第三十二話 この告白は成立しなければならない
ダリアが舞を終えたのは深夜の一時くらいの出来事であった。かなり夜が深いはずなのに誰も帰ろうとしていない。彼女の踊りに、表情に魅了されていたのだ。
無論ユーリが例外なんてこともなく。当然の如くダリアのことを目で追いかけていた。
「おーい、大丈夫? すごくボーッとしていたけど」
「すごく綺麗だなぁって……」
確かにとても美しかった。フレッドも集中していたが欠点の一つも見つからない。舞を終えたダリアが戻ってくる。疲れ切ってふわふわとした現実味のない表情になっていた。そして当たり前のことのようにユーリもとへ向かう。
もう恋人なのでは? と思ったがまだ告白の返事はもらえていないようだ。明日の朝にはルミナリーを出発する予定なのでフレッドは寝ておくことを勧める。もともとその予定だったのかあくびをしながら自室へ戻っていった。
フレッド達も、明日眠くならないように寝た。とても珍しく安眠であった。
* * *
「ダーリャ、服は戻してもらえたんだね」
いつのまにか踊り子姿から普通のものに戻っていた。これで体の部位のどこかが切断されるとか踊り狂って死ぬとかいう恐れはなくなる。
フレッドが扉を開けるとダリアは決心したような顔つきだった。
近くに滞在できるいい場所はないかと探す。プリヴェクト帝国まではあとほんの僅かだった。ラクダからフレッドの馬に乗り換える。本当に感動した。生きていてよかったと彼は思うだろう。
そして気がついていなかった。ダリアとユーリの距離が近づいていることに。馬宿に来るまでにもう返事は終わっていたのだ。結果はイエス、つまり付き合おうとのことだ。
フレッドがキューピット役となっていたのは言うまでもない。だが悲しいことに一番応援していた人が全く気づいていないのだ。
フレッド達はあの後も数カ国だけ回ってみたもののほとんどの国民がルミナリーの太陽祭に訪れていたようでもぬけの殻状態だった。大砂漠の国からは結構観光客は来るようだ。
馬宿で色々な話を聞いてみたところ、プリヴェクト帝国の真隣にあるという蓬莱鬼国という場所がおすすめだと大体の人が言っていた。なんでも、同じ世界だとは考えられないほど幻想的で奇怪的だとか何とか。
「あら。ここってカグヤの住んでいるところですね」
「カグヤ……? 灰楼赫夜のことですか」
灰楼赫夜は言わずと知れた五賢人の一角だ。なんでも一万年前くらいから続く由緒正しき家のようだ。彼女はそこで当主を務めている。ダリアから文字を見せてもらったがうねうねしていて大変読みづらい。
馬車を制御しながら覚えていると巨大な桜が目に映った。近くを見ればそこには煙ののぼる山があった。伝説によると不死の薬をあの大きな山で燃やしているという。
「そうだね……まずは赫夜に会いに行っても良いですか? 五賢人会議以来ですから」
チル=ゾゴール連邦王国とは遠く離れているためなかなか会えないようだが五賢人の中で二人だけの女性なので悲しいようだ。
ダリアは赫夜と仲がとても良く、二年に一回くらい女子会を行っている。だが最近はアリエット公爵の領地がかなり荒れていて五賢人会議が開かれていないので全く会えていない。
「灰楼の屋敷はどこにあるの?」
「あの桜の上」
彼女が指さしたのは大きな大きな桜の樹だった。あまりにも遠すぎたので目を細めながらじっくりとみるとぽつんと違和感のある屋敷だけが空中に浮いている。それは国を取り囲むようにしてそびえたっていた。あれが灰楼家の屋敷なのだろう。
屋敷、というともっと厳かで城のような立体的なものを連想していたが、この蓬莱鬼国では間取りが全く異なり、平面的で庭と併設されているようだ。確かに馬宿の人達は正しい。おおよそこの世界のものだとは思えない。
桜でできた絨毯のようなものに乗り、上まで昇っていく。この桜は千年樹といわれる特別なもので国のあちらこちらに咲いているものとは違って永遠に満開である。
関心を抱いているのもつかの間、これまた大きな門が現われる。慣れたような手つきでコンコン、と門をノックする。木製の門で警備は大丈夫なのかなどと思ったが国全体が平和なのでそういうことを心配するだけ無駄なのだろう。ルミナリーとは同じ大陸にあるものの、どちらも浮世離れしているのだ。
はぁい、という優しい声が聞こえる。赫夜は門を開けるとまずは手を握る。フレッドが友好の印でハグをしようとしたがとんでもない目で睨まれてしまった。
「こちらが灰楼赫夜さんでしょうか?」
「…………」
ブツブツと何かを言っている。ダリアが何やら分からない言語を話すと目を丸くしてリャーゼンの言葉で話してくれた。
「ようこそ、蓬莱鬼国へ」
蓬莱鬼国は天皇というものをたてて政を行う。その最高主権者である天皇が幼かったならば代理の者を立ててその人が政治をするらしい。
蓬莱鬼国の太陽の女神が洞窟に隠れてしまったため、常に夜となっている。という神話が伝わっていた。神々が躍起になって引っ張り出そうとしているがなかなか出てくれないようだ。そして、魔術を使わない。では何で戦うのかというと、
「「陰陽術?」」
「そう。あなた方の言う魔術との決定的違いは呪いで攻撃を行うこと、そしてそれは瞬時に発動することの二点だね」
普段は陰陽術というのは占いに使うらしいが、人の心の中に巣食う鬼が具現化した時に陰陽師と呼ばれる者たちが沈める。どうやらダリアやフレッド達の住む別大陸の魔術とは訳が違うらしく、それゆえに他の国のほとんどの人は扱いづらいものとなっているようだ。
「呪いというと……人を不幸にするような呪いですか?」
「呪術っていうのだけど。魔術に欲望を付け加えてさらに術を強化させるっていうのがあるね。それよりダーリャ」
ダリアはユーリと話していたので一旦会話を中断させてから赫夜に視線を注ぐ。赫夜は確信を持ったように言う。彼女が向けるダリアへの目線は確実に呆れも混じっていた。
「恋仲の殿方が出来たようね」
「えぇっ!? ど、どうして分かったの!?」
フレッドはポカンとしている。ダリアだけとの会話だからか蓬莱の言葉で話していて顔を紅潮させているダリアもよほど恥ずかしいのか思っているのかで翻訳しようとしない。それはユーリも同じらしく、高速魔弾の如く流れていく言葉の数々が右耳から左耳にツーっ、と出ていった。
ユーリはどこから持ってきたのか蓬莱語辞典というものを取り出して調べ始める。辞書の丁度半分を開いてじっくり眺めた後、カーッと熱を出したかのような顔になる。
平静を保っている赫夜と照れているダリアとユーリ。ぽつんと独りぼっちになっているフレッドはなぜかこの時はあまり冴えていなかったらしい。本来であれば一瞬でわかるはずなのに。
「すみません。不躾ですが今は何の会話をしているのでしょうか」
「あぁ、これ蓬莱語だったね……そこのお二方が付き合っているという話よ」
はぁっ!? というフレッドの裏返った声があたりに響き渡る。上昇気流が発生したのか桜の花びらがブワッと舞い、瞬間的に花をつける。
そんな異常ですらも気にかけていられないのだった。
「あの……いつ付き合ったんですか」
「えっと馬車の中ですよ」
ここまで自分が鈍感だったとは。表情には出さないものの雰囲気だけでとてつもなく落ち込んでいることがわかる。
二人は言わなくて申し訳ないという気持ちがありながらも気がついていなかったのかという驚きの方が上回っていたようだ。
そんなことは置いておいて、とダリアはうんざりとして赫夜に提案する。
「赫夜こそ恋文なんて何千枚ともらっているんでしょう? そんな羨望の眼差しを向けるのならさっさと受けちゃえばいいのに」
「いーやーよー。理想は高い方がいいわ。絶対に全部当てはまらないと付き合えない」
赫夜はそう言って近くの台座にあった丸めてある書物を持ってくる。ただ一枚の紙を持ってくるだけなのに十二単をアレンジした着物とやらがとても重そうだ。
一回見ただけだと平凡な紙だが、丸めていたものを落とすとあら不思議。屋敷を横断するくらい長いのである。ダリアによると赫夜の条件に見合うような人は今のところ誰もいないらしい。ちなみに本人曰く項目は三千個以上あるとのことだ。それくらい条件があったら恋人が見つけられないのはもはや当然である。
「えーっと、優しくてかっこいいとかはわりかしいると思いますけど」
「ここを見て下さい。この『灰楼山にある』不死の薬とかはほとんど不可能ですよ」
ユーリは首を傾げた。灰楼山はあそこにあるではないかと指をさす。ダリアはかぶりを振る。
「あれは本物じゃなくて……不死の薬がある本体は世界中を移動して回っているのよ」
そしてその灰楼山は地獄が見えないのと同じように、あるいは天国を探しても見つけられないのと同じように別の世界にあるらしい。赫夜によると理論上、灰楼山に行くことは可能なようだが。
「けどさ、物品とかを除けばフレッドは結構当てはまっていない?」
赫夜は目をギラつかせる。それを知らないフレッドは地上に落ちた紙を手繰り寄せ、全て回収し終わって途方もない厚みの紙を持っている。
赫夜の動きは早すぎた。あの重い着物をものともしない足取りでフレッドの元に駆け、彼の顎に手を添える。いわゆる顎クイというやつだ。
彼女はフレッドの濃く暗い紫の瞳を鋭い目つきで覗く。
「大体はいい……大きなものを背負いすぎね。自覚していないでしょうけど」
最後に重い男、と彼女に言われて少しだけ傷ついてしまったのであった。
* * *
「この国に滞在している間は私の屋敷に泊まっていってください。どうでしょう。寝心地はまだましな方だと思いますが」
「そうね。ユーラ、どこか一緒に行かない? ……あ」
ダリアは恋人となったユーリと一緒に観光しようとする。が、フレッドがいることを思い出してあわあわとしていた。フレッドとしては正直二人だ観光してもらった方が親睦を深められるしそこにフレッドという御者が介在する余地は一切ない。
「僕は独りでどこかに行くので大丈夫ですよ」
「いや、私もついて行きましょう。ここは一人で回るには少々独特だから」
着物の袖によって隠れていた手でフレッドの手を握る。いち早く彼らを二人にしたいのか五賢人の赫夜は案外ノリノリだ。
国でも有力な貴族であり見目麗しい灰楼家の当主が男性と歩いているところを見て男性のほとんどはフレッドのことを睨んでいた。
フレッドは気になって赫夜を見つめる。身長はフレッドの二十センチほど下で、日光を全て吸収できそうな黒髪を持っている。林檎の様に真っ赤な瞳、蓬莱鬼国では見ない雪のようなとても白い肌。それら全体で彼女の不健康さを表す。
「赫夜様、もしかし
「赫夜でいいよ。当主といってもただ政治を行って繰り返しのつまらない行事に参加して……ああ、もううんざりだわ」
「はいそれでは赫夜さん。本題なのですが」
フレッドは彼女に耳打ちする。赫夜が不老不死ではないかということだ。魔女になれば老いることも死ぬこともない。
赫夜は考える間もなく頷いた。魔女とどう違うのかと尋ねる。
「ダリアから聞いた話だと魔女は何かを得ないと生きていけないようだね。例えば人の肉とか知識とか……」
ルチアを思い出す。何も食べていないようだが確か一日に十冊ほど読まないと死んでしまうのだったか。
「あとは神に祝福されているか否か。神からのお告げで魔女に昇華しているんでしょう?」
赫夜によると不死の薬は修行を積まないと成ることのできない仙人に一瞬でなれてしまうため、努力を好む神や生まれてこの方鍛錬をさぼったことがない人にとっては穢れの薬とも呼ばれているようだ。
「そういえばかぐや姫という話を見たことがあるのですが」
「えぇっと、私が伝説の生き物を討伐していた時に誰かに見られたのね。そして私が美しいのも不老不死のせいだとか何とかいう貴族の娘の兄弟さんが書いたそうよ」
何でもないような口調で言う。つまり月の人というのも嘘で竹から生まれてきたというのも嘘なのだろうか。
「人間が植物から生まれてくるわけがないじゃない。母なる者から誕生するのよ。そうだ、月に行ったのは本当よ。死ねないのか試してた」
「馬鹿なんですか!?」
死ねないというのもそれはそれでかなりつらいらしい。赫夜が不死の薬を飲み干したのが六千年前。それだけ時間が過ぎていたら人生を空虚にも感じてしまうだろう。
「まあ、世界の真理をこの目で見れたのは嬉しいかしらね」
フレッドは首を傾げた。不老不死のことを理解するにはまだまだ脳が足りなかった。




