第二十八話 砂漠の国
「で、フレッドさんは神様の声が聞こえてきたのですよね? それは何故なのでしょう……これ、とても美味しいですわ」
夕食を食べながらダリアはフレッドに尋ねる。ユーリからそのことを聞いて不思議そうな目を向けながら。ユーリもスルトと戦っていた時のことを思い出しながら語り始める。
あの時はフレッドが枝によって串刺しにされていた。どうやらフレッドの記憶がないだけでかなりの出血量だったようだ。そして見るに堪えなくなったので得意な召喚魔術で唯一神を呼び寄せた。それ自体は魔術を学んでいるのならとても簡単なことである。
何しろ魔術の基礎体系のほとんどは神架教の唯一神をオリジナルとして研究を行っているのだ。それを遡っていって、人間の身に卸す場合はその人が神の精神力に適応できるかどうかを調べるが大体の人は一時間くらいなら体に宿すことが出来るのでユーリは許可なく請来させたのだが。
「どうしてなんだろ……普通の人よりも適合力が高すぎたのかなあ」
「ユーリ君、他の人はどうなの? ほら、あの感じだと召喚し慣れているみたいだし」
ユーリは教会で天啓を聞くといういわゆる神官のような役割を担っていたらしい。神官というのはかなり人数が減っているようだから逮捕に対して、教会側の抵抗はなかったのかとフレッドは尋ねようとしていたがそういえば金銭さえもらえれば彼らは黙ってしまうような守銭奴だった。
五賢人の一人が絡んでいるらしいから金額に関しては文句を言うことは絶対にないだろう。無宗教のフレッドでも呆れてしまうほどの信仰心のなさだった。
「ユーラは捕まる前、聖職者でしたのね! どうですの? 面倒くさいこととかはありましたの?」
「そうだねー。信仰心がない上司が多くて大変だったよ。その癖して他の宗教人は狩りたいらしいし別に悪いことをしている訳じゃない魔女に昇華する前の人も駆逐していってるらしいし」
魔女が悪い人ではないという俗説は聞いたことがある。そして不老不死であるという逸話も。それが本当のことなのかどうかは定かではないが。
「……そういえばじゃあなぜユーリ君は神の啓示を受け取ることが出来たんでしょうか」
「僕は才能があったからだと思うよ。というか生まれてから学園にも行っていないからさ。どこぞの貴族と違ってそんな金もないからね」
「確かに。僕もそんな余裕はなかったね」
気まずい雰囲気を醸し出しているダリアが平民二人の会話を聞いてあわあわとしていた。ごめんなさいと彼女は立って謝罪をする。ユーリはカトーネ公爵令嬢のことを話していたのだが目の前に学園に通っていたダリアもいたし、完全に天然なので勘違いしてしまったのだろう。
しゅんとしている彼女を見てユーリがあたふたとし始めた。所詮は平民と大貴族。やはり身分差があれば弊害も生じるのだろうか。
「ダリアさん心配しなくても良いですよ。彼はお金を溝に捨てているような人のことを言っているだけで貴女のことを言っている訳ではないですから」
そうですか、と明るい声で言ってはいたが、表情は曇ったままだ。ユーリは何か話しかけようとしたが申し訳なさそうな顔に変わってテーブルの下の方を見た。
「私は部屋に戻りますね」
ダリアの令嬢のような口調はなかった。追わなくても良かったのかと尋ねると罪悪感に満ちた瞳で彼女のことをじっと見つめ、姿が消えたところで深々とため息を吐いた。フレッドはユーリのことを慰める。どうしてあんな風に傷つけてしまうのかとひどく落ち込む。
意図しない暴言は人の心を傷みつける。ユーリがフレッドに先に帰って良いと言っていたのでお言葉に甘えて自室に戻ることにした。
* * *
自室に向かう途中、扉の前でしゃがみ込んでいる姿があった。ダリアは普段見せないような憔悴しきった表情である。流石に心配になったのでフレッドは彼女に話しかけた。
「大丈夫ですか? 先ほどは不快な気持ちにさせてしまい、すみませんでした」
「良いんです。私が雰囲気を壊しちゃったんですから」
ダリアは優しかった。ユーリやフレッドを責め立てるような発言は口から一切出てこなかったのである。
多分、舐められないように口調も貴族の令嬢風にしていたのだろう。現に、今はですの、だったりですわ、だったりを全く言っていない。
「きっとどちらも悪くないですよ。話し合えばすぐに仲直りできるはずです」
無理だ、と彼女は諦めの言葉を放つ。平民と貴族では生きている世界すらも違ってくる。金銭感覚などが最たる例だが一度仲直りしたとしてもそれから先に喧嘩が起こらないというのはかなりの低確率なのだ。
しかしフレッドはダリアを真っ直ぐ見据えて話す。考えていては何も始まらないと。このままクヨクヨして旅を続けるというのはとてももったいない。
「私、ユーラに嫌われたんでしょうか……彼に嫌われているかもしれないと考えるだけでこんなに胸が締め付けられるなんて」
彼女は泣いていた。それだけ彼と遠くなるというのが嫌だったのだろう。二人がこんなに悩んでいる中、少々不謹慎な気もするがフレッドは二人の幸せを願ってしまった。明日、仲直りが出来ることを祈って部屋に戻って行った。
「お、おはよう、ございます」
「えっと……こちらこそおはようございますダリアさん」
どうしてこうなった。いや、理由は何となくわかる。謝ろうとして気がついたら敬語に戻っていたのだろう。ユーリに関しては以前の状態に戻ってしまっていた。
火山のマグマがなくなったらどうしようと考えて十日ほどチル=ゾゴールに滞在した。結果から言うと、すぐに復活したようだ。スルトも回復に一ヶ月はかかるとされていたが一週間くらいで完全回復し今もなお番人を続けているようだ。
新聞を見てほっと一息を吐きながらフレッドは馬車の扉を開ける。二人は目を合わせてユーリ、ダリアの順に乗る。
次の国までは遠いだろうからその間に仲直りしてくれることに期待して馬を走らせた。
チル=ゾゴール連邦王国の国境を越え、ルツィヒ大砂漠地域に突入した。そこに見えるのは氷の城壁と砂漠だけだ。近くにあった馬宿に馬だけ置いてきてラクダを現地でとっ捕まえる。フレッドがそれを行っている間、馬と同じくして馬宿に身を寄せていたダリアとユーリの二人は気まずそうにしながらもなんとか会話を始めた。
「……旅って結構怖いんですね」
「そうだね。うん、けど慣れれば怖さはなくなると思うよ」
恐ろしいほどにぎこちない。その後もフレッドの天啓や神の権能について話したが一向に距離は縮まらない。
ほとんどの馬宿には食事処がある。大体はアルコールの入っているものを提供している。ここも同様で、まだ昼間だというのに聞こえてくるのは歓声。どうやら大型の魔物を単独で討伐できた人がいたようだった。
ユーリは酒を飲んでいないが、このままの流れで謝ろうとダリアをじっと見つめた。
それはダリアも同じだったらしく二人で見つめ合う時間が数秒だけ存在した。
「「あの!!」」
ダリアとユーリの声がかぶさる。その時だけは酒場の人達も静かにしていたので二人の声だけが馬宿に響く。恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。先にどうぞとダリアに言われ、ユーリは息を吸って頭を下げる。
「ごめんなさい!! ダーリャのことを気にせずに愚痴を言ってしまった」
「……私も落ち込みすぎちゃったから。また仲良くしてくれる?」
十日間のわだかまりが解けた。どちらも互いのことを嫌いたくなかったのだ。私のこと、嫌いじゃない? とダリアが笑いながら言う。ユーリは、もちろんと誇らしげな顔を浮かべて口にする。
フレッドの望みである恋人になった訳ではないが少なくとも友達以上の関係にはなっていることだろう。喜びの余りでダリアはユーリにハグをした。それで彼がぶっ倒れそうになっていたというのは言うまでもない。
「誤解は解けたんですか」
「ええ! 背中を押してくださってありがとうございます、フレッドさん!」
結局、恋仲にはなっていたかったと聞いて少しがっかりするものの、旅の途中で交友を深めれば確実に恋愛沙汰に発展させることは可能だろう。ルツィヒ大砂漠を越え、二、三カ国ほどを突っ切るとプリヴェクト帝国に辿り着く。
依頼によると出頭する前に帝国を観光しても良いとのことだったので存分に楽しむこととした。プリヴェクト帝国は世界最先端の技術を保有していて、世界で一番産業の盛んな国といわれているほどだ。
流石にプリヴェクト帝国まで直進するというのも味気ないし何といってもラクダの体力の問題もあるので三人はルツィヒ大砂漠の南端にあるルミナリーという国に滞在することにした。そこは多神教の主神である太陽の神を信仰しているところで、古代に近隣国との戦争に勝利し続けているほどだ。
古くから伝わる神話が存在しないということで有名であり、千年前に作り上げられた神話があり、そこからルミナリーという言葉をとったという言い伝えがある。
砂漠の中に位置していて戦争資源や兵器を運ぶのも大変なため、世界で一番攻められない国とも言われている。全員が太陽の神を信仰しているから宗教戦争が起こることもないし、強盗やその他諸々の犯罪もほとんど発生しえないような平和な国らしい。
ダリアの氷属性を付与した魔術のお陰で馬車の内部はひんやりとして涼しいが、フレッドは外にいてしかも風を感じられるわけでもなかったから地獄のように暑かった。
汗をぬぐいながら馬車の扉を開けると一気に冷気が押し寄せてくる。今の一瞬で暑さによる疲弊が飛んだ。ラクダは馬宿に預けられるようなのでルミナリーの国境近くにあった馬宿に馬車と一緒に預けてから入国した。
* * *
「ここは風があって涼しいんですね。国の外は完全に無風でしたが」
「そうだ。ここの風の発生源は我々が占拠しているからな」
今は国のお偉いさんと思われる女性に国を案内してもらっていた。どうやらここに観光客はおろか、旅人が来ることすら珍しい事象のようだ。
確かに側から見てみれば灼熱地獄のような場所でしかも戦争に勝利し続けているのだから野蛮な国家に違いない。皆、そうやって決めつけているのだ。
「二日後に神へ祈りを捧げる祭りがある。前例はないが……彼女はとても適任に見える」
太陽の神を信仰している人しかいないのだからそりゃあ前例はないだろう。というかあってたまるか。
何に適任なのかを聞いてみるとずっと平静だった女は目をまん丸にした。このルツィヒ大砂漠地域ではとても有名で荘厳な祭りらしい。
「そんなのに神架教の私が参加しても良いんですか?」
「神が許すかどうかは分からないが信仰する側はどっちでも良いからな。神は数多にいるという考えだから神が一柱増えるだけだよ」
多神教は唯一神を信仰している人達と違ってだいぶ寛容だった。なんなら今宗教の正しさを説くために武力を行使している人たちが情けなく見えてくる。
この対応に困惑していたが女――カサンドラは困っていたようなのでとりあえず近くの影にあったバーで話を聞く。
彼女は祭事担当の神殿務めらしい。しかし神を呼び寄せるための踊りを舞う少女が年々減っているようで今年は候補者が国の中では存在しない。
ダリアを見てこの人だ、と思ったらしい。
「どんな衣装を着るんですか?」
「今持っているから試着するか?」
ダリアは考えるまもなく頷く。カサンドラは若干嬉しそうな顔になりながら彼女を衣装店に連れていった。
笑顔で彼女を見送った後、ユーリはフレッドのことを睨んで彼に尋ねる。
「フレッドはダーリャのこと好きじゃないよね?」
「はぁっ!?」
あまりにも突拍子ない言葉だったのでつい素っ頓狂な声が出てしまった。バーにいた全員から不審な目で見られる。恥ずかしがって喉を鳴らした。
「ユーリ君、どうしてそんな考えに至ったの?」
「……だってフレッドって完璧すぎて色んな女性から好かれてそうだからその……」
「その?」
「ダリアのこと狙ったらきっと僕はひとたまりもないから」
フレッドは珍しく失笑した。嫌いな人の好きな人ならともかく、仲良い人の想っている人を奪うなんて非道なことあり得るわけがない。
そのことを彼に伝えると目をキラキラとさせてフレッドの手を握る。というところでバーの扉が開いた。
二人が瞬間的に振り返るとチリチリという音を鳴らしているダリアがいた。
俗に言う踊り子、という人の衣装だった。ダリアはこんな衣装を着ると思っていなかったのか、顔を真っ赤にしてただそこに佇んでいるだけだった。




