第三十五話 帝国
「なんかとても親密度が上がってますね。一日過ごしただけでこれとは……」
フレッドと赫夜が灰楼の屋敷に戻って来た時、ユーリとダリアは一日前では考えつかないほどに距離感が近くなっていた。どれほどかというと、ずっと手をつないでいるくらいである。
「ユーラ、とても楽しかったよね。赤い月が出現した時は怖かったけど」
「そうだねー。本当に恐ろしい」
思い出しただけでぞっとするような雰囲気だったらしい。赫夜は慣れていて普段のように無表情。そしてフレッドは当事者になってしまったため苦笑しか出来ないのである。
ダリアがユーリの腕に巻きつく。彼女の胸がユーリに当たっていた。
嬉しそうながらも羞恥心が勝って強引に引き剥がそうとした。ダリアは少し残念がっていたがユーリは撃沈して灰楼邸の大きなテーブルで倒れていた。
「初心だねぇ……」
「人って恋をしたらこうなるんですね」
フレッドと赫夜はニタニタとしながら恋をしている人たちのことを見ていた。その二人の視線に気が付いてダリアとユーリがハッとした。次第に顔が赤く染まっていく。
「フレッドさん、赫夜! 私達を今後ともよろしくお願いいたします!!」
「僕からも……お願いします……」
当然否むはずがない。というか、二人に試練を与えてどんどん仲良くしていこうと考えているのである。頭の切れる人と六千年生き続けている人というのは恐ろしい。作戦案がものすごく量産出来てしまえるのだから。
ここには明日も明後日も滞在する。それだけあればもはや付き合って二年のカップルくらいに進化させることは可能だろう。もちろん冷めることなく。
赫夜はくすくすと子供のように笑った。だが彼女の目つきは策士のそれであった。フレッドも顎に触れながら早速計画を立てていた。
「さて、今日は寝なさい。でないと明日を楽しめないわ」
ずっと生きていても毎日寝ているらしく、赫夜が目を擦っている。ずっと夜だったから分からなかったがもう寝る時間か。それぞれの部屋で睡眠した。
* * *
あれから二日が経ち、国を離れる時がやって来た。赫夜が笑顔で手を振っているので三人も満面の笑みで振り返した。彼女がいたからフレッドも観光できたしダリアとユーリの仲も深まったのである。
ついにプリヴェクト帝国に行かないといけなくなった。そして最悪なことに、ナタリア=カトーネ公爵令嬢とその婚約者も同時期に帝国を訪れるようだった。馬宿の新聞でその情報を入手したユーリはとても暗い表情をしていた。まあ、当然だろうがダリアも貴族としてかなり敵対感情を抱いている。
「ユーリ君、遭遇しないように頑張りましょう」
「うん……」
なんだか猛烈に嫌な予感がするがきっと気のせいだろう。いや、そうに違いない。フレッドは風で飛びそうになっていた帽子を被りなおして馬に鞭をうった。
まさに修羅場であった。ユーリの、ダリアと一緒にいたときの笑顔が完全に消え失せている。ダリアも笑顔は浮かべているものの完全に引き攣っていた。
フレッドが仲裁をしているがどうやっても修繕不可能な喧嘩である。
つまりは、遭遇してしまったのだ。ナタリア=カトーネ及び彼女の婚約者と。彼女はいかにも令嬢という感じで怖い。というか、圧が強すぎて恐ろしいのだ。二対二で挟まれてとても辛かった。
(もう逃げ出したい……)
「えぇっと、それではお開きにしませんか? だいぶ議論が熱くなってきましたが」
「貴方御者でしょう。客に口出す権利など一切ないのでは。そもそも一等御者だからって平民では貴族に口出せるはずないじゃない」
「そーだそーだー」
伯爵令息は今でも腰を摩りながらナタリアを支持する意味での『そーだそーだ』しか言葉を発していなかった。あの人に脳はないのだろうか。そして彼女も反論をしているが顔は余裕がないほどに真っ赤だ。
逆にダリアは半ば呆れながら言葉を交わし、ユーリも恨みがあるのか雰囲気が重々しいがナタリアが話す瞬間に突っ込んでいる。
「あぁ、平民共に耳を傾ける時間はないね。リッカ、行くわよ」
彼の愛称はリッカというらしい。五賢人だからか彼女に従属しているようだった。正直馬鹿馬鹿しいにもほどがあるが早くどっかに行ってくれ。
「あぁやっと消えてくれた。それじゃあ、諸々買ってから行きましょうか」
フレッドは本屋で雑誌を買いながらそう言った。彼らのせいで旅が台無しになってしまってはいけないので二人も切り替えたらしく早速行きたい場所を地図に書き記していった。
プリヴェクト帝国は紛れもない産業国家である。この国がなかったら世界はここまで発達していなかっただろう。例えば電池。魔術で電気を興したことがきっかけとなって今では魔力や魔術式なしでも発電ができるようになっている。
この国自体、かなりの技術を保持していた。何がこの帝国をこんな風にさせたのかというのは俗説があるが、定説ではこの暑さを凌ぐために自動的に涼しくできる装置を先人達が研究しまくっていたらしい。
それが今になって大切だと考えられるようになったとか。
確かに今まで回ってきた国とは違って近未来感がある。想定では百年後くらいの技術のようだ。
蓬莱鬼国が永遠に夜で忘れかけていたがプリヴェクト帝国含めてルミナリーなどはルツィヒ大砂漠に包まれているのだ。
『大砂漠』を謳うだけあってそれは大陸のほとんどを占めるほどだった。
三つの大陸のうち一つが砂漠に覆われ尚且つ暑いとは。リャーゼンのある大陸とチル=ゾゴールのある大陸しか渡って来なかったので驚きだった。
しかし近未来技術によってプリヴェクト帝国は風が多かった。ルミナリーの中心部分にある『風』を再現したようだ。
これだけ新しいものがあれば訪れるべき観光名所には困らなそうである。
「まずはこの人工知能跡ってところからですかね」
「へー。人間みたいな生物がいるんだね」
「ユーラ、残念ながら生物ではないよ。人間が造ったいわゆる電子世界の産物なんだよ」
それを生命というか否かはかなり分かれているようだがとある研究所跡がここにある。ここは何千年も前に消えた所らしいが成果はとんでもなく大きい。
それにあやかって数々の研究所が後の世に建てられて大発見をしては潰されるということが日常茶飯事だったようだ。
人工知能を開発した人が所属していた研究所もここに合ったようだ。十年前くらいに廃れたが。
「ダーリャは知ってるんだ」
「ちょこっと学園で習った程度だけど」
「ここには色々な電子機器があるんですね……あ、タイプライターもある」
ペンで手紙を描くのが辛いという意見から生み出されたのがタイプライターである。文字の書かれたキーボードを打って紙に文字を写すのである。
フレッドはそれが欲しかった。仲の良い人と連絡を取るのに効率がいいと思ったからだ。小型のタイプライターを買えば旅先でもその光景を書くことができる。
小説など風情のあるものは書けないが単調なものならフレッドでも可能だ。
最近依頼を通して仲良くなったオーガストにでも手紙を書いてみようかなどと思っているとダリアがフレッドの隣にあった機械をじーっと眺め始めた。案外食いつきがいい。
「なるほどこれで農業の効率化が捗ると……いいね、二台ほど買って実験してみようかしら」
「ダーリャ。もしそれが成功したとして今いる農家の方々はどうなる? 失業者が増えたら革命を起こされかねない」
「うーん難しいわね……ユーラ、何かいい案はないかしら?」
二人は息がぴったりと合っていた。領地に関する問題をダリアとユーリで領地政策について議論を重ねていた。さらに仲良くなっていてフレッドも嬉しくなっていたところにセンスある服を着こなしていた令嬢がユーリを見て憐れみの表情を浮かべていた。
「ルキーナ公爵の恋人さんを死刑にかけるか、今開かれている五賢人会議で論題に挙げられているそうよ」
「あらお可哀想に……ただの伯爵を返り討ちにしただけでしょう?」
「今の話、詳しく聞かせていただけませんか」
令嬢は顔を紅に染めながらも彼の妙な狂気に怯えていた。フレッドはそれが単なる風の噂なのかが気になっていたのだ。
五賢人会議の議決は多数決で採ると赫夜に教えてもらった。そういえば三人が蓬莱鬼国を出ようとしていたとき、赫夜は屋敷とは別の方に向かって歩き始めていなかったか。
あれが五賢人会議に行くためだとしたら辻褄は合う。実際、フレッド達が蓬莱鬼国を出発してからプリヴェクト帝国まで行くのに二週間ほどかかったのだから。魔術やら陰陽術やらを使って移動すれば真裏まで行けないことはない。赫夜ほどの長寿であれば容易い。
令嬢たち曰く。リッカが自信満々に語っていたらしい。彼は自分の権威を誇示するための虚言癖と妄言癖があるから普段は信じられないようだがあまりにもつらつらと話していたので今回だけは本当だという。
(議論が熱くなっているということは半々くらいの票だったということ……)
これも令嬢から聞いた噂なのだがアリエット公爵は彼の処刑に反対らしい。赫夜も当然反対を出すしルキーナ伯爵代理も娘の幸せが一番だろうから反対だろう。唯一賛成を出しそうなのがカトーネ公爵だが。アリエット公爵が多数派にいると残り一人の賢人も流れに負けて反対派に行くから四対一になって派閥が拮抗する訳ない。
「確かにこうやって票開示したらしょうもないですわね」
「おほほほー。失礼しました……」
真面目に考えていたフレッドに怖気づいてしまった令嬢たちは逃げるようにしてその場から離れた。プリヴェクト帝国の国民の様子的にまだまだ死刑に関するうわさは広まっていなかったようなので令嬢にこれ以上広めないことを約束してから彼女たちに辞儀をした。
しばらく話していたようで、時間は確認していなかったが不思議そうな眼差しでユーリがフレッドのことを見つめていた。
「どうしたのユーリ君」
「なんていうか……フレッドみたいな完璧人間でも口説くんだなぁって」
なっ、とフレッドは顔を赤くした。彼自身は噂を根絶やしにしようと思って行ったものだが他の人からの客観的にそれを『ナンパ』だと判断するらしい。ユーリに半眼になりながら指摘されてへたり込んだ。
「ごめんなさいこれには深い理由がありまして……」
「大丈夫、そういうのって大体浅いから。まあ男なら可愛い女の子に話しかけることくらいあるしさ」
「ユーラもそんなことあったの?」
二次被害が発生した。ダリアと付き合う前にユーリが口説いていたみたいではないか。神架教の聖典の内容的にそんなことがありえるはずないのだが。彼は他の権力に溺れる上司と違って純粋に信仰していることを知っているので本当に万に一つもあり得ない。
が、そんなことを論題に挙げるような素振りもなくダリアの質問攻めに遭っていた。
フレッドは助け舟を出そうかと思ったが何せ先ほどの決めつけである。
「ユーリさん大丈夫ですよ。男性なら女性に話しかけることくらい日常茶飯事なんですよね? そうそう二日に一回声掛けしていたんですよね。あと魔女にも心が傾いていたし」
こういう時の嘘だけはつらつらと出てくる。ありもしないことをさも現実に存在していたかのように話したフレッドにユーリは驚きながら反論した。
「フレッドお前!? 彼の言っていたことは全て嘘だから僕は神とダリアしか愛さない……信じてくれる?」
ダリアがじーっと彼の瞳孔を見続ける。ユーリは目が泳ぎまくっているが彼女の視線はそれを許さない。というか、魔女に顔を染めていたのは本当のことなのだが態度を確認するに記憶から抹消しているようだった。彼女は頬を膨らませながら彼の頭に手刀打ちをする。
「いいけど……どうせフレッドさんが作った話でしょ」
「僕ってそんな信頼無いですかね」
うん、と二人は同時に頷く。考える隙など、一切ない。一瞬で決め打ちされてつい苦笑してしまった。詳しく聞いてみると。
ユーリ曰く、最初の方はかっこいい完璧超人だけど段々慣れてくると自分のことを隠したがる胡散臭い人とのことである。
ダリア曰く、優しい口調だけど頭の中では利益と旅のことしか考えていなさそう……らしい。
信頼しているのかそうでないのか分からない。
――まあ、先ほどの二人の話を聞いている限りだと信頼はしていなさそうだが。
フレッドは五カ月くらい一緒に旅をしたのに一切信じられていないことにかなりショックを受けていた。そんなに胡散臭かっただろうか。深々とため息をついた。もう少し謙虚にした方がいいか。
……いや、謙虚にしすぎてこんなに疑われているのは明らかだった。




