第二十五話 旅人、極寒の地にて
フレッドは急いでチル=ゾゴール連邦王国へ向かった。息を吸うたびに冷たい空気が喉を凍らせようとする。
「はぁ、はぁ……今すぐ入国したいですっ……」
国境警備隊の人もフレッドの傷とその焦り具合を見て正常ではないと感じたのか、入国審査もただ身分証を差し出すだけで何も言わずに門を開けてくれた。
国境警備隊の人にユーリのことを尋ねると、旅人四人組が死に物狂いで走って来て彼らが相談したのが偶然王室の医者だったようだ。王城にある、治療室で回復を待っているところらしい。旅人達は顔を真っ青にしてすぐ国を離れてしまったようでフレッドは感謝できなかったと落ち込むがとりあえず安堵する。
この国は他と比べても圧倒的に寒く、街の中でも凍えてしまいそうなほどだった。
「えっと、大丈夫ですの!? 貴方、お腹、刺されていますのよ!?」
冬の暖かい服を着た令嬢が目を真ん丸にしてフレッドのことを見ていた。厚意によって彼女が着ていたコートをかぶせてくれた。久しぶりの暖かさについ顔がほころぶ。
彼女はルキーナ伯爵家の長女であり伯爵領の統治を行っているらしい。長男と次男もいるが、まだチル=ゾゴールの学園に通っているらしい。彼女が今、学校に行っていないのはとても優秀な成績を収めて飛び級を何回も行ったからのようだ。
フレッドは顔を真っ青にする。
というのも、彼女の家は世界が誇る『五賢人』、その人であるからだ。しかも先代の伯爵が既に辞任しているので五賢人会議にも参加している。
さらにカトーネ公爵などの悪名高い貴族と違って人望も厚く、歴代でも優しい人たちが多いため性格の良い貴族としてよく名前が挙げられる最たる例だった。
フレッドが目を逸らしながら事情を話すとダリア=ルキーナは彼女の口に手を添えてアイディアを出した。私の家に来ないか、と。
面積の割に人が少なくて寂しいようだ。あとはフレッドのことが心配というのもあるのだろう。
「良いんですか? そんなに優しくしてもらっても」
「だって目の前に傷だらけの人がいたらそりゃあこうなるのでしてよ? それに……いや何でもないですわ」
彼女が一番最後に言おうとしていたことは気になったが、とりあえずダリアの案内でルキーナ伯爵家担当の医者に診てもらうこととなった。
伯爵家までの長い道のりの中、ダリアはフレッドに尋ねる。
「なぜそのユーリという方は酷い扱いをされているのかしら」
フレッドが、ユーリは五賢人の一人であるカトーネ公爵の娘に交際させられていたこと、気がついたらその令嬢は有力な伯爵家の次男と付き合っていたこと、そして憤慨した次男が凶器を振り翳したが危機感を覚えたユーリに返り討ちにされて怪我をしたということを話すと急に顔が曇る。
「あぁ、ナタリアがそんなことをほざいてましたわね。本当に愚か」
ユーリの元恋人の名前はナタリアと言うらしい。正直興味もなかったが自分だけ責任を放棄したという点で久しぶりに憤慨した。
ダリアも彼女のことは心底嫌っているようで五賢人としての最低限の会話しかしていないようだった。まあ、ナタリア=カトーネは公爵令嬢ではあるが統治を行っていないので話す機会といえば五賢人会議に見学しに来ているときくらいだろうが。
ルキーナ伯爵の家は、とても質素なもので伯爵というか五賢人のものとは思えないくらいだった。フレッドは他の貴族や平民達に舐められていないのかという純粋な疑問を抱いた。が、そもそもこの国は貴族同士や人間同士の競争がほとんどない。
だから皆、他の人を軽蔑したりすることはないという。
ダリアはコンコンと軽快なリズムで扉を叩く。すると、中から執事らしき老人が姿を現した。最初はその人も呆れていたが、彼女の隣にフレッドがいることに気付き、しかも怪我をしていたので目をまん丸にする。
「お嬢様!?」
「ヴィンセント。この人見たら分かる通り傷を負っているから医者のところへ運んでくださらない? 後三日四日は泊まることになったから」
ヴィンセントと呼ばれた男は辞儀をしたがかなり顔を青くしていた。普通に考えれば労働用以外の平民を貴族の家にあげるというのは明らか常識外なことである。彼から話を聞くと彼女が泊まる場所に困っている旅人に伯爵家を提供するのはもはや当たり前の事象らしい。
「全く、お嬢様と言ったら……」
「本当にすみません……」
ヴィンセントはフレッドのことを冷たい目で見ながらも実際に軽蔑するような発言や行動をする訳でもなく二人は医者のいる部屋の前まで来ていた。
* * *
「特に問題はないですよ。剣の方に毒が塗られていた跡はありましたが致死量ではないので」
医者に回復魔術を使ってもらったことで完全回復したフレッドは今日から観光しても良いと言われたのでとてもワクワクしていた。伯爵家に連絡が届き、ユーリも傷が癒えたようなのでとりあえず安堵する。
「私もついて行って良いですか? 街には興味がありますの!!」
どうやらダリアはヴィンセントの監視下にいるので国のあちこちを見たことがないらしい。フレッドはどちらでも構わないが、ユーリはどうだろうか。五賢人の一角であり令嬢。かなり怪しいところだが話してみないことには何も始まらない。
ユーリを迎えに行くため、王城に向かうとすでに入り口のところで彼は待っていた。
「フレッド!! ……というか誰その人」
「私は五賢人が一人、ダリア=ルキーナでございますわ」
五賢人という単語が聞こえた途端、ユーリは身構える。
彼女が一緒に街を回りたいという旨のことを話すと彼は訝しみながらフレッドに質問する。
「フレッドはどう思うの」
「僕は全然いいけど……ユーリ君が嫌だったら断れるよ?」
少し不機嫌な表情で頷く。悪い人だと本気で思っているような素振りはないがそれでもカトーネ公爵令嬢という前例があるので完全に信頼できないでいるようだ。
ユーリ、フレッド、ダリアという並びで街を歩く。所々に雪が積もっているのでそれを避けたり氷で滑らないようにしながら。色々な場所を見てきた。
「見て下さいフレッドさん! あそこに『イルミネーション』ってやつがありますわ。ユーリさんも一緒に見ませんこと?」
「そう、かも、しれないですね……」
話が全くかみ合っていない。ダリアも天然すぎて別のことを次々と口にしていってしかもユーリは五賢人というのとカトーネ公爵令嬢のことを思い出しているのもあり、緊張しすぎて会話の内容をよく分かっていない。緊張もせずに天然でもないフレッドは二人の話を聞いていてまさに地獄だと感じた。
何とか二人を繋げようとしたが、暴走していくだけでどうにかすることも出来なかった。上手くいかなかったのでフレッドは思わず苦笑する。まずはユーリの偏見――というか先入観を払うために彼女のことについて話した。
「ユーリ君、彼女はカトーネさんと違って優しいからね。まずは話してみたら?」
「無理だよ! 貴族と話すと馬鹿にされそうで怖いよ!」
とのことだった。確かに彼ら貴族は怖いかもしれない。一時だけ優しくして後に罵倒されたり陰で悪口を言われるかもしれない。しかし、そんなのはフレッド達が知ったことではないし、御者を続け、旅を続けてきたことで貴族の中にも優しい部類が存在するというのは分かり切ったことだった。
ダリアは優しい貴族かそうでないかの二択だと圧倒的前者の方だろう。フレッドからそう聞かされて少しだけ考えが変わったのか、ユーリはダリアの横に行き、顔を真っ赤にして「今日は天気がいいですね!」といった。
今は雪がしんしんと降っていてお世辞にもいい天気だとは言えない。もちろん、これを風情のある光景であるという意味での『いい天気』ならば話は別だろうが。
「まあ! 私と話してくれるのですね! ナタリアのことがありましたから、一生話してくれないと思っておりましたわ!!」
とダリアは満面の笑みでそう答えた――なおユーリの問いかけに対する応答ではない――が、ユーリは苦笑もせず落ち込んでいる。
茶化すような意図でそれを言ったわけではないというのは知っているが、それでもあの惨状を思い出すたびに鳥肌が立つようだ。ごめんなさい、とダリア。流石の天然でも表情を見て察せられるものがあったらしい。
これによって彼女が悪い人ではないと感じたのか、ユーリは積極的に話しに行くようになった。それはもうフレッドもびっくりしてしまうくらいに。
彼女までとはいかないものの頭のねじや常識の一つや二つがぶっ飛んでいるユーリと完璧すぎるくらいに天然なダリアは息がぴったりだった。どこぞの二人組コメディアンのようだ。先ほどまで全く話していなかったとは思えないような仲のよさだった。
五賢人が街をふらついているというのはチル=ゾゴール連邦王国の人達にとっては異様な光景らしく、一度通り過ぎた人は二度見をし、一瞬で見てわかった人は断末魔に近い何かを発して即座に逃げていった。当の本人はと言うと、これ以上ないほどに落ち込んでいた。逃げていかれるときにしゅんとしているのが何とも似つかわしくない。
フレッドが御者をしてきて結構な数の貴族を乗せたが、全員凛々しい立ち振る舞いで儚さや寂しさを感じさせるような人は独りもいなかったが、
(なんか、ダリアさんは他の貴族の方々とは違いそうだ)
その人間らしさゆえに多くの人から陰で好かれているのだろうが本人に直接言えるような人はいないので彼女はまだ人気であることを知らないのだろうが。
こういう人が全員貴族だったら世界は平和なのに、という無謀な願いをしてフレッドはただただ後ろをついていくばかりだ。
「見てくださいですの!! あそこに続きのイルミネーションがありますわ。ユーリさんも一緒に行きましょう!」
ダリアは煌々とした目でユーリの手を握る。彼女が持っている橙色の瞳はしっかりとユーリのことを捉えていた。ユーリは少し顔を赤らめている。
もちろんフレッドはそれに気が付いていたが、指摘してしまうほど野暮でもない。そしてダリアはその天然さ故か全く気づいていなかった。
彼女がどう思っているかは分からないが、ユーリは自覚するまではいかなくとも彼女のことを想っているはずだ。いや、彼女のことを好きに違いない。
フレッドはニヤニヤとしながら走っていく二人の後を追った。
* * *
「ああ寒い……どうしてここだけ本当に寒いんだろう」
「ユーラ、それは貴女が寒がりなだけよ。ほら他の国民は皆コートを着ているだけだわ。少年は半袖短パンよ!」
ちなみに、彼女の言っていることは恐ろしいほどに的外れなことだ。チル=ゾゴール連邦王国は土地面積が多い分、人も多く住んでいてそのせいで人々の所持している魔力が空気中を漂い、それらがエネルギーを吸収して霧散してしまうため、ここだけ異様に冷え込んでいるらしい。観光雑誌にそういう考察が載っていた。
そんなことを思い出しながら、フレッドはダリアが指差している方を見た。本当に雪の中を裸足で駆けずり回っているではないか! どれだけ丈夫な体なんだろう。フレッドは羨ましく思う。
たったの一日間で二人は目を疑うほど仲良くなっていた。今は二人とも愛称で呼び合うほどだ。ユーリであればユーラとダリアであればダーシャと。フレッドは愛称を使うのに慣れていないので今でもファーストネームで呼んでいるが。
二人のその姿はまさに親友そのものだった。五賢人、あるいは伯爵令嬢と平民。どこから接点なんて生まれようか。あんなに緊張していたユーリも楽しそうに笑い合っている。
ダリアはユーリに耳打ち、その後フレッドに提案を持ちかけた。
「私はユーラと一緒に旅がしたいですわ! もしフレッドさんが良いと仰ったらお二人の同行してよろしくて?」
突然そう言われたものだからまずは驚くだろう。その次に土地の経営はどうするのかという疑問が浮かんだ。彼女の自己紹介的に伯爵領を丸々経営しているのだろう。
それをダリアに尋ねると親はまだ生きているので任せても構わないと言っていた。
「僕はその両親様が許可して下さるのであれば全然良いですが」
「ですって! やったわねユーラ、一緒に国を回れるらしいわよ!」
「……でも」
ユーリと一緒に旅ができるのはプリヴェクト帝国までだ。そこで出頭すれば彼は『地獄』に収監され、長い時をそこで過ごすことになるだろう。
「大丈夫よ。私はいつでもどこまでも待ってるわ。もし刑期が二百年くらいだったとしても私が魔女となってずっと待ち続けるのよ!」
――だから。
「絶対に独りだと思わないで。味方は絶対についているから」
ユーリは目を見開く。太陽が沈みかけたこのチル=ゾゴール連邦王国で彼女がとても輝いて見えたのだ。
そしてダリアは悲しそうな顔をしていた。




