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或る御者の旅  作者: 駱駝視砂漠
第二章
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第三十四話 灰楼の鬼

 あまりの豪華絢爛さに目が眩みそうだ。フレッドはこんなに金ピカな建物を見たことがないので慣れないながらに目を細めて入り口を探る。

「どこから入るんでしょうか」

 赫夜は子供を制止する大人のように鋭く、そして即答した。

「入っちゃいけないよ。別宗教が入れば体が焼かれる」


 一神教とはまた違うようだがそれでも自分が仏になるという強固な意志を持つ者でないとここに立ち入ることは出来ない。そもそも現世でのしがらみを捨てて極楽浄土に行けるようにするのだから『仏になる』という欲を持ってはいけない気がするが。


 ――そこには触れてはいけない気がする。考えないでおこう。


「赫夜さんなら入れるのでは?」

「私が入ってもあなたが観光できなきゃ意味ないでしょ……というか私も信仰してるわけじゃないし焼かれたら痛いだけなんだけど」


 本末が転倒していることを赫夜に伝えられるとあっという顔でフレッドははにかむ。人間が後先考えずに発言するのは当たり前のことだし赫夜も二十歳くらいの時にはもっとはしゃいでいたので責め立てたりなどしない。


 何故こんなものが存在するのかというとただただ見るだけに造られたという。しかも国民の税からとって。かなり課税されたという。それは摂関政治の栄えを誇示したものだった。


 フレッドが赫夜に借りた本によると名字などの戸籍をすべて捨てて逃げたり、女性ということにして課税を押さえたりする程度には酷いことが行われていたようだ。

 正直リャーゼンも他の国も変わらないのだがそれにしても色からして違うのだ。


 例えば平民でも薄い茶色の服なのに貴族は何色も使って鮮やかに自分の存在証明をしている。リャーゼンでは放浪者、平民、貴族で分かれているのに対してこの国は二極化しすぎではなかろうか。


「まあ、どこもそんな感じよ。運がなければ実力はあれどどこまでも不幸になってしまう……ほら死ねない私みたいに」

 茶化すように赫夜は笑う。不満に思っていたが赫夜は国の象徴として丁度いいだろう。大体の異性ならば一瞬で恋に落ちるだろうし不変だから象徴がなくなることもない。


「魔女と違って一般的には忌み嫌われてない方だし。弱点もないし」

「あるんですか!? 魔女に弱点って」


 フレッドは珍しく大声を出した。魔女は恐ろしくも最強というイメージがあったし胸が痛むが、魔女狩りで処刑されている人たちは『死んでいる』ことから全員魔女ではないことを極秘で知っていたので不老不死の象徴だと思っていたのだが。


「その通り。魔女って手に紋様があるでしょ? それを根元からそぎ落とせば魔女ではなくなる」

 一旦そうなってしまえばあとは人間と同じで刺すなり首を取るなりすれば簡単に殺せるようだ。


 なぜ彼女がそんなことを知っているのか? どうやら魔女と話した時にもう生きるのが辛くなって赫夜に処刑してもらった魔女がいるらしい。不老不死の薬は死という概念が存在しないからそんなすり抜け方法も存在しない。

「次はこの満開の桜を見ましょうか。死にたくなるほど美しいからさ」


 国のどこからでも見通せるような美しく儚さも兼ね備えている桜を指差した。

 そこはフレッド達が赫夜の屋敷に行くまでに使った桜だった。その時は楽しむ余裕はなかったがよく考えれば桜の最も美しい瞬間である、散り乱れる様子はない。


 風が吹き、花びらは散るがあっという間に再生してしまう。


「この挙動はなぜ起こるんでしょうか……?」

「この桜が不変だからよ」

 不老不死の薬を飲んだ人間が現れれば蓬莱鬼国にある何かが不変の存在としてあり続けるようになる。

 赫夜が不老不死になったことで不変の存在となったのは夜と桜。


 夜も彼女の影響なのかとフレッドは驚いた。彼女がいなかったら本当に国の根幹はなかったらしい。


「願はくは花の下にて春死なむ、でしたっけ」

「……! よく知ってるね。これの翻訳まであるのかぁ」

 ここを訪れるまで何言っているんだ、と思いながら読んでいたのだが確かに桜を観たまま死にたいと思ってしまった。

 赫夜と同じかそれ以上の年月を過ごしているだろうから言葉では表しきれないほどの妖力があった。人を死に至らしめるほどに強固な力。

 実際、その桜の下で死ぬ者は毎年二、三人ほどいるようだ。


 楽しそうに花見をしている人もいる。年中無休で咲き誇り続けるからそこには常に花見の客がいるという。あとは赫夜をこっそりと観察する目的の人もいるとかいないとか。


「そうだ。そろそろ鬼を討伐する時期ね……」

「?」


 首を傾げるフレッドに赫夜は説明した。


 この国の偽の灰楼山には鬼が住んでいる。国民にとっては噂程度の眉唾物だが鬼は実在している。

 鬼は強いが人間に対しての恨みを持っているので人の住む場所を襲われないように二百年に一回、鬼の体を切り落とさないといけない。


「ちなみに鬼の原型を造ったのはあなたが詠んだ唄の人だよ」

「えぇ……」


 最初に死者の骨をかき集めて人造人間をつくったが、人間とは思えないほど不気味だったらしい。

 生み出された人間は山に捨てられ強い怒りと復讐心を心に宿した。


 欲望がある方が呪術や陰陽術は強固となるためその人間は不老不死の鬼になってしまったのだ。赫夜がその鬼の存在を知るまでは人民にも被害が及んでいた。困っていた農民を見て赫夜が話しかけたところ、灰楼山に住む鬼の名が名前で浮かび上がってきたようだ。

 お互い不老不死なものだから、若干ゲームと化しつつあるらしいし、鬼も最近は人を襲うことはなくなってきたのだが儀式的にしょうがなく戦っているらしい。


 もし赫夜が手を抜いていると判断された場合、二人が共謀して蓬莱鬼国を滅ぼそうとしていると考えられて赫夜の屋敷も華美な服も灰楼山も全てが没収となってしまうので全身全霊で戦っているようだ。


 国民は赫夜が不老不死だということを知らないようで、お婆ちゃんが「あんた、私が子供の時から綺麗よねぇ」なんて言っていたりする。

 貴族の令息たちは赫夜にどこへ行くのかを聞いた。


「灰楼山。今日は鬼退治をしに行こうと思いまして」

「おお、妖術と呪術を使うというあの凶悪な鬼か。灰楼家の当主は大変であるな」

「えぇその通りですわ。しかしこうして鬼退治に行くのが楽しみの一つですので」

「はっはっは! 綺麗で儚くてしたたかな面もあるとは! 討伐の報告、楽しみにしていますぞ」


 二人は何事もなかったかのように彼らが見えなくなるまで手を振り続けた。令息たちはとても嬉しそうにしているが赫夜を見ていたフレッドは作業のように会話をし続けていたのを未だに覚えている。何戦年と生きていたら会話ですらも空虚なものとなってしまうのだろう。

 魔女や錬金術に憧れている人もいるがこういう風になるのは嫌だな、と改めて認識したフレッドであった。


 * * * 


 偽物の灰楼山とはいえど、管理と内部構造はしっかりとしているらしく、侵入者の一人も発見できなかった。


 赫夜曰く、灰楼山はいわゆる『山型のダンジョン』のようだった。これは世界でも相当珍しい事例だ。フレッドも紅葉をつけている美しい木々に目を取られながらそれでも警戒を怠らないように魔物達を切り捨てていった。

 フレッドは気になることがあったので誰にも聞かれていないということを知りながらも小さな声で赫夜に尋ねる。

「……赫夜さん、先ほど令息方が言っていた『妖術』というのは何でしょうか?」

「あぁ。あなたは妖怪って知ってる?」


 少しだけ聞いたことがある。魔物に近い有害な事象をもたらす化物のことだ。

 そう赫夜に言うと少し違うと指摘された。


「妖怪っていうのはね。魔物と違って伝説上の、というか人には見えない存在とされているの。だから貴族の金がなくなったってまずは使用人と妖怪を疑う。話を聞いて候補者がいなくなったその時に初めて妖怪がいるということが確認されるのよ」


 赫夜の説明を要約してみるに、妖怪は普段は通常の人間から見えないように生活していてよく悪さをする。そして魔物と違って寿命がないらしく、人間の手によって処分されないと死ぬことが出来ないようだ。

「で、その妖怪たちが使っているのが妖術。神も含めて伝説の存在っていうのは信仰されることで力を増していくの。それと同時に本来は正しくない情報でも人に伝わっていったものが『事実』として書き換えられていく。それに適合したのが妖術って訳」


 神格化されたものや魔女みたいに強い意志を持っていない限り信仰に自分の存在というものが左右されるらしく、基本的に人間が敵意を抱かなければ危険ではないものも多いはずなのに被害妄想で彼らに襲わせているのだ。


「本当、人間って恐ろしいですね」

「偏見って怖いからねー」

 赫夜は月を眺めながら言う。彼女が石につまずいて転んだ。フレッドが手を差し伸べるとしゃがれた声の老父がははっと嗤っていることに気が付いた。

 とても不健康そうだが、それを気にすることもなく瓢箪ヒョウタンに入った酒を永遠に飲み続けている。


「ここは鬼が住んでいます。危ないから帰った方が……」

「赫夜、主は無恥なるものを連れてきたのかね?」

 鬼の持つ赤い瞳が妖しく光る。不変の夜が、変わるはずのない月が。


 真っ赤に染まった。


 フレッドはあたりを見回す。まるで三人以外この世界に存在しないかのようなこの雰囲気。

 白髪しらがに赤い瞳に誰も寄せ付けない恐ろしいその風貌。

 黒髪に赤い瞳の凛々しい彼女の姿。


 ――相反した二人にフレッドは圧倒される。


 タイミング的に老父が鬼であることは確かだろう。彼の名は西行。死んだ血のつながっていない親からあやかった名前だ。不敵な笑みを浮かべ、その瞬間に近くにあった木々が薙ぎ倒された。

 フレッドは察して結界を展開していたから彼自身に被害はなかったものの、灰楼山は甚大な損害を被った。


 花は枯れ、優雅に飛んでいた鳥は墜落する。それが数百年に一度の戦いの始まりだった。


「さあ赫夜、殺し合いの遊戯を始めようか!!」


 西行の詠った桜。それは彼の妖術によって造られたものだった。花びらの一枚一枚が鋭い刃となって赫夜を襲う。

 十二単の中に隠し持っていた刀で西行の桜を木っ端みじんに斬り落とす。

 たかが数十年生きた人間には到底理解し得ない動きだった。


 遊戯(ゲーム)だかなんだか知らないが二人の表情のそれは至極真剣そうである。死んでもすぐに復活する二人は泥試合のような現象には意外となっていなかった。

 復活を前提に戦うのは二人の信条に反するようで一つ一つの攻撃を洗練された動きで難なく躱していく。


 再び妖術を展開する。その名も西行戻し。

 西行は弓と矢を取り出し、四本同時に放った。

 赫夜はそれらを難なく半分に斬る。すると、その矢は変形し、八本の矢として赫夜に襲いかかる。

 それは彼の父となった『西行』の逸話の一つである。


 ピンチになって慌てた赫夜は月光を纏い始めた。赤く恐ろしい雰囲気を醸し出す。

 今の月はだいぶおどろおどろしいが、通常の光であればどれほど綺麗なのか。まるで月の人とでも形容できてしまうほどだった。フレッドも慣れてきたようで妖術や呪術の解析を始めた。


 赫夜が花びらの一つを踏んで空中で一回転。とても華麗な動きである。その動きに若干見惚れつつあるとき、彼女は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)で鬼の首を掻き切った。それは神話時代に存在していた龍の中から出てきた剣。彼女が最初の千年で探し求めた物。


 血飛沫は鮮やかだった。西行は倒れたが僅か二十秒ほど後にひょっこりと起き上がった。


「今回も私の勝ちね」

「あーまあ、戦えて楽しかったよ」

 西行は再びしゃがれた声に戻ってフレッドの頭をコツンと叩いた。


「兄さんも戦うかい? 筋はありそうだし圧倒的な才能を感じるよ」

「いえいえいえ大丈夫です!! 僕は一度死んだらそれで終わりですから」

「本当かねー?」

 西行はフレッドの瞳を覗き込んだ。嫌な予感がして目を逸らす。すると月がいつも通りの黄金色に戻っていた。


 ほっとするのも束の間、西行が妖術を使ってフレッドを殺しにかかっていた。

「!?」

「西行、私に負けて人殺しはしないんじゃないの?」

「うむ。何某君、君が望むのであればいつでもこの山に来い。儂はいつでも待っておる」

「だから私の山だってば……」

 赫夜は呆れていた。


 彼女に帰りましょう、と言われて今後数百年は変わることのない欠けない月を観ながら灰楼の屋敷へ戻っていった。

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