそうなくらい、カトーネ公爵はニコニコとしている。彼も彼でナタリアというただ一人の娘のことを愛していた。しかも、他国の有力な伯爵と婚約までこぎつけたのだというのだから。彼の娘はとても有能であるなどと考えながら立ち上がり、そのままどこかへ行ってしまった。
グランジェとの対面通話も切れている。アダムもしてやったと言わんばかりに満足げな表情を浮かべて扉を豪快に開けた。
死刑反対派だけになった今、敗者の静寂がダンスホールのように広い空間を支配する。
圧倒的カリスマ性も、貴族三人には通じなかった。
赫夜の瞳からは涙が零れる。おかしい。不老不死になったときも、鬼と戦って負けたときも、五賢人会議なんかできるずっと前に太陽が恋しくなった時も、親が、家族が死んだときも。
――泣いたことなんて一度もないのに。六千年生きて悲しくて泣いたのは多分、今しかないだろう。アリエットも何か思うところがあったようで彼女に帰ることを促す訳でもなく寒くならないようにと着ていたジャケットをかけて去っていった。
「……寝すぎたかな。というか、どこだろうここ」
フレッドは睡眠時間がいつもより長かったからか、頭が痛かった。そして報告書を一切書いていなかったことに気づく。経費などはそれとなく書いていたが完全に忘れていた。
彼は今、天井のある場所にいた。つまりは砂漠から抜け出せたのだ。辺りを見回してもユーリはいない。どうやって脱出したのか、というかフレッドが寝た後に何があったのかすらも覚えていないのである。
扉を開けるとそこには看守らしき人がいた。なぜ彼らがフレッドの部屋の前で待っていたのかが分からず寝おきながらも身構える。
「……何の用でしょうか」
「はい。国際裁判所からの報酬だ。もう戻ってもいいぞ……あ、ルキーナ伯爵は連れて帰るようにな」
そんなことを告げられるとともに部屋を追い出されてしまった。荷物もちゃんと放り投げてくれたので良い方だろう。
結局、ユーリはヴァスティス牢獄に入れられることになったのか。まあ、生きていれば面会に行くことくらいはあるだろう。何しろ、フレッドは旅の提供を生業としているのだし世界なんて割と狭いのだから客が観光している間にちょこっと寄って話をする、という程度のことは出来ると思いたい。
噂によると面会以外では夢幻の世界で彷徨わないといけないらしいのでフレッドが会う時には廃人に担っているかもしれないが。
ヴァスティス牢獄を監守する人にダリアが今どこにいるかを尋ねる。広場にいるらしい。
万が一道が分からなくても人が多すぎるだろうから一目見ただけで分かるとのことである。
早速貰った地図を使いながらなんとか歩き始めた。本来であれば国の人がもっと街を歩き回っていてもいいはずなのに寒気がするほど静かだ。まるで国の人が全員消滅したみたいな。
林檎やオレンジが青果店に並んでいてもそれを買う人どころか売る人すらもいない。フレッドだけがこの世界に取り残されているようだった。
「本当に人がいない……看守さんが言っていたことと組み合わせるとそこに人が集まるのは予想できるけど。プリヴェクト帝国に祭りのようなものはあったかな……」
疑問に思っているのも束の間だった。ガヤガヤとした人間の声が盛んに聞こえてくる。人の集まり具合から推測すると、ここが看守の言っていた広場らしい。沢山の人が嘲笑し、小鳥は中心にいる人物を蹴落とすかのように優雅に歌い始める。
何事かと覚悟して近づこうとするが一向に進める気がしない。だがとてつもなく気になったので飛行魔術を使って空に近い所から見学しようと考えた。我ながらいい案だ、と少し笑う。
頭の中で魔術式を考えて脳内に魔力を送るとふんわりと彼の体が浮いた。普段であれば詠唱せずに飛翔、なんて珍しいことだが誰一人としてフレッドに目を向けようとしない。
空は地上の栄え具合では考えられないくらいにガラガラだった。予想以上に進めたので中心に行くのには五分もかからなかった。
「……っ!?」
そこにいたのは手が紐で縛られていて希望なんていう言葉を信じなさそうなユーリだった。その隣に立っているのは老いた男性だった。とても穏やかな顔をしていて、今から人を殺す人だとは到底想像しえない優しい目つきだ。
――信じたくなかった。ユーリの目の前にあるのは断頭台。読んで字のごとく、首をはねるものである。以前は剣を使っていたようだが、効率性の重視から今は大きな装置が使われている。全く、プリヴェクト帝国には似つかわしくない代物だった。
「ユーリ君、そこで何をしているんですかっ!?」
「あぁ、フレッドか。君くらい頭が良かったら分かるだろう? 本物の地獄に行くんだよ」
「貴方が行くとしたら天界ですよ!! なんて話じゃなくて。ヴァスティス牢獄に収監されるんじゃないんですか!?」
「五賢人会議で決まったらしい。しょうがないことだよね。だって、僕が処刑されることで損害を被る人は誰一人としていないんだから」
そこでフレッドは満場一致で処刑賛成になったということを知る。
もちろん、こんなのはグランジェがばら撒いた嘘なのだが。
ユーリとダリアのことを微笑ましく見守っていた赫夜も、なぜか最後まで粘ったと思われるアリエット公爵も。利益を尊重して死刑賛成に票を入れたという。
誰も信じられなくなった。下から声が聞こえてくる。
「ユーラ!! なんで死刑なんか受け入れたのよ!! 貴方が断れば、抗えば民衆が暴動を起こしてくれたかもしれ
「ダーリャ、いやダリア。僕は貴女のことを愛していた。けど」
ダリアから大声で言われて動揺の色を垣間見せたものの、すぐに優しい表情へ切り替わる。
「結局……僕は罪を犯した平民で、ダリアは世界でもトップクラスの大貴族。身分違いの恋なんて不可能だったんだ。それがこの人生で知れただけでも僕は後悔していないよ……愛してる」
それが嘘だったなんてことは誰にでも分かった。なぜなら、彼は泣いているのだから。
――断頭台に頭を乗せる。
恐怖心と未練を無くすために死刑執行人は素早く鋭い刃を降ろした。人間の首がいとも簡単に外れる。フレッドは目をカッと開いた。
焼き付けたくない。そう思っているのに。
ユーリの最期の顔はとても安らかだった。それもそうだろう。一番最後に最愛の人の顔を目に焼き付けて死ぬことが出来たのだから。
この結末はある程度予想は出来ていた。だが、そうならないように必死に逃げてきた。フレッドは表情を暗くして再び人通りのない所まで向かおうとした時だった。
「あら、死刑執行ごくろうさま」
ナタリア=カトーネの声が聞こえた。嫌悪感からか彼女のことを映したくもないと思ったが、視界の一番端で衝撃的なものが見えてしまった。
「あぁ、こんなに奇麗なのね……美しい瞳も見せてくれたらよかったのに!」
「ナタリーさすがに要望が過ぎるよ。それに、そんな命令を理解できるほどの脳を持ち合わせていないようだからね」
嫉妬で多い潰されそうだから早くしてくれ、とリッカ。一体何が起こるのかと殺意をにじませながら二人のことをじっと眺める。
瞬間。彼女はユーリの髪を鷲掴みにして彼女と同じ目線の所まで彼の首を持ってきた。キスをするつもりなのだろう。
二人の距離がだんだん近くなる。
彼女の動きが止まった。少し不機嫌そうな表情を浮かべている。
「あら、思ったほど美しくはなかったわね」
「こやつの首を欲しがっていたくせに」
「美しいといっても所詮は平民だわ。私とキスする権利すらない」
ユーリへの愛情はあっという間に冷めたのか関心がなさそうに床へ放り投げる。民衆が面白そうに首に駆け寄ってきた。頬を触られたり髪をむしり取られたり。
ダリアのやめて、という切実な願いは民衆の興奮の声によってかき消された。
* * *
「なんか……胸糞が悪い話だな。貴族様も恐ろしいよ」
「同感だね。本当に怖かったよ」
レオンハルトはフレッドから話を聞いて顔を青くしていた。具合が悪くなったのか近くにあった洗面所へ向かった。
フレッドは思い出す。ユーリの最期の言葉を聞いたときに脳裏に浮かんできた言葉を。
『神なんて大嫌いだ。僕は天界になんか行かない……絶対に』
あんなことを言われた記憶は一切ない。一体、誰が言ったことなのだろう?




