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或る御者の旅  作者: 駱駝視砂漠
第二章
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第二十六話 御者と囚人と令嬢と

「本当に言っているのかい? 別にいいのだが、もし困ったときはそこの御者に言うんだぞ。あとヴェレスフォード君、依頼金は私の方から払っておくからしっかりと護衛の方も頼むぞ」


 フレッドは苦笑する。依頼として受け取ったのは金貨千枚。国際裁判所からの依頼金とほぼ同額だった。流石は世界トップ五の富豪だ。家は豪勢そうだったが内部に多くため込んでいるらしい。貯金というのだろうか。

 魔術で封印して使おうと思ったときだけ長い詠唱を行って解除しているとのことだ。ちなみに、その封印の詠唱は伯爵家の当主を務めた者しか知らない。

「ヴェレスフォード君、うちのダリアはかなり世間に疎いかもしれないが優しく見守っておいてくれ」


 フレッドは頷く。

 ユーリは夜遅くだったがしっかりと寝ていた。テーリア共和国では全く眠れていなかったのに、どこか安心できる点があったのか、今ではもはや早い時間帯で寝ているのだった。

 フレッドは当然眠れることがないのでベッドの上でユーリのことを見ながら読書に勤しんでいた。今読んでいたのはルチアの古本屋で買ってしまった歴史書だった。片手間で読めるように、当時ではかなり珍しいような文庫本になっている。


 ずっと首を傾げながら読書を続けていると流石に疲れてくる。はぁ、と深いため息を吐きながら大きな地図を広げて次はチル=ゾゴール連邦王国のどこの地域に行って、三人でどこの国を訪れるかをずっと考えた。


 * * * 


「それじゃあきちんと計画を立てて旅をするんだぞ? あと恋愛は別にいいけど誑かされんようにしろよ?」

「分かっておりますわ! それじゃあ、今年の五賢人会議と領地をよろしくお願いしますわよ。父上?」


 令嬢は満面の笑みを浮かべて手を振りながらルキーナ伯爵の屋敷に背を向けた。フレッドは昨日調べたおかげでかなり情報を得ることが出来た。ダリアも伯爵令嬢らしい縦ロールを止めて旅に向いているようなストレートに髪を直している。

「ユーラ、これ似合っているかしら?」


 もちろん、とユーリは言っているが、彼の顔は真っ赤だ。そろそろ気が付いているのではないかと思って彼にそれとなく質問するが目を丸くして驚いていたのでまだ自覚していないのだろう。いつ察するのかもはや苛ついてしまうほどだ。


「フレッドさん、今日はどこに行くか、お決めになっていらして?」

「一応……ここの先にある劇場とかどうでしょうか。ほら、全世界で話題になっている作品の劇場化ですから面白さは担保されているかと」

 そう言ってフレッドが雑誌を二人にあげる。そこの項目には魔術を使用した劇が特徴的で、声や演技だけでなく感触まで楽しめるようだ。

 最初、フレッドは『感触』とは何かと思って考えたがどうしても良い考察が思いつかなかったので劇場に行ってからの楽しみにしようということになったのである。

 ゾゴーリア劇場に入って三人はチケットを買う。スタッフがダリアのことをルキーナ伯爵家の長女だと指摘しようとしていたがそれを言ってしまうのは何かしら(しゃく)だったのか淡々と作業をこなしていた。


 劇場に入るとそこにいたほぼ全員が三人のことを凝視する。開演二十分前だったが、ここにいる人達のほとんどは二十四時間ぶっ通しで演劇を見ているらしい。感想戦をしている最中に彼らが来た訳だから集中力も途切れる訳だ。


 フレッドからしてみれば集中力の必要な演劇鑑賞を一日中続けるなんて狂気の沙汰としか思えない。彼は気が付いていないが深夜にずっと読書を行っているのも正気の沙汰ではないが。


 どうやらこんなに混んでいるのは今から観るものがゾゴーリア劇場では初公演となるかららしい。フレッドはその原作を見たことがあるがかなりえげつなかった。あれを忠実に再現できるとするならば天才としか言えないだろうと期待をしながら。


 ブーブーという二回のブザーと共に演劇は始まった。


 * * * 


「さあ、素晴らしいものを見せてくれた。欲するものを言ってみなされ。この世界にあるものならば何でもよかろう」

「…………洗礼者の首。彼の首を下さいませ」


 ヒロインである国王の娘はやっぱり狂気的でどこかおかしかった。パンフレットにあった情報だと主演の女性は普通に過ごしていたとのことだがあれを単純な演技だけで狂気性をカバーしていると鳥肌が立つ。ダリアはとても怖かったのか、ユーリの手をしっかりと握っている。


 国王とその娘はずっと言い争いを続け、ついにそれが終わった。国王が娘に負けたのである。そして死刑執行人が洗礼者のもとを訪れる。洗礼者は娘のことを罵っていたが、最期だけは何も言わずに死んでいった。憎しみと侮蔑を宿した瞳を閉じて。


 首からは血なまぐささが漂う。本当のことだ。舞台の上には鮮紅の血が飛び散っていて本来であれば絶対に匂うことのないものも散漫している。あまりのリアルさにフレッドは顔をしかめる。他の客は感動して涙している者すらもいた。


 洗礼者が命を落としてから数日が経ったようだ。国王は娘を王の間に呼び寄せる。銀の皿にのせられた彼の頭はとても美しく耽美なものであった。


「ああ、お前はその唇に口付けすることを赦してはくれなかったね」と恍惚とした表情を浮かべて彼女は言った。あまりの現実味のなさだった。しかし違和感を覚えるどころか演技に吸い込まれてしまうほどだ。

「わたしは、お前の唇に口づけしてやるよ」


 愛らしい娘は妖艶な笑みを浮かべ、彼の唇を嚙んだ。どれだけ甘く、憎らしい味がしたのだろうか。国王は彼女を恐れたのか騎士に頼み、二人諸共死んでしまったのであった。



「ごめんなさい。かなり衝撃的な話でしたよね」

 フレッドは完全に自分の趣味で演劇を選択してしまったことを今更ながらに悔やむ。ダリアもユーリも普通な顔をしていたが架空の物語とは言えど酷いものだったであろう。


 そして次に見たのは綺麗なバレエだったが、二人の表情を見ていても全く変わっていないのだ。感動できるような演舞だったのだろうが、全く集中できない。何もかもあのクオリティーと原作再現度の高すぎるあれが悪いのだ。

 劇場を出てからフレッドはすぐに二人の方を見つめる。


「不快だとは思わずにすみません!! 今度からは気を付けます……」

 二人とも優しかったので批判などしなかったが視線がもう虚ろになっていたので今後の客も含めて未来永劫そんなことをしないようにという戒めも含めてフレッドは謝罪した。そもそも、フレッドはただの御者であり、意見を出す側では断じてない。そのことを改めて考え直さないといけない。


 次にダリアがずっと行ってみたかったところへ訪れた。

 チル=ゾゴール宮殿だ。宮殿とは言っているものの、実際は国王等々の王族が住んでいるエリアということで武器庫や美術館、大聖堂まで何でもそろっているのだ。本殿も他の国にはない珍しく、そして凝った意匠になっている。

 ここもやはり国教は神架教らしく、その宗派の一つが主に信仰されているようだ。

 フレッドも旅をしてきているが、国教が神架教意外だというのはあまり見たことがない。あったとしても宗教戦争が活発なところくらいだろうか。

 当然ダリアも神架教を信仰しているようでまずは宗派の総本山である『聖女・ワシリーサ大聖堂』に向かった。


「フレッド、どうしてここはワシリーサと言うんだ?」

「この地は魔女に愛されながらも魔女にはならなかった女性が住んでいたかららしいです。魔女に愛されたのならば普通は魔女にならないといけないはずですが彼女だけはそれを拒否できたとかなんとかっていう伝承ですね。彼女の死後、総本山である世界樹下の教会で彼女の遺体を燃やそうとしたところ閃光が教会を襲ったそうですよ。そこから神に愛された『聖女』という二つ名が付いて住んでいたこの場所は神架教の中でもトップクラスで地位のある聖堂となったらしいです」


 フレッドはどこかで読んだことのある逸話をつらつらと語る。本来であれば聖女が誕生した時は神からの啓示があるらしいが、彼女の時はそう言うことが一切なかったと文献に記されているので恐らく彼女は本物の聖女ではないのだろう。だが、聖女は実在したと考えた方が夢がある。きっと彼女じゃなくても聖女というのは本当にいたんだろう。フレッドはそう信じている。


 ダリアは目をキラキラとさせていた。煌びやかな金色のパイプオルガンは荘厳なたたずまいで大聖堂の真ん中に存在している。パイプオルガンのはるか上にはステンドグラスがあり、聖女・ワシリーサのことを奉っていた。彼女が生きていたのは三千年くらい前のことで、その時はほとんどの人が幸せだったと語っているので、聖女でなくとも普通の人間でないは確かだろうが。


「ユーラ! 貴方は神架教なのかしら?」

「そうだよダーリャ。旅が出来るように神に祈ろうか」

 二人は一緒に逆光が差しているステンドグラスの前に跪く。フレッドも神架教を信仰している訳ではないが何となく光に向かって手を合わせた。


「……っ!?」


 光があった。七色の閃光が突如として聖堂に降りた。三人だけでなく、他の信仰者も驚く。これは神の怒りかそれとも祝福か。それは誰も分からなかった。ただ奇跡とだけ。


 信徒はすぐさまダリアの方を向く。今までは一回もこんな異常なことは起きなかった。しかしダリアがいた今回だけが奇跡のタイミングで輝く美しい光が舞い降りたのだ。

 彼らだけでなく司教までもがダリアに感心していた。聖女と言われるのもそうだと認定されるのも時間の問題だろう。彼らは聖典をベンチに置き、一斉にダリアのところへ駆け寄る。もう一度奇跡を行使して下さいませと人々は口を揃えて言う。


 ダリアは困っていた。祈ったからって確実にあんな事象を引き起こせるとは到底思えないし、そもそもあれはもっと別の力が働いていた気がする。聖女なんかでは説明しきれない何かが。天才の勘がそう告げていた。


 そういえばダリア様は学園を飛び級で卒業してらっしゃいましたね、と誰かが言う。それも神の恩恵じゃないかと次々に発していった。


 ――やめて。私はそんなんじゃない。ちゃんと努力して、誰にも見られないところで勉強しているから。


 ダリアは優しかった。それ故に皆の希望や夢を壊したくなかったのだ。

「ちょっと。ダーリャは聖人のような性格でもないし天然すぎるから聖女ではないと思いますよ。あと厳かじゃないし」

 輪の外から誰かが雰囲気をぶち壊した。ユーリは呆れたような口調で続ける。光がなんだ。


 たかが七つの閃光じゃないか。


 ダリアの顔がほぐれていった。一瞬だけ他の人は睨んだが争いを起こすのはいけないと感じたのかすぐに彼女から離れていく。ユーリのことなんか何も考えずにとりあえず抱きつく。そんなことをされた彼の顔は東方の国にあると言われている椿のようだ。

「ユーラ、ありがとうですのよ!!」

「良いよ……とりあえず抱きつくのをやめて移動しよっか」

「嫌ですわ!! 今はこうやっていたい気分ですの!!」


 ユーリの顔がさらに紅潮する。フレッドはそれを見て再びニヤニヤする。訝しんでいたようだが、彼の胸に頭を押し付ける。確かに頭のねじが数本ぶっ飛んでいるという訳ではないが常識はあまり身に付いていないようだ。彼は空を眺めて片手で顔を覆う。ようやっと彼女への恋心を自覚したらしい。ダリアはにっこりと微笑んでユーリたちを案内した。


 * * * 


「えーっとユーリ君はこのエリアで行きたい場所はどこだったかな?」

「これだね。エルタイ火山群……この中に琥珀のように輝く綺麗な花があるようだから一回だけでも見たいんだよねー」


 見聞録に記されているのは『竜の涙』。どうやらここに実際聖竜が訪れて一滴の涙を落したらしい。これ自体は実話らしいが火山の噴火によって紛失してしまったようだ。竜が来て一千年経過しているとのことだが全く見つかっていない。


 半日探して見つからなかったら諦めるみたいだが、冒険間のあって面白い。二人が拒否する理由もないのでそのままエルタイ火山群に向けて歩き始めた。

 火山群までの道のりは距離自体は短かったが何よりも険しいものとなっていた。まずは火山ではない山を二つ超えないといけない。そして灼熱地獄を乗り越えてやっと探索の始まりになるのだ。


 囚人・ユーリ=メンゲルベルクは疲れ切っていた。地面は熱いので手こそついていないが目と会話内容からして完全に廃人と化している。令嬢・ダリア=ルキーナはと言うと、彼を負ぶって山を登っていた。意外とアクティブなのだろうかと思っていたら子供の時は木登りや空中鬼ごっこなるものをして遊んでいたらしい。衝撃の事実だった。

フレッドさんたち三人衆が見ていたのはオスカー・ワイルド氏の戯曲「サロメ」です。

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