第二十四話 旅人、冷獄にて
「今日はここに泊まって行きなさい。これはあくまで死体蘇生術を再現したもの。生きてる人間に使ったらどうなるのかは分からないから」
ルチアは部屋を一個貸してくれた。魔女達の紀行を記したものが一面に並べられているらしい。とても綺麗な装丁がずらりとあったがそれでも年には負けてしまうのか、古びてそこにあるものも多い。
沢山の人に踏み潰されて流石に疲れてしまったのかユーリは机に伏して寝てしまった。フレッドが寝た時に異常が起きてしまってはいけないのでいつも通り見張ることにした。だが読める本が万とあるので暇をすることはなさそうだった。
暗闇がテーリア共和国を訪れ、月が姿を現す。夜が国を包み込んだ。
フレッドも透視を使ってそのことを確認する。綺麗な満月が見えたところで再び読書に耽る。
ルチアが見ていた。いつからいたのかは分からない。フレッドが集中している間にこっそりと入ってきていたのだろうか。
「異常はないようね」
「はい。至って普通に寝ていますね」
わずかな沈黙ののち、ルチアは口を開く。
「貴方も魔女?」
「いえ。普通に二十年を生きている人間ですよ」
「へぇ。貴方は魔術がとても使えるのに魔女ではないのね」
「誘いが来ても断りますよ。不老不死なんて虚しいだけです」
それだけ聞いてルチアはそそくさとどこかへ行ってしまった。本当にあれだけが聴きたかったのだろうか。
朝が来るのは思ったよりも早かった。多分フレッドが集中しすぎていただけだろうが。本で埋め尽くされている部屋には当然窓なんていう概念はなく、懐中時計を見て気が付いた。
「ユーリ君起きて。もう朝だから」
彼は眠いと言わんばかりに目を擦る。寝ぼけながらもユーリは着替えていた。フレッドも、少々あくびをしながら着替える。二人は着替え終わって廊下に出ると、既にルチアは扉の前で突っ立っていた。紙を本の上にのせていた。どうやら超簡素的な健康診断をするらしい。
「体がふわっとするとか感覚がないとかそういうことはない? あとは吐き気とか腹痛とか……」
ないです、とユーリが答えると微笑んで彼のことを抱きしめた。えっ、と彼が顔を真っ赤にすると、ルチアは首を傾げる。ハグで信頼の証らしいが、彼女の感覚はニ百五十年前で止まっているので今の文化ではない。遠回しに古い人扱いされて少しだけ悲しそうな表情をしていた。
「貴方達は食事が必要なのでしょ? 私もついて行く」
今世界がどのようになっているのかを自分の目で見て確かめたくなったらしい。咎めるような理由もないので二人はルチアを二人の舟に乗せた。ルインレットから帰る途中にも沢山のものがあり、食べるものには何ら苦労しなかった。
「うん……こういう俗なものも悪くないわね」
普段本から得られる知識が栄養源となっている魔女にとってはとても新鮮だったようで分かりやすいくらい驚いていた。
「一人で帰れますか?」
「舐めないでもらえる? 私は魔女だから転移なんて呼吸する間に出来るわよ」
とのことだった。今日はテーリア共和国を離れる日でありホテルのチェックアウトもしないといけないので時間がかつかつだった。また来てねと言うように港の方から手を振るルチアに二人もまた大きく手を振り返した。
* * *
囚人だというのに、ユーリは色々な人から別れを告げられた。最初に会った老婆からフレッドが金貨三枚をあげていた少女まで。服役が終わったらここに来ればいいと。国民は皆口そろえてそう言ったのだ。ユーリは嬉しそうにしていたが、目には一筋の涙が流れていた。
フレッドもそれを見ていた。きっと国民の皆も凶悪犯だったらこんなことを言っていないだろう。ほんのわずかな期間でもユーリの善性を見出して応援してくれているのだ。
別れることを少し惜しんだが、ユーリが晴れやかな笑顔で馬車を出してくださいと言った。客が一番なので頷いてから馬に鞭打つ。すると馬は嘶き、そのまま走り出した。
テーリア共和国を出発し、一カ月が経過した。その間にも周辺にあった十カ国ほどを訪れて様々な経験をした。これほど充実した旅は久しぶりだった気がする、とフレッドが思うほどには満足な旅だった。色々な人から道案内をしてもらったりしてプリヴェクト帝国までの最短距離を教えてくれた。曰く、とてつもなく寒い場所を通ればあとニ、三カ月で到着するらしい。
馬車を停めた。看板に大きな文字で何か書かれていたからだ。フレッドは馬に指示を出し、その場で待機してもらった。ユーリが不安そうな眼差しで彼のことを見つめている。
「なになにー……えー。あー……」
そういえば極寒の地が周辺にあると言っていたか。看板に書いてあったのは『この先氷点下也。ここに入るもの一切の望みを棄てよ』と書いてあった。確かに、雪が降っているこの地でも『0℃』をぎりぎり上回るかどうかの境目である。馬の筋肉も固まりつつあったので馬宿にフレッドの馬を預けてユーリと一緒に冷獄を歩んでいくことにした。
「寒い……これ余裕で凍っちゃうよ」
「そうだね。一応ジャケットとかマフラーとかは持っているけど。どう、使う?」
ユーリは頷く。白い息が出ていた。フレッドが優しくマフラーをかけてあげるとユーリが嬉しそうな表情に変わった。
「フレッドは優しいね。というか君は大丈夫なの? 寒くない?」
心配そうにしていたからそれを払拭するために手から炎を出した。暖かいを通り越して最早熱い。炎との距離はわずか五センチ。火の粉が飛び散ってしまえば火傷すること間違いなしだろう。手の上だけたらたらと汗が流れていた。
それを察したのか、ユーリは炎を制御して半分にした。これで二人同時に暖を取れるだろう。木を媒介として炎を出している訳ではないので、それが寒さや吹雪によって消えることはない。ただ魔力が削られていくので魔力不足になったら気絶すると同時に炎も消えていくのだが、フレッドは絶望的なほどに魔力を所持しているので一年この状況が続かない限りそれはないだろう。
「なんか、あそこらへんに町が見えない? ほら、城壁らしきものがある」
フレッドはユーリに体を寄せる。よく見えなかったから双眼鏡を使って目を細めながら遠くのほうを覗くとなんとそこには小さそうだが国があった。凍えてしまいそうな手で地図を握って確認した。
――氷城壁チル=ゾゴール連邦王国。そこは小さそうに見えてただの連邦王国の一部であり本体は何と大陸の五分の一を占めてしまうくらいのとんでもない大きさだった。読んで文字の如く、氷の城壁が有名なようでチル=ゾゴール連邦王国の寒冷地帯を覆うほどに大きく作られた城壁は大魔術師の超強力な魔術式でも溶かすことは不可能らしく、傷つけてもビクともしないらしい。
昔実験してみたところがあるらしいが、大魔術師五人と特殊戦闘部隊を使ってどれくらいの年月で一センチの穴をあけられるかを検証したところ五十年でようやっと空けられたようだ。それくらい、自国の防御には自信があるらしい。
「そろそろ着くかな。ちょっとは暖かくなるといいねっ!?」
フレッドは目をバッチリと開く。眠気に襲われたわけでも衝撃的なものが見えたわけでもなかった。いや、正確に言ってしまえば後者の方が正しいか? ――とにかく、フレッドの目の前の地面には氷で創られた槍が突き刺さっていた。あまりにも唐突なことだったので足を半回転させ、後ろを向く。そして遠心力を使ってその槍から離れた。
まずこれは誰によってつくられたものなのかを判断しなければなかった。確かチル=ゾゴールは敵国に対しては厳しいものの、国際の機関には所属していなかったのでユーリのような囚人に対しても普通に接してくれるし旅人に関してはもっと寛容で入国審査も数分で終わるようなものだけだったとレオンハルトに聞いたことがある。ならば国境警備隊が勘違いしてフレッド達を攻撃しているかユーリを消したい誰かが刺客を差し向けていると考えることが出来るだろう。
荒れ狂う雪の中、フレッドが逃げてきた方から赤い液体が見えた。駆け寄ってみると血濡れているのはフレッドの服で、ユーリに貸していたものだった。目を開き切っていて、既に死んでいるように見えるが、まだ呼吸はある。しかしほんの少しだけだった。
フレッドは急いで都合よく近くにいた旅人に彼を任せる。四人組は驚いているようだったが、状況を説明すると真面目な顔になり素早く国の方へ持って行ってくれたらしい。
メイド服のようなものを着た若い女性は服装とは似合わないほどの極悪な表情を浮かべ、フレッドに話しかけた。
「さっきの血濡れた男をなぜ生かそうとする」
「……僕の大事なお客様ですから」
「まさか。あいつは犯罪者だぞ? もしお前が今後そのような態度をとり続けるのであれば一戦交えようか」
女はつい最近このゾゴール地域にやって来たようで、寒さによる鈍さを感じさせるような動きは全くなかった。というか、慣れたような手つきで冷気から槍を発生させてくるくる回しては投げ捨ててを繰り返している。
「国よりも何よりもお客様の命と安全が第一です。そもそも、僕に依頼をよこしたのは国際裁判所ですからまずはそこを通して……」
「うっせぇな。こっちの依頼人はカトーネ公爵なんだよ。国として戦わないといけないんだ」
どうやら目の前の彼女はリャーゼン皇国騎士団の所属らしい。鎧を装備していないのに怪我一つも見えない事から相当な実力者であることが窺える。剣の柄に皇国の紋章が刻まれていた。すらりとした体格で騎士とは思えない華奢さだった。
「ハイデマリー=ロンズデール。リャーゼン皇国の副騎士団長だよ」
「フレッド=ヴェレスフォード、一等御者です。殺します」
人外のような力を持った二人が対峙したらどうなるのか、わかりきっていたことではある。隕石に衝突した後かと勘違いするほどに地面がめり込んでいた。フレッドは咄嗟に腰に刺していた剣を取り出す。
ハイデマリーはいとも簡単にその攻撃を躱した。かなりの不意打ちを決めた気がしたが流石に副騎士団長相手では分が悪いか。彼女は魔術も一般人以上に使えるらしく、脆い氷の槍を次々に投げていった。槍が脆いのはフレッドに反撃の機会を与えない為である。自分の強さには相当な自信があったからフレッドはつい、動揺してしまった。
その結果、完全に押されていた。国のトップクラスの実力者に一介の御者が張り合えるわけがない。脇腹を掻き切られ集中力の低下が著しくみられるようになる。余裕を持ったハイデマリーが不敵の笑みを浮かべた。
「おおい! あっちに副騎士団長がいるぞ。皆の者加勢しろ!!」
騎士団の団員と思われるような人々がたちまちフレッドを囲んだ。今更抵抗したって剣やら大槌やらで攻撃されまくるだけだろう。息はあるが戦闘をする意欲がもうなかった。フレッドは仰向けになる。今日はやけに空が真っ白だ。
「もしここで僕が立たなかったら、ユーリ君はどうなりますか?」
「もちろん、私か団長が首を斬るよ。どうやら五賢人の娘さん、それから彼女と結婚した伯爵家のやつは彼の首をご所望らしいからな。どうだ? ここで諦めれば処刑のところも見せてやるよ」
団員からは嘲笑があった。
しょせんは御者。いくら実力があったってそれは騎士団の末端にすら遠く及ばない。そんな人が副騎士団長に勝てるはずもない。
全員が全員、油断しきっていた。ただ、一人が闘志を心に宿した。
瞬間、今まで雪が積もっていたところが更地に変わった。炎が飛び出ていた。地獄からの使者とも思えるような人たちが彼らのことを不気味に覗いていた。それが死者であるということに一体だれが築けたのだろうか。
「……っ!? 総員奴らを攻撃しろ!! 私はユーリ=メンゲルベルクを捕らえに行く。こいつらを片付け終わったらすぐに合流せ
フレッドが何かしらの刀を軽く一振りしていた。だが、それだけでも団を半壊させるのには十分すぎる威力だった。剣から出ていたのは金色、あるいは白色の靄。ハイデマリー達の近くに浮かぶ紫色の靄に反応して攻撃を行っている。
魔剣がハイデマリーを襲う。ずっとずっと――人間の寿命の百倍くらいかけて造り上げられたその魔剣は魔女狩りや異端狩りを憎むという性質があった。そして、不当な処刑に不満を抱くフレッドと息がぴったりと合っていた。しかし、紫の靄がなくなった途端に魔剣は神々しい光を失った。これを好機だと思ったハイデマリーが刀をぶん投げた。
かなり焦っていたようで、当然隙があった。
「あああぁぁああああぁぁああ!?」
ハイデマリーが痛々しそうに右腕を押さえた。ただ何回触っても感覚はない。
「僕はただ任務を遂行するだけ。異端を何の理由もなしに死罪にするような悲しいことはもう二度と起こさないように努力するだけ」
フレッドは申し訳ないとも思っていなかった。そっちが攻撃したのだから責任はそちらにあるとフレッドは考えた。
「お前を赦さない!! この犯罪者がっ!! 未来永劫呪ってやる!!」
しつこいので脇腹を斬った。
「残念ですが、たかが副騎士団長ごときに僕を呪えるはずがありませんよ」
血濡れた手袋を脱ぎ捨てて彼女の頭に投げた。そう言ったフレッドの口調は冷たく、世界の不幸を表す紫色の瞳も彼女を冷酷に捉えていた。




