第二話 ヒュライゾの森の魔女
これでもかというほどの強風で、しかし怖いほどに暖かく、包み込むようだった。中心部に近づいていたと思っていたフレッドは明らかな異変に半眼になる。春の花が満開になっているところにぽつんと一軒だけ小屋はあった。
「ここが魔女の住む家……? 随分と質素ですね」
「目立たないようにするにはこうするのが一番ということではないでしょうか。恐らくですが人間よりも欲がないのではないかと」
長年生きている魔女のことだ。日々研究を続けたりしているうちにありとあらゆる欲しいものはなくなっていそうなところではある。ただ単にここに住んでいる魔女が無欲だというだけかもしれないが。当然フレッドには永遠に生き続けるということは分からなかった。だが、辛いということ、それだけは分かる。何しろ生きるということは得体のしれないものを永劫の時で待ち続けるのだから。
その間にも彼女は扉を叩いて主人の不在を確認している。
「いないみたいですよー。どうします、少しだけ荒らしてみますー?」
「バレたら怒られますよ? それに犯罪に加担するのは好ましくありません」
冗談ですよ、とセレンは笑う。心なしか、目を逸らしている気がする。フレッドは若干彼女のことを睨みながら切り株に座った。
「……貴方達、誰?」
「は、あ、あなたこそ誰ですかー!?」
「あら、私のことを知らないで来たようね」
女はため息を吐きながらセレンのほうを覗く。盗みを働こうとしていたこともバレたのかと焦るセレンは慌ててフレッドの背中に隠れた。視線をフレッドの方に動かした女は無表情から一瞬だけ驚きのような顔が浮かぶ。けれどすぐに冷静な表情になる。
「君、そこの彼女は恋人さんかしら」
「いえ……僕は御者を生業にしているものでして。彼女は客で今は課題の手伝いをしているところです」
「ほう……その課題というのはどういう内容で」
女に国を巡って文化や歴史について調べること、それを発表するために差別化を図りたいということを話した。聞いた彼女はあくどい笑みを浮かべる。聞き終わって恋人ではないのね、と言っていたような気もするが勘違いだろう。
「そこでこの国の建国当初からいると噂されているヒュライゾの森の魔女に会いたいのですがー……」
セレンの要望に女は頭を抱え、フレッドは気づいていなかったのかと苦笑する。そもそもここに来れるのは相当運のいい人間か道を知っている人間かあるいは道を創った魔女か。威厳のそれが明らかに人間ではない。少なくとも人間の寿命の二倍は生きているようだ。
「知らなかったのかもしれないけれど、私は魔女が一人、エステル=ヴァレンシュタインよ」
セレンはどこからかメモ帳とペンを取り出し、今からエステルの語る全てを記録するために。建国から何百年という長い長い歴史をたったの一冊にまとめることは出来ないと思うが。ほとんど話していないフレッドの方を見て微笑みかける。
遥か昔の話、と前置きして『燃える魔女・エステル』が語るのは、思い出と懐かしみを込めた今はいない誰かへの言葉だった。
* * *
ずっと昔は争いの絶えない地域だった。特に魔術に関する戦い。日々誰かの研究成果をどう奪うかというのが考えられていた。そういう汚い人間はあくまでも他人の利益を奪うだけで、自分では一切調査などを行おうとするわけがない。そしてそんな人間があまりにも多かったのでほとんど研究が行われなかったという。
しかし魔術師に関しては違った。常に興味で動いており、旅をしながら他の魔術師などと情報交換をして神に近づくことを目標としていた。
こうして神の領域に片足の、たったの指先だけ突っ込んでしまったのが後の世で『魔女』と呼ばれるものだ。この時は追われることはなく逆にただ知識を搾取される側として有効活用されているだけだった。魔女は神に少しだけ認められた証。その恩恵で不老不死を貰って研究を続けることだけが魔女の唯一の暇つぶしだった。
国は魔女の森があるから魔力の恩恵を受けるために創られるという。実際、神聖バグラド帝国もその通りで、魔女・エステルの許諾を得てから、戦争に勝利した皇帝が一夜にして城を、更には一か月で首都を作り上げ。たったの一年で国は人口は二百万人を軽く超えてしまうほどになった。中には魔女の知識目当てで国籍を変えるものもいたらしい。そういう人々が魔女の知を得てどんどんと研究が進んでゆき、魔術大国と化した。
魔術の発展が著しくなり次第に人々――そして皇帝の家系――は魔女のことを面倒くさがり、次第に離れていくようになった。エステルだって何となくこうなるのではないかと思っていた。が、実際にヒュライゾの森に隔離されると寂しい。
「今日も誰もこない……」
魔女は呪われた存在である。絶対に触れるな。あれは禁忌だ。
何百年も言い続けられてきたその言葉。しっかりとエステルの心に響いている。誰も来ない森にはただ静寂があるだけのはずだった。
「わぁ森迷っちゃった!! どうしよう!? チェルノーバは後継者争いもあるんでしょ。なんでこんな時に研究を進めちゃってるんだろう……本当にごめん」
「いいよナースチャ。君と一緒ならどこまでも行くさ……それと僕のことは名前で呼んでほしい」
「共同研究者だから平等に接しないといけないというのは分かるしタメ口までは慣れたんだよ? けど流石に侯爵家嫡男様を呼び捨てになんてできないよー」
どうやら二人組は何かしらの研究者らしい。そしてチェルノーバと呼ばれる男の出で立ちが侯爵であることも聞いた。貴族で魔術の研究を行っているのは珍しいため、自分から二人の目の前に現れることにした。
「こんにちは、人間のお二人さん?」
「うわっ、魔女」
「僕には分からないけど、ナースチャが言っているんだから彼女は魔女なんだろうね」
一瞬で魔女だと当てられたエステルは怯む。二人の魂が輝いて見えた。本来なら術式を使わないといけないはずなのにくっきりと光を残している。侯爵の美青年の魂は灰色で、ナースチャと呼ばれる若い女性は見たこともないほどの極彩色が彼女の魂にはあった。
この子は魔女なんかで収まるような器ではないぞ、とエステルの本能が告げている。
彼女は錬金術の研究を行なっているようだが、錬金術など成功するはずがないと王国の研究所から追放されてしまったらしい。確かに、魔女として既に何百年かは生きているが他の魔術について解明されてきてもそれだけは一向に完成される気配がない。
エステルもまた、錬金術には興味が湧かなかったのだ。
「あなた達はどうして錬金術を?」
「だって面白いじゃないですか! 世界の謎を解明って凄いことですから」
「僕は……何故だろうね。何と無く……?」
それぞれの研究する理由につい笑ってしまった。理由が若々しくて利益や損失を何一つとして考えていなかったからだ。だから魂の光が何もしなくても見えてきたのだろう。とても純粋で美しい存在だから。
「研究したいのなら、ここを訪れなさい。錬金術は完成してしまったら追われるだろうからここはあなた達以外が通れない迷いの森にしてあげるわ」
エステルが言った瞬間に、三人の足元には巨大な魔法陣が展開される。魔女にしか使えないような強力な魔術式に膨大な魔力。それがこの森に集っている。魔法陣から霧が発生し、陣が閉じる頃には密度の高い『魔力の霧』が森一帯を覆っていた。
こうして森は研究者二人と魔女・エステル=ヴァレンシュタインのものとなって。
その後に二人が来たのかは知らない。が、幸せに過ごしているといいなと思っていた。
何年も何十年も過ごして行き、皇帝が兵を連れてエステルを殺しにかかった時もあった。反撃をするのは簡単で、今の歴史書には書かれていないようだが、皇族は皆殺しにして各貴族の長も殺して回った。関係のない頭の良さそうな青年を皇帝にしたら案外国が回ってそれが今の『神聖バグラド帝国』だという。魔女の監視という噂によって武力での争いはなくなり、知識人の子孫が残って魔術大国は今でも繁栄している。
* * *
「その……研究者二人はどうなったんですか?」
「さあ。私は以降このヒュライゾの森から出ていないから分からないわ」
どこかの文献で見た錬金術の成功というのはもしかしてその二人なのではと考えて質問してみたが、曖昧な答えしか返って来なかった。その他にも聞いた話は興味深く、課題云々は関係なしにもっと聞いていたいと思った。
「けど大丈夫? これ学園とやらに提出するんでしょ」
エステルはセレンに尋ねた。
「はい……あっ、これ魔女から聞いたとか言うと駄目なのか」
基本的に不老不死は神か魔女かしか存在しない。だからと言って「神に聞きました」なんて馬鹿げたことを言えば再提出になるだろう。
一番駄目なのは「魔女から聞きました」と言うことだ。その言葉を発した瞬間にまとめた資料は没収され、やがては本人と共に火炙りにされることだろう。
「まぁ、魔女の中には言い伝えと同じような性格を持ったのもいる訳だし、実際私だって数々の人を殺してきてるからさ」
魔女は完全な被害者ではない。加害者になって、それが誇張によって害を被っているだけだ。どうしようと三人で考えた結果、今の皇帝から全て聞いたことにした。
確かに今の皇族ならば裏に隠すようなことはあっても歴史を完全に抹消することはない気がする。エステルのアイディアに頷いたセレンは彼女にお辞儀をして森から離れた。
「うんうん。絶対に素晴らしい課題発表になりますよ!! フレッドさん、ありがとうございます」
「いえいえ、僕も楽しませてもらってますから」
神聖バグラド帝国でやるべきことの残るは文化を学ぶことだ。しかし当然ながら文化というものを一日二日で学べるはずがない。サアドネ魔術学園の休暇期間は二ヶ月間。彼女が行きたい国はあと二カ国ある。それぞれの国の距離が近いので一国に滞在できる期間は二週間といったところか。
フレッドは空を見る。とても青くて、届きそうにもない。
「……?」
「どうしたんですか、フレッドさん」
違和感を抱いた。とても純粋なものだ。
何故空が青いのか。何故陽があるのか。
天文学的な話ではない。フレッド達が森に入った時は寒くて青一つ見えないようなまさに曇天だったのだ。たかが数時間でここまで天候が変わったことはあっただろうか。
疑問に思っていた時、国に住んでいる老婆が話しかけてきた。
「あんた達大丈夫かい? 悪魔に魅入られなくて良かったなぁ」
「えっ、どういうことですか」
声には出していないものの、フレッドも同じ考えだった。恐らくは迷いの森に悪魔が住んでいるという言い伝えがあるのだろうが、そこまで二人を心配する理由が全くもって想像つかない。
後ろにいる若い男性が呆れながら時計台の方を指差した。時計は昼の十二時を示している。
確か森に入ったのは十二時半だったはずだ。
「……あなた達は一日中ヒュライゾの森を彷徨っていたんですよ」
告げられた事実に驚愕する。どこでそんな時間を使ったのか分からないからだ。
森を迷っていた時に時間を食っていたのかあるいはエステルの話を聞いていた時に消えていたのか。蝋燭は使わなかったのかい、と再び現れた老婆に尋ねられ、今更思い出したかのように蝋燭を三本取りだす。
あげた本数を覚えていた記憶力の良い老婆は目を見開き皺の多い手でフレッドの手を握った。
「お前、導きの蝋燭を使わんかったんか」
「はい……忘れていました」
途端に周囲がざわめき始める。驚く者、心配する者、尊敬の眼差しで眺めてくる者、そして冷たい目で見てくる者。様々な人がいたが、フレッドとセレンはそれがどういうことを意味しているのか分からなかった。
蝋燭を使わないで森に入るということは即ち死を意味する。だから知らなかったフレッド達に三本、渡した。それだけあればなんとかなると考えたからだ。
老婆は森付近の住民の中でかなり有名だったようで、瞬く間に二人の話は広まった。夜が明けても帰ってこない為、百人近い人数で五時近くから待機していたらしい。
二人の宿泊していたホテルはチェックアウト時間を過ぎていたらしく、どうしようかを考えた結果、先ほど説明をしてくれた青年・ローランの家に寝泊りすることになった。料金は取らないらしく、その代わりに今までの旅を教えてくれとのことだ。家を見ることで学べるものもある。食事中にでも彼の話を聞いてみてもいいだろう。
「それではまずは図書館にでも行ってみますか? まずは文献などで確認したほうがいいのでは」
「それでもいいですけどまずは住民の方々と仲良くしてみたいですねー。あとは国の伝統料理も食べたい……」
後者に関しては単なる欲望では? と考えたが彼女は客だ。口を出す理由もない。
まずはお腹がすいたので何かを食べたいとセレンが言い出したので彼女に従ってどこかで食事をすることにした。